episode.4
生まれながらに常闇に生きる運命を背負わされし異形の者
神に愛されなかった哀れな人形は絶望の檻の中、滑稽に踊る
さぁ、今宵お目にかけますは──
+―…+†+…―+
「あーあ、せっかくならもう一泊くらいしたかったのに」
ベルフルールからその隣街、テネーブルへと続く道中、ルーナは不満げに呟いた。
「仕方ないだろ。一泊できただけでも有り難いと思え」
街はカーニバルの真っ最中。国中の至る所から観光客が押し寄せ、宿はどこも予約でいっぱいだった。急遽この街を訪れることとなったルシエル達は、宿の予約など勿論とっておらず、そんな彼らがこの時期に一日だけでも宿泊することができたのは本当に運が良かったと言える。多少の混雑は予想していだが、まさかこれ程までとは思わなかった。ルーナの目的は観光客のそれと同じだったようだが、この街を訪れた本来の目的は依頼の遂行であり、ルシエルにとってカーニバルなどただ疎ましいだけだった。
「そうだけどぉ……」
ルーナもそれは十分わかっていた。それゆえに反論できず、口籠もる。不満げに何か呟きながら腹いせに道端の小石を蹴飛ばそうとした、その時だった。
「ん? なんだろ、これ?」
風に舞う一枚の紙を視界の端に捕らえた。ルーナは足下に降り立ったそれを拾い上げ、紙面に目を走らせる。
「じゃあ、これ見に行こっ!」
突き付けるように差し出されたそれを受け取り、ルシエルは軽く目を通した。『招待状』と書かれたそれは何かのチラシのようで、少々不気味なイラストに鮮やかな文字が躍る。
「なんだ、これ? サーカスか何かか?」
開催地は今まさに向かおうとしているテネーブル。今回は特に急ぎの用事もない上に持ち金もそれなりにあるため、ショーの一つや二つ見るくらいどうって事ない。しかし、何とも言えない不気味なデザインや曖昧に書かれた謳い文句が妙に引っ掛かる。
「何でもいいじゃない。とにかくこれ、見に行こ」
そう言ったルーナが半ば自棄になっているように感じたのは気のせいではないだろう。――何でもいいからベルフルールに代わる楽しみが欲しい。彼女の言葉の本当の意味を的確に読み取ってしまったルシエルは諦めの溜め息をついた。
「……わーったよ」
◆
日は暮れ、街は宵闇に染まる。
「ほらルシエル、こっちこっち」
賑わいを見せるその街から少し外れたこの場所に観客を待つ大きなテントが佇む。
「招待状はお持ちですか?」
その入り口に立つ仮面の男が問うた。拾ったそれを見せれば、どうぞと中へ通される。入り口を潜れば飾り気のないステージとそれを半円に囲むたくさんの座席が彼らを迎えた。開演時間まで余裕があるせいか観客はまだ疎らである。先客の多くは自分の権力を誇示する豪奢なドレスを身に纏っていた。
「まぁ見て」
「あら珍しい。私実際にこの目で見るのは初めてですわ」
不意にひそひそと囁く複数の女の声が聞こえた。女達の視線の先にはエトワール。見せ物を見るような好奇の目が少女に向けられる。ルシエルがその鋭い瞳で一瞥すれば、女達はサッと視線を逸らした。
「……全く、見せ物じゃねぇぞ」
「……気にしないで下さい。慣れてますから」
低く呟いたルシエルに対し、当の本人は表情ひとつ変えなかった。その目立つ容姿と希少性、アンゲロス症候群である彼女にとってそのような目で見られることは日常茶飯事。しかし、慣れていると言った少女の声色は決して穏やかなものではなかった。
開演時間が近付き、場内は今か今かと待ち侘びる観客達で溢れる。時計の針が開演の時刻を示し、照明が落とされれば、観客は一斉に口を噤み、場内は一時の静寂に包まれた。
スポットライトがステージの一点を照らし出す。姿を現したのは胡散臭い仮面の男。男はニヤリと口元を歪め、マイクを取った。
「皆様、お集まり頂きありがとうございます! 今宵お目にかけますは神に呪われし哀れな羊。おぞましき姿の異端児にございます。さぁ、その姿とくとご覧あれ!」
ライトがステージ全体を照らし出したその瞬間、思わず息を呑んだ。一斉にどよめき出す会場。そこに入り混じる畏怖と歓喜。軽蔑の色を含んだ瞳が本日のメインキャストを映し出す。
ステージに並ぶ檻。獣の手足を持つ少年、三足の娘。鎖に繋がれた虚ろな瞳の子供達は皆、フツウではなかった。これはサーカスでもショーでもない。――そう、ここは見世物小屋。歪な羊達を好奇の目が嘲笑う。ルーナの顔色が見る見る悪くなっていくのがわかった。
仮面の男が一人一人を蔑みの言葉で紹介すれば、観客は上辺だけの同情の言葉を囁く。聞いているだけで嫌気が差した。
「続いてご覧いれますは出来損ないの堕天使、アンゲロス症候群の端くれにございます」
ステージに並ぶ檻が下げられ、新たな檻が運ばれる。その中で俯くはエトワールのそれとよく似た銀髪の娘。両の目は布で覆われ、その色を窺うことはできない。
「さぁ、ご覧いれましょう、このおぞましき瞳を!」
布が外され、その瞳が露わになる。右は漆黒、左はアメジスト。左右色の異なる瞳が彼女はアンゲロス症候群と似て非なる存在であることを示す。一斉に浴びせられる罵倒。今まで表情を変えなかったエトワールが僅かに顔をしかめた。人は他人を蔑み、自分が優位であるという幻想を得る。神聖な存在と認知され天使と讃えられるアンゲロス症候群。不完全な彼女は差別の格好の的だった。
「さぁ、続いてご覧いれますは―…」
◆
「……ごめん」
会場を後にして開口一番、ルーナは力なき声で謝罪を述べた。軽い気持ちで訪れたそこは闇に沈む歪んだ娯楽施設。彼女達が立ち入るべき場所ではなかった。自分の軽率な提案でルシエルとエトワールをそんな場所へ連れて行ってしまった罪悪感にルーナはそれ以上何も言うことができず、泣きそうな顔を隠すように唇を噛み締め俯いた。
「……いいって」
俯くルーナの頭をルシエルが軽く撫ぜた。そのまま歩き出した彼の背中が行くぞと語る。ゴシゴシと目を擦り、ルーナは小さく頷いた。ルシエルの後を追い、歩き出そうとしたその時──。
「エトちゃん……?」
傍らに立つ少女の様子に異変を感じ、ルーナはその足を止めた。ルシエルもルーナの声に振り返る。エトワールはルーナの呼び掛けにも応じず、口を閉ざしたまま地を睨み付けるように見つめていた。
「私も──」
地を見つめたまま少女は徐に口を開く。
「私も変わらない。この髪も、この瞳も親から受け継いだものではありません。私はこの容姿に対して蔑みの言葉を受けたことはありませんが、生みの親と懸け離れた容姿の私はフツウではないのでしょう。人は自分と違う存在をトクベツと見做し、蔑みや尊びの念を抱く。あの娘と私の間に大きな差などありません。一歩違えば……」
「エトワール」
エトワールの言葉を遮るようにルシエルは少女の名を呼ぶ。何か言いたげな瞳を向けながらもエトワールは口を噤んだ。
「本当はフツウなんてものありはしないんだ。だけど、人は“違う”ことを恐れ、“同じ”ことを求める。だから多数派がフツウ、少数派がトクベツになる。フツウから見たトクベツの評価がプラスに傾くこともあればマイナスに傾くこともある。エトワールの言う通り、そこに大きな差はない。理不尽だがそれが現実だ。……でも、だからってお前がそんなこと考える必要はない。お前は何も悪くないんだから」
エトワールの手を取り、ルシエルは有無を言わさぬ態度で歩き出す。エトワールは黙ってそれに従った。
「お前もいつまでそんな顔してるんだ、ほら行くぞルー……」
「あ、あのッ!」
突如背後で響いた声がルシエルの言葉を遮る。反射的に振り返れば、そこにはひとりの少年の姿があった。
「ルシエル=クローデルさん……ですよね……? お願いしますッ! マリオンを盗み出して下さいッ!」
震えた少年の声。冷たい風が彼らの髪を揺らした──。