第三話 運命の相手病被害者同盟(一名除く)
どうしてそんなに念を押すかのように質問を重ねるのかと詰め寄りたくもなったが、結局は、まあいいか、と力なく吐息をもらす。そういう、諦観の念を抱きながら過ごすのが得意でもなければ、私は祐太という爆弾と共に日々を過ごせなかったのだから仕方がない。事なかれ主義ばんざい、とでも言っておこう。水島も、二回訊ねたものの三回目はなかった。恐らく三回やるとアウトだと彼の中の常識が言っているのだろう。それは人間関係を円滑に運ぶ上で、かなり正解に近いのではないかと思われた。なぜかといえば私の中で三回目はないと告げているからだ。うん、三回目はたぶん殴ってる。いや、確実に。
さっきまで事なかれ云々言っておいてなんだお前きれやすい若者か、いやいや三回を許したら私が安いと思われるからだよ、などと脳内で言い訳を重ねていたら昼休みはあっという間に過ぎていった。なんて無意味な時間だろうという苦い気持ちだけが残るむなしい昼休みであった。最近、後悔多いよね、自分。
そろそろ次の授業の教科書を出すか、と机の中を探る。もうすぐ教師がやってくるという時間にさしかかった頃、何人かが出て行った時と同じく弾丸のように教室へと飛び込んできた。その中で先頭を切っていたのはもちろん石川で、やはり興奮状態は継続されたまま、ウォンテッド! と叫んだ。
え、なに、某あの伝説のアイドル? 今の若い子知らないんじゃないの? 私はお母さんがけっこう口ずさむから知ってるけど。
「……何を口ずさんでるの相良」
ぼそりと呟かれた水島の言葉に、自分が歌を口ずさんでいたらしいと知り、慌てて口をつぐんだ。水島は肩を揺らしてなんとか声だけでも我慢しようと頑張っているけれど、くぅ、とか、ぐふぅ、とか、そういう変な笑い声なんだかうめき声なんだかよくわからない音が彼の口からすでにもれている。なんだか侮辱を受けたとわかり、私は消しゴムの切れ端をえいやっ! と水島めがけて弾いた。デコピンの要領で飛ばしたので、けっこう勢いが良かったらしく、水島は、あいたっ、と間抜けな声を上げた。
「地味に痛い……」
頭をさすりながら呟く声はどこか弱弱しく、しかしこちらに文句を言わない姿勢を見るに、水島はなんとなく、ばつが悪いと感じているのだろう。うむ、反省しなさい。
「捜索隊の編成が決まった!」
鼻息荒く、石川は黒板の真ん中にノートよりは大きいと思われる一枚の紙を磁石で留めた。どうやら似顔絵のようだ――祐太、自力でみつけるんじゃなかったのか。それとも人脈も自力の内に入るとでも言いたいのか。いや、何も考えていないだけだな。知ってた!
「これわかんなくねえ?」
「こんな絵じゃな……」
「つうか、みつける気あるのか?」
私は似顔絵を眺めて、本日最大のため息を吐いた。
教室に居る生徒は全員が似顔絵に注目していた。ざわざわと近隣の席に座る者にああでもない、こうでもないと話しているが、大体が意見は同じ。この絵じゃわかんねえよ、という的確なツッコミだった。
なぜ――なぜ、漫画みたいな絵で似顔絵を描いたのだ。すげー上手いよ、上手いけどさ、こんなキラキラした目の人間いるかよ! 漫研は仕事しすぎだろ! こんな顔の奴いたらこええよ! それとも何か! 祐太の目にはこういう顔に見えたってか! 恋は盲目ってか! もう笑えないよ! 寒気すら感じるよ!
馬鹿の近くには馬鹿しか寄らないということか。それとも、お祭り騒ぎに便乗するだけで実は内容の遂行自体はどうでもいいと考えているのか。いずれにせよ、こんな馬鹿の馬鹿による馬鹿の為にしかならない指名手配は、確かに頭の良い人間ならば近付きたくはないと考えるだろう。
頭痛を覚えながらも、私は改めて似顔絵に視線をやる。ふうむ。
「髪は黒髪で、少し長めのショートカット、で、美人か」
拾える特徴といえば、これくらいだろうか。前髪が綺麗に真っ直ぐ切られているのか、イラストがそうなっているだけなのかはわからないけど、これも特徴と数えてもいいかな? 一重とか二重とかはさすがにわからないから、とりあえずこれだけ送信しておくか。
ため息交じりに飛ばしたメッセージの先にいるのは、祐太がこの高校に入学して以降にみつけた運命の相手たちだ。頭には、元、が付いてしまうけれど。
そういうコミュニティ名が登録されてしまった機械を眺めているとついつい死んだ魚のような瞳になってしまう。朝方にアフターケアの件で伺いを立てたのも彼女らにだ。えーと、いちばん最近の彼女、マイちゃんだっけか。彼女がこのコミュニティに加わるかどうかはわからないけれど、可能性は低いかもしれないなあ、とぼんやり考える。
少なからず、ここに登録されている女性たちは、見た目に惹かれたのが最初とはいえ、それなりに本気で祐太を好きだった人間が大多数だ。もしくはかなりさっぱりとしているか。仲が良すぎた友人関係をただの友人関係へとシフトチェンジしただけだと言い放ったのは誰だったかな――とにかく。祐太の行く末を面白がっている人間が集まっていると私は思っている。祐太をアクセサリーのように考え、祐太のような見目麗しい相手にちやほやされて快感を得ていた類の子は、ここには属さない。まあ、マイちゃんだって本当は祐太を好きだったかもしれないけれど。プライドが高いと、どうしても傷付いた自分を隠してしまう不憫な子だっているのだ。過ぎ去って行った彼女たちを思えば、祐太を本気で絞め殺してしまいたくなってくるから困る。
「どうか、幸せに……」
ぽつりと呟いて機械――スマートフォンを拝む私に、水島はまたも、ぶふぅっ、と間抜けな空気をもらした。
放課後になり、私は立ち上げた文学研究同好会――人数的にはもう部活として成立するが、昇格させる必要性は感じていない――の、部室へと足を運んだ。ずっと昔に使われなくなった資料室を掃除して、ひっそりと活動している。こんな部活が存在すること自体、ほとんどの生徒は知らないだろう。
「相良、遅い!」
地べたに座り込んだ美女が、私を冗談交じりの瞳で睨みつけた。小さく謝罪すると、私は入り口付近で上履きを脱ぎ捨て、同じく地べたへと直接座る最初に声を上げた美女と同じくらい見目麗しい彼女たちの輪へと加わる。普段ならば埋没するだけの私がこの中にいると、逆にすごく目立つのは不思議なのもだ。まあ、掃き溜めに鶴の真逆みたいなものだから、鶴だらけに塵ひとつと言ったところか。
机も椅子も何もないこの部室は――資料を収納したスチールの棚が壁に並ぶ以外、本当に何もない――生徒が勝手に持ち込んだレジャーシート、クッション、座椅子などが置かれている。そして持ち込まれたお菓子の数々。
私が無言でぷくぷくたいに手を伸ばすと、遅れたくせに意地汚い! と美女に手をはたかれた。ちぇ。殺風景な室内を彩る薔薇のような美女は、どうやら極太の毒針を持っているようだ。
この学校で親しい友人はいないという認識は私の中で変わっていない。なぜならば彼女たちとは、友人と呼ぶには奇妙な関係であるからだ。昨日の敵は今日の友とはよく言ったものだが、ある種、共闘関係のようなものだろうと私は認識している。
形だけの同好会名よりも、祐太の元運命の相手同好会とでも付けた方がよかったろうか、と一時期本当に悩んだことがあったけれど、活動内容って新しくできた運命の相手が振られる時に備えてどうなぐさめるかとか、学校内で浮かないように気遣うとか、そんなのだから、学校側にどう説明したらいいかわからなくて、結局は今日に至る。
「ねえ、あんたの情報を頼りに何人か候補が上がったんだけどさ」
「さすが裏社会の女ボスですね」
真顔で私が褒め称えると、なぜか女ボスと呼んだ二年の丹下先輩は、誰が女ボスだ、と私の頭を叩いた。痛い。
「なんかぁ、今回はマジってほんとなのぉ?」
間延びした喋り方は同性に反発心を与えるものにもなり得るが、ここにいる皆は私と同学年の桂さんが、ぶりっこでこんな風に喋っているわけではないということを知っている。舌足らずなので、どうしても皆に聞き取りやすいようにこういう話し方になってしまうのだ。喋りのわりにかなりてきぱきしていることも皆、知っている。そんな桂さんの質問に、私は、うーん、と首を傾げる。
「わからないけど……ありえない、ときっぱり言い切るには前例がなさすぎる。校舎内でもなければ、特攻をかけもしなかった祐太なんて今までを考えるとありえない。だからこそ、本気で恋に落ちたんじゃないか、なんて言葉を単なるこじつけだの噂だのと否定もできない」
眉根を寄せて答える私に、この場にいる皆の視線が集まる。
「相良――あんた、それでいいの?」
丹下先輩の言葉に、私は、え? と声を上げる。
「もしも松原がその彼女に本気だったとしたら、あんた、あいつの傍にはいれなくなるじゃない」
またか。正直、もう飽きたよその質問。
私はため息を吐いて、いいですか、と先輩を真っ直ぐみつめる。
「私は、祐太とどうこうなりたいわけじゃないし、別にあいつとの縁が切れても、かまいません。むしろ度重なる心労から解放されるなら、願ったり叶ったりでしかないんですよ」
「……罪悪感から、解放されたいって?」
「そうです」
きっぱりと頷いて言い切ると、わかった、と丹下先輩はため息交じりに同じく頷いた。どうして皆、私が祐太を好きだと決め付けるのか。そんなに私が祐太といっしょにいるのが不思議なのだろうか――いや、不思議か。普通ならとっくに離れているよな。特に、私みたいに元来めんどくさがりな事なかれ主義には係わり合いになりたくない筆頭みたいな男だ。無理もない。
私と先輩の会話が決着したところで、それで? と声を上げたのは三年の三浦先輩だ。
「もしも私たちが先に発見できたら、どうするの?」
「……まず、本人の意思確認というか、祐太の噂を知らない人はもう少ないとは思うんですけど、それをすべて伝えておきたいんです」
今回、同好会の面々に捜索を願い出たのは、何も祐太に協力したいからではないし、ましてや邪魔をしたいからでもない。相手の安全確保。とにかくこれに尽きた。
今まで、祐太がこういうパターンに陥ったことはなかった為、どの女性も心の準備がないままにとにかく押しに押されて陥落した。だからこそ、深く傷付く被害者が後を絶たなかったのだ。しかし今回は、事前に忠告もできるし、もしも終わりを迎えても私たちみたいな存在がいると伝えることもできる。何かあれば、こちらを頼って欲しい、決して敵ではないとの意思表示もできる。その上で祐太に落ちたら、それは彼女の自己責任だ。邪魔するつもりもなければ、祐太と末永くうまくいけばそれはそれでありがたい。その場合も、やっかみなどから守ると約束したい。何せ馬鹿は馬鹿以外にはなれないから、防波堤にはとうていなりえないのだから。
「でもさあ、どうしてそこまですんの?」
眉間に皺を寄せる一年の平野さんに、私は苦笑する。
「まあ、そうなんだけどね。今までいやってほど祐太に泣かされた子を見てきて、歯痒かったの。だから何もしないで自分勝手に罪悪感で泣くより、お人好しだろうがいきすぎていようが何かしたいんだよ」
皆が嫌なら、私ひとりでもやるから、と告げれば、全員が協力しないわけがないだろう、と憤慨してくれた。
うーん。壊滅的に見る目がないと思うことも多々あったけれど、一握りでしかなくとも、これだけの人数が私の為に何かをしてくれると言う。祐太は、どうしてこのひとたちを運命の相手じゃなかったと言ったのだろう。何が気に入らなかったのだろう。こんなに、こんなにいい女ばかりなのに、祐太はとことん馬鹿な男だ。
微笑んで、よろしくお願いしますと頭を下げた私の言葉で、この日は解散となった。
祐太の家へおかずを持って行ってくれと告げられた私は、ふたり分の晩ごはんを持って家を出た。歩いて五分程度の松原家へと続く角を曲がったところで、一台の車が視界に入った。高級住宅地でもないここにはそぐわないぴかぴかの恐らくは高級車に――私はまったく車に詳しくないのだ――目を丸くしていると徐行していた車が突然その動きを止める。
「未生ちゃん!」
私のすぐ傍に横付けされた車から、見知った顔が覗く。下ろされた窓から現れた綺麗過ぎる顔に、私は、おばさん? と首を傾げた。まさしく祐太はこの遺伝子を皮肉なほどに受け継いだのだと思わせる容姿。とても高校生の子どもがいるとは思えなかった。
「やぁね、おばさんなんて。名前で呼んでっていつも言ってるのに」
「おばさん、祐太は?」
「…………ゆうくんは、いっしょに行きたくないって」
私が言葉を強調させたのに気付いているのか、しょんぼりと項垂れたおばさんは、弱弱しい声音で告げる。
ああ、祐太が同行を拒否したのに、おばさんは運転席の男といっしょに出かけるのを選んだってわけか。
「どうしてかしらね。彼はとても優しくて、きっと私の運命の相手だと思うの。祐太は、このままわかってはくれないのかしら……」
ぐすぐすと涙目で言うおばさんに呆れた視線を寄越しながら、まあ頑張って、と呟いて私は晩ごはんを祐太に届けることを約束した。おばさんは、とたんに明るくなり、祐太をよろしくね! と微笑みながら高級車と共に去って行った。
「……あほらし」
はああ、とため息を吐いて、私は松原家のチャイムを鳴らす。しかし応答はなく、こりゃあ落ち込んでるな、と私は首を振る。私は門をくぐって玄関扉の目の前まで歩くと、ポケットを探って、いつ渡されたか憶えていない合鍵を取り出す。がちゃん、と開錠された音を確認して扉を開くと、案の定リビングの明かりがもれているのが確認できた。