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【逃走劇】


「今この街に、勇者様がいらっしゃってるらしい!」


そんな住民の声を聞いて、リックは思わずそちらへ顔を向けた。


――勇者。三年ほど前に、魔王討伐を成し遂げたその人。

元は平民の出で、その功績を評価されて国王陛下より”勇者”の称号を賜った、世界の英雄。……そんな彼が、この街にいるという。


――へぇ、とリックは思った。ぜひ見てみたいものだと。

人の流れが行く先へ向かえば、広場で子どもたちに囲まれながら両手を広げている男が一人。


「その時私はまだ仲間もおらず、一人で砂漠の魔獣と相まみえることとなった!あれは旅の中でも五本の指に入る強敵だった……灼熱の昼と極寒の夜を、三日三晩かけて戦い抜いたものだ!」

「ひええ!」

「す、すごいです勇者様……!」


”勇者”が語るかつての旅の武勇伝に、周囲の人間はすっかりと聞き入っている。足元には銀貨を入れる袋の口が空いた状態で置かれており、群衆は話を聞くためにそこに投げ銭をしているようだった。リックも思わず足を止めれば、勇者とぱちりと目が合う。


「…………ぁ、」

「――ッ!!」


途端に、びゃっ、と肩をいからせ、勇者が”驚愕”といった顔をした。


「すっすまない皆!用事が出来たのでこれにて!!」

「えっ!おしまいですか!」

「続きはッ!?」

「ま、また今度!」


足元の荷物をひとまとめに掴み上げ、勇者がリックとは逆のほうへ走り去っていく。

ぽかんとその背を眺めていたリックだったが――わずかに口角を上げて、ひどく爽やかな笑みを見せた。


「彼こそが私の運命だ……!」


呟いたと同時に、その足は”勇者”の背を追っていった。




路地の裏に積まれた木箱で足がもつれ、勇者はいとも簡単にすっ転げた。手に掴んでいた革袋から、銀貨が何枚かばらばらと散っていく。


「ってぇ……!!」

「大丈夫かい!」


聞こえた声に慌てて顔を上げれば、先ほど広場で遠巻きにこちらを見ていたリックである。なぜ、なぜだ、という声が、勇者の頭の中で反芻した。


「う、わ、なん、っくそ!ちょっと名前借りただけだろ!」


散らばった銀貨には視線だけを送り、素早く立ち上がる。逃げ足には自信はあるが、今は心が負けてしまっていた。だが捕まるわけにはいかない。鋭く踵を返し、路地の奥へと走り出す。


「待ってくれ!!」

「待つかよ!!」


二つの声が裏路地に響く。気づけば足音が増えており、リックの後ろから軽装の兵が数名、同じように追いかけてきていた。


「勇者様、”奴”ですか!」

「うん、そうだけどちょっと待って!」


兵の呼びかけに応えたのは、逃げる勇者ではなくリックのほうであった。

振り返ってそれを見止め、再びぎょっとした顔をした”勇者”が、前を向いて逃走経路を探す。


「くっそ、やっぱお前”勇者リック”かよ!!」

「うん、そうだよ!!ちょっと逃げないで!?」

「逃げるに決まってんだろうが!!」


――つまりは前を走るあの”勇者”、偽物である。

裏路地の角を一つ曲がり、もう一つ曲がり、偽物の勇者が息を切らしている。追うリックたちも人数こそは多いが、狭い裏路地ではただ追いかけることしかできない。



「逃げ道、塞いでくれ!」


リックの声に応じて、兵が一斉に周囲へ散る。左右の路地へと走り、先回りを図る陣形。

道標のように地面に落ちる銀貨を一瞥しつつ、リックは躊躇なく路地の箱を蹴り倒しながら追い続ける。障害物を避ける気はないらしい。

速さに任せて突っ切る姿勢で、視線は逃げる背だけを射抜いていた。




裏路地の出口が見えたその瞬間、物陰から現れた一人の兵が横から体当たりを仕掛ける。バランスを崩した偽の”勇者”がよろけ、リックがすかさず飛びついた。


「待ってってば!」

「うっわあ!!」


ドガシャア、と脇の木箱や空樽が弾き飛ばされる音。植木鉢が割れる音すらした気がする。つづけて――がしゃん、と堅い音。”偽物”の手首にはめられた拘束具が、その動きを止めた。


「くっそ!」

「か、確保ッ!」

「暴れるな!!」


兵が周囲を確認しながら叫ぶ。路地の奥からも、数人の兵が駆け寄ってきていた。リックはその場にしゃがみ込み、相手の腕を押さえたまま、荒い呼吸を整える。


「つ、……つかまえた!」

「チッ……!」


笑みを滲ませながらも、手はしっかりと拘束具を握ったまま。何故か嬉しそうにしているリックに、兵の一人が近づいた。


「勇者様、速やかに連行を……」

「うん、うちッ……あ、違、うん、城へ!任務通りにね!」


立ち上がったリックが応えれば、兵たちが頷き、拘束された偽物の両側につく。ごく自然な手つきで、そのまま護送体勢を組んだ。


「じゃあ、行こうか。君の話を聞かせてほしい」

「っ……」


ぶす、と俯く偽物に、やけに穏やかな声で言いながら、リックはやはり嬉しそうだ。

追い詰め、掴み、手錠をかけたくせに――その目に浮かんでいたのは、どこか妙に晴れやかな光だった。



* * * * *



くそ、しくじった――と、ジノは馬車に揺られていた。


ジノは詐欺師である。実入りは良くない。しかし情報収集と模倣の精度は仲間内でもピカイチで、”誰かに成りすます”のはどちらかといえば得意なほうだった。


「すごいね、その髪色は地毛かい?」


向かいの席に座るリックが、ジノの頭を見て興味津々と言った顔をした。

リックの髪は短く刈り上げられており、清潔感のある白金色。穏やかな(みどり)色の瞳で、ジノに低く語りかけていた。

対するジノは、……当然地毛などではない。本来は暗めの茶髪。それを染粉で一時的に染め上げているだけだ。それでも暗めの金髪にしかならなかったが、”勇者”を知らない平民たちからすれば大差ない。


「…………」

「さすがに瞳の色は変えられないんだね。でも綺麗な琥珀色だ」


バカ言え、ただの茶色だ、とジノがリックを睨み上げれば、両脇の兵士たちがぐっと腕を抑えつけてきた。

リックの手のひらがパッと上がり、兵士たちの動きを緩くする。


「乱暴はしないでくれ」

「は……で、ですが」

「こうも囲まれてるんだ、彼はどこにも逃げられないよ」


柔らかな微笑みがジノに向けられる。どこか――うっとり、と言ったような表情で……ジノは(いぶか)しげに目を逸らした。




リックは、もう目の前の男から目が離せなかった。恐らく年上。恐らくまっとうな職にもついていない。けれどそんなもの、今となってはもう些細なことだった。


――結婚するなら、なんでも自分のことを知っていて理解してくれる人がいい。

――いつでも自分の事だけを考えていてほしい。

――”勇者の恋人”というラベルがほしいだけの女性などは、論外だ。


いつだったかそんな話を、勇者パーティーの仲間たちにしたことがあった。

返事は一笑に付され、「そんな奴いるわけがない」「あんた激重」「望みバカ高ェ」との評価を受けてその話は終了。

けれどリックは、常々思っていた。どこかにいるはずだ、自分の全てを理解してくれる人が、と――。


「……君、名前は……?」

「…………」


黙りこくるジノに、リックはわずかに頬を緩めた。その爽やかなまでの甘いマスクで、――照れているのかな、可愛らしいね、と的外れな解釈を叩きだす。


「じゃあ、後でゆっくり話そうか」

「ッ……!」


もちろんジノにとってそれは、”勇者の名を(かた)った罪に対する処罰について”であったが、……もはやこの時点で、両者の間に決定的な認識の亀裂が生じていた。


ガタゴトと馬車は、王城の門をくぐっていく。

厳重な警備の中、ジノは謁見の間へと連れていかれるのであった。






――【逃走劇】

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