表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/18

【おや、様子がおかしいな……?】


「今お風呂沸かしてるから、もう少ししたら入れるよ!」


浴室の扉から戻ってきた爽やかな声に、渋々と振り返った。よりによって邸宅の主と同室というのが理解不能だが、ひとまず逃亡は諦めることとする。


「よかった、待っててくれて♡」


腕にタオルと着替えを用意したリックが、安心したように笑いながらジノの手を取る。

当然のように、何の迷いもなく、まるで恋人同士が夕暮れ散歩でもするかのように繋がれた、手。


「いやいやいやいや、手ぇ引くな!なんっ、そ、だったら縄のままでよかったじゃねぇか!」

「お風呂に入るのに縄がいるのかい……?」

「ちげぇ!なんで伝わらねぇんだ!」


声を荒げても、一切効かない。むしろ微笑ましそうにすら見てくる。

ジノの中で、“この男に対して声を荒げる”という行為の意味が、じわじわと崩壊していくのがわかった。




私室の奥――浴室の扉の前。

開け放たれたドアの向こうには、思ったより広く、石造りで整えられたバスルームがあった。

湯気が立ち上り、まだ湯音は静かだ。香りは、ほんのりとハーブのような清涼感。


「服、脱がせてあげようか?」

「やめろ!武器なんて持ってねぇよ!」


肩を掴まれた瞬間に怒鳴り返すと、さすがにリックがぴたりと手を止めた。

少しだけしょんぼりしたように口をすぼめ――しかしすぐに、また笑みが浮かぶ。


「君は本当に照れ屋だなぁ」

「はぁ……ッ!?」

「じゃあ私は先に洗ってるから、あとから入ってきてね!」

「は、ああ、え、ああ……!?」


混乱極まるジノを置き去りに、ついにリックが浴室の向こうへ消えた。ぽつんと残されたジノが、棚に置かれたシャツに視線を落とす。


――リックが着ていたのと同じ、淡いベージュの軽装シャツ。



(……え、俺いま……何……?)

(……まさ、か……男娼的な……?)


そう思った瞬間、なぜか指先が止まり、心臓が一度だけ重く鳴った。

脱衣所には、リックが置いたシャツとタオルがふたつずつ。

浴室からは、湯をかける音と、鼻歌まじりの明るい声がかすかに聞こえた。


……じり……もた……と服を脱ぐ。



(い、いや、――この邸では主と風呂に入るのが普通なのか……??)


誰も答えをくれない疑問を抱きながら、――決まらない覚悟も胸に、ジノは浴室へと足を踏み入れた。すでに浴槽に身を沈めていたリックが、ジノを見やってにこりと笑う。


「洗体はそこの石鹸、洗髪はそっちの小瓶に入ってる液体で洗うといい!洗ってあげようか?」

「いらねぇっ」


流れるような返答に、それでもリックは満足そうに笑った。もはや、ジノが何をしても楽しいまであるかもしれない。

一つため息をつきながら、ジノが洗い場で洗髪用の瓶を手に取る。……普段は……固形の石鹸を使っているから……こりゃなんだ……と、まじまじとその液を見た。


「それ、液体状の石鹸だよ。手に塗り広げてから頭を洗うといい」

「……そりゃどうも」


世の中色んなもんがあるなぁ、と思いながら髪を洗う。目を閉じてはいるがジッと視線を感じるのは、恐らくリックが……頭でも見ているのだろう。きっとそうだ。


ざばりと湯で流せば、目の前の鏡にはいつもの自分。地味で暗い茶髪と、茶色の瞳。男前の”お”の字もない顔。浴槽から見つめてくる男との格差に、思わず肩をすくめた。


「背中も流してあげようか?」

「いらねって」


ちょっかいをかけられるのにも、だんだんと慣れてきている自分がいた。手早く体を洗って浴槽を見やれば、何やら嬉しげに両手を広げて待ち構える勇者の姿である。


「……なにしてんだあんた」

「えっ、一緒に入るだろう!?私は君の”主人”だよね!?」

「は、入んねぇよ!!」


ええっ、とリックが悲しげな顔をする。一体お前の中で”主人”はどういうことになってるんだ、とジノがため息をついた。だが無理強いをしてくるわけでもないことから――”男娼”……は、違うのかもしれない。

まったく浴槽に入ろうとしないジノに、やがてリックも水音をさせながら腰を上げた。


「わかったわかった、じゃあ先に上がっているから、ゆっくり入ってね」

「……ああ」


その後ろ姿を横目で見ながら、ジノも静かに声を返す。まったく、照れちゃって、という声が聞こえた気がしてバッと扉の方を振り返ったが、脱衣所への戸はもう閉まる寸前だった。


「あ、」

「あ!?」


またも聞こえた声に再び振り返れば、


「お風呂あがったら、君の名前を教えてね♡」


という笑顔だけが見えて、――扉が閉じられる。

ジノは湯船に入って、一人静かに頭を抱えるのだった。




ごぽ、とゆるく、湯が揺れる。

肩まで沈んだまま、ジノは風呂の縁に頭をくっつけ、ぼんやりと天井を睨んでいた。


(……厄日だ……)


朝起き、小遣い稼ぎの詐欺で街に出て、昼には勇者本人に見つかって。

夕方には城で……断罪……?謁見……?して、さっきまで一緒に風呂に入っていた。


(……ありえねぇだろ……)


湯気と静けさに包まれた空間。

石造りの壁から伝わる温もりが、今は逆に心細い。


(…………あと多分あいつ絶対バカだ)


そう思ったのに、なぜか腹は立たなかった。むしろ、まともに怒るだけの余裕が、今の自分にはなかった。

湯船の中から見える鏡に、地味な茶髪と、なんの変哲もない顔が映っている。それを、あの男は――「綺麗な琥珀色だ」とか、平気で言った。


ふぅ、と湯気と一緒にため息が上がった。一応、逃げない、と決めた以上は。


(――名前なんて、テキトーに呼べばいいだろが……)


混乱が湯に溶けて、けれども消えてはくれなかった。






――【おや、様子がおかしいな……?】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ