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忠犬彼氏

忠犬彼氏のしつけ方

作者: 片桐ゆかり


朝のHR前は、やっぱりざわざわとした喧騒で満ちている。

HRがはじまるまではまだまだ時間がある中で、昨日見たテレビの話、彼氏とのあれこれ、新作のブランドの話 そんな話が飛び交う中で私は席に座って友人たちとの会話を楽しんでいた。

携帯がいつものように振動する。開いた画面には見慣れた名前。自分の行動をほとんど私に報告してくるというそのメールの鬱陶しさには、もう慣れた。

とん、と私の肩を叩く手に振り返る。

――まったくもって、どうしてこう絡まれなくてはならないのか。ため息を吐き出しつつ、なにと眼で聞いた。



「ご主人様のトコにはいないのか、いると思ったんだけどな」

「それ、ひょっとしなくても樹のこと?居ないわよ、さっき飲み物買いに行くってメールが来てたから購買の近くじゃないの。あそこにしかないでしょ自販機」

「…もしかしなくてもお宅の番犬、自分の行動を全部ご主人様に報告しちゃう感じ?」

「もしかしなくともそーよ。友達でしょ、少しはプライバシーを大事にしろって言ってやって」

「俺の言うこと聞くタイプじゃねえだろ、そればっかりはご主人様の言うことも聞きそうにないし?」

「……人の神経逆なでするようなことばっかり言ってると噛み付かせるわよ」

「いや、それは勘弁――、」


そこで不意に口を閉ざした、樹の唯一の親友(と自負している目の前の男)は不機嫌さを丸出しにした樹に蹴られてよろめいていた。本当に、いつもこんなにひどい扱いを受けていてよく離れていかないものだ。もしかしてそういう性癖かもしれないと、見ていると、目の前いっぱいに迫った飼い犬の顔。

不機嫌そうな顔が心なしかうるんでいる気がするのは、気のせいではない気がする。

椅子に座った私を椅子ごと自分の方に向けて膝まづいた樹はぎゅうと抱きついてくる。


「秋ちゃんなんでこんなのと話してるの、俺の秋ちゃんでしょ?顔近いしなんかあいつの手が秋ちゃんに触ってなかった?秋ちゃんの全部が俺のだよ、触らせないで」

「あのね、不可抗力って言葉知ってる?」

「秋ちゃんに対しては不可抗力なんて言葉通用しませーん」

「殴るわよ。というか樹、わがままばっかり言わない」


ぺし、と額を叩く。うう、秋ちゃんだいすき!と条件反射のように繰り返す男が少しばかり可愛くみえて笑ってしまった。

そうすると、目の前の飼い犬もにへら、と笑う。尻尾はぱたぱたと左右に振られ、耳もぴんと立っているように、見えてしまった。最近この男は犬が擬人化してるんじゃないかと思ってしまうくらいなのだが。


「あのなー、甘やかすばっかが躾じゃねえよ?」

「新藤うるさい。秋ちゃんを見るな」

「千倉ちゃんこいつどうにかしてほんと…」

「よかったじゃない、友達認定されてるわよ、新藤くん」


そういえば、ぽかんとした表情を浮かべた、飼い犬の友達の新藤隼人。

え、という彼に、秋ちゃん秋ちゃんぎゅってしてキスして好きって言って俺秋ちゃんと一緒に飲もうと思ってコーヒー買ってきたんだよ褒めて褒めて!とうるさい我が忠犬を抱き寄せて頭を撫でつつ(もちろん、キスして好きと言ってやるようなオプションはない。折角買ってきてくれたのだからコーヒーは飲んでもいいが)、新藤に向かって笑ってみせる。

だって、私の飼い犬はそれはそれはテリトリーを気にするのだ。

家族と恥ずかしいが私とそして友人のカテゴリーと、それ以外。それ以外のカテゴリーに属する人間に対しては、樹は名前を覚えることはおろか感情を向ける事すらしない。私と話してると、うるさいけど。

だから、名前を憶えられていてかつ樹から接触(やり方がどうであろうと)されているということは、友人として認めているということに変わりないのだ。

そういうことをかいつまんで話してやる。理解できた?と見上げれば、こくんと頷く。やけに素直だ。犬属性には犬属性が近寄ってくるのだろうか、それとも何かに感染してきたのか、やけに犬っぽい飼い犬の友人はなんとなく可愛らしい。何度も言うが私は自他ともに認める犬好きなのである。今なら頭を撫でてやってもいい。


「秋ちゃん今なんか変なこと思ったでしょ」

「…思ってないわよ」

「うそ。秋ちゃん今新藤撫でていいとか思った。秋ちゃんが撫でていいのは俺だけなんだよ、秋ちゃんは俺の飼い主でしょ!やだやだやだ俺以外みちゃだめ!」

「あー、はいはい。ごめんね」


ぶつぶつと恨みがましい目で私を見てくるので、面倒くさくなって額にかすめるように口づけた。

ちゅ、と聞こえるか聞こえないかの音で素早く。お預けが過ぎると、どうもこらえ性がなくなるらしいというのが最近知った事実である。見ていた人はきっといないだろう。

私の友達たちは飲み物を買いにいったのか、いつの間にか教室から出ていったみたいだ。


「秋ちゃん大好き!」

「そう、よかったわねー」

「うん、俺秋ちゃんだいすきよりもっと好き!あいしてる!早く俺のお嫁さんになってね、そしたら一生外でなくていいよ?」

「誇らしげに監禁宣言されても困るんだけど。外に出ないっていう選択肢はないから。……で、いつまで固まってるのよ新藤くん」

「いや、飼い主って偉大だなあと…」


呆れたような顔をしている飼い犬の友人はこめかみ辺りを人差し指でかきながらつぶやく。勿論、私の忠犬(仮)はそんな友人の表情は意に介さずに私に抱きついたまま至福の表情を浮かべていた。――恍惚としているといってもいいかもしれない。髪の毛に顔を埋めて深呼吸を繰り返すのやめてもらえないだろうか。暑苦しくて仕方ないのである。

もうすぐ予鈴が鳴り響く時間帯になっても全く気にならないらしい男にアッパーを喰らわせる。う、と言いながら離れたでかい図体はあきちゃん…と泣きそうな目で私を見ていた。

まるで飼い主と引き離される犬のよう。それか大好きなお母さんと離れ幼稚園へ行かなければならない幼児が泣き叫ぶ寸前のような。犬であればぷるぷると震え、尻尾と耳はしゅんとたれてしまっているだろう。


「HR始まるから教室にいかないとでしょ」

「やだ」

「やだ、じゃないの」

「なんで離れなきゃいけないの?やだよ、俺秋ちゃんと一緒にいる…!」

「クラス違うんだからしょうがないでしょ」

「……やだ」


泣きそうな声で言う、樹に誰か言ってやってほしい。たかだか数時間それぞれ分かれて授業を受けるだけである。これくらいで泣きそうになっている樹にため息は出れど、きゅんとはしない。

――しかしまあ、不覚にも出会った最初のころはこの男のこの態度にきゅんとしていた私も確かに存在していたのであった。誠に遺憾ながら。あのころの私に言ってやりたい、これがこのあと一生続くのだと。だからきゅんとすることなどないのだと。

だけども、私だって女であるので、臆面もなく好きだと言われそれこそ女王様のように大事にされれば(ここでどうしてお姫様というたとえが出てこないのか自分でも不思議なばかりだ)これほどまでに愛を捧げてくれる番犬にご褒美くらいあげねばと思ってしまう程度には、好きだと思っているので。


「――あとで、ね?」

「秋ちゃん…!うん!HR終わったらすぐくる!」

「いや、別に来るのは放課後でもいいけど」


その手を薬指にちゅ、と口づける。私からは滅多にしないこういう行為は、ごくたまに与えるから効果をもたらすのである。

効果は抜群だった。今までぐずっていた彼氏は、先ほどの様子などみじんも感じさせないほどご機嫌でへらへらと笑みをこぼしていた。下級生から王子様スマイルとかいう、聞くたびに悪寒が走る名前で呼ばれている笑顔である。

ほんとうに、どうしてこの男はこんなに私のことが好きなのだろうか。


「流石学校一のバカップル」

「……学校一は余計じゃない?」

「ちなみに千倉ちゃんの番犬は、虫を徹底的に叩き潰すのが上手っていうのも全校一致の意見なんだよね」

「虫ってなによ」

「なーいしょ」


樹がへら、と浮かべる笑みによく似た笑い顔を浮かべた番犬の友人が、未だににへらにへらと笑っている番犬をずるずると引きずって教室へ戻っていった。思っていたよりも力強かったらしい。

一つ注文を付けるならば出ていく前にこの、教室中の生暖かい空気をどうにかしてから行ってほしかったのだが。ほとんどの視線が憐みの視線だった。いたたまれない。


そして、先ほど宣言した通り私の優秀らしい番犬は、HRが終わった後や授業の合間の休み時間などに私の教室までやってきてはひたすら私にじゃれついていくのだ。――言いたくないがこれが私の日常になっているというのが、どうやら私を含めた周囲の人間の見解である。

それをため息を吐き出しながら受け入れる私はどうやらこの日常を当たり前のことのように受け入れてしまっているらしい。



「秋ちゃん、何考えてるの?」

「…困った番犬のこと」

「俺もいつも秋ちゃんのこと考えてるよ!」

「はいはい」

「番犬だからちゃんと害虫駆除もしてるからね、えらい?」


ぞくりとするような笑みで言いきった樹に、害虫駆除でどういったことをしているかはこの男の笑みに幾分か慣れた私でもどうも恐怖を感じて聞くことができなかったので、どうか合法的な手段を使っていてほしいと願うばかりだ。

全く、恋とはどうしてこうも人を盲目にするのか!

褒めて褒めていっぱい撫でてときゃんきゃん吠える番犬(こういう姿を見ると子犬に見えなくもない)を呆れたように眺めて、額をぱちんと叩いた。

飼い犬の友人の言うとおり、躾というのは甘やかすばかりではいけないのである。


「秋ちゃんだいすき!」

「…そーね、私もよ」

「ちゃんと言ってよ秋ちゃん!でもそんな秋ちゃんもすき!」


――これは最近知ったことなのだが。秋ちゃん大好きと、笑う樹の邪気のない笑みに、どうやら私は一番弱いらしい。




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― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白かったです。樹くんの友達も犬属性なのが笑えました。 ところで、1つ気になってるのですが、秋ちゃんの容姿はどのような感じなのでしょうか? もちろん飼い主で女王様←(笑)なのでしっか…
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