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BLゲームの総受け主人公に転生したがケツは守りたいのでモブ人生を送ります! ~粘着ストーカー魔術師からの溺愛はお断り~

作者: たかなみ
掲載日:2026/05/01

 

 その日、俺の意識は限界をとうに超えていた。ブラックIT企業での40時間連続勤務。鳴りやまないチャットツールの通知音が鼓膜にこびりついて離れない。視界の端には常にノイズが走り、指先はキーボードを叩きすぎて感覚が消えた。

 ようやく辿り着いた安アパートの自室。玄関に倒れ込む俺の視界に、最悪の元気印が飛び込んできた。


 

「お兄ちゃん! ついに届いたのよ! 『聖剣のアルカディア』! 略してセカディ!」


 

 実の妹、美咲だ。彼女は深夜にも関わらず、リビングに設置しているパソコンの液晶モニターの前で狂喜乱舞していた。


 

「……美咲、頼む。兄貴の死体を見たくなかったら、その100デシベル超えの声を下げてくれ……。俺は今『Enter』キーを見るだけで吐き気がするんだ……」


「何言ってんの! 見てよこのメイン攻略対象、宮廷魔術師セシリアン様! 勇者のエンディミオンに向けたこの執着に満ちた瞳! 『君の全てを私の魔力で塗り潰したい』とか言っちゃうのよ! これこそが至高のBL……ぐふ、ぐふふふふ。ちなみにこのゲーム、エンディミオンの逃亡エンドも一応用意されてるんだけど、確率は僅か3%なんだって。逃げてもたいていの場合は執着攻めたちに捕まって、よりえろい……ひどい目に遭うっていう神仕様なの!」


「……男同士で何やってんだか。勝手にやってろ。俺は、もう……一万年くらい寝る……」


「意味わかんないこと言ってないで聞いてよ!」


 

 リビングのソファに身を投げ出す。ぐらぐらする頭を抑えながら、「エンディミオンは100年に一度復活する魔王を倒す運命」だの「チュートリアルで預言者が村へ来るのが公式の開始合図」だのという妹の逐一丁寧な設定説明が、泥のような脳味噌に(おり)のように溜まっていくのを感じた。



「いい、お兄ちゃん? エンディミオンはね、何も知らずに平和な村で育つの。そこに白い法衣を着た預言者が現れて、無理やり運命の輪に引きずり込まれるのが最高のエモポイントなんだから!  彼に拒否権なんてないのよ!」


 

 あー、はいはい。そうなんだね。勇者ってのは大変だね、拒否権がないなんて。

 ……まるで俺じゃないか。

 上司にも会社にも通用しない拒否権。人権侵害にもほどがある。それでも労基にかけこむ勇気なんてものはない。どうせ俺のメンタルなんてミジンコなんだ。エンディミオンは名前からしてありとあらゆる面で強そうだな。知らんけど。いいな。羨ましい。でも拒否権がない設定にされているのは普通に可哀想だ。

 薄れゆく意識の中、俺はエンディミオンに同情しながら意識を手放した。


 

***

 

 

 次に目が覚めたとき、俺を包んでいたのは安アパートの湿気た匂いではなかった。 鼻腔をくすぐるのは、どこか懐かしい薪を焼く香ばしい匂い。そして、ブラック企業のオフィスには絶対に存在しない清浄な空気。思わず深く吸い込んだ。ああ、気持ちがいい。新鮮な空気、プライスレス。細胞単位で若返りそう。


 

「……あ?」


 

 浮上してきた意識と共に重い瞼を開ける。視界に飛び込んできたのは見慣れない天井だった。木漏れ日が差し込む素朴な石造りの部屋。どう見ても日本仕様の住宅ではない。

 慌てて跳ね起き、辺りを見渡す。ここはどこだ。俺は誰だ。

 鏡らしいものが見当たらなくて、近くの水瓶を覗き込んだ。 そこに映っていたのは、目の下にクマを飼い、土色の肌、髪はボサボサだった三十路の社畜――ではなく、金髪が眩しい、二十歳前後の絶世の美青年。


 

「エンディミオンだ…………」


 

 混乱する頭で全身をぺたぺたと触って確かめる。ペリドットのような綺麗な黄緑色の瞳、ほどよくしまった身体、筋肉が浮き出る腕……きめ細やかな色白な肌。細胞単位で若返っていたのは本当だった。

 右手の甲を見る。 そこには、銀色の鎖が複雑に絡み合うような、禍々しくも神々しい紋章が刻まれていた。


 

『これぞ受属性の証! 運命という名の鎖に縛られ、執着の愛を注がれる勇者の印……!』


 

 恍惚な表情で喚く妹の言葉がフラッシュバックした。

 

 

「勇者の……聖痕。嘘だろ……。よりによって、あのゲームかよ…………」


 

 聖痕のおかげで状況が呑み込めた。これは巷で流行りの【転生】というやつだ。

 だが、ただの転生ではないことを俺は知っている。この世界の「勇者」は、世界を救う代わりに攻略者たちに精神も肉体も包囲される過酷な「総受け」ポジションだということを……!

 俺にゲームの知識はない。ただ、妹が語っていた偏った「BL的知識」だけが、この世界の唯一のガイドラインだった。


 

「冗談じゃない」


 

 俺は即座にベッドから飛び降りて、近くにあった鞄に服から食べ物から手当たり次第に物を詰め込んだ。早くここから逃げなければならない。

 ただでさえ前世? で過酷な社畜人生を送ってきたというのに、どうして異世界に来てまで男に溺愛されるという、24時間営業・年中無休と言わんばかりの重労働を課されなきゃならないんだ。勘弁してくれ。

 メインストーリーが始まる前――預言者が村の広場に来る前――に俺は消える。 勇者の力? 聖剣? そんなもの知るか。顔の良い男たちに追い回されるなんてコストもタイパも悪すぎる。

 クローゼットの奥から古びた包帯を取り出し、右手の聖痕を幾重にも巻き付けて隠した。

 何か武器はないかときょろきょろと部屋を見渡す。壁にかかっていた刀が見えて、俺は二度見した。刀? この世界には刀があるのか?


 

「なんて奇跡だ……!」



 ずっしりと重い真剣を手に取る。近くにあった腰ベルトを付け、そこに刀をぶら下げた。少しだけ鞘から引き抜き、刀身を確認する。錆も刃欠けもなく綺麗な状態で保たれていた。趣味で始めた居合の技術が役に立ちそうだ。手になじむ武器が見つかってよかった。

 窓から外を見やると、村の入り口からキラキラとした光を放つ白い行列が近づいてくるのが見えた。

 あれは預言者だ。


 

「さらば、BL。俺は今日から、名もなきモブとして生きる!」


 

 預言者が正門から来るなら、俺は家の裏口から逃げる。足音を立てないように家から抜け出し、村の裏山へ続く林へと飛び出した。

 これが、俺の人生で最も重要な「プロジェクト:チュートリアル回避」の始まりだった。



 


 村を逃げ出して早七日。

 俺は人目につかないように街道は避け、なるべく獣道を通り、ひたすら北部へと向かっていた。山間にある村は、年中降る雪の影響で人の行き来が極端に少ない、閉鎖的な村として知られていた。この〝身体〟の記憶を手繰り寄せてわかったことだ。そこまで行ければ少しはゆっくりできるだろう。

 持っていた地図を広げて、現在地点から北部までの道を指でなぞる。


 

「村の名前は……えっと、ヒースクリフか。宿があればいいんだが」


 

 顔を隠すために深いフードを被り、泥を塗って美貌を誤魔化し、時折街へ降りて持ち物を換金し物資を充実させながら歩き続けてようやく辿り着いたのはヒースクリフの宿場町『ウェストリア』。

 部屋に案内してもらって、ようやく俺は深呼吸した。初めて息を吸ったような感覚に陥る。ここまで誰にも見つからず捕まることもなかった。油断は大敵だが安心していいだろう。随分と長い距離を歩いたせいか疲労がすごい。普段は家と会社と稽古場しか往復してなかったせいで足がパンパンだ。だがケツをパンパンされる未来のことを考えれば、こんな痛みなぞ可愛いものだ。ああ、想像しただけでおぞましい。

 そっとお尻に手を這わせる。俺はモブ。俺はモブ。俺はモブ。口内で呪文のように繰り返し自分に言い聞かせる。 

 ひとつ気掛かりなのは美咲が言っていた『逃走ルートも存在するが結局は捕まってしまう』という点だ。俺はこの世界のことを何一つ知らない。〝エンディミオン〟の記憶と美咲の情報を頼りに生きていくしかないが、平凡にな人生を送ることは難しいだろう。見つからないように、ひとところにとどまらずに旅を続けた方が無難かもしれない。

 勇者のいない世界で魔王が暴れるかもしれないが、それは他の誰かが何とかするはずだ。俺がいずとも問題はなかろう。

 

 

「よし……。明日から俺はモブの旅人だ。聖痕も隠したし、魔力も抑えている(つもりだ)。完璧だ。大丈夫。逃げ切れる」


 

 部屋で一息ついたあと、宿の一階にある酒場の隅で安物のスープを啜る。あまりのうまさに目から汁がこぼれ落ちた。質素な食事だが、社畜時代の冷めたコンビニ弁当に比べれば、素材の味がしっかりするだけ贅沢だ。自分が人間であることを実感するという謎の感動を胸に抱きながら、心の中で何度も神様に感謝を繰り返した。そして明日からの逃亡生活に思いをはせる。

 まさか無一文で旅をするわけにはいかないだろう。幸いにして剣術の基礎はある。魔物狩りで日銭ぐらいは稼げるか。

 さて、何から始めるべきかと思案していたその時だった。


 

「……美味しそうに食べるね。まるで明日をも知れぬ小鳥が必死に命を繋ごうとしているみたいだ」


「誰だ!?」


 

 背筋にひんやりと氷を押し当てられたような悪寒が走った。ギギギギと異音を鳴らしながら振り返ると、宿屋の薄汚れた内装に全く似合わない、絶世の美男子が立っていた。

 銀糸のような艶やかで細い髪がランプの光を反射し、冷徹そうな、だが奥底にドロリとしたなにかを孕んだ青い瞳が俺を射抜いている。この見た目、知っている。妹が散々イラストを見せつけてきたから嫌でも覚えた。

――宮廷魔術師、セシリアン。

 妹の「推し」にして世界最強の魔術師。

 俺にとっては今世紀最大の災厄。

 自然とケツ筋に力が入る。



「初めまして。私は宮廷魔術師、セシリアン。君は勇者エンディミオンだね?」

 

「……。人違いです」


 

 俺は即座に目を逸らし、席を立った。だが、冷たく長い指先が俺の右手を包帯越しに正確に掴み取る。乱暴に引き寄せられ、踏ん張ったがその尋常ではない力に抗えずセシリアンの胸元に倒れ込んだ。俺は飛んで火にいる夏の虫か。筋肉よ、仕事しろ。

 慌てて距離を取ろうとするが、しかし腰に腕を回されてそれはかなわず。目と鼻の先に彼の青い瞳が現れて俺は思わずのけぞった。初対面の距離間じゃない。シンプルに怖い。  

 

 

「隠さなくてもいいんだよ、エンディミオン。君の魔力が私を呼んでいたんだ。『ここにいるよ、私を見つけて、奪ってくれ』……ってね」


「ひっ……! 言ってない、言ってないぞそんなこと! 一秒たりとも考えたことはない!」


「あはは。まあ、奪ってくれというのは冗談だけれど……そう願われても叶えてしまうくらいには、君の美しさに惹かれているよ」


 

 いやらしく微笑みながら俺の胸とケツを撫でまわす。気持ち悪すぎて吐きそうだ。

 何なんだこの男、距離間どころか解釈までバグりすぎている。これが、美咲が鼻血を出しながら語っていた「粘着ストーカー気質の魔術師」か。

 こんな男を好きになるなんてどうかしてるぞ、美咲!


 

「あんたなんか知らない。放せ。俺はただの、その日暮らしの風来坊だ」


「それは困るな。私は君が逃げたという預言者の報告を聞いて、君という『最高の獲物』を回収するお役目を与えられたんだから、大人しくついてきてもらわなくては。すぐに王宮へ引き渡すには少しばかり惜しいけれど……」



 セシリアンの細い指先が俺の唇をそっと撫でる。嫌な汗がどっと噴きだして俺はさらにもがいた。くそっなんで腕が外れないんだ! どんな馬鹿力だ。いや待て、魔術を使っているな!?

 じんわりと漏れている彼の魔力を感知して、俺はさらに絶望した。やつは世界最強の魔術師だ。ただの勇者が敵うわけがない。

 セシリアンが上体を倒す。近づいてくる顔面に、ぎゅっと目を瞑りながら顔を逸らした。

 いやだ。キスをするなら可愛い女の子がいい。おっぱいが大きくて目が大きくてふっくらしている唇にキスしたい。目の前の薄気味悪く微笑む薄い唇なんかじゃなくて!



「やめろ~~~……! 放せ、何を考えている」


「勇者たるゆえんであるきれいで純粋な魔力を持つ者は他にいない……それが美しく、なぜかわからないが、私は君に惚れてしまったみたいだ、エンディミオン。私は君のことが知りたい。魔王討伐よりも王都の私の私邸へ連れて行って、その身体の隅々まで調べさせてもらいたいな……。もちろん、逃げられないようにしてね」


 

 セシリアンの手が俺の両手首をつかんで壁に押し付ける。海よりも濃い青の瞳が獲物を仕留める直前の肉食獣のように妖しく光った。直感が叫ぶ。こいつは危険だ。

 俺は一瞬の隙をついて彼の拘束から逃れ、テーブルをひっくり返し、店の裏口へ向けて脱兎のごとく駆け出した。『なぜかわからないが』と言ったセシリアンのセリフが頭の中を駆け巡る。BLゲームのご都合主義が露呈したので確信した。このゲームは間違いなくクソ仕様だ。恋に落ちるまでが一瞬過ぎる。意味がわからない。なんかもっとこう、いろいろあるだろ!  順番が!

 居合の稽古で鍛えた脚力にバフをかけ、一気に加速する。ちらりと背後を見やる。銀糸が視界の隅にチラついて、俺は走りながら背後へ向けて右手をかざした。


 

「これでもくらえ!」


 

 聖痕の魔力を適当に爆発させて、強烈な目くらましの光をぶちまける。


 

「なっ……無詠唱でこの出力だと!?  待て、エンディミオン!」


「誰が待つかァ!」


「君がどこまで逃げようと必ず捕まえてみせるからな!」

 

 

 声高に発せられたストーカー宣言を背に、俺は夜闇に飛び込んだ。月明かりもささない完全な夜の帳を忍び足で移動する。後ろから追ってくる気配はなく、こそこそと宿から持ち出した荷物を背負ってヒースクリフを抜け出した。行く宛など決まっていない。だがそっちの方が好都合だ。俺の行動予測が立たないことを理由に、諦めてくれるかもしれない。

 だが、俺の決死の逃亡劇は、いつの間にかセシリアンとの終わりのない鬼ごっこへと変貌していた。

 彼は有言実行の男だったのだ。どこまで逃げても目の前に現れる。ただの一般人であればなすすべもなく捕まっていただろうが、あいにくエンディミオンは勇者だ。その時、その時でうまく躱せはするものの、次の街の入り口に立っているし、次の宿の隣の部屋から壁を叩いてくる。 ある時は、俺が野宿しようとした森の木の上に座っていた。

 わざと顔の上に落とされた木の葉を払いのけながら上体を起こす。


 

「……あのさあ。お前、仕事しろよ。宮廷魔術師だろ。国家の要職だろ」


「私の今の仕事は、君という迷子を私の腕の中に保護することだよ。……それとも、鎖で繋いで歩かせてほしいのかな?」


「いいえ結構です! 需要と供給が合ってません!」


 

 怖いよ! 何この美青年! 

 男女問わず恋に落としそうな爽やかな笑顔で、えぐいことを言うもんだから脳みそがバグる。

 ハグしてこようとするのを必死に止めながら、俺は深いため息を吐いた。

 このまま逃げ続けても結局は見つかってしまうだろう。何せ彼は世界最強の魔術師だ。よく考えなくても、彼ほどの力があれば聖痕の軌跡を辿るぐらい朝飯前のことのはずだ。

 嫌なことから目を背けるのは逆効果かもしれない。どうしたって聖痕は消えないのだから、どこへ行こうとセシリアンは俺を見つけては追い回してくるのは確実だ。俺はケツさえ死守できればいいんだ。そうだ。魔術師がなんだ。勇者だって聖痕のおかげで魔法は使えるんだ。俺がセシリアンに匹敵するぐらい強くなればいい話だ。

 俺も有言実行の男になることにした。

 セシリアンと行動を共にしながら、特訓を始めた。みなぎる力はすぐに俺の味方になってくれた。社畜時代に枯渇しきっていたエネルギーは、どうやら若さが取り戻してくれたらしい。

 若さだけじゃない。勇者エンディミオンは俺と違って優秀だ。身体の使い方も呑み込みの早さも段違い。俺の個人テントに忍び込もうとするセシリアンを阻止できるぐらいには能力が各段とあがり、喜びで舞を踊ったぐらいだ。毎夜の暑苦しい添い寝がなくなって清々しい朝を迎えた日、すっきりした顔の俺を見たセシリアンの表情は珍しく不満げに歪んだ。



「今日はパーティーメンバーと合流します」


「パーティーメンバー?」


 

 王都に向けて旅を続けてから数か月が経つ頃、憮然とした顔でセシリアンは言った。曰く、剣士と聖女が旅に合流するらしい。

 BLゲームだと聞いていたからてっきり男ばかりのチーム編成かと思ったが、女性もいるんだな。

 ほっと胸を撫でおろしたと同時に、強張っていたケツ筋をゆるめて労わる。前は犠牲になったとしてもケツさえ守られればなんでもいい。……いややっぱり前も守る。

 

 

「ええ。魔王討伐に向けて、今後は彼らと一緒に旅をします。この道をまっすぐ行った場所に、勇者の聖剣が眠っている迷宮があります。そこで落ち合う予定です」


「聖剣? これじゃだめなのか?」



 腰に装着している刀を指さす。セシリアンは大袈裟に溜息をついて、だめに決まっているでしょうとため息交じりに呟いた。やれやれと首を振りながら目の前のパンにかじりつく。その態度に、少しだけむっとした。不機嫌をまき散らすのはなんなんだ。飯を食っているのに、気分が悪い。



「なんで最近ずっと不機嫌なんだよ」


「あなたが触らせてくれないからでしょう!! 他にどんな理由が!?!?」


「知らんがな」



 カッと目を見開いて叫ぶセシリアンから視線を逸らす。

 一生不機嫌でいてくれて良いと思えた人間に出会ったのは初めてだ。

 自分の周りに強力なバリアを張ってセシリアンとの物理的に距離を取る。世界最強の魔術師でもこの結界は破れないらしい。そうだろう。どこかしこで齧った安倍晴明の結界術を組み込んだオリジナルバリアだから、この世界の魔術師はこれを破れないし解析も不可能。ありがとう、陰陽師。ありがとう、陰陽五行説。

 さて、身を護る術を身に着けた最強の俺は意気揚々と合流地点へ向かった。新メンバーは暑苦しい熱血剣士ガロンと、笑顔で不穏な呪文を唱える聖女のリリナだった。

 挨拶もそこそこに、さっそく『黄昏の迷宮』に足を踏み入れる。勇者の聖剣を手に入れるための、強制イベント会場だ。

 


「勇者エンディミオン殿! 我が剣、貴殿のために捧げよう! さあ、友情の証に肩を組もうではないか。筋肉の鼓動を共有しよう!」


 

 意味不明なことを言ってガロンが巨大な手で俺を抱き寄せた。こいつも距離感がおかしい。初対面だしと思って強く抵抗しないまま受け入れると、そのごつい手が俺の双丘を鷲掴んだ。ぎょっとしてガロンを見上げる。彼は頬を赤らめて鼻息荒く、俺の目をじっと見つめている。筋骨隆々な腕は当然びくともせず、容赦なくケツを揉まれて俺は情けない悲鳴を喉からひり出した。



「エンディミオン殿……そなた、随分と美しいのだな……筋肉の鼓動が止まらない。聞いてくれ、俺の高鳴りを……!」


「へぶっ」



 出たご都合展開。あとその止まらない鼓動は筋肉じゃなくて心臓だと思う。なんてツッコミは、ガロンの胸筋に塞がれて遮られてしまった。嫌でも聞こえてくる早鐘の音に逆に心配になる。とりあえず放してほしくてもがくと、ガロンは巨体に似合わない可愛らしい声音で「アンッ」と喘いで身を捩った。サーっと顔が青ざめていくのがわかる。リリナの声になっていない悲鳴が聞こえた気がした。



「エンディミオン殿……! 俺の弱点が乳首だというのを知っていたのか!? ああでも、エンディミオン殿にならいじめられてもいいかも……」


「俺にそんな趣味はない!」



 まるで乙女のように身体をくねらせているガロンを冷めた目で見ていると、背後からまがまがしい空気が漂ってきてぞわりと全身が粟立った。ひやりとした空気が俺を纏ったかと思えば、次の瞬間にはセシリアの腕の中にいた。俺を背中から抱き締めながらガロンに向けて殺気を放つ。

 助かったような助かっていないような。



「貴様、私のエンディミオンに馴れ馴れしく触るな!」


「お前のじゃねえよ」


「私だって好きに触らせてもらえないのに!」


「やかましいわ」


 

 総受けの人生が壮絶過ぎる。こんなのと毎回対峙しないといけないのか。魔王を倒す前に体力を持っていかれそうな気がする。その前に逃げるか。無理か。逃げてもどうせ変態が追いかけてくるもんな……。

 遠い目をしながらガロンとセシリアンの小競り合いを眺めていると、リリナが鈴を鳴らしたような綺麗な声で「うふふふ」と笑ったのが迷宮内に響いた。

 それで二人の言い合いがぴたりとやむ。


 

「まったく二人とも、勇者様が困っていますよ。……勇者様、もし怪我をしたりお尻に違和感があるようでしたらすぐにおっしゃってくださいね。細胞の一つ一つまで愛を込めて、跡形もなく治して差し上げますから」


 

 リリナが、輝く聖印のメスを指先でくるりと回して見せた。

 潤んだ愛らしいネコ目に豊満な胸をたわませながら言うセリフではないし、聞き捨てならない一文があったような。

 両手でお尻の中心を覆う。


 

「ッスーーーー……。俺はまだ死にたくない。じゃなくて、怪我したらすぐに言うよ。戦闘はしないから大丈夫だと思うけどね。俺は後ろで適当に壁の苔でも数えてるから、君たちが頑張ってくれ。俺はモブだ。背景だ。戦闘シーンには映り込まない主義なんだ」


「エンディミオンは本当にシャイだね。大丈夫、君は私が守るから。……それ以外の男や女には、指一本触れさせないけれど。ねえ、ガロン、リリナ。君たちはあっちの魔物の相手をしていてくれるかな? 私とエンディミオンの邪魔をするなら、味方でも容赦はしないよ」


 

 背中にいたセシリアンが真横に立って俺の腰を抱き寄せ、二人を絶対零度の瞳で睨みつける。ガロンはともかくとして、リリナはなぜか顔を赤らめながら「いやあねもう! 邪魔なんてしませんわ! むしろ二人を見守る壁になりたい!」と理解不能な黄色い悲鳴をあげながらどうぞどうぞと両手を差し出す。既視感のあるテンションに俺はげんなりした。美咲と同じ匂いがする。 

 かくして迷宮の中は化け物の巣窟だったが、セシリアンの魔法は文字通り「チート」だった。


 

「『凍てつく理、万象を静止せよ』――」


 

 指を鳴らすだけで、迫りくるガーゴイルもスケルトンも次々と氷像に変わっていく。 ガロンが剣を振るう暇も、リリナが回復呪文を唱える必要もない。


 

「もう全部お前一人でいいんじゃないか? 俺、帰りたい」


「君のためなら、この迷宮ごと氷漬けにして、二人きりの愛の神殿にしてもいいんだよ?」


「ご勘弁を! 全力で聖剣を探して手に入れてくれ!」


 

 全てが順調に思えた。特訓した力は使う機会を与えられず(与えてもらわなくていいんだけれど)セシリアンの背中にかばわれながら奥へと進む。その最深部でボスの多頭蛇(ヒュドラ)が現れたとき、セシリアンの魔術に一瞬の隙ができた。 崩れた天井の影から蛇の首が俺を丸呑みにしようと音もなく迫る。てっきり気付くものかと思っていたが、セシリアンは目の前の敵に釘づけで対処する素振りを見せなかった。他に助けてくれそうな人物を探すも、ガロンも手を焼いているようで、リリナのサポートなしでは動けないようだった。目の前で人が死ぬのは本意じゃない。

 仕方ない。俺がやるしかない。俺はモブとして生きるんだ。死にに来たわけじゃない。

 飾りと成り果てていた刀の柄を握る。納めたままの刀身に力を込めた。空気を揺るがすほどの大きく透明な炎が刀を包み込む。


――シュンッ。


 前世、ストレス解消のために通っていた居合道場。 そこで理不尽な上司の顔を思い浮かべながら、何万回と振り抜いた「抜き打ち」。勇者の異常な身体能力が威力を増幅させ、音速を超えるほどの速さをたたき出す。 抜刀から納刀まで、目にも留らぬ一瞬。

 俺だけでは完成しない、勇者エンディミオンだからこそ成せる剣技。

 


「……え?」


 

 セシリアンが目を見開く。 ヒュドラの五つの首は、すでに地面に転がっていた。


 

「見たこともない剣技だ……。それに……私を助けてくれた……?」


「……ただの護身術だし、お前を助けたんじゃない。俺が死にたくなかっただけだ」


「それでも、君は私の命の恩人だ、エンディミオン。ありがとう」



 真剣な顔で礼を述べられ、気恥ずかしさに視線を逸らす。初めて彼のそんな表情を見て何故だかどぎまぎした。

 面と向かって感謝されるとは思ってもみなくて、今まで彼を避け続けてきた罪悪感がずしりと心を圧迫した。罪悪感なんて抱く必要はないのに……俺は自分のケツを守っていただけなのに。

 でも、前世での記憶が先入観として強く刻まれているせいで、貞操を死守せねばと思うあまりセシリアンのことを知ろうともしなかったしまともに見もしなかった。発言は気持ち悪いが、ただの変人ではなく、実態は物事を弁えられる有能な好青年なのかもしれない。あるいは、勤勉で生真面目な性格だったりするのかも。

 そう思うと、セシリアン自身に少しばかりの興味が湧いてきた。俺が逃げ続けていたから、避け続けてきたからキモイ奴になっているだけで、仲間として仲良くなろうとすればそれなりの距離間で付き合えるのかもしれない。友達として……。



「俺の方こそ、俺をかばって助けてくれていたじゃないか。おあいこだよ」

 

「君を守ると言っただろう? 私は有言実行の男なんだ」


「ああ、そうだな、確かに。……魔王を倒すまではよろしく頼むよ」


「魔王を倒すまで……? 何を言っているんだ。君の身体だけじゃなく精神の隅々を暴くまで一生離れるつもりはないよ?」


「おおい俺の反省した時間を返せ! このストーカー野郎が! 寄るな触るな抱きつくなあ~!」


 

 セシリアンの腕の中でもがきながら唸る。

 友達になろうとした俺が阿呆だった。逆にヤツの「執着スイッチ」に特大の燃料を投下してしまった。背後から全速力で駆け寄ってきたガロンが「師匠ォ! その踏み込みを伝授くだされ!」と叫びながら突進され、セシリアンともども吹っ飛ばされる。目の前に星が大量に飛んでいるのをリリナが払いのけながら「あの速度……動体視力を強化して観察せねば」と目を血走らせているのが見えてぞっとした。メスは仕舞ってくれ。頼む。

 個性が強すぎるパーティーに、俺の胃は早々に悲鳴を上げた。

 



 旅の終盤、俺の精神はもはや末期の状態だった。 気づけば魔王の城にたどり着いていて、既に4階まで攻略した。魔王がいるのは5階。あともう少しなのに、魔物との戦闘以外のことでごりごりに削られた体力はなかなか回復しなかった。

 なにせ、道中の記憶はガロンの「滝行への誘い」とリリナの「(不必要な)血液採取要求」、そしてセシリアンの「寝所へのテレポート乱入」で埋め尽くされているのだ。テントのバリアを越えられない彼は一枚も二枚も上手だった。外が駄目なら中から作戦を展開してきたのだ。そして非常に困ったことに、今まではただの添い寝だったのが今では服の中をまさぐってくるまでになった。全力で阻止してはいるが、いつ貞操が奪われるか気が気ではない。BL展開だけは御免なんだ。テレポートを阻止するやり方があったら教えてくれ有識者!

 お陰で気の抜けない旅路は常に寝不足ぎみで心底参っていた。

 魔王城の攻略は想像していたものよりもずっと簡単で、随分とあっけなく魔王と対峙した。図体のでかい身体が、これまた巨大な玉座におさまっている。魔王は重低音を響かせながら「勇者よ!」と叫んだ。

 びりびりと空気が振動する。既に疲労がピークに達していた俺は苛立ちを隠せずにいた。こんなところに長居するもんじゃない。さっさとここから出たくてたまらない。

 


「我を討ちたるは、伝説の――」


「うるさい黙れどうでもいいから消え失せろ! この残業代も出さないブラック魔王が!!」


「なにその偏見!!」



 ゲームならではの口上を遮って聖剣を構える。俺の怒りの一閃が魔王の暗黒結界を叩き割り、電光石火の矢のごとく魔王の首を切り落とした。魔王は「えっ、まだ自己紹介……」という顔をしたまま光の中に消える。暗黒の渦に包まれていた空に光の柱が差し込んだ。

 存外あっけなく世界に平和は訪れた。

 やっぱりクソゲーじゃないか。



 

 ***

 

 

 

 数日後。

 俺たちは王宮の謁見の間に集まり、国王を前にして跪いていた。 周囲には何百人という貴族や兵士が並び、俺を英雄として称えている。そんな立派なものではないのだから少しは落ち着いてほしい。


 

「勇者エンディミオンよ。貴公の功績は計り知れぬ。望むものを言え。富か、名声か? それとも我が娘との婚礼か?」


 

 どさくさに紛れて本音を漏らした王の言葉に、会場が祝福の拍手で沸く。だが、俺の背後でセシリアンが「姫を魔界に追放すれば済む話かな」とか「この王都を巨大な氷の棺に閉じ込めようか」と、国家転覆レベルの呪文を低く呟き始めたので、俺は決死の覚悟で一歩前に出た。


 

「王よ! 俺の願いはただ一つです! この右手の聖痕を、王家の秘術で消してください!」


 

 一瞬、その場の時間が止まる。

 王が呆然としながら一歩足を踏み込んだ。


 

「……正気か? 聖痕がなければ英雄としての地位も、富も、絶世の美女との縁談も得られぬ。それどころか、貴公の存在が世界から消えてしまう。……それでも良いと言うのか?」


「本気です。責任ある立場とか、期待されるのとか、そういうのは一生分味わったんです。誰にも注目されず、好きな時に起きて、眠くなったら寝て、土をいじって、誰にも名前を呼ばれないまま静かに死にたいんです!」


 

 俺のあまりの必死さと、目に宿る社畜特有の「虚無」の鈍い輝きに、王は気圧されたように頷いた。

 セシリアンが止めて来るかと思ったが、彼は俺の願いを顔色一つ変えずに聞いていた。微笑すら浮かべている。まるで聖痕がなくても捕まえられるとでも言いたげな表情に、もしかしたらあり得るかもしれないという不安が過る。しかし彼の追跡魔術を欺けば良いだけのこと。もう聖痕の力はないのだし、記憶から俺の存在が消えるのだからセシリアンも例外ではないだろう。何も問題無い。

 その場で王宮魔術師たちが総出で秘術を発動し、右手の痣が熱を帯びて消えていくのを確認した。


 

「おさらばだ、異世界BL……!」



 モブ人生の始まりだ!!

 俺はその夜、祝賀会の準備が進む喧騒を余所に、王城の窓から飛び出して闇夜に紛れ込んだ。

 魔法の痕跡を消すための特製薬もリリナの部屋から(命がけで)くすねておいた。

 一度はあきらめかけたが、今度こそ俺は自由だ。名もなき村人Aとして、第2の人生を謳歌してやる。


 


 

 数ヶ月後。

 俺は王都から数千里も離れた、地図にも載っていないような辺境の農村にいた。王都の追っ手も、あの粘着質な魔術師も、まさか俺がこんな辺鄙な地にいるとは思うまい。

 


「……はぁ。空気が美味い。誰も俺を呼ばない。誰も俺のケツを狙ってこない。最高だ」


 

 俺は泥だらけの服で、収穫したばかりの立派なカブを眺めていた。元勇者の身体能力で耕す畑は笑えるほど豊作だった。 前世の理不尽な上司も、魔術師による過剰な溺愛も、もはや前世の前世の話……。

 このまま幸せに老いて幸せに死んでいこう。そうしよう。

 


「よし、今夜はカブのフルコースだ。まずはカブのステーキ、それからカブの煮物……。贅沢に岩塩を使っちゃおうかな」


 

 俺が鼻歌を歌いながら、収穫カゴを抱えて簡素な我が家に入ろうとしたその時。玄関の前に、この素朴な村の風景には一ミリも、一ミクロンも馴染まない「銀色の変態」が立っていた。

 出そうになった悲鳴をなんとか頑張って押し込める。セシリアンだ。セシリアンがいる。なぜ、どうして、どうやって。俺を見つけられるはずないのに。俺は彼の記憶の中からも抹消されたはずなのに。

 太陽の光をきらきらと反射させながら佇む姿は、客観的に見ればそれなりに絵になる。口の端をいやらしく上げてさえいなければもっと良かった。何を考えているんだ。きっと気持ち悪いことを想像しているに違いない。何せ俺の身体を暴きたいとぬかしたやつだ。自然とケツ筋に力が入る。このまま立ち去ろうか。あいにく聖痕がなくなったおかげで俺の中にあった魔法もすっからかんだ。つまり今の俺はびっくりするぐらいの一般人。俺が望んだ村人Aそのものってこと。セシリアンに魔術を使われれば最後、抗うことはできない。

 それなら余計に、逃げるべきでは?

 俺は決意を固め、カゴをそっと地面に置くと足音を立てないように回れ右をした。


 

「やあ。ずいぶんとたくさんカブが取れたんだね、エンディミオン」


「うぎゃあああああああ!!」


 

 冗談じゃなく心臓が口から飛び出たと思う。たぶん寿命が100年縮んだ。

 セシリアンに背中を向けた途端、背後が温かいものに包まれた感触がしたと思えば耳元でハスキーなイケメンボイスがさく裂したからだ。

 彼は俺を力強く抱き締めながら、首元に顔を埋めて妖艶さが混じった息を吐いた。生ぬるい吐息に悪寒が走る。


 

「会いたかったよ、マイハニー」

 

「ハニーじゃねえ! なんでここにお前がいるんだ! おいやめろやめろ服をまくるんじゃない!」


 

 地肌をセシリアンの冷たい手が這う。ぞわぞわと鳥肌を立たせながら、俺は必死になって彼の身体を押しのけた。貞操の危機が再びやってきたことに絶望する。ほんとに勘弁して。

 セシリアンは目にもとまらぬ速さで距離を詰めて来ると、俺を家の壁に押しやった。完璧な壁ドンだ。退路は断たれた。

 グッバイ、俺のスローライフ。


 

「確かに、魔法は完璧だったよ。世界中の誰もが君を忘れた。……でもね、忘れたのかい? 君がどこにいても必ず見つけ出してみせるって言ったよね?」


「言ってたけど、あれは聖痕の魔力を探知してただけだろ? 俺はもうその力は持っていないんだ。お前が辿れるはずがない……」


「私を侮ってもらっては困るよ。エンディミオン。世界最強の魔術師が、ただの宮廷魔術師の魔力に負けるとでも? 君の存在を覚えておくことなんて朝飯前だし、君の残留思念を追いかけることなんてたやすいのさ。それに、世界を救った勇者が、こんなところで一人寂しくカブと対話しているなんて、私が放っておけるはずがないだろう?」

 

 

 今度は優しく正面から抱きすくめられて、妙な戸惑いを覚えた。

 セシリアンが俺の耳元で、甘い毒のような熱い息を吐き出す。


 

「会いたかったよ」



 本音だろうなと直感で自覚した瞬間、ドクンと心臓が跳ねた。頬に熱が集中して、俺は何も言い返せずにその場で固まる。

 俺は、俺は今……ときめいている……!

 ストーカー野郎に? 変態魔術師に? どうかしてる。

 よく見たら彼のローブはぼろぼろだった。修復魔法をかけることもできただろうに、糸はほつれたままだし、裾なんか破れてしまっている。靴も小汚く、随分と歩いてきたんだろうなということが透けて見えた。魔術師といえども空を飛ぶことはできないし、居場所のわからない対象者の元へテレポートすることはできないに等しい。

 だから、彼は本気で、俺を探しにきたんだとわかった。

 その事実にぶわりと気持ちが昂る。



「は、放してくれ、セシリアン。俺は……」


「嫌だ。離さない」


「セシリアン」


「寂しかったんだ。君には寂しさを与えた責任を取る義務がある」


「どんな義務だよ」


 

「毎日の寝食を共にして、毎日私に君の身体を触らせ、調べさせ、君の奥深くまで私で埋め尽くす義務さ」

 

「何言ってんだ変態魔術師! 王都に帰って魔術の研究でもしてろ!」


「ふふ、嫌だね。君が逃げるから、私も本気にならざるを得なかったんだから、今更逃げても同じことさ。わかるだろ?」


「わかんねーよッ」



 俺の腹をぐっと指圧しながら、とんでもないセリフを吐いたセシリアンの身体を突き飛ばす。一瞬でときめきが爆発霧散して助かった。我に返るきっかけをくれてありがとう。ついでにお前は家に帰れ。

 まったく。やっぱりとんでもない野郎じゃないか。聖痕がなくなって浮かれていたが、このゲームは主人公が総受けの設定だったんだ。そうだよ。魔王を倒して終了だと思うには気が早すぎた。

 『逃亡エンドは3%の確率なんだけど、結局逃げても攻略者たちに捕まってえろい仕打ちをうけるのよ』

 美咲の言葉が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。セシリアンは言った。俺の残留思念を辿ってきたのだと。ならばその思念が残らないように逃げればいい。魔術師は宮廷以外にも存在する。彼らを頼れば不可能ではないことだ。

 俺はこの逃亡エンドの3%に賭ける。


 

「そう言わずに。さあ、今日からここで一緒に暮らそう。私が魔法で害虫を殲滅し、君を全力で愛し、慈しむ。理想のスローライフだろう?」


「全然理想じゃない! 24時間監視付きのディストピアだ!」


 

 俺は隙を見て、セシリアンの脇をすり抜けて畑の中を猛ダッシュした。


 

「BL展開は断固拒否する! 俺はモブとして生きていくんだ!」


「『びーえる』……? その言葉の意味はよく分からないけれど、君がそうやって必死に逃げ回る姿、最高に私を興奮させるよ。追いかけっこは好きだろう?」


「来るなー! ストーカー魔術師ー!」


「逃げなさい。どこまで逃げても、最後は私の腕の中だ。絶対に落としてみせるよ、エンディミオン」


 

 逃げる俺と、楽しそうに空間転移を繰り返して先回りしてくるセシリアン。

 俺のスローライフへの道はまだまだ程遠い。



〈完〉


 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ボーイズわちゃわちゃ(ラブ……?)コメディ話でした。

恋愛に発展しそうでしないボーイズ(ラブ……?)が好きだったりします。


☆、リアクション、ブクマをぽちぽち

していただけると励みになります……!


また次回作でお会いしましょう。


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