【勇者様、お戻りです】
邸に帰れたのは、夕方だった。
ジノ、くたくたである。何がくたくたって、もう精神的にどっぷりとくたくた。
城門前でああしてリックが大騒ぎしたことにより、治療の最中に城の人間の視線がジノに集中。
初日に城で断罪……という名の”私のものにします”の公開処刑があったこともあり、すぐに城の人間に顔が割れた。”あ、あの詐欺師だ”と。
――勇者様が私兵として連れて帰られた、あの罪人だ。
――いや、奴隷じゃなかったか。いや、更生させるという話だったぞ。
――待てよ、勇者様が遠征中にずっと「奥さんが奥さんが」言ってたのってまさか……。
そんなざわめきが確信を得る前に、治療半ばのリックが「もう大丈夫!!」と飛び上がり、治療師たちの制止を振り切り馬車へ突進。
馬車の窓越しに、ジノに「大丈夫じゃねぇ!!」と叱られたことにより、ひええと半泣きになりながら自分の足で治療されに戻る。
それにより、城の人間は、もう、目をひん剥いた。
奴隷だろうが、罪人だろうが、お、奥さん……?だろうがなんでもいい。彼こそ、勇者様を制御できる”唯一”だ。
「ジノ様!!勇者様に動くなと言ってください!!」
「ジノ殿!!陛下への報告がまだなんだ、勇者様にご進言をッ!!」
「ジノ様!お願いします!!」「ジノ様!!」
「うっ、うるせええええッッ!!!」
……そして現在、くたくたである。
帰りの馬車でもずっと、すりすりぐりぐりと甘えるリックに抱え込まれ、その膝に座らされて帰ってきた。セノールが見ているのに、である。
離せと言っても離れない。セノールに言ってもにこりと微笑まれるだけ。
邸に着いてからも、血と泥まみれだから風呂に入れ、嫌だジノと入る、ふざけんな、の攻防をし。
リックの私室で久々の、二人きりの夕食の際も、ジノの真横に椅子を持ってきて、あ~んだのなんだのかんだの、べたべたと肩を寄せて食べたり。
それはもう愛の圧が凄まじく、表情、声、態度、ありとあらゆるものからハートが飛んできそうな勢い。
「……リック……」
「うんっ♡」
「全部うるせぇ……」
「うんッッ♡」
と言った具合で、ジノの毒舌すら、もう効かない。そりゃくたくたにもなる。
食後の食器を下げに来たミルヴァが、ちらとジノの顔色を見た。
そして無言で、ポットに入れた消化に良い温茶を一杯――ジノの前だけに置いた。
言葉はなかったが、その配慮があまりにも的確で、ジノの目尻がほんの一瞬だけ震える。
「……ミルヴァ……ありがとう……」
「お大事に」
ぴしゃりと冷たいいたわりの言葉にすら、ミルヴァの愛を感じる。ジノ、心労がマックスである。
現在、心労の元凶はジノの背中に抱きつき、食後のデザートとでも言わんばかりにすうはぁすうはぁと匂いを補充している最中。……ジノはもはや、それを背もたれにしてうなだれていた。
「セノール……ミルヴァ……今日の俺、働いたよな……?」
「はい。立派に”奥様”をこなされました」
「ジノ様、大変助かりました」
……なんだろう、これ……。
誰より勇者を手懐けているという、わけのわからない”立場”が成立してしまったこの状況。罪人とか更生とかそういう話はどこへいったんだ。詐欺師だぞ、俺は。……と、ため息。
「……つか、リック。お前なぁ……」
ようやく”椅子”から身体を起こして、肩越しにご機嫌にふんふんと匂いを嗅ぐ勇者を見やる。
泥も血も綺麗に洗い流され、湯上がりの匂いまでまとった男は――何もかもがあまりにも”いつもの”顔で。
「なにッ♡」
「……傷、もう平気なんだな」
「うん!皆ジノに『ありがとうって伝えて』って言ってたよ?♡」
ズドン……。
精神的な被弾音がジノの脳内に響く。一番の当事者が一番他人事で、そんで何故か自分が一番被弾している気すらする。
この七日間、あの呪いの手紙に耐え、静かな日常を手繰り寄せ、やっと取り戻した心の平穏が……今このひとときで、盛大にぶち壊されつつある。
「……リック……」
「うん?♡」
「……もう……寝ろ」
「は~~~い♡♡♡」
椅子を引きながら、満面の笑みでジノごと立ち上がる勇者。
その声があまりにも嬉しそうだったせいで、今度はセノールが、肩をわずかに震わせているのが見えた。
……ほんともう、誰も味方がいない。
ジノは、テーブルに取り残された茶を名残惜しげに眺めて、深々と息を吐いた。
邸に、勇者が帰ってきた。
それはすなわち――安息の終わりの合図だった。
* * * * *
――そう、安息は、終わった……。
寝室にて頭を抱えるジノの視線の先では、件のだだっ広いベッドの上、勇者がもう満面の笑みで両腕を広げて待っていた。
一人ではあんなに広すぎたこのベッドも、今や、どこにも逃げ場がないほどに狭く見える。
「ジノ♡さ、おいで♡」
「…………」
「私がいない間、一人ぼっちでさぞ寂しかっただろう!♡今日はたくさんくっついて寝ようね!!♡」
「…………」
もう、ジノは言葉もない。なお、”愛する夫が帰ってきた感動”によるものではない。絶句である。
――すごすごと、ベッドに膝をかける。受け入れてなどいない。人間諦めると、こうなる。
「んふふふ……ジノ♡」
ずるずると引き寄せられ、布団の中に引きずり込まれる。抱えられたままに横になり、トドメのように身体に、きゅ、と回ってきた腕は、……不服ながら、温かい。
……ため息を、一つ。それに絆されたわけではない、が。
「……、……まぁ、お疲れ」
ぽろ、とそんな言葉が、ジノの口から零れた。ぽん、とリックの腹の辺りを、一度きり、軽くたたく。なんのことはない、ただのねぎらいだ。
ところがそれっきり、寝室から音が消えた。
……というよりは、リックの全ての動きが止まった。
そろりとジノがそちらを見上げれば、ほんの一瞬だけ驚いたような顔が見えたが――すぐに、ふにゃりとした幸せそうな顔になる。
「うん……僕、早く帰りたくて、頑張ったよ」
「……次は怪我しねぇで帰ってこい」
「うん♡」
まぁ、城の奴らが困るからな、うん、とジノが頷く。あくまでそういうわけだ。こいつのためじゃない。――てかこいつ今、”僕”って――
「ジノ」
「ん?」
名を呼ばれ、ジノが再度見上げれば、翠色の瞳が細められてこちらを見ていた。髪を撫でる手のひら。肩を抱く腕枕。あっ、これっ、
「頑張ったから、ご褒美に、キスしてほしいなぁ♡」
「…………」
――ヤロウ、覚えてやがったか……!!
ぎしぃ……、とあからさまに、眉間にしわを寄せる。仕方がねぇ、あんなどろどろに大怪我するほど頑張ってきたんだし、どっちの頬かくらい選ばせてやるか……。
そう思いながらジノが頷けば、にこっと嬉しそうに笑ったリックがわずかに鼻先をすり合わせ、唇を寄せてきた。
――むちゅ。
(……。むちゅ……?)
「――ッッ!!!」
ジノ、慌てるも、もう遅い。ちょっと意外と柔らかいリックの唇が、触れている。これはもう、ここから何をどうしても誤魔化しがきかない。
「……ッ、っっ、お、おまッ!!」
「照れなくて!♡いいんだよ!!♡♡♡」
「こンの!!小癪な!!」
第……多分三次か四次くらいのベッド内大戦争、勃発である。
バフッ、と枕が投げつけられ、即座に受け止めたリックがへらへらと笑う。まったく悪びれてもおらず、むしろ目尻を下げながら、追撃の布団でジノをくるむ始末。
「だってさ、だってさ、あの日、最初にほっぺにちゅーしてくれたのはジノだよ!?♡」
「ちげぇだろうが!!頬と口はちげぇだろうが!!」
「一緒一緒♡減るもんじゃないよ!♡♡」
「減る減らねぇの話じゃねぇぇぇ!!」
どったんばったんと布団の中のジノが暴れる。それでもリックの頬の緩みが取れないのは、ジノの耳にうっすら朱が差しているからだ。
くるんだ布団から、にゅっとジノの腕が飛び出してきて、右ストレートが飛んでくる。ごつ、と真正面から受け入れる。なぜなら愛の拳だから。
「いたぁーい♡」
「ッッ痛くなさそうだなお前!」
「ジノの手、大丈夫?ほら♡見せて♡♡」
素早い動きできゅっと手を包まれ、額がこつり、じっと目を見つめられる。ハッ……とジノが気づくも遅く、もう一度唇が触れる。
「――ッッ!!って、てンめぇ!!」
「あっはっはっは♡♡」
「リコンだァァァ!!」
「ああっ♡ごめんなさい!」
その謝罪ほど、信憑性のないものはない。ぐいと身を翻したジノが、布団を全部かっさらう勢いでリックに背を向け、ベッドの隅で丸くなる。籠城である。
「あっ、ジノっ、お布団ないと僕寒いかもっ!!」
「るせぇ黙れ寝るしゃべんな!」
ひゃーんと悲鳴のような鳴き声のような声を出して、籠城したジノごと囲い込むようにリックが覆いかぶさってくる。すんすんとすすり泣くような音がするが、恐らく演技である。なお、大根役者だ。
「んもう♡じゃあこのまま、くっついて仲良く寝ようね♡」
「うるせ……あッてめぇ布団入ってくんじゃ、つよ!力つええんだよ!!」
「んふふふふ♡♡♡」
ずりずりと背中に密着してきた腕を、ジノがじたばたと払いのけようとする。が、リックのほうが一枚上手だ。だらりと脱力するように身体を預けてきて、逃げられない。
「……おま……ッ、重……寝ろってっ!」
「寝よ?一緒に♡」
「ちげぇ、そういう寝るじゃ……ね、っ、あ、てめっ、足どこ触って――ッ!!」
ばふん、と再び枕が飛び、クッションも飛び、布団がめくれ、ベッドの上がカオスと化す。騒がしさの中にまぎれる、勇者の笑い声と、詐欺師の叫び。
――この日、勇者邸にまた、賑やかな毎日が戻ってきた。
なお、夜は長い。
――【勇者様、お戻りです】




