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綺麗なこと~un pour tous, tous pour un~

作者: 明莉子

 「一人はみんなのために、みんなは一人のために」あるいは”one for all, all for one”。とても有名な、そして美しい在り方だと認識されている言葉です。確かフランスの作家が使用したのが最初だと聞いたような気がしますが、それがわたしのようなものが住む国でも受け入れられていることを鑑みるに、普遍性を持つ言葉なのではないかなと思われます。とはいえ勉強不足でこれがアフリカでも受け入れられているのかは分かりませんので、断定することはできませんが。


 この言葉を初めて聞いたのはいつだったでしょうか。思い返してみると随分昔のこと、小学生のころだったのではないかと思います。もしかすると年齢が一桁の時分だったかもしれません。科目はおそらく国語か道徳。こんなに記憶があいまいなのに言葉だけは鮮明に覚え続けているなんて、当時のわたしには相当印象的だったのでしょう。


 これはどんな状況にも当てはめて実行できるのですから、一種の哲学――実践できる、生きた哲学――だったのです。学習に部活動、友人間や家族間どこにでも応用可能ですし、事実そうすることによって大変にみんなから喜ばれました。良い人だという評価も与えられました。


 けれども、だんだんと年を重ねるにつれてそのような行為をすることは減っていきました。いつまでも子供の心を保つのは難しかったこともありますし、世界は広いということを学んだこともあるのかもしれません。世界には学校と家庭だけ、あるいはアメリカと日本だけがあるのではなかったのです。わたしはたくさん学びました。資本主義に共産主義。全体主義に個人主義。たくさん学びました。


 依然として「一人はみんなのために、みんなは一人のために」は重要な言葉ではありましたし、そのような行動も出来る範囲では行っていました。ただ、年を積み重ねていく過程でわたしは「情けは人のためならず」という言葉も学んでいったのです。


 このような道程を経て普通の人となっていたわたしに、とある巨大で禍々しい事件が挑戦してきました。この事件のために大勢の人が亡くなったのです。それは世界のそこかしこで起こりました。強烈な一撃が加えられ、みんながなぎ倒されてしまったのです。幸いなことに、わたしもわたしの家族も無事にこの事件を乗り越えることができました。けれどもこのことはずっと、わたしの中に罪の意識として残り続けることになるのです。どうしてわたしは生き続けているのか。わたしに何の価値があるのか。




 この事件の数年後、社会は結束力を高め、秩序を取り戻すことに成功していました。人々はこれまでにはない規模の衝撃を受けたにも関わらず、適応することができていたのです。それは、これは個人的な見解ではありますが、芸術の果たした役割が大きいのではないかと考えられます。「ケセラセラ」というわけです。


 とはいえ、やはりこれだけの事件です。何も変わらないということはありません。みんな――これは当然のことながら私も含めて――美しいものを求めるようになりました。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」の出番が、主役級の出番が巡ってきたのです。ただしこの言葉は美しいですが、もっと美しい言葉があるのです。

「一人はみんなのために」


 別に息苦しい世界ではありません。この言葉の実行は美談で、行えば持て囃されますが、強要されているわけではありません。「ケセラセラ」。わたしは後ろは振り向かずに、若者特有の楽観主義をもって人生を過ごしました。この事件を忘れることはありませんでしたが、勉強して、運動して、おいしいものを食べ、恋の駆け引きをし、仕事をしました。時々は、みんなのためになるようなこともしました。年齢のおかげで、昔よりできることは格段に増えていたのです。もしかすると、これは充実という語にカテゴライズされるかもしれないとさえ思いました。




 そんなとき、ターミナル駅で長髪ですらっと背の高い男の人に声をかけられました。少し低めの声で突然「全部やり直せるよ」と。


 わたしには見覚えのない男性でしたので、人違いだと思いました。あるいは新手のナンパなのかとも思いましたが、どちらにせよすぐには二の句が継げませんでした。


 「全部やり直せるんだ、事件の前までね。あなたにはその権利がある」その男は続けます。「そうでしょ、Mさん。あなたはずっと罪の意識を持ち続けてる。それは一生消えないんだ」


 わたしは彼の顔を見ました。見上げて、その二つの瞳を見ました。


 「昔僕を助けてくれたね。僕はそれを忘れてなかったよ。恩返しがしたいんだ」その瞳はどちらもまっすぐわたしに向けられ、すこしだけ鈍く輝いていました。


 わたしはその色を思い出しました。覚えていました。彼はわたしが小学四年生になる年に地方に転校していった男の子だったのです。転校する前の年、わたしたちが三年生の時に、わたしが彼に何かをしてあげて仲良くなった友だちだったのです。しかし、一体わたしが何をしたのかわたしは記憶していません。


 その日は日曜日でお昼過ぎ。駅は人でごった返し、うるさかったのですが彼の声はよく聞こえました。


 「僕はあなたをその罪の意識から救い出せる。昔のMさんが僕にしてくれたように」ここで少し申し訳ないように彼はその整った容貌を崩しました。「たった一度、今日だけしかチャンスはあげられないけれど」


 「Sくん、どういうこと?あなたは何を言っているの?」わたしはようやく言葉を発します。「さっきから何を言っているの?」


 Sくんは、目を見開いてしばらく私を見つめ、それから笑って答えました。


 「そうだね。今日しかないと思って少し焦ったみたいだ。じゃあ今から説明するね。と言っても、そんなに複雑な話じゃあない。重要な、とても重要な話ではあるけれど。数年前に大事件が起こったよね。それで大勢死んだ。それはもうどうしようもないことだ。人知を駆使して、人知の及ばない事件を起こしてしまった。誰かに責任を押し付けることはできるけれど、それで何かが解決するわけじゃない。教訓は得るけど、人の命は戻ってこないし、そのせっかく得た教訓もそのうち忘れられていく。何の意味もないことだよ、これは。だったら、起こらない方が良かった。でもそれは今言ったようにどうしようもない。人にはどうしようもない。


 「けれど、神様だったら?事件の前まで時間を巻き戻して、すべてなかったことにする。そこに至るまでの道のりも書き換えて、違う結末に導く。それができるんだ。でも僕の一存で決めるわけにはいかない。最後はあくまで人の判断に委ねたいんだよ。そこで、あなたを選んだんだ、Mさん。


 「話は大体こんな感じだよ。理解できたかな?」


 わたしはまたしても二の句を継げませんでした。ただ彼の瞳を見上げていたのです。そうすると昔のことが思い出せるような気がしたからです。


 「あなたは昔から頭は悪くなったもんね。僕にはあなたが理解しているのが分かるよ」と彼は言います。


 「そして、あなたはこの選択をしなければならない。あなたは自分の意識と向き合わなくちゃいけない。今日、そして今ね。逃げることは許されないんだ。その選択は世界を変える。みんなを救うし、みんなを踏みにじる。今この瞬間!今この瞬間みんなはただ、ただあなたのために存在している!」


 「どうして、わたしなの?」わたしは叫びます。駅には人っ子一人いません。「わたしは何にも否定したくない!だってこれまで正しくはなかったけど、間違っているとも言えないんだから!」


 「じゃあ、あなたの罪の意識はどうなる?それは全体どこに向かうんだ?今までずっと考えてきたんでしょ。自分が死んで、死んでしまった他の人が生きていればって。そうすれば世界はもっとよくなったかもって。それはどうなるの?」彼は言います。


 「それは、でも……」


 時間を戻すとはSくんの言うとおり事件後の数年間をなかったことにすること、私を含めたみんなのこの数年の生活のすべての否定です。この数年で新たに亡くなった人、生まれた人を否定し、楽しかったことや悲しかったことを否定します。でも、そうすることであの事件で失われたすべてが帰ってきます。家族を失っていないわたしには直接的な利害はありませんが、それでもそれは価値のあることだと理解できます。少なくとも功利主義的に考えると、時間を戻す方が価値が高いのです。


 しかし、果たして……。それは正しいのでしょうか。一体何がみんなのためになるのでしょうか?考えます、考えます、わたしは考えます。時間はぼやけていますが、それで制限がなくなることはないのです。わたしは悩みます。


 と、彼はシニカルに笑ってその口から音の連続体を発しました。「僕は美しいものはもちろん大好きだけど、醜いものも嫌いじゃないよ。そもそも最初から美しいもの、醜いものはないと思っているんだ。さあ、そろそろ選択の時間だよ」


 彼が言わんとしていることは分かります。

 「みんなは一人のために」

 わたしは美しい世界を望みました。わたしはわたしの醜い願望を彼に言ったのです。




 世界は平和なものです。今日も国内、海外問わず理不尽な理由で人がたくさん死んでいます。でもわたしの周りでは誰も死んでいませんし、誰も傷つけられていません。わたしは今日近所のデパートで100円を恵まれない人のために募金してきました。「情けは人のためならず」と言いますので。


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