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忍び寄る影

さらに3日の時が経った。


ルシルは村の泉にいた。この、守るための泉の魔力が減っていることに、彼は先日気付いたのだ。

この泉にはルシルにしか見えない精霊がいる。それが魔物を退ける魔力の元なのだが、前にこの場所に寄ったときに比べて数が激減していた。

彼は、その原因を調べていた。しかし、文献もないそれを調べるには無理があった。


精霊そのものに話を聞こうにも、彼らはルシルに判る言語を発さない。


結局解ったのは、精霊を引きよせる泉自体の魔力が弱まっているという、見たままの事実だけだった。


「ねえ、最近モンスターが襲ってくるの増えてるの?モンスターの数も回数も普通じゃないよね。」


ルシルに背を向け、裸足になって泉の岸に座り脚を浸すオレンジの髪の少女が、つぶやいた。ルシルはどちらともつかない返事を返した。


「そう思ってんだったら手伝ってくれると有難いんだけどな。」

「むーりー」


セレは即答する。実のところ毎晩何かしらのモンスターの群れが村に奇襲をかけてくるという異常な事態に陥っているのだが、自称戦いの素人は、騒ぎを聞きつけても宿から出て避難するどころか二度寝を始めるのである。どうしようもない。


「……だったらけが人の治療とか出来ねえのか?」


振り返った少女のオレンジの瞳は驚きを表していた。円く開いた口が、「何で?」と問うた。ルシルはさも当然のように「絶対お前は何か出来る」と言った。


魔力を映すルシルの瞳にとって、彼女は『光』だった。それに『炎』も見えていた。

この国の世間一般の考え方に則れば、『光』は強力な力を持つ、そして強大な再生能力も持つ。

『闇』と対にして考えれば、『闇』は破滅の力『光』は再生の力とされていた。


セレは曖昧に微笑む。


「…期待しないでよ。専門外だよ。」


呟いて水の中を進む。上着の裾が水面につくかつかないかの位置で少女は立ち止り、宙を眺める。

風が髪をなびかせる。青年は一瞬…その姿に目を奪われていた。


…時折、少女には年齢に似合わぬ美しさを見せることがあった。



……その光景を、そう遠くない茂みの影から見る、桃色の服があった。

その目には、嫉妬の青い炎が宿っていた。






夕方になり、彼らは宿に戻ってきた。食堂には既にキリルも、レイカもいた。

ルシルは彼らの元に近寄り、セレは台所へと姿を消した。配膳の手伝いをするためだ。


「ただいま。」

「もう飯は出来てるらしいぞ。」

「待たせちまったようだな。悪い。」

「……兄貴。」


声を潜めてキリルは兄に近付いた。促されてセレやレイカから離れた窓際に移動する。

何だよと、黒眼が見上げた緑眼は、鋭さを隠し持っていた。


「ここ数日泉に入り浸りだな。何を調べている。」

「……キリルには関係ねえよ。」

「そうか、じゃあ話題を修正しよう。あの女に近付くな。」

「なんだよそれ。」


『あの女』がセレを指すのを即座に理解したルシルは明らかに不機嫌な声を出した。そしてそれは自分で判っていた。

いくら弟でも健全な人間関係に口を出される筋合いは無い。


「……何時までもとは言っていない。レイカが帰るまでだ。」


キリルの視線を追う。テーブルに座って軽く俯いたレイカの姿があった。見た目は、たとえ近しい友人が見てもなんら異常はない。

が、改めて彼女に焦点を合わせてルシルは背筋を振るわせた。ルシルの瞳には怒りが静かに渦巻くのが、見えていた。


「兄貴の目には明白だろう?口には出さないが明らかに嫉妬している。」

「そんなの俺の責任じゃ……!そもそもセレは子供だぞ!?」


声を出さずに叫んだ。キリルは静かに首を横に振る。


「そういう問題じゃない。今のアイツは『女なら』オークにすら嫉妬する。一番危険なのはセレだ。」

「……俺、散々無理だって言ってるぜ?」

「女の気持ちなど想像しかできないが、はっきりとした理由を言わないのが問題じゃないか?」

「どうすりゃ良いんだ?……帽子でも取って見せるか?」


覇気の無い瞳で、ルシルは見上げた。彼は彼女に数え切れないほどの秘密を抱えていた。自分の気持ち、自分の能力、さらには——コレは目の前の弟に対しても言えることだが——自分の生い立ち……どれも、正直に話したところで誰にも信じてもらえない。


誰が……自分も逢った事のない女性に思いを寄せていると信じるだろうか。


誰が……この黒い瞳を通して魔力やこの世ならざる物も見るのを理解できるだろうか。


誰が……目の前にいる弟とは一滴の血もつながりが無いと気付けるだろうか。


ルシルは帽子を深く被りなおした。気付いていた。それらを述べずに彼女から離れるには、簡単なことだ。認識阻害魔法のかかった帽子を取ればいい。

黒は魔族の色。人族から恐れられる魔族の象徴。黒を見せれば少なからず魔族の疑いをかけられ、彼女は離れていく。

帽子をはずして黒い髪を見せつけ、顔色を変えなかったのは、マークスとキリル、キリルの母、そしておぼろげな記憶の中の自分を産んだ母だけだった。


しかし、今までにそれを実行するに至っていない。彼女は友人かと訊かれたら迷わず、うんと言える。そこまで破壊してしまうのは、たとえ贅沢と言われようと出来なかった。それが出来ない自分は弱い。そう責めたこともあったが結局叶わずにいる。


「優しいのに優しくないフリをするから、そうなるんだ。」

「は?」


ルシルがその言葉の真意を掴む前に、キリルはテーブルへ戻った。

丁度セレが、メインディッシュの乗った盆を持って現れたところだった。続いて人数分のスープの入った皿を、見事なバランスで持ったリンが現れた。


「ほらほら!そんな隅っこで突っ立ってないでおいで!出来たよ。」


リンの大声に応じてルシルはテーブルに戻った。

テーブルの上には、泉で獲ったであろう魚の香草焼きや、レイカが好きだというカリウスのスープ、そしてパンが並べられていた。そのうち酒もテーブルに並ぶだろう。


リンも含めた全員がテーブルに着き、食卓に上った命に形式上の祈りをささげ、彼らは食べ始めた。

今の時代、若者が祈るのはほぼ、直接神殿や信仰する教会に赴いた時のみである。しかし今は年配者のリンがいる。彼女…マークスが生きていた頃はマークスもだが、マナーこそ『田舎で何を気取る』と、とやかく言わない。しかし食材には敬意を払う。『自分が生きるたために命を捧げてくれたのだから』と。


食事を始めた彼らのテーブルはにぎやかだった。主ににリンとセレが会話を盛り上げる。それに男性陣はリアクションを入れる。というのが基本的なスタイルだった。

今宵はそれにセレも加わってさらに話は盛り上がった。


……それ故彼らは気付かなかった。この談笑の中、レイカが笑っていないのを——






その日の真夜中

レイカは寝苦しさを覚え、こっそりと宿屋から外に出ていた。ひんやりとした空気を肌で感じ、大きく深呼吸する。


「……あの女…。私のルシルに…。」


胃の底のほうから湧き上がる感情を漏らす。どうせ周りには誰もいない。

彼女にとって相手は子供だろうと、老婆だろうと、思い人に友好的に接する女はすべて排除すべき存在だった。しかし、彼女も人間である以上理性があり、理性の為にその衝動は抑えられてきた。その女と自分の想い人の中が決定的だったことがないのだから……。


だが、今回はどうだろう。


セレネは子供であっても『そのような対象でないか』と言われるとそうではない。つまり年頃の女の下限というわけである。

そして、決定的であるか……想い人は少女に見惚れていた。風に揺らぐあの長い髪に、一瞬見せた美しさに…


自らの脳が警鐘を鳴らす。あの女は危険だと、盗られると。


一度は、我慢できた。理性が働いたから。

2度目は、理性はこの衝動に打ち勝てるだろうか。


今でさえ、自分のモノが自分をまったく見ていないことに腸が煮えくり返っている。


「私はこんなに愛しているのに、私はこんなに態度で示しているのに…。」


なにもしていないあの女を彼は視ている。

ならば対象を消してしまえばいい。そうすれば、また—


「消してしまえば、彼はあなたのモノになります。」


突然降ってきた男声。レイカは音源を捜してあたりを見渡した。

そして、一つの黒い影を視界に捉え、見上げた。


すぐ目の前に、漆黒のローブをまとった男が浮いていたのだ。


「何者!?」

「あなたのような者を好む人種です。真っ黒な魔力に惹かれただけの事。」


男は彼女の正面に着地して、恭しく頭を垂れる。そして頭を上げて言った。


「…しかし貴女に彼女は消せない。」

「どう言うこと…?」


ローブから覗く口元がにやりと笑う。


「彼女は、何でも持っています。人からの信頼も、強大な力も…もし貴女が彼女を殺そうとしたところで…周りの人間が彼女に味方するか…彼女自身の力によって滅されるか…。」

「あの女は素人だと自分で…」

「…周りの人間の同情を買うのが目的か、はたまた何か別の理由があるのか…しかしこれだけは言っておきましょう。彼女はこの国を2つ破壊するだけの力がある…悪魔です。」


目を見開いたレイカは数歩後ずさる。


「そんな…」

「貴女の想い人はそんな悪魔に魅入られているのですよ。」

「ルシ…ルシに知らせなくちゃ…。」


青年が眠っているであろう鍛冶屋へと踵を返す、しかし…


「どう信じて貰うのです?」


レイカは足を止めた。


「さっき言ったでしょう?もうあの青年は悪魔に魅入られている。あの少女を信じている。貴女よりも…。」

「だったらどうすればいいというの!?」


腸が煮えくり返る。溶けた鉄を呑んだように熱い。

幼い頃から愛してきた彼が、ほんの数日前に出会った少女を自分よりも信じていると…しかし、否定しようにも…否定する要素は一体どこにあるというのだろう。彼は私をあんな眼で見てくれたことなどない。わがままを聞いてくれたことなどない。


「貴女が殺せばいいのです。」

「何を言っているの!?さっきお前は私にあの女は殺せないと言った…!」

「強くなればいい。あの女よりも強大な力を手に入れて…。」


ローブの男は笑う。静かにローブから自らの手を出し、それを彼女に向けて開く。


そこには小さな黒い石の様なものが乗っていた。


「な…何…?」

「そんな貴女に贈り物です。手を…」


レイカは怖々と右手を差し出す。男はその手に石を落した。

石の割には軽く、恐ろしいほど冷え切っていた。


「貴女の力をあの悪魔に勝てるほどまでに強大な物にする魔導具です。必要になったら飲みなさい。」


それだけ言って男は闇の中に姿を消した。


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