第14話 『テストとは一体』
5月下旬。学生達はこの時期、きっとテストがある頃だろう。朝、電車に乗る学生達は、ノートを見たり、問題集を読んでいたり、疲れて寝ていたり。きっとそういう姿を見ることが多くなる、そんな時期であるはずだ。しかし、この山崎慎一という男は違った。堂々と胸を張って、元気いっぱいに登校しているのである。テストがあることを前日に初めて知り、今日はテストと考えていても仕方がない。そういう気の張り方をした結果、吹っきれているのだろう。
学校に着く。教室はいつもよりも緊張感の増して、ピリピリとしている。クラスのみんなは、席について勉強をしている。だが、彼だけは違っていた。もはや、勉強することを諦めていた。もう無駄だ。これ以上足掻くのはやめよう。きっとそういう結論に至ったのだろう。しかし、周りを見ていると、一人だけ同じく勉強をしない生徒がいた。山崎はその人に興味を持ち、自分から話しかけたのだ。
「神宮、おはよう。みんな勉強してるけど、神宮はしないの?」
「ああ、山崎か。勉強? 今日何かあるのか?」
なんと、学級委員長ともあろうものが、今日になってもテストがあることを知らなかった。いや、これは「実は勉強しているのにやってないとかいうパターン」かもしれない。念のため、訊いてみた。
「今日はテストだけど、神宮は勉強しないのか?」
「え? テスト? 漢字テストか何かか?」
「中間テストだよ」
神宮未佳、驚愕の事実を知る。口が開いていた。これは、本物の反応だった。この人もテストのことを知らずに、呑気に学校までやってきた。そう確信した山崎は、仲間を見つけてほっとした。すると、神宮が表情を戻し、意外な言葉を発した。
「まあ、いつもテスト勉強しないからいいや」
「え?」
「中学からなんだ、いつも勉強しても点数が伸びない。だから、しなくてもいい」
完全に諦めている人を、山崎は目の前にしていた。高校生活始まって最初のテスト。クラスの人の頭の良さ、格付け、キャラ位置が決まってしまう、順位の出るテストだと言うのにもかかわらず、この人は勉強をしないのだ。山崎は段々、自分の「勉強をしていない危機感」というものが薄れていった。この程度なら、自分だって落ちぶれる。神宮だって一緒だから、気は楽だろう。そう自分に言い聞かせ、静かに席に座った。
テストが始まる。数学、英語、国語、理科、歴史……。中学では5教科が普通だったが、高校からは数学がAとⅠに分かれたり、歴史は世界史に、理科は化学や生物に変わったりと、教科数が増えた。全部で7教科。初めのテストは簡単な方だった。化学も世界史も、覚えることはまだ少なかった。英語だって、簡単な文法や単語ばかり。テストを解いていても、はっきりとわからないというもの自体、少なかった。
山崎は内心、テスト勉強をしなくても案外いい点数が取れるんじゃないか、と期待していた。そんな調子で、3日間続いたテストも終わり、ほっと一安心。木曜日はテスト休みということで、1日休息の日があった。きっと、金曜日に全部返すための、先生方への配慮の時間なのだろう。
そうして迎えた金曜日。朝学校に着くと、廊下の掲示板に人溜まりが出来ていた。近づくと、「おおーすげー」という声や、「やったー!」という声が聞こえてきた。
そう、ここ潮凪学園は特殊な学校だ。テストの合計点数の結果を上位20名、貼り出されているのだ。学校側曰く、全生徒にモチベーションを上げてもらいたいという物だった。山崎は、自分の順位はともかくとし、知っている名前があるかどうか探してみようという、ただの興味本位で順位貼り出しの紙を見たいと思った。周りを囲んでいる人達を掻きわけながら、順位表の下の方から目を向けた。
20位:姫路諒平 582点
「あれ、あいつってそんなに頭良かったっけ?」
なんと、山崎が一番の友達だと思っていた姫路は意外と頭の良い奴だった。後で勉強の仕方でも訊きにいこうかな、そう思いつつも次の順位を見る。視線を上げていくとすぐに知っている名前に遭遇した。
15位:小島研治 619点
小島がいた。理数系は滅法強いだろうと思っていたが、他の教科も点数が良いのだろうか。興味を持ちつつも、どんどん順位を見進めていった。しかし、一桁台になっても知っている名前の人は出てこなかった。これ以上は無いかな、と思いつつも目を上げていった。
3位:松川碧 675点
「えぇ!? 松川が3位!?」
実に驚きだ。山崎の中では「ああいう元気な人間は、大抵は頭が弱い」と思っていたからだ。まさか、自分よりも点数が高いとは、意外だったのだ。姫路よりも、松川に勉強の仕方を教わろうと、決心を変えた。ここで山崎は、3位の松川でさえ675点を取っているのに、更に上位は一体何点を取っているのだろうという疑問を持った。
2位:神宮未佳 689点
山崎の脳みそが時間を巻き戻した。それは金曜日から月曜日まで、一瞬のタイムスリップだった。あの時、確かに神宮未佳は今日がテストだということを知らなかった。そして、テスト勉強をしない人だ、ということも言っていた。その神宮が、今、松川の上を、689点を、叩きだしている。
「ええええええええええ!!!」
山崎は思わず声を出してしまった。周りの人間は何事かと思ってこっちを見たが、気にかけなかった。それよりも神宮が2位ということに疑問を持った。俺と同じ人種の人間で、テストがあることも知らずに勉強もしなかった人。そんな認識は一瞬で吹き飛んだ。1位は知らない名前の人だったが、最初の一桁が7という数字だったことは覚えている。この世の中、恐ろしいことだらけだ。
教室に入ると、神宮の席を人が囲んでいた。それもそのはず。学級委員で顔も広いし、女子からも男子からも隠れた人気があったからだろう。男子の中では美人、女子からはカッコいいという評判だったが、本人は毛嫌いしているようだ。明日は土曜日で、部活もあるからその時に色々話を訊こう。そう思い、自分の席に座った。すると、前に座っている学年3位であった松川から話しかけられた。
「私、3位だったよ! すごいでしょー?」
「すごいよ、松川がそんなに頭いいとは思わなかった」
「それ……ひどい偏見だよ?」
いつか、聴いたことがあったような台詞を言われた。
「それでも、すごいよな。どうやって勉強してるの?」
「家で毎日、復習と予習してるだけだよー。特別なことは何もしてないんだけどね」
努力タイプだ。きっとこの人は自分とは違う。山崎は心の中でそう思った。そんな話をしていると、朝のSTの時間が始まった。担任が入ってくるや否や、話題はすぐに順位のことになった。
「すごいな! うちのクラスからあの紙に、5人も名前が挙がるなんて」
山崎は、まだクラスの全員の名前を覚えていなかった。男子は全員覚えたのだが、女子はほとんど覚えていないのだ。部活のメンバーである、松川・西宮・神宮。この3名の名前は覚えたのだが、他は全然記憶になかった。そして、担任が言う。
「それにしても円町、お前700点ってすごいよな。どうやって勉強してるのか、興味深くなったよ」
聞き覚えのない名前だった。円町……どうしてもどんな人か思い出せなかった。松川に小声で訪ねてみた。
「円町京子ちゃん。私もあんまり話したことないんだけど、頭良かったんだねー」
意外だった。松川は女子の中でも、スキンシップを多めに取る人だと思っていたからだ。クラスの女子とは大抵話をしているし、中心にいることも多いはずだった。それでも、あまり話したことがないというのは、少し変だと思った。
「どうして話をしたことがないんだ? 松川は女子とは仲いいだろ?」
「私も仲良くしたいんだよ。でも、あの子影が薄いというか、地味というか……」
松川の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。人の悪口にもなりかねない、そういう言葉を聴くのは滅多にないからだ。そして何より気になっていたことがあった。担任が既に、話を円町から神宮に変えていたからだ。
「神宮、学級委員として真面目に勉強して良い点数を取るとは。中々良い心がけだと思うから、これからも頑張っていけよ」
「あ、はい。わかりました」
神宮の返答は呆気なかった。そして、何より、担任は神宮の方が褒めているような気がした。円町の方が点数が高いのに、何故神宮の方が褒められているのだろう。頭をモヤモヤさせながら、STが終わった。
山崎は自分のテストの結果を見て、初めてわかったことがあった。勉強することって、きっと大事なことなのだろう。悟りの境地に達するレベルで、自分の点数に落ち込んでいた。他人のことで盛り上がった上に、この成績を叩きつけられる。現実というのは、少々厳しいようだ。山崎はそう感じていた。後から聞いた話によると、西宮と躑躅森よりも点数が悪かったらしい。西宮は分かっても、あの筋肉好きの躑躅森に負けたのが、どうも気に食わなかった。
下校時間、愚痴をこぼしながら姫路と帰る。
「なあ姫路、現実ってのは甘くなかったんだな」
「そりゃお前、昨日伝えたら知らなかったって呟いてたもんな。あれ聞いた時には、流石に少しでも勉強すると思ったんだがな」
「だって1日前だぜ? モチベーションって物があってだな……」
言い訳も苦しくなりながら、自分が勉強しなかったことに対して不満を持っていた。だが、過ぎてしまったことは取り戻せない。時間を戻すことはできない。そう言い聞かせたら、気持ちが楽になった。
「明日も部活やるぞ。今回からは校舎全部使おうぜ」
「おう! また明日な」
姫路と分かれ、自分だけの時間になり、家まで帰る。家に着くころには、自分流のテストの反省も終わり、ご飯を食べて、風呂に入る。寝る前に明日の予定を部員にメールし、一日が終わる。