【奥さま、お気を確かに】
「だからさ、やっぱりね、ある程度は触れてみないとわからないと思うんだよね」
「……は……?」
「私は主人として、ジノに”夫夫のキス”を提案する」
――至極真面目な表情で、リックはまっすぐに、そんなことを言った。
目の前では、ジノが濡れた頭にタオルを乗せながら、盛大に渋面をしている。
「……風呂、”一緒に”って来ねぇと思ったら、ンなこと考えてたのか……!」
「えっ!?一緒に入ってよかったの!?言ってよジノー!!」
「ちがっ!そういうことじゃねぇ!!」
べちん、と中途半端に濡れたタオルが、リックの顔面にヒットする。しなった布地に、リックは思わず両手で顔を押さえた。
「いたい!奥さんからの愛が痛い!!」
「お前がヘンなこと言うからだろうが!」
「だって結局朝のキスもしてないよ!?」
「アレはお前が勝手に決めたルールだろ!!」
夕食も終え、入浴も終え、今日ももう眠るだけ。
新婚生活二日目の夜は、――やっぱり平和には終わらない。
リックの手がジノの腰に回る。そのまま抱きついてくるが、狼藉を働く手ではない。
「ね、ね、じゃあさ、頬ならいいでしょ!ひとまずさ、湯冷めしちゃうからベッド行こう!ねっ?ねっ!?」
「こええんだよその熱量が!ねっ?じゃねぇ!!」
だってぇえぇ、などと、ぐずるような声を引きずりながら、ジノが寝室の扉を開ける。
この勇者、使用人たちの前ではどことなく”主人然”としていたが、ふたりきりになると、こう、どうにも”甘えた”だ。
これは……詐欺師をしていた頃のジノの情報収集能力でも、知り得なかった情報。――なお使い道はない。
「ジノぉ~!ねぇ~~?ねぇちゅーしようよ~~っ」
「うるせぇうるせぇ寝ろ。寝やがれ勇者様」
「”リック♡”~!!」
わあわあと喚く、大型犬のような主人……。なお、わあわあと喚きながらも、流れるようにベッドに上がり、流れるようにジノを抱え込んでいる。
今日も今日とて背中から抱え込まれながら眠るのか……とジノが息をつけば、ぐるんっと向きを変えられて、リックと正面から向かい合う形になった。
「なんッ……!?」
「こっち向いて寝ようか♡」
「こンの、馬鹿力め……!」
さすが勇者と言うべきか、抱え込まれた身体はびくともしない。抱きしめられた胸板が厚い。呼吸の邪魔になるレベルの胸圧が迫りくる。
「あ、そうだ、ちょっとね、明日から出かけてくるよ」
「へ?」
頭上から降った声に、ジノがわずかに顔を上げた。翠色の瞳が、――優しげに見下ろしている。
「……お、おおう、そうなの」
「うん、ちょっとね、前から予定のあった魔獣退治の任務があって」
「……へぇ……」
……まぁ、勇者とて、魔王を倒してすべて終わりではないもんな、と、ジノが口を閉じる。
そういえば、自分を捕まえる時も”任務”と口にしていた。きっとこうして、王命……?やら何やらで、各地に派遣されているんだろう。
「…………」
「……ごめんね、新婚なのに」
「新こっ……ん、とかそういうのはいいんだけど」
ぐっと肩を揺らしながら、ジノが半目でリックを見やる。
「なん、……何日いねぇんだよ」
「十日くらいかな……」
「……へぇ……」
――ジノ、沈黙。
…………こいつ……半年間で……俺をおと、お、落とすみたいな……感じのこと言っといて……?
そんな何日も遠征があんの……?いや別に仕事だし、いい……つか俺が口出すことじゃないけど……?
等々が頭に浮かんでしまい、口をつぐんだ結果の沈黙である。声には出さない。死んでも。
そもそも、”前から予定があった”と言った。恐らく、自分との結こ……ケッコンのほうが、”割り込み”の予定なのだろう、と腑に落ちた。
「…………」
「…………」
押し黙ってしまったジノを見て、リックがおろおろと視線をうろつかせる。
魔獣退治の予定が入っていたのは本当で、魔王討伐後、王命を受けての任務を精力的に行ってきたのも自分の意思。
まさかこんなに急に”新婚”になるなど考えてもおらず、ジノとのことについても、昨日の深夜にセノールにのみ、かいつまんで説明をしただけ。
それが今日、こうしてつつがなく皆に受け入れてもらえたのは、セノールがきちんと根回しをしていてくれたのだろう。
なので留守の間、ジノのことは大丈夫だとは思う。
だがジノの心は、――やはり自分にしか癒せないかもしれない……!!
「……ジノ……」
「ん?」
「……爆速で、帰ってくるから!!」
「なんで!?」
ぎゅうぅぅ、と抱きすくめれば、うぐっ、と潰れるような声がリックの首元から聞こえた。
「もう任務なんて入れなきゃよかった……愛する奥さんを置いて遠征だなんて……♡」
囁く声が近い。
ジノの額に触れる吐息が妙に熱を帯びていて、そしてなにより――この発言内容である。
「だっれっがッ奥さんだ!?」
「異議は却下だよ♡」
上訴はぴしゃりと棄却される。裁判なら暴動が起きている。
「私がいない間、淋しくて泣いちゃうんじゃないかって……心配だなぁ」
「泣くかボケ!!」
「わかってるわかってる♡」
全然わかってない声色が、また落ちる。ジノを抱きしめる腕に、さらに力がこもる。
もはや布団はただの装飾品と化し、リックの腕と胸板が寝具のすべてである。
「……でも、本当の本当にすぐ帰ってくる。約束するよ」
さっきまでの甘ったるさとは打って変わって、低く、静かな声。
耳元でそっと囁かれたその言葉は、ジノもよく知る――“勇者”の声だった。
「だから……帰ってきたらおかえりのキス、してね♡」
「しねぇよッッ!!!」
寝室に再び響く怒声。
だが、心なしかリックの笑みは、先ほどよりも少しだけ穏やかだった。
その夜、勇者は満足げな表情で眠りにつき、……詐欺師は寝苦しげに、たくましい腕の中で――眠りに落ちた。
* * * * *
さて、昨日と同じ、清らかな朝の光の中……。
ジノが目を覚ませば、目の前になんとも幸福そうに、すやすやと眠る勇者の顔が一つ。
「…………」
ぎゅ、と眉根にしわを寄せる。
これまでに収集した情報の中の”勇者”は、魔王討伐から始まり、魔獣討伐の戦歴も華々しく、部隊運用の手腕も確かで……、戦地復興への尽力も惜しまない、「平民出身ながら”勇者”の称号を得た有能な男」。
真面目で、実直で、国民にも愛される……男……だったのだが……。
それが何故、自分を抱きしめながら眠っているのか……。
爽やかで甘いそのフェイスには、無精ひげやらよだれの跡やらの、男の寝起き特有の小汚さが微塵もない。何なのコイツ、と内心で毒づけば、寝言で「ふふ……ジノ……」とぼやく始末。
……これが――この男が。
(……十日、いねぇんだとよ……)
誰にともなく、……予定の確認のように、反芻する。
魔獣退治だと。そんなんギルドの冒険者にでも任せればいいだろうに、…………。
――待てよ、とジノが止まる。
コレは、魔王を討伐した勇者だ。
それが出動するレベルの魔獣退治ってこと……?と。
(……え、命賭けるとかじゃないよな……?)
「…………」
外面は”無”だが……内面は、やや狼狽気味。勇者リックを騙って、――様々な武勇伝を、市井で語って”稼いで”きた。そのほとんどが実際にあったこと。中には、……死にかけた話も、ある。
(…………)
もそ、とリックの腕の中、わずかに身を起こす。
脳内では、ジノによる自分自身への言い訳が巻き起こってる。
――別に、違う、無事に帰って来いとか、心配だとか、そういうあれではない。むしろこう、激励だ。激励になるのかすらわからんが、うん、そう。
ほら、昨日の晩あんなにも、キスだのちゅーだのなんだのかんだのと騒いで、……なん、いや、こう、別に減るもんでもないし、してやってもよかったのかもしれないと……思う程度には……い、いや、……。
――そんな具合である。
すやすやと、眠る勇者の頬に、少し背を伸ばして唇を……触れ、る……。……い、いや、何やってんだ俺……??
「えッ!?」
「えっ」
――途端、リックの目がカッ!と見開かれて、ガチッとジノの背と腰がホールドされた。
するりと身が翻り、ジノはあっという間にのしかかられる。固まって見上げるその鼻先に、リックの鼻先がわずかに触れた。
「ジノッッ!?今ちゅーした!?!?」
「しっ、してねぇ!!離せ!!」
「絶対した!!絶っ対っしたっ!!ちょっ、家出るまで一刻っ?何とかヤれるッ」
「ヤ――!?おまっ、任務だろうがこれからァァ!!」
広々とした寝室に響くジノの怒号と、リックの頬に右フックが命中する鈍い音。
――今朝もまた……平和な朝ではなさそうだった。
「いたぁ~~い!!けど嬉しい~~~!!♡」
殴られているというのに、布団の上でジノを抱え込んだままに、リックが叫ぶ。
殴ったのはジノなのに、拳が痛いのもジノの方だ。なんでこの男、こんなにも防御力が高……そうか、勇者だった……!
「ジノからの朝のキス、最高のエネルギーだよ!!これで魔獣も三秒で倒せる!!」
「殺されろ!!」
「私はジノを未亡人にはしないよッ♡」
「何なんだお前のそのッ、無限に湧き出る自信は!!」
無限に湧き出る自信は――残念、勇者ゆえである。
朝っぱらから布団の上で押し合いへし合い、寝間着の裾がずるずるに乱れてもなお、どちらも布団から出ようとしない。
「もうさ、もうさ、ちょうどジノにちゅーされる夢見ててね!♡」
「はっ……!?」
「そしたらジノが、あんなにやさしく触れてくれて……♡」
うっとりとした声で告げられて、ジノが勢いよく布団を頭までかぶった。もはやすべてを遮断したい。
「もう出てけ!!そして帰ってくんな!!」
「帰ってくるよ!?爆速で帰ってくるよ!?」
リックがその布団の上から、さらに覆いかぶさってくる。全体重ではない。けれど、布団のすぐ向こうに、甘やかな気配がある。
「ジノ、帰ってきたらまたしてね♡」
「誰がするかバカ!!!」
こうして勇者と詐欺師の“夫夫生活”二日目は――相変わらず、騒がしく始まった。
そして、少しだけ、……ほんの少しだけ、“別れの朝”が名残惜しくなったジノは……。
埋もれた布団の中で静かに――耳まで赤くなっていた。
――【奥さま、お気を確かに】




