吾輩の手は貸しません
今回は主役不在、ラストにちっと……
今回の舞台は製薬会社『ブルーハピネス』の新薬開発部門の実験室。そこに白衣を着た、顔のとても整った男が立っていた。男性雑誌の表紙を飾るような髪形をし、メガネをかけ、ほっそりとした輪郭をしていた。
男の名は『冴島修二』この研究開発部門の主任である。24歳という若さでこの職に付いたのは、彼が薬品の調合に対しての才能や仕事への情熱を兼ね揃えていたからだ。
彼は今、注射器を籠の中のネズミに向け、独り言を言っていた。「いいか、うまくいけ……」と、注射針を刺す。そしてしばらくネズミをメモ用ボード片手に観察する。「10分経過……変化なし」と、椅子に座ってじっと腕時計を眺める。「20分経過……変化なし」
3時間経ち、ネズミの前にチーズを置く。「さて、ここからだ」と、軽く上唇を舐める。「どうだ?」と、ネズミを凝視する。
ネズミは当然の様にチーズに齧り付いた。
「くそ! また失敗か……」肩を震えさせる。「やはり、無理なのか? この実験は」と、親指の爪を剥がれんばかりに齧る。
「主任」自動ドアが開き、女性研究者の松下が入ってくる。
「なんだ?」と、メガネを外し、目を擦る。
「来客です」
「アポは取ってあるのか? スケジュールには入っていないが?」
「そうですか? あちらの方は取ったとおっしゃっていましたが?」と、困ったような顔をする。
「まぁ、研究はひと段落した。行ってみよう」と、白衣を脱ぎ、椅子にかけてあったジャケットを羽織る。
「素敵ですわ。今日はどうですか?」松下が上目使いで聞く。
「すまないが、今日は残業なんだ」と、不敵に笑い実験室から出る。
接客室に付き、ドアを開く。そこには誰も座っておらず、冴島の見知らぬ男が窓の外を眺めていた。「絶景かな……いずれはここも……」
「あの、アポは取りましたか?」
「取ったぞ。受付の佐藤と言う人に電話をした。そちらに伝わっていないようだな」
「佐藤? そんな人いたか?」と、冴島が訝しげな表情になる。
「まぁまぁ、今日はお前と話をしたくて来た」と、窓から目を離し、冴島の目を見る。男は初対面のはずなのに、偉そうな口調だった。
その男の顔は、冴島の目からは『詐欺師に化けた狐』の様に映った。声は顔の割には皺枯れていたが、不自然ではないほどの高い声だった。
「お話?」と、ソファに座る。テーブルには既にコーヒーが置かれ、湯気を立てていた。
「そう。お前は今、どんな新薬の研究をしている?」
「あなたの身分とお名前は? まずはそれからでしょう?」と、コーヒーに角砂糖を3つ入れ、スプーンで小突く。
「申し遅れた。俺様の名は鬼札だ。身分は……まぁそれは後ほど」と、真面目と不真面目を行ったり来たりするような話し方をする。
「は? それが名前ですか……? ふざけているのなら、私は戻りますよ」と、腰を上げる。
「研究室で無益な時を過ごしたければ、な」と、横に細い目をさらに細くさせる。
「どういう意味だ?」
「どういう意味か知りたければ、お前が今、おこなっている研究を……」
「それはセキュリティ上、話す事はできません」
「ここの集音マイクのスイッチは切った。カメラは怪しまれるので切らなかったが……」と、眉を上げ、目の前のコーヒーの匂いを嗅ぐ。「いい香りだ。インスタントではないな」と、啜る。
「インスタントですよ」
「では上等なインスタントだな」と鼻で笑い、カップを置く。「話してくれないか? 俺様なら力になれるかもしれんぞ?」
「……ふむ」冴島は悩んでいた。彼はここ数ヶ月の研究で時間を食い、足踏み状態だった。どんな薬を調合しても出来ない薬に頭を悩ませていた。「私の課題は『依存症の克服』です」
「ほう」
「人間には欲があります。大抵の欲には歯止めがききますが、依存症などに対する欲には弱い。そんな依存症は、誰にでもあります。タバコ、アルコール、セックス、過食、ギャンブル、薬物。人間の多くはこれらのどれかにハマり、『うまく付き合っていく』か『身を滅ぼす』のどちらかを選びます。大抵の人は後者でしょう。私はそんな依存症を無くすべく、研究に勤しんでいます。で? 私にどんな協力が出来るんです?」やれるものならやってみろ、と言わんばかりの表情になる。
「それは大変な課題だ。全世界の贅沢な、そして可哀想な奴らの悩みだ」
「無知な人間は『我慢できる!』や『依存症になった者が悪い』など言います。それは間違っている。確かに依存症を理由にして弱音を吐く者もいます。ですが、依存症とは立派な精神病です。それに対して日本人の考えや認識はあまりに冷たい」
「なるほど」
「私はそんな依存症を注射や錠剤で治せる。そんな魔法の様な薬を開発したいと願い、この研究をしています」と、全てを吐きだしたような顔になり、神妙な表情になりコーヒーを啜った。
「素晴らしいな」と、拍手する。しばらく続け、いきなり止める。「で? 本心は?」
「へ?」目を見開く。
「人間誰しも持っているだろ? 『美しく彩られた目標』と『ドブの様に汚い本心』をね」全てを見透かした表情になり、テーブルに置かれた茶菓子の袋を開け、一口で食べる。
「あなたは何者ですか? 何だか僕と同じ臭いがしてきたなぁ……」と、冴島も茶菓子に手を伸ばす。
「ま、そういう事だ。本心を聞かせろ。その前に1つ」
「なんです?」
「インスタントコーヒーのおかわりを。これは実にうまい」
「コンビニで売られている安物なんですがねぇ」と、内線電話で女性社員を呼ぶ。それから数分と経たない内にコーヒーが運ばれてくる。
「で?」と、再び何も入れずにコーヒーを啜る。
「私の汚い本心ですか? この永遠の目標を立て前にこの会社の研究室に居座るのが1つ……」彼は、この会社の研究室の中でも、最高レベルの部屋で研究をしていた。レベルが高いほど研究内容が複雑であり、置かれる薬品も貴重なものばかりだった。彼のいるレベルは最高レベルの5だった。「もう1つが、貴重な薬を使って、『この世に罰』を与える事です」と、前のめりになる。「人間の欲というのは醜い。ただ生きるためではなく、楽しむために人は、他人から、他種族から、資源から命や貴重なモノを奪う。そして至福を肥やす。そしてまた欲求の波に襲われ、また過ちを犯す。そんな人間に罰を与えたいんです。重い罰を」
「ほぅ、顔が生き生きしているな」と、鬼札が顔を緩める。
「これが私の醜い本音です。で、あなたに何ができますか?」
「被験者の調達や施設の用意……あなたに代わってのデータの記録などの管理。いかがかな?」
「それはすごい。で、見返りは?」冴島の目がどんどん淀んでいく。
「あんたの使っている研究室の薬を分けていただきたい。このリストのだ」と、懐から紙切れを取り出し、冴島に見せる。
「1週間以内に用意しよう。他には?」
「そうだな。あんたの作ろうとしている薬を、完成したらその作り方などを……」
「それは考えておく。まさか、すでに私の事を調べましたか?」
「……色々と情報網を使ってね」
「では、どんな薬を作ろうとしているのかも知っているので?」
「それに興味があって、会いに来た」と、またコーヒーを啜る。「お前の仮の目標よりもすばらしい薬だな。『欲求増進剤』とは」
「どこから情報が漏れたんだか……」と、首を振る。
「だが、具体的にはまだ知らない。ここで軽く説明してくれ」
「名前の通りの薬ですよ。人の飽くなき欲求を増進させる薬です。この薬を飲んだ人は、その人が一番欲しい物に対して歯止めが利かなくなる。そう、依存性だとか、まどろっこしい話はない。その欲しい物を躊躇なく手に入れたくなる。そういう恐ろしい薬です」と、口元を緩ませる。「まさに欲に溺れさせ、人間を貶めるための薬……素晴らしいでしょう?私の今の研究は『壊れた壁を再構築させる』ことですが、この薬はただ『ダムに小さな穴を開ける』だけの働きです。こちらの方が割と簡単だ」
「素晴らしいな。で、試験薬は?」
「えぇ……もう動物実験を密かにおこなった物がここに。さすがに人体実験は」と、ポケットからカプセルの入った小瓶を取り出す。
「それをこちらに。1週間で効果や分析データ、動画を持って来よう」と、手を出す。
「信用できますか?」
「この話を俺様にした時点で信用しているのだろう?」
「いえ、この薬が試験薬だと信用できますか?」
「偽物を渡してどうする?」
「ふ、あなたとはいい友人になれそうだ」と、席を立ち、小瓶を渡す。そして握手を求める。
「それでは、1週間後に。その時に俺様が頼んだ薬を持ってきてくれ」と、差し出された手を掴んで、腰を上げる。「では……」と、ドアへ向かう。
「それでは」
「あ、最後に質問だ。そのインスタントコーヒー、どこに売ってる?」
「近所のコンビニですよ」
その夜、冴島は研究室で1人、ほくそ笑んでいた。「これで目標へ一歩……」
時計の針が10時を指し、帰り支度を始める。白衣を脱ぎ、ジャケットを派織り、鞄を片手に研究室を出る。エレベーターに乗り、1階ロビーにつく。すると、ロビーの長椅子で松下が座っていた。「遅いですよぉ! 早くいきましょ!」と、近づく。
「ずっと待ってたのか。分かった! 負けたよ」と、手を上げる。
その後、彼らは軽く食事をとり、そのままホテルへベッドインした。そこから冴島は、人間的欲求を松下に吐き出した。どちらかと言えば、彼女の方が快楽に溺れていた。事が終わり、松下が息を荒くさせながらベッドに横たわる。冴島はベッドから起き上がり、洗面所へ向かった。手に水を溜め、顔を洗う。丁寧に擦り、そしてタオルで拭う。「いい男だ」と、鏡に向かって気取った顔をする。
彼は1年前、会社に就職する前に整形手術をした。整形前の顔は、それほどブ男と、言う訳でもなく、ノッペリとした顔をしていた。本人はその顔が大嫌いだったので、溜めた金で整形したのだ。「ここをもう少しいじるか……」と、目元を擦る。今でもクリニックへ通い、顔の調整やプチ整形などをしていた。
「何見てるの?」松下が後ろから歩み寄る。
「別に……」と、彼女を手繰り寄せ、唇を奪う。
それから1週間後の夜。冴島は都内の和風の老舗料亭の個室に来ていた。そこに鬼札が来る。
「なぜここなんです?」と、冴島が尋ねる。
「うまい海老が食べたくてね」と、メニューを開き、女将に海老料理中心のコースを注文する。
「私は本日のお勧めで」と、メニューを畳む。女将が出て行くと、早速前のめりになる。「で? 結果は?」
「成功だ。いや、お前は天才だよ」と、鞄からノートパソコンを取り出し、電源を入れる。液晶画面に動画を表示する。「おっと、イヤホンで見てくれ。うるさいからな」と、イヤホンを取りだし、冴島に渡す。
冴島は言われるままイヤホンを付け、画面を見る。鬼札が再生を押す。
そこには牢屋の様な部屋が移され、そこにはボロ切れを着た男が座っていた。そこに白衣と帽子、マスクを付けた男が入ってくる。「これ、俺様」と、自慢げに指差す。画面の中の鬼札はお盆に乗せた食事を男の前に置き『これを食前に飲むんだ』と、だけ言い、部屋を出て行った。そこで鬼札が動画を一時停止させる。「こいつは実験前の用紙にほしい物は『薬』と、書いた」とだけ言い、再生させる。
部屋の中央で男がブツブツと小言を言い始める。しばらく早回しにし、2時間経った所で再生する。男が頭を抱え、『薬ぅ! ヤクを寄こせ! 実験は終わっただろ! 早く寄こせぇ』と、喚き始める。そして部屋中を暴れはじめ、仕舞いには扉を強く叩き始める。
「いい成果だ」冴島は実験ネズミを見る時の目と同じ目で画面を見ていた。
「お前は天才だ」鬼札が口を歪め、小さく笑う。
「この男は今、どうなってる?」
「1週間ずっとこの状態だ。発狂はしていない。しかし、それに近い状態だ」
「それはいいな、で? この部屋に誰か入れたか?」
「あぁ入れた」因みに実験体は全て、鬼札が適当に選んだホームレスだった。『薬を飲めば望みのものをやる』と、そそのかしたのだ。
「で? 結果は?」
「見れば分かる」と、チャプターを切り替える。
部屋には男が2人いた。1人は地面に倒れ、もう1人は男に跨り、拳を振り下ろしていた。『寄こせぇ! 寄こせぇぇぇぇぇ!』と、唾を垂らしながら喚き散らしていた。
「食事時に見るものではありませんね」と、口を押さえる。
「そうか?」と、いつのまにやら来た前菜を食べ始める。
「だが、成功ですね。もう何人分かのデータはありますか?」
「男女、20代から40代を合計10人だ。それを1週間分の記録映像とレポートなどを」と、鞄からファイルを出す。「ほら、ここに記載した。写真も数百枚挟んである。おまけに実験体の血液サンプルなどなど」
「徹底していますね」
「それが俺様の仕事だ。で? 頼んだ薬品は?」
「こちらに」と、鞄から小さな箱を取り出し、蓋を開ける。そこには小瓶が8つ入っていた。「リストの薬品です。量はこの程度で」
「十分だ」と、海老の天ぷらを齧る。
「いい取引でしたね」
「これは取引ではないよ。助け合いだ」
「そ、そうですか」と、冴島も箸を持ち、出された料理を食べ始める。
「ん? そういえばあんた、先週と顔が少し違うな?」と、眉をひそめる。
「はは、プチ整形ってやつですよ」と、自慢げに目元を摩り、微笑む。
「ふぅむ」と、海老の尻尾をバリバリと音を立てて食べる。
その後、冴島と鬼札は週毎に会い、結果の報告や薬品の受け渡しなどを行った。週が過ぎるほど結果の内容が濃くなり、冴島も薬の調整を行っては鬼札に渡した。
それから3ヶ月後、2人はバーに来ていた。
「これが完成品です。まぁ最初に渡した奴よりも低純度にしただけですが」
「低純度に? なぜ?」
「1粒で依存、2粒で狂人に、そして3粒で自我崩壊と、調整できるようにしたんです」と、薬の入れ物をカラカラさせる。
「なるほど」と、コースターの上のカップを口に運ぶ。
「そういえば、私の渡した薬品で何を作ったんですか?」
「後でみせよう」と、カップを置く。中身はコーヒーだった。
「いやぁ、しかし、あなたのお陰で計画が捗りましたよ。ありがとうございます」
「いやぁ、俺様の仕事もあんた無しじゃあ成り立たないんでな」
「どんな仕事で?」
「後で、だ」と、笑う。
「どうです? これから私の家でシャンパンでも? お祝をしましょう」と、席を立つ。
「ふぅむ……わかった」と、鬼札も席を立つ。
しかし、これは冴島の罠だった。彼の計画の対象は『自分以外の人間』だった。その為、鬼札にも薬を飲ませようと考えた。なぜなら彼は知りたかったからだ、鬼札がいったい何を欲しているのかを。
タクシーで冴島のマンションへたどり着き、中へ入る。
「今、シャンパンとグラスを用意します。待っていて下さい」と、台所へ向かう。予め粉末にした完成薬をグラスに入れる。量は2粒だった。居間へ持って行き、仕掛けたグラスを鬼札に渡す。
「では」と、シャンパンのコルクを飛ばし、グラスに注ぐ。「では、乾杯しましょう」と、グラスを掲げる。
「そうだ、俺様の作った薬の紹介をしなければね」と、グラスをテーブルに置く。そして懐から小さなケースを取り出し、一粒のカプセルを取り出す。
「おぉ! それがあなたのですか!」と、冴島もグラスを置く。「で? どんな作用が?」鬼札を狂わせた後、その薬をいただくつもりだった。
「お前の薬と、俺様の薬をうまく調合した奇跡の産物だ」と、歯を見せ笑う。「作用は、お前の薬の『欲求増進作用』と『幻覚作用』に『痛覚から快楽への転換』だ」
「すごいですね……ですが、痛覚を快楽に転換……と、言うのは?」
「せっかくのお楽しみを痛みなんかに邪魔はさせたくない。その為にね」と、笑う。
「では、乾杯しましょう!」
「待て待て、実はこの薬はね。まだ完成していないんだ」
「え? 実験は?」
しばらく間を置いた後、口を開く。「今からする」
「な……」冴島の背筋が一瞬で凍る。
「そう、これが俺様の仕事でもある」と、不気味に笑う。
すると、冴島は口を押さえた。「絶対に飲みませんよ! そんな恐ろしい薬!」と、鼻息を荒くする。
「いいやぁ、これはな」と、冴島の目の前まで薬を持って行く。すると、カプセルが弾け、粉が冴島の鼻の中に入る。「吸引するタイプだ」
「うがぁ! が! がぁ!」と、地面を転がり、必死になって鼻をかみ、ほじる。だが、すでに薬のほとんどが冴島の鼻の粘膜にへばり付いていた。
「さて、楽しみだ」と、鬼札が冴島の飲む方のシャンパンを手に取り、飲む。「いいシャンパンだ」どこででも手に入る安いシャンパンだった。
「はぁ! はぁ! はぁ! 何も起こらないぞ? ただ、クラクラするだけだが……?」と、頭を押さえる。
「ん? これは驚いた、洗面所で顔を見てごらん」と、鬼札が獲物を痛めつける狐の様な表情になる。
「な、に?」と、洗面所へ駆けて行く。鏡には、豚の様な顔をした冴島の顔が写っていた。「う……うそだ! 粉末の一呼吸でこんな!」と、顔を押さえる。
実は、冴島が台所でシャンパンを用意している時、鬼札が小豚の顔写真を鏡に貼っただけだった。
「綺麗な顔が台無しだなぁ」と、嘲るように言う。
「いやだ! 俺の、俺の顔を返せ! 返せぇぇ!」と、泣き叫び、床に崩れ、顔を掻き毟る。「元の顔に戻さなきゃ! もっといい顔にしなきゃ! みんなが俺を注目してくれない! 認めてくれない!」と、洗面台の上を引っ掻き回す。剃刀を手に取り、顔の皮を剥ぎ始める。「邪魔な肉をそぎ落とさなければ! まずは小顔に!」と、躊躇なく皮膚を剥ぐ。
「鏡を見ろ、まだまだ酷い顔だ」シャンパンを啜りながら鬼札が炎に油を注ぐ。
「ほうら! まらまらぁ!」顔じゅうの皮膚が少なくなり、頬の肉や鼻骨、唇までもそぎ落とす。「はぁ! はぁ! ほうはぁ! いいきふんらぞ! ひゃはははは!」と、狂ったように笑い、血まみれになりながら床を転がる。
そこで鬼札が鏡に貼った顔写真を張り替える。それは冴島の顔写真だった。「おめでとう。よく元に戻したな」と、拍手をする。
「ははははは! もっろら! くりひっくへ! いひゃ! ここれやっれやろぉ!」頬や唇が無いため、まともにしゃべれない様子だった。
「ほら、乾杯だ。心からの祝福を」と、鬼札が飲むはずだったシャンパンを冴島に渡す。
「かんはい!」と、口の両脇から零しながら中身を一気に飲み下す。呼吸が落ち着いたかと思うと、今度は絶叫し、床に頭を打ち付ける。「もっろ! もっろはんはむに! もっろぉ!」と、白目を向き、泡を吹く。
「やはり、それがあんたの欲か。俺様が見た実験対象の中で一番浅ましいなぁ」と、目を細める。
その後、鬼札は冴島の部屋を適当に物色し、目当ての薬と調合方法を記したメモ、さらにパソコンのデータを盗み取る。「これでお前は用済みだ。ここでいい夢を見ていろ」と笑い、窓から外へ飛び出していく。
「ひっひっひっはぁぁぁぁぁぁぁ!」冴島は喉の限りを尽くして叫びながら顔中を剃刀で削った。やがて骨に達する。それでも冴島は止めず、削り取っていった。今の彼にとって、これが至上の快楽となっていた。
「ご苦労だった」製薬会社の社長、青田が椅子にふんぞり返り、鬼札の狐顔を眺めていた。
「いや、俺様もかなり楽しんだ。そのデータと薬があんた方の役に立てばいいが?」
「大いに役に立つ。外国の友人が興味を持っていたからな」
「約束通り、ここのレベル5研究室の入出許可と、薬品の持ち出し許可を貰うぜ」
青田は2枚のセキリュティーカードを鬼札へ滑らせた。「いいだろう。その代り、散らかすなよ」
「保証できないな。では、また」と、部屋を後にする。
その後、青田は内線である人物を呼んだ。そしてその人物が部屋に入ってくる。「お呼びしましたか?」松下だった。
「君のお陰で冴島の陰謀を未然に防ぎ、逆にわが社に利益をもたらしてくれた。感謝するよ」松下は冴島の研究室や服、携帯などに盗聴器を仕掛け、随時社長に報告をしていた。さらに冴島に近づき、彼の口から直接情報を引き出そうともした。後者はうまくいかなかったが。
「どうも。最初は興味だけの遊びだったんですけどね」
「君にはどんな報酬を?」
「報酬とかは……うぅん、あえて言うなら給料を上げて下さいな」と手を合わせ、にっこりとほほ笑む。
「わかった。考えておく。もう下がっていいぞ。ご苦労だった」
「いえいえ」と、お辞儀をし、部屋を出る。「あの人、あっちは強かったんだけどねぇ。今はどうなってるんだか」
あれから3日後、冴島は隣人から『妙な叫び声や笑い声がする』と、管理人に苦情を出される。そして管理人が、顔の肉をほとんど失った冴島を発見する事になる。
その後、病院へ搬送され、応急処置が施される。だが、冴島は入院や手術を拒否し、2日後に脱走する。それから消息を絶った。
それから数ヶ月後のある夜。松下は仕事を終わらせ、マンションへ急いでいた。「ヤバい、ヤバい、最終回が終わっちゃうよ」と、ドアノブを握り、鍵を開ける。
玄関の電気を点け、居間へ向かう。その途中、妙な臭いに気が付いたが、それには気を止めずに居間の電気を付けた。
居間の中央の椅子に誰かが座っていた。「だ、誰?」
「よぉ……松下、元気か?」声は冴島のモノだった。顔には細菌から顔を守るための保護液を染み込ませた覆面をしていた。その覆面には、以前の冴島の顔が似顔絵として描かれていた。服は薄汚れたトレンチコートを着ていて、頭にはブロンドで短めのカツラをつけていた。
「え? 冴島さん? 本当に?」足をカタカタと震わせ、冷や汗を流す。「来るなら来るって言ってほしかったな、うん」
「あれから、昇給したって? おめでとう」と、ワザとらしく大きな音を立てて拍手をする。「いやぁうらやましい。俺は職を失ったからなぁ……」
「そ、そうですか」と、逃げようと身構える。
「動くな」冴島が懐から妙な形をした銃を取り出す。
「そんなものを、ど、どこで?」松下には銃の知識が無かったので、本物だと勘違いした。
「作った」と、椅子から腰を上げる。「いやぁ俺がバカだったんだ。服に盗聴器が付いているって気が付かなかった俺がな」
「ごめんなさい……こんな事になるなんて」目に偽りの涙を溜め、膝を折る。
「なぜ謝る? 君がやったのか? これ」と、盗聴器を放る。
「許して、興味でつい……」
「興味……そう、知りたいと言う欲求か?」と、銃を向けたまま松下に近づく。「君の欲求は本当にそれなのか?」
「え?」何を問われているのか分からず、小首を傾げる。
「君の欲を見せてくれぇ!」と、引き金を引く。すると、弾ではなくガスが噴き出る。それを思い切り吸った松下は、とにかく絶叫した。
「きゃぁぁぁぁ!」と、胸を掻き毟り、床を這う。「いやぁ! た、助けて! この変態ぃ! うわ……あ、あぁぁぁぁ!」何かを思い出したかのように甲高い声で叫び、股間を触る。「あぁぁん! いいぃん!」と、唾を垂らし、へらへらと笑う。
「なんだ? お前のは性欲か? もう何度となく見たぞ、つまらん」と、ガス銃を仕舞う。「なぁ……俺の欲はハンサムでいる事だ。でな、鏡を見るだろ? するとどうだい? 俺とはとても思えないほどのハンサムがそこに立っているんだ。うらやましかった。だが、その鏡の向こうの男が俺だとわかった時、俺は狂喜乱舞した。俺の欲が満たされ、自由になったんだ」と、カツラを取り、マスクを脱ぐ。そして松下の髪を掴んで引っ張り起こす。「ろうらい? はんはむらろぅ?」
「はははぁ……へんなかおぉ……」彼女の瞳に映った顔は……。
「なぁ平田」若林が愛銃のオートマグを解体し、部品を1つ1つ磨きながら聞いた。「骸骨紳士って何モンだ? 情報屋の望月からは名前しか聞かなかったんだが?」名前からして80年代の特撮の悪役を彷彿させ、若林はニヤけていた。
「お前、情報料を渋ったろ? だから情報も渋られたんだ」と、テレビを見ながら答える。
確かに若林は情報料を渋った。1万と言われた所『今日はこれしか持ってない』と、5千円だけ渡しただけだった。「知ってるんだろう? 奴の事」
「あぁ、鬼札が数年前に作り出した狂人だ」
「また鬼札かぁ……」と、細いブラシで銃口を掃除する。
「骸骨紳士も、鬼札と同じ種類の犯罪者だ。なんでも、ガス銃を噴きかけて、人の欲を掻きたて、狂わせるらしい。それが奴の楽しみであり、欲にまみれた人間への罰らしい」
「なんでそんな事を?」と、銃を組み立てる。
「それが本人の欲なんだろう?」と、興味なさそうに尻を掻く。
「ふぅん。俺がそのガスを吸ったら……どうなるかな?」組み立て終わった銃を正面に向け、引き金を引いてチェックする。
「一流の殺し屋になるために奮起するんじゃないの?」と、面白そうに茶化す。
「そうかもな! 吸ってみたいな! そのガス」
「俺はどうなるかな?」気の抜けた声を出しながら尻を掻く。
「きっとテレビの前から2度と離れられなくなって、ずっと固まってるんじゃない?」と、懐に銃を仕舞う。
「そうかな?」
「そうだよ。この眠り地蔵」
「うるせぇ、半人前」と、チャンネルを変える。
次から急展開??になります!かも……たぶん 感想、評価などをお待ちしております!