婚約破棄の断罪の場で、とんでもない怪物を爆誕させてしまった件
「あっ、殿下! こいつちょうどいいですよ!」
間抜けな声が耳に飛び込んできた。『こいつ』というのが自分のことだ、と理解するのに少し時間がかかった。
ユナは午後の授業に出るため、教科書を抱えて特別教室までの近道である中庭を一人で歩いていたところだった。
「こいつ、どこかで見たな……」
「三年A組のお堅い委員長サマっすよ」
「あー」
ぺちゃくちゃ喋っているのは中庭にいたらしき数人の男子生徒たちである。
いや訂正。男子生徒たち、プラス、女子が一名。
学園の問題児ことヴァージル王子と、その取り巻き、そして紅一点のパウラだ。
ユナはヴァージル王子のことが好きではない。
A組の侯爵令嬢アリシアと婚約しているくせに、男爵家のパウラと人前で堂々と浮気をしているからだ。
いちゃつくだけならまだしも、婚約者に何かと言いがかりをつけてくる。見ていられない。
面倒な空気を察し、関わり合いになりたくないと早足で中庭を抜けようとしたが、さっと取り巻きたちに進路を塞がれた。
「……すみません、午後の授業に遅れたくないので、そこあけてください」
「俺の言うことを聞くまで通せんな」
取り巻きの中から王子が進み出てくる。
言うことってなんだ。ユナは警戒する。
「近々この学園で、国王も招いての舞踏会があるだろう。お前はそこで、証言をするのだ」
「……証言……?」
「ああ。あのいけ好かないアリシアを陥れるためのな!」
「なんですって!?」
ユナは思わず叫んでしまった。取り巻きどもは何が面白いのか、ギャハハと笑っている。
にたあ、と表現するしかない笑みを顔に浮かべたパウラも続けた。
「そーそー。アリシアさまはぁ、パウラにこないだの文化祭の後夜祭でワインをかけてぇ、先週噴水に突き落としてぇ、あとはバルコニーから植木鉢を落としたんですぅ。それがバレて婚約破棄されるのぉ。きゃははっ!」
「そんなこと、誰も信じるわけが……」
「まだわかってないのか。お前が信じさせるんだよ」
じり、と王子に詰め寄られた。気づけば取り巻きたちに周囲を完全に囲まれている。
そのうちの一人が言った。
「お前知ってるぞ。王宮女官になりたくて真面目に頑張っちゃってんだろ? 殿下に睨まれたくないよなあ?」
「ああ、なるほどそういうことか。……大事な成績に傷をつけられたくないだろう?」
最初の間抜けな声はこいつだったか。よけいなことを。
そして王子は洒落にならない脅しをしてくる。
「いいか? 舞踏会の日だ。断罪が始まったら呼んでやる。そこで証言しろ。わかったな」
「委員長サマが証言するなら、きっとみんな信じるっすよね!」
「ざまあみろアリシア!」
「きゃはっ、ちゃんと証言できたらぁ、パウラのお付きにしてあげてもいいわよぉ? 王子妃のねっ!」
悪い話ではないだろうとクソ女は笑うが、これ以上最悪な話があるだろうか。
……しかし、多勢に無勢過ぎる。
苦渋の思いでユナは口を開いた。
「わかり……ました」
王子と取り巻きはげらげら笑いながら中庭を去っていった。
ユナは午後の授業の教科書を抱えて、しばらく呆然としてしまった。
……だが、すぐに立ち直った。
踵を返す。こんな悪事がまかり通ってはならない。教師に伝えに行くのだ。
と。
「きゃっ」
「おっと」
すぐ後ろにいた人物にぶつかりそうになってよろけ、さっと相手に支えられた。
同じクラスの伯爵家の子息、ロジャーだ。
「わ、ごめんなさい。急いでいたもので」
「急ぐって、教室は逆だよね? 忘れ物?」
「いえ、ちょっと職員室に……」
馬鹿正直に答えてから、おやっと思った。
対面しているロジャーの目が急に真剣になったからだ。
「職員室に何の用?」
「……えっと、先生に伝えることが……」
「駄目だ」
ロジャーは強く制止した。
「あいつらは君の成績に手を出せるかもしれないんだろ? 先生に伝えても、握りつぶされるかもしれない」
「えっ」
すごく具体的な理由だった。もしや。
「聞いてたんですか? どこから?」
「うん、君が王宮女官になりたくて真面目に頑張ってるのをからかわれてたあたりから」
「おっとお……」
囲まれていたユナはともかく、ヴァージル一派も気づかなかったとは。
ロジャーの隠密が上手かったのか、やつらが間抜けなのか。後者に一票だ。
それはともかく。
「でも、それなら、どうすれば……」
「……うん。僕にひとつ、考えがあるんだ」
ロジャーはクラスでも皆に頼られがちな、人望のある男子である。
その彼が言うので、ユナはぼんやり、希望があるような気がしてきた。
「どんな策かは、君は知らないでおいたほうがいいと思う。僕に任せて」
「えっ」
「……あ、一つだけ」
そう付け加えるとロジャーは指を一本立てていたずらっぽく笑った。
「舞踏会での証言は、できるだけ詳細で、具体的にしておいて」
「……はい……?」
*
舞踏会の日まではあっという間だった。
ユナはとんでもない秘密を抱えて落ち着かなかったが、教室で気がつくとロジャーがこっちを見ていて、目が合うたびにウインクをしてくるので、なんとなく安心するような、よけいそわそわするような、そんな日々を送っていた。
当日。
さくさくと状況は進み、声高にヴァージル一派が壇上からアリシア様を呼びつけた。
「アリシア! 貴様の悪事はわかっている! 大人しく認めて、婚約破棄を受け入れるんだな!!」
楚々と壇の前に歩み出たアリシアは、悠然と質問を返した。
「悪事とはなんのことですの? あなたがたの証言では信用できませんわ。どなたか、目撃者でも他にいらして?」
「よく言ったな。A組のユナ! ここで証言しろ!!」
ああ、呼ばれてしまった。
壇上にはヴァージルと取り巻き、パウラがおり、さらに一段高くなった場所に国王の席が設けられている。
国王陛下には、王子の暴走を止める気はないのか。
こちらを見下ろして、重々しく言った。
「ユナ、と申したな。確か、子爵令嬢であったか。余が許可する。証言せよ」
「はい……」
ユナは腰を折って陛下に礼をし、学生たちが見つめる中、壇上に上がって口を開いた。
ここは、ロジャーを信じる。
「先日の、文化祭の後夜祭でのことです。アリシア様はお手にお持ちだったワインをパウラさんに浴びせられました」
アリシアの方を見ることができない。傷つかないでいてほしいなんて、虫のいい話だ。
「……ピンクのドレスだったと思います。赤ワインの染みが大きく飛び散って……」
詳しい話をしろ、とロジャーに言われたとおり、できるだけ具体的に描写する。
「パウラさんの頭に飾られていた花にまでしぶきが……」
その時だった。
「あっ、俺も見ました!」
まさかの声が学生の間から上がった。
「へっ」
間抜けな声を漏らしてしまった。
「俺も見ました、アリシア様がパウラさんにワインかけてるとこ。オレンジのドレスがびしょびしょで、裾から垂らしながら歩いてましたよね? どぶにハマって濡れた猫みたいでした」
「なっ」
パウラが反論しかけたが、すぐにまずいと気付いたのか、もごもごと口を閉じた。
そしてすぐに別の声が上がる。
「私も見ました、ロゼのシャンパンだったと思います。白いドレスに模様ができちゃって、なんかそんな鳥いたよなーって思ったからよく覚えてます」
「私も! 金色のスパンコールがテカテカして、これがほんとのスパークリングって思いましたもん」
ざわめきが広がった。
……ユナは気付いた。証言してくれているのは、どれもこれも自分とアリシアのクラスメイトたちばかりだ。
そして国王は髭をしごきながら言った。
「ピンクにオレンジに白に、金色のスパンコール……。ずいぶん華やかなドレスをまとっていたのだな」
「……っ!! 光の加減です!!」
即座に王子が声を張り上げた。そしてユナに詰め寄る。
「……他の証言もあっただろ!! 早く言え!!」
えっと。次は噴水だったっけ。
「ええと、十日前のことです。エントランスの噴水に、アリシア様がパウラさんを突き落としているのを見ました。二本の手で、こう、背中をぐっと」
ユナは腕を伸ばして実演してみた。この頃には、なんとなくロジャーの仕掛けた策に感づいていた。
「それ私も見ました。アリシア様がデッキブラシを両手に持って、パウラさんを小突いて噴水に落としてましたよね」
「俺も見た。十日前だよね。片手に鞭を持って、もう片手ではパウラさんの頭を噴水に突っ込んでた」
「僕が見たのは、アリシア様がエントランスにあるでっかい青銅の花瓶を両手で持って、それでパウラさんをフルスイングでぶん殴って噴水にぶち込んでるとこ」
すかさずクラスメイトの証言が重なる。最後のはロジャーのものだ。……少し悪ノリが過ぎないだろうか。
ざわめきがさらに広がる。
国王は反芻した。
「二本の手で背中を押して、デッキブラシを持ち、鞭とそこなる令嬢の頭、さらに花瓶までも……」
「はい」
「見ました」
「間違いないです」
やれやれ、と国王は息を吐く。
「アリシア。そなた、何本の腕を隠しておったのだ?」
「ふふふ。淑女の秘密ですわ」
「っそんなことより!!」
王子が被せるように言い募る。
「アリシアがパウラを害したのは事実っ。……まだ証言はあったよな、そうだよな!?」
血走った目をユナに向けられ、はい、とうなずいた。
こうなったら、とことんやってやる。
「バルコニーからパウラさんをめがけて植木鉢を落としたところを見ました。バルコニーに並んでいた植木鉢、全部です」
ここぞとばかりにクラスメイトたちは証言を続けた。
「アリシア様がさっと腕を振ると、男子学生でも持ち上げるのが大変な植木鉢たちが、一つ一つと雪崩れるようにパウラさんに襲いかかっていったんです」
「それから校舎の瓦も続いて」
「僕は慌ててそのバルコニーがある教室まで階段を駆け登っていったんですけど……、なんとそこには、誰の姿もありませんでした」
「廊下にいた生徒たちも、誰も見なかったって言うんです」
「バルコニーから飛び去ったとしか思えません」
くすくすと笑い声が聞こえてきた。
国王や王子が口を開く前に、ユナは続ける。
「それから、パウラさんを理科準備室に呼び出して詰問されている声も聞いたことがあります」
以心伝心でクラスメイトが続く。
「もちろん、部屋から出てきたのはパウラさん一人でした」
「でもその制服がギザギザに切り裂かれてて……」
「あれは単なる刃物とかそういうんじゃない。もっと恐ろしい、なんなら人間の仕業とは思えない」
最後の証言はまたしてもロジャーだった。こころなしか声がドヤっている。
「そして……」
「もうよい」
続けて口を開いたユナを国王が制した。じっと見られて背筋が伸びる。
「そなた、なにゆえこのような証言をした。……正直に申せ」
……いや、めちゃくちゃな証言をしたのは私じゃなくてクラスの皆ですが。
と内心思ったが、起点は確かにユナだったので、そこは言い逃れのしようがない。
ふと壇の下のほうを見ると、学生たちの間にロジャーがいた。
彼は得意顔などしていなかった。いつものようにユナをじっと見つめて、そして小さく頷く。
──息を吸った。
「はい。今日のこの場で、アリシア様をおとしめる証言をしろとヴァージル殿下たちに強要されたからにございます」
……しん……。
先ほどまでクラスメイトたちの証言が重なっていたホールは、今度は続くものもなく静まり返った。
皆の視線が集まる中、国王は大きくため息をついた。
「……先ほどまであのような言葉を吐いておいて、こたびの証言だけを信じよと申すか?」
「そうだ! 父上、この女は嘘をついています!!」
「ひどいわぁ、パウラたちそんなことしないもぉん!」
「──畏れながら!」
ぎゃんぎゃんと一味がわめく。そこにロジャーの声が響いた。
「陛下、我々三年A組からの証言はまだございますっ! 何とぞお聞き届けくださりませんでしょうか!」
「……ふむ。よい。申せ」
「はいっ。まずは……」
学生たちの間から進み出たのは、特待生枠の平民女子生徒だ。
「畏れながら申し上げます。ユナ様は、わたしを女手一つで育ててくれている母が倒れ、わたしが家に戻らなくてはならないかもしれないとなった時、クラスの皆様に呼びかけてお見舞い金を集めてくださいました」
……そういえばそんなこともあった。特別なことをしたつもりはなかったから、すっかり忘れていた。
「おかげで母は持ち直し、わたしも奨学金で無事卒業を迎えられそうです。言い尽くせないほど感謝しております」
「文化祭で、それぞれの領地の名産品を紹介してはどうかと提案してくれたのもユナ様です!」
男爵家の子息が続く。
「おかげで新しい販路を見つけることができた、と父も喜んでいます」
「我が家もです。文化祭をきっかけに家同士の業務提携の話が出ています」
「試験の前は、みんなユナさんに教えを請うため集まるんです。とても頼りになる委員長です」
次々とクラスメイトたちが進み出る。その最後は、アリシアだった。
「──わたくしが、カフェテリアで殿下にいわれなき責めを受けていたとき」
ユナは侯爵令嬢の姿を見た。恐れていたような傷ついた様子はなく、彼女はあでやかにユナに微笑み返してくれた。
「ユナさんは、わざとコップをひっくり返してそちらに注目を集めてくれましたね。勢いをくじかれて殿下の怒りもうやむやになりました」
そんなこともあったなあ。
「……わざとだって、お気づきだったんですか……」
「わかりますわよ、そのくらい」
「わかった、わかった」
国王の声が重なった。
「アリシア、そしてユナ。愚息が迷惑をかけた。……衛兵、ヴァージル一味を引っ立てよ」
「んなっ! どうしてですか父上!!」
「きゃあっ! パウラに触らないでよぉっ!?」
「な、なんで俺たちまで……」
国王がさっと手を挙げて命じると、バカ王子とその取り巻きは速やかに片付けられた。
「では余はあれに始末をつけねばな。皆の者、あとのことは気にせず楽しんでくれ」
そのまま王まで引っ込んでしまい、ユナは一人壇上に取り残された。……おそるおそる階段を降りる。
そしてクラスメイトにもみくちゃにされた。
「委員長〜!! よかった〜!!!」
「ロジャーが殿下の企みを教えてくれた時はどうしようかと思ったけど……」
「無事でよかった!」
「ほんとに〜!!」
「はいはい、皆さん。ユナさんが窒息してしまいますわよ」
パンパンとアリシアが手を叩いて皆を散らしてくれたので、ユナはようやくほっと息をつく。
アリシアに向き直って、まずは深く頭を下げた。
「アリシア様。……申し訳ありませんでした」
「何を謝るんですの? あのバカに巻き込まれただけでしょう」
それも事実だ。だが、ユナとしてはやはり謝っておかないと気がすまない。
……なので、こういうことにしておこう。
「ええと、私の証言のせいで、アリシア様が腕が八本の怪力で、謎の力で植木鉢を飛ばしたり空を飛んだり密室で消えたりする怪物になっちゃったので……」
「まあ、そんなこと」
侯爵令嬢はころころと笑った。
「箔が付いてよろしいわ」
……度量が広すぎる。あの王子には心底もったいないな、とユナは周りのクラスメイトと一緒にうなずいた。
楽隊が音楽を奏で始めた。
「では皆さん、踊りましょう」
アリシアの鶴の一声で、三年A組もそれ以外のクラスの皆もそれぞれにパートナーを見つけてホールに散る。
「お嬢さん、一曲お願いできますか?」
ユナに差し伸べられたのは、ロジャーの手である。
クラスの人気者からの誘いに、ユナはちょっとうろたえた。
「え、あ、私です?」
「はい。お互い今日は頑張ったから、お疲れ様ということで」
「そういうことなら……」
曲に合わせて移動しながら、そういえばこの人にお礼を言うべきだ、とユナは思い当たった。
「あの、策ってこういうことだったんですね。びっくりしました。ありがとうございます」
「うん。ユナさんが僕らを信じてくれたから、みんなノリノリでアドリブ足してたよ。すごいね」
くくっとロジャーは思い出し笑いをした。
あれはアドリブだったのか。クラスメイトの発想力には改めて敬服する。
「……皆さんこそ、私の味方をするのはリスクもあったでしょうに、ありがたいことです」
「言ってたでしょ? みんな、真面目で頑張り屋の委員長が大好きだからね」
そこでまたもや見事なウインクをされ、いたたまれなくなった。
「……下心だってあったんですよ。頑張っていれば誰かは見てくれる……と思っていましたから」
「みんな見てたよ」
「……そうですね。嬉しいです」
「それに、下心だったら僕にもある」
「え?」
ロジャーはくるりとユナを回して抱きとめると、右手を引き寄せてその甲に口づけた。
「…………!?」
途端にユナは真っ赤になった。心音が爆発する。
「ははは。脈あり?」
爽やかに笑うロジャーの向こうで、クラスのみんなが好奇心いっぱいの顔でこちらをうかがっているのが目に入った。




