【三日目……おや、お手紙です】
リック不在、三日目の朝は、ミルヴァに揺り起こされた。
「……おはよう……ミルヴァ……」
「おはようございます、奥様」
淡々とした、温度のないやりとり。けれどジノ自身、それに慣れてきている……むしろ、安心感まで覚え始めているところもあった。
着替え、使用人の食堂で、ジノも揃って食事をする。これも昨日の昼からこの様式に――というか、使用人たちの食事にジノが混ぜてもらっている形。
それがいいと希望したのはジノで、頷いたのはセノール。ミルヴァがほんのわずかに困ったようにしていたが、非難の眼差しはなかった。
意外にも、使用人の中で一番年下なのは、庭師のエンだったようだ。
今朝の朝食でも、大きい図体を丸めながら、アキアやドマに次々にパンやおかずを手渡されていた。要はみんなの弟分、というやつだ。
「エンはいくつなんだ?」
「……二十二に、なりました……」
……ということは、七つも下か、とジノがパンを一口ちぎる。
ミルヴァたちは恐らく……自分よりも下だとは思うが……、女性に年齢を聞くわけにもいかず、ジノはセノールに視線を向けた。
「あいつは今年で二十五になったんだっけか」
「ええ、左様でございます」
スープを一口、小さく頷きながら、セノールがそう答える。果物をもぎっていた手を止めたドマが、目を丸くしながらジノを見た。
「はぁ~……。やっぱ奥様は、リック様のことなんでもわかってんだねぇ」
「は……いやなんでもって、……勇者の年齢なんて、その辺の子どもでもわかってんだろ……」
「そうかい?ウチはここで働き始めてから知ったね!」
あっはっは、と豪快に笑うドマに、ミルヴァが小さく頭を振った。やれやれ、といった表情である。
「ドマは、興味のないことには本当に無頓着でございますから」
「おや、褒められたのかねぇ?それとも皮肉かい?」
「事実です」
ぴしゃりと返され、場がふわりと笑いに包まれる。
エンはおとなしくパンを口に運びながらも、視線だけで周囲のやりとりを追っていた。
その目が、ジノの方へ一瞬だけ向く。
「……その……」
「ん?」
「奥様と、一緒に食べられて……嬉しいです」
ぽそりと、それだけを言って、エンはまた視線を落とした。
言った本人がいちばん照れているようで、ドマが横からくしゃりと頭を撫でる。
「よっ、素直でかわいいねぇ」
「……やめてください……」
「うふふっ」
小さく笑ったアキアが、フォークでカチ、と皿の縁を叩いて、わざとらしく場に集中を促す仕草。
「はいはい、朝食はしずかにね♡」
「ほっほっほ」
「ありゃ、アキアに怒られちまったなぁ」
――その中で、ジノはひとつ息をついた。
パンの香ばしさ、スープの温もり、くだらないやりとり――全部が、“昨日より少し慣れた”音になっている。
口元にパンを運びながら、ちらと窓の外を見た。
外は、よく晴れていた。……リックの不在、三日目。
静かで、平和な、朝のひと幕だった。
* * * * *
さて朝食後、今日は図書室にでも行ってみようかとジノが廊下を歩いていて、背後からアキアに呼び止められた。
「奥さま!」
「お、アキア」
振り返り、立ち止まる。アキアは手に封筒を持っていて、にこにことそれをジノに手渡してきた。
――愛するジノへ♡、と宛名がある……。
「リック様よりお手紙ですよ!」
「……これ、配達員も見たよな、きっと……」
「んっふ、そうですね、恐らく……!」
封筒の宛名を指さしながら、これ以上ないほどにしわの寄ったジノの眉間に、アキアが思わず肩を揺らして笑った。
むぎゅ、と指先で眉間を押さえてから、……重いため息をついて、ジノが封筒を開く。
『ジノへ♡
おはよう♡♡
もしかしたら、これが届くころには「こんにちは」かもしれないね♡』
……閉じた。――たったの三行で、眩暈がする。
あと、文章が、すっごく下のほうにまで、続いていた。……重い……これは重い。
「……図書室で……読もうかな」
「まぁ♡では、お茶をお持ちしますね!」
何をどう受け取ったのか、恐らく、いや間違いなく違う解釈で受け取った顔をして、アキアが軽い足取りで去っていく。もはや否定する体力もない。なぜなら、今からこの手紙を読むのに体力を使う予定である。
図書室へ向かう足取りは重く、ジノの背には、満面の笑みの勇者がのしかかっている幻覚が見えた。
――ジノへ♡
おはよう♡♡
もしかしたら、これが届くころには「こんにちは」かもしれないね♡
それとも「お前かよ」かな?♡
昨日の夜は、すっごく冷えたよ。
ジノが隣にいないと、なんだか寒くて……これは気温のせいじゃないと思うんだ。
だって、ジノの寝顔を見ながら寝るのが、もう当たり前になっちゃってたから……♡
(ジノも私の寝顔、見てくれてるかな♡♡)
今日はようやく、■■■(←間違えちゃった!)
今日はようやく、魔獣の潜伏地帯に近づけたよ。
尾根を越えてすぐの岩場に爪痕、骨、羽の残骸、ちょっと嫌な臭い。
魔獣と、たくさんの人のぶつかり合った場所です。
ジノのいる場所に、こんなのが行かないように。
私は、ちゃんと止めて帰る。
無理はしません♡♡約束ね♡♡♡
そっちはどう?ごはん食べてる?
ドマに変なもの食わされてない?
アキアに着せ替えさせられてない?(アッでもちょっと見たいな♡)
寂しくて泣いちゃうだろうけど、私の心はいつでも君の傍にいるよ♡
君が元気で待っててくれるなら、私はどこまでも頑張れる!
愛してるよ!!
キスは帰ってからのお楽しみで♡♡♡♡♡
君だけのリックより♡――
「…………」
――頭を、抱えた……。
なん、な、これなんだ……?呪いの手紙か……?と、ジノが再度紙面に目をやる。――目を背ける。
傍らでは、アキアが用意してくれたお茶が、静かに湯気を立てている。
気を利かせてアキアが席を外したおかげで、図書室は大変に静かで……そのせいで余計に、文面から”声”が聞こえてきそうですらあった。
耳元で叫ばれたかのような『愛してるよ!!』の一文が、鼓膜の裏側に焼き付く。
読んでもいないのに、唇が『お楽しみで♡』を形づくりかけていた。慌てて指で口元を拭う。
「……ッ……やっぱ呪いの手紙だろこれ」
低く唸るように呟いて、便箋をぱたりと折った。
封筒の宛名、“愛するジノへ♡”が、再び目に入る。
「しんど……」
小声のぼやきとともに、椅子に背を預ける。
図書室は休まる場所のはずなのに、今やそこかしこからリックの気配が漂ってくるようで、どこにも逃げ場がない。
窓の向こう、庭ではエンが黙々と草を刈っている。
心の平穏が、こんな手紙一枚で根こそぎ持っていかれるとは。
留守中の連絡手段が、物理的にダメージを与えてくるとは。
今、机の上の封筒から、勇者の気配がにゅるっと出てきそうですらある。あな恐ろしや。
『キスは帰ってからのお楽しみで♡♡♡♡♡』
「……帰ってくんな……」
悲鳴まじり、苦し紛れにそう呟くが、声に力はない。
湯気の立つお茶が、妙に沁みる、午前の図書室だった。
――【三日目……おや、お手紙です】




