episode.6
養父に迎えられたわたしは、叶わぬ約束を交わし、カスタニエ院を去った。わたしの幸せを願った彼。わたしはそれを掴むため彼との別れを決意した。
馬車に揺られ、連れられたそこは大きなお屋敷。しかし、わたしに与えられたのは小さな檻。そこで見た羊達。わたしに用意された未来は彼の願ったそれとは程遠く──。
嘲笑う声
降り注ぐ好奇の目
闇に沈む歪んだ娯楽施設。養父が嗤うステージの上で、今宵も絶望の檻の中、わたしは滑稽に踊る。表情を失ったわたし。虚の瞳は何も映さない。笑うこともない。泣くこともない。ダッテ、ワタシハ養父ノ人形ナノダカラ──。
+―…+†+…―+
静寂の闇に染まる丑三つ時。暗闇に紛れ、歪な羊達が眠るその場所へ足を踏み入れた。空気が悪い。埃っぽさに思わず顔を顰める。決して良いとは言えない環境。犬や猫を閉じ込めておくような小さな檻が乱雑に並ぶ。その檻の中では異形の子供達が静かに寝息を立てていた。その距離数メートル。近くで見る彼らの姿は客席から見たその時よりもずっと不気味に映る。薄汚い場所で小さな檻に押し込められ眠る幼い子供達。顔を背けたくなるような光景だった。彼らの扱いがいかに酷いものか、この光景がそれを語る。
「……あれか」
最奥に置かれた檻の中、銀髪の少女が眠る。頑丈な南京錠がその檻を固く閉ざし、容易には開けられそうにない。しかし、ルシエルは何の迷いもなくその南京錠に手を掛けた。ピックを取り出し、鍵穴へ差し込む。軽く弄れば、カチャリと錠が外れる音が鳴った。ピッキングなど慣れたものだ。
「……ん」
その音に檻の中の少女はうっすらと目を開けた。ぼんやりと定まらない視線がルシエルを捕らえる。
「!?」
瞬間、叫び出しそうになった少女の唇をルシエルの手が素早く塞いだ。恐怖に揺れる瞳。その手を引き剥がそうと少女の細い指がルシエルの手首を掴んだ。精一杯の力で押し返すが、ルシエルの腕はびくともしない。更に強く捕まれた腕に少女の爪が痛い程に食い込んだ。
「マリオン=ルブランだな? ロジェ=ベルモンドから依頼を受けて来た」
少年の名を口にすれば少女の動きがピタリと止まった。大きく見開かれた瞳から僅かに恐怖の色が消える。手首を掴む力は次第に弱くなり、少女は抵抗を止めた。
「ここから出たいなら俺の言う通りにしろ。外に出るまで口は開くな。黙って大人しくしていろ、いいな?」
こくこくと少女は何度も首を縦に振る。唇を塞ぐ手を離しても少女はルシエルの言い付けを守り、声を上げることはなかった。少女を抱き上げればその身体は想像以上に軽い。少女はその細い腕をルシエルの首に回し、彼の肩に顔を埋めた。離れぬようにルシエルに強くしがみつく。抵抗されない分、今宵は幾分か楽だろう。
周りの子供達を起こさぬよう慎重に歩を進める。騒がれれば一貫の終わりだ。さすがの彼でもこの数を抑えることはできない。
絶望の檻を抜ければ、月明かりが彼らを迎える。風を感じ、少女はゆっくりと顔を上げた。
「……そ、と」
少女が小さく呟く。清んだ声が空気を震わせ、静かに消えた。
「……ほら、お迎えだ」
遠くに見えた少年の姿。駆け寄る彼が少女の名を呼ぶ。地に下ろしてやれば、少女も少年へと駆け出した。
「マリオン!」
「ロジェ……!」
手を伸ばし、強く抱き合う。虚の瞳に色が戻り、大粒の涙が少女の頬を濡らした。
「本当に会いに来てくれたのね……」
もう交わることはない。ーーまた会おう。あの日交わした約束、それは最後の別れの挨拶。そう思っていた。しかし、ここにある確かな温もり。離れぬように、離さぬように強く強く抱き締める。
「……お前達までわざわざ来なくたってよかったのに」
少年の後ろで待つふたつの人影を捕らえ、ルシエルは呆れたように溜め息をついた。
「あんたにもお迎えが必要かなって」
白銀の少女の手を引き歩み寄る黒髪の娘。少年と共に彼の帰りを待っていたルーナは何でもないように笑ってみせる。しかし、ルシエルに向けられたその瞳は不安を映し、何かを探すように忙しなく動いた。
「……今日は怪我してないみたいね」
ホッとしたようにルーナは小さく息を吐き出した。彼の無事を確認し、知らず緊張していたその顔に安堵の色が浮かぶ。
「この間は運が悪かっただけだ。毎回そんなヘマしねぇよ」
「心配してるの!」
「いらない」
ルシエルの言葉にルーナはムッと顔を顰める。
「もうどうしてそういうこと言うの! ……心配くらいさせてよ」
「よく言う。断った俺を止めたのは誰だよ」
「だって……」
ルーナはそこで一旦言葉を切った。緋色の瞳が再会を喜ぶ少年と少女を見つめる。その瞳が不意にスッと細められれば、彼女は再び口を開いた。
「……あの子、ルシエルに似てるよね」
「……は?」
「自分のことなんて顧みないでバカで身の程知らずで」
「お前何言って……」
「そして優しい、誰よりも」
「…………バカじゃねぇの」
長い沈黙の後、ルシエルがぶっきらぼうに呟く。ふいっとそっぽを向いた彼にルーナは小さく笑った。
「あの子はあたしに似てるね。あの子達が昔のあたし達と重なって、だからどうにかしてあげたいと思った。でも、あたしじゃ何もしてあげられないから……」
「昔、ね……」
「うん、だからありがとう、ルシエル」
「……お前に礼を言われる覚えはねぇよ。それに同情は身を滅ぼすぞ」
「それ、あんたが言っても説得力ないわよ」
「……」
黙り込んだルシエルはルーナをじとっと睨み付ける。くすくす笑うルーナにうるせぇ、とルシエルは不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。それでも尚笑うルーナにいたたまれなくなったのか、ルシエルは大きく息を吐き出すとがしがしと乱暴に頭を掻いた。
「……あー! もう仕事は終わったんだ。行くぞッ」
投げ遣りにそう言うと、ルシエルはくるりとルーナに背を向けた。はいはい、なんてルーナは背中で未だ笑い続ける。背を向けたまま歩き出したルシエルの後をルーナは何も言わずに追った。しかし、数歩進んだところでふとルシエルは足を止めた。
「お前らも……早くここから離れるんだな。そいつがいないことがバレるのも時間の問題だ。できるだけ遠くまで逃げろ」
「あ、ありがとうございました!」
振り返らずそれだけ言うとルシエルは再び歩き始めた。遠ざかる背中に少年は深く頭を下げる。暫くそうしていたが、遠慮がちに服の裾を引かれ、少年はゆっくりと顔を上げた。見つめる少女の瞳が揺れる。少年は強く頷いてみせると、少女の手をぎゅっと握った。
「行こうマリオン」
+―…+†+…―+
憎しみか、羨みか、そのどちらともつかない負の感情を映した異色の瞳を私は見た。
ルーナさんに手を引かれ、振り返る。深々と頭を下げる少年。その隣に立つ少女はじっとこちらを見つめていた。目が合ったその瞬間、少女の瞳が映す負の感情が色を増し、睨むようなその視線が私に向けられているものだと気付いた。
置かれた境遇は違えど、似て非なる私達。今よりも幼きあの頃、父と同じ翡翠の瞳を、母と同じ金糸の髪を望んだものだった。彼女も両親と同じ瞳を、髪を望んだのだろうか。それとも完全な天使として生まれることを望んだのだろうか。
しかし、今となっては思うのは、両親だった彼らの面影を持たず生まれてよかったと―…。
「エトちゃん?」
「……はいっ」
意識の片隅で名前を呼ばれ、私は反射的に返事をした。後ろを振り返ったまま考え事にふけっていた私にルーナさんがどうしたの、と問う。
「……何でも、ないですよ」
ルーナさんは不思議そうに私を見ていたが、一言そう言えばそれ以上何も問うては来なかった。
――そう、私は“エトワール”。翡翠の瞳も、金糸の髪も私には必要ないの。