【主人の不在、二日目です】
翌朝は、アキアに揺り起こされた。
寝室は当然のようにリックの私室のベッドを使い……というか絶対にそこで眠ってほしいと、リックに何度もしつこく言われ、渋々了承したという形。
寝起きでしょぼしょぼになった目に、朝の光が刺さる。起き上がるよりも前に、なんだったらアキアへの”おはよう”よりも前に、……ぼやく。
「……アキア……俺はな……ちいちゃいベッドでいいんだ……」
「うふふ、それリック様に言ったら、『小さなベッドで密着したいの!?♡』って言われちゃいますからね」
デスヨネ……。――むくりと起き上がり、だだっ広いベッドを眺めて、ため息をつく。
いつの間にかリックに用意されていた、シルクの寝間着がこれまた……着心地がいい……。ジノの頭が、小さくうなだれた。
「さ、お着替えをして、朝食にいたしましょう、奥さま」
「……うん……」
傍らに着替えを用意して、アキアが隣の部屋へ下がっていく。扉の向こうから、カチャカチャと食卓を整える音。
支度された着替えを広げれば、――また新しい服。
この家に来てから、こうして日々少しずつ、身の回りが整っていく。それは寝間着であったり、普段着であったり、枕であったり、ジノ用のカップであったり、ベッドに置くクッショ、ン――なんか寝室回り多いな……?
――気づいてしまったことは、ひとまず頭の隅に追いやった。
手早く着替え、隣の部屋へ。
リックの私室であるこの部屋は、どうやら執務室も兼ねているようなのだが――、いまのところ、書類仕事をしている様は見たことがない。
アキアによればリックは読書が嫌いなようだし、……まぁ、さもありなん、と片眉を吊り上げる。
窓際の丸テーブルに掛ければ、ちょうど朝食の支度が終わったところだった。
「そうだ、アキア」
「はい、奥さま!」
くい、とアキアが首を傾げる仕草があって、ジノはその角度に、ミルヴァと同じものを感じた。やはり性格が違っても双子なのだな、と、心の中でしみじみと思う。
「……こんなん言ったら、また『奥様として~』って、ミルヴァに怒られそうなんだけどさ」
「まぁ、なんでしょう?」
「アイツがいない間だけでもさ、皆と飯食いたいなぁ、って……。……”使用人と一緒”ってのは、無理かな?」
昨日の昼も、昨日の夜も、一人飯だった。別に元来そうではあったが、こと、この広い邸においては……、それがなんだか、……ほんの少し、寂しい。
アキアが一瞬だけ目を丸くしたが、それは”意外です”という反応ではなく――。むしろ、どこか嬉しそうに目を細めて、すぐに小さく笑った。
「……うふふ、もちろん。ドマに伝えて、昼食は皆でいただきましょうか」
「お、おう……?」
あっさり通ってしまって、ジノが若干きょとんとする。
アキアはテーブルの向かい側、控えめに腰を下ろしながら、目を細めた。声に出して笑わないのは、たぶん優しさだ。
「リック様が知ったら、『ジノが家族になりたがってる~~!!♡』って叫びますね」
お約束のような過剰反応を思い描き、ジノの肩がぴくりと跳ねる。
……想像できる、非常に容易に。
「……おかしいよな、アイツ……」
「あの”おかしさ”は、奥さま限定ですがね」
「…………それもどうなんだ……?」
ジノは、ため息をひとつ。そうして食事に手を付ける。
差し出されたスープの香りは、朝にちょうどいい優しいもの。
焼きたてのパン、ハーブの香るサラダ、小さな果物。いつもと同じ、いつも通りの……けれど、今日はアキアが隣にいる朝食だった。
――朝の光が、今日もまた、じんわりと部屋に満ちていく。
少ないはずの使用人たちの気配が、少しずつ、“日常”の形をつくっていく。
リックのいない家。……だというのに、空気が妙に、やさしく整っている気がするのだった。
「邸内でしたら、ご自由に見ていただいてよろしゅうございますよ」
――その日、手持ち無沙汰にリックの私室の本棚を眺めていたジノに、そう声をかけてくれたのはセノールだった。
えっ、……と、ジノの肩が小さく揺れる。悪さを働くつもりこそないが、……これでも一応元詐欺師。それを自由にというのは、――盗まれて困るものがないのか、それとも歯牙にもかけていないか。
つい訝しげな顔をしてしまっていたジノに、セノールはやはり、目じりを優しく緩めた。
「リック様の書斎でも、庭の温室でも、洗濯場でも厨房でも、お好きに」
「…………そ、かよ……」
「ええ。大丈夫ですよ」
では、と小さく礼をして、セノールが部屋をあとにする。ぽつり、部屋に残されたジノが、小さく首の後ろをかく。
人を、いかに騙すかという生き方をしてきていて……、こうも無条件に信用されてしまうのは、……少々、性に合わなかった。
「……。書斎とかあんのか、あいつ」
独り言は、照れを誤魔化すような温度だった。
扉をいくつか巡ってみてたどり着いた書斎らしき部屋は、やはり落ち着いた色合いの木の家具で統一されていた。
ミルヴァたちがこまめに掃除をしているのか、書斎机にほこりなどはない。使用された様子も、もちろんない。
革張りの応接のソファは、利用頻度が少ないのか、人が座った形跡すらなかった。
ここにも書棚があるが、基礎戦術論や国軍実践記録集、貴族階級における作法書など、――はたしてあの勇者が読んでいるのか、疑問が残るラインナップ。
まるで、セノールやミルヴァが選定したものが並んでいるかのようだった。
(――たとえば、……、”奥さん”相手に、デレデレになることとか……)
つ、とジノが、書棚の本に指を触れる。
(……使用人に、ああして大事にされてることとか)
……”勇者”の情報は、子細まで収集しきったと思っていた。辿った旅路、戦ってきた魔獣、村を救った話も、旅の仲間たちとのやりとりも。
けれども、こういった……”リック”のことは、――全然知らないのかも、しれないと――。
『私はね、結婚をするなら、』
――”自分のことをすべて理解してくれる人がいい”と、そう言っていた声を、思い出す。
”ずっと私のことを考えてくれる人がいい”と、そう甘えたような声も、続けて思い出される。
「…………」
ならば残念だったな、俺は不適格だ、と、ジノが口の端で笑った。つきん、とひとつだけ胸がちくついたが、――まぁ、勘違いである。
鼻で笑い、乱暴に、新品同様のソファに身を投げ出した。
控えめに革がきしむ音が、室内に落ちる。視線は天井へ――けれど、意識はそこにはなく。
「……なーにが、すべて理解してくれる人、だ」
ぽつ、と吐き出した声は、自嘲でも呆れでもなく……むしろ、どこか居心地の悪さに蓋をするような音だった。
机の上に置かれた羽ペン立てが、妙に整っている。
傍らに並ぶインク瓶は、どれも封が開いておらず、書類用の羊皮紙の束もまだ角が揃ったまま。
……やはり、この部屋は“誰かが用意した”空間でしかないらしい。
(それでも――)
あのナリで、真面目な顔をしてそこに座っていれば、さぞ絵になるだろうに……、……。
……舌打ち。それを想像した時点で、すでにジノは“ずっと私のことを考えてくれる人”寄りだ。
「……はあ」
――いや、あいつの存在が強すぎるだけだ。何故なら救世の”勇者”だから。頭をがしがしと掻いて、ジノはぐいと背もたれに身体を沈めた。
視線の先、窓の向こうでは、風に枝が揺れている。庭の草木の輪郭が、光に透けてぼんやりと滲む。
あれは、今ごろどこにいるのだろうか。本当に“爆速”で、戻ってくるつもりなのか。
「……馬鹿が……」
そう呟いて目を閉じる。あくまで短く、仮眠のつもりで。
部屋は静かだった。
けれどその空気の中に、どこか“誰かがここを使ってほしがっていた”ような、そんな温度が残っていた。
――【主人の不在、二日目です】




