生まれ故郷
うっそうと茂る森の中、道と言えば馬車や荷車の作った轍であり、彼らはその不安定な道をただひたすらと歩いていた。
やがて、木々の隙間に木製の門が現れる。
「ついた〜!」
少女はその門に走り寄る。その門は、鉛筆の様に鋭く尖らせた丸太を並べて地面に刺した様な塀のあちらとこちら側をつなぐ門である。
3m程の高さの塀に囲まれるのは、ヒナゲシ村。ルシルの故郷だ。
「んん?お嬢ちゃん、旅のもんかい?」
少女は見上げた。
門の上に設けられた両手を広げた程の物見やぐらから、筋肉質の老人が身を乗り出していた。
もう一人、ルシル程の若い男も座っている。
「ガム爺さん、まだ生きてたのか?」
セレの後方より、少し遅れてきたルシルが見上げる。
ガムと呼ばれた老人は瞬間大きく目を見開き…
「お前はルシか!!?おい、ルシが帰ってきたぞ!!」
塀の向こうに叫び、慌ただしくこちら側へ身を乗り出す。その表情は孫に会ったように嬉しそうである。
「おお、おお…ルシ、全然成長しとらんのぉ!」
「ほっとけ!」
「…して、そっちのお嬢ちゃんは?」
左手を高く上げ、元気いっぱいに少女は叫ぶ
「ルシル君の彼女でーす!」
「な…!??」
「何だ、女まで小さいのが好みなのか。」
そこで初めて若い方の男が会話に加わった。やぐらの手すりに肘をかけた切れ長の翡翠色の瞳が、ルシルを見下ろす…まるで蔑むように……。
刹那、ルシルはやぐらに手をかけ、次の瞬間には翡翠の青年の胴をかすめ、やぐらの手すりに自らの剣を突き立てていた。
「…1年ぶりに兄貴出迎えての第一声がそれか?なあ、キリル。」
畳一畳ほどのやぐらで翡翠の青年をと物騒に見つめあう。逆手に剣を握り、数瞬前と同じ姿勢のまま縫いとめられた弟の前にしゃがむルシルのその表情は、怒りからくる笑いである。口元が上にひくひくと歪んでいる。
キリルと呼ばれた青年はにやりと笑んだ。
「…お帰り、兄貴…《樹縛》!」
ルシルの足元から不自然に樹の芽が伸びる、それは螺旋を描き、絞り、ルシルの足を絡め捕る…!
…が、彼はそれよりも早く手すりの上に悠々と立っていた。
「俺に魔法は利かねえよ。」
「チビだけに動きの速さは健在だな…。」
いつの間にか手に取った自らの剣を振りおろし、キリルは兄と肉薄する。
鈍い金属音が響く、彼らは空中ででにらみ合いながら、一度笑み、村の中へと着地した。
「いや、しかし中身は成長しておったのか、マークスもきっと喜ぶぞ…」
彼らが先ほどまでいたところで、老人は何と涙を流していた。
このまま誤解のまま放置していては不味い。ルシルは声を張った。
「セレ!お前その腐った冗談さっさと撤回しろ!」
「迷子の所を拾われましたー。」
やぐらの手すりに肘をかけ、のんきにそれを眺めている少女はこれまたのんびりと言う。
「なんじゃい。」
感動して損した、と老人は涙を拭った。と、そこではたと気づく。
「…お嬢ちゃん、どうやって上ってきたんじゃ?」
やぐらの高さは約3m、門の扉は閉まったままであり、この空間に上る為の梯子は村側にしかない。
少女は、あれ、とやぐらから垂れ下がる蔓を指差した。先ほどキリルが魔法で伸ばした蔓である。老人はあわててその蔓を引き上げた。
「うむむ…ルシルといい、お主と言いい、この塀は低いのかの〜…。」
「そもそも何でこんな辺境に塀に囲まれた村が?」
剣をぶつけ合う彼らを観戦したまま、セレは言う。老人はうむと唸った。
「この村はな、隣のアメジスト国との境界にあるんじゃよ。アメジスト国が出来たころからずっと仲が悪くての、まあ幸い今まで大きな戦争に発展したことはないが、念のためじゃ。」
「…こっちがアメジスト国側ってことは…あー方向真逆だったんだ……。」
少女はぽつりと呟く。ガム老人には聞こえなかったようで、彼はむ?と問い返した。少女はにこりと微笑む。
「いや〜、ルシル君の弟君?彼すごいですね〜。杖も始動キーもなしに……。」
杖とは魔法発動の際に空気中の魔力を集め、属性を変換する魔法具である。細くてちょこんとした可愛らしいものから、いかにも仙人が持っていそうなタイプまで型も能力もいろいろある。人間が魔法を使うには杖がないとすぐに体内の魔力を使いきってしまうし、そもそも魔法が発動できるほど体内に魔力を蓄積しているものは人族にはほとんどいない。
そして始動キーと言うのは、体内の魔力を高め、空気中の魔力を吸収するための呪文である。唱えることでその魔法をより強力に、身体への負担を減らせる、ということだ。
たとえば、先ほどの魔法は《木々よ、我の盟に従い彼の者を捉えよ・樹縛》が正式な呪文だ。前半が始動キーである。
始動キーの場合は魔法使いとしての技量が上がれば、用いずともこれらの効果を得るコツを得られるため、上級ならば省略する者が多い。
「うむ、あやつの母親は見事な美人魔導師だったからの。それが受け継がれているのかもしれん。…まあしかし」
その魔導師の息子は今や兄と剣を振り回している。
「…本人の性に会ってないみたいですね。」
「まあの、こうやってチャンバラしてる時はあくまで補助にしか用いんな。…ルシ相手に魔法が通用しないせいかも知れんが。」
「通用しない?」
「ルシは野生的勘が鋭いのか、魔法の発動場所がすぐに分かるんじゃよ。」
「《雷華》!」
「無駄だつってんだろぉ!」
無数にはじける雷を、ルシルは迷いもなくすり抜けキリルへと突進する。それを待ち構える翡翠色の瞳……彼は誘ったのだ。そして…
「あんたたち、村の中でチャンバラは止めなさい。」
その声を聞いたとたんルシルは急ブレーキをかけた、が、一瞬遅かった。
鐘の様な音が盛大に二つ、鳴り響く。
額を抑え、座り込む兄弟、その間に立つのは、エプロンをつけたふくよかな40前後の女性…両手にはそれぞれ鍋を持っていた。
「っ………!!!」
「……っぶねーだろうが!リンババァ!」
もう一発、鐘が鳴る。
「いてえ〜!!」
「譲歩してばあさんって呼ばしてるんだ。ババァと呼ぶんじゃないよ。」
「うわぁ〜お……。」
文字通り高みの見物をしていたセレは口笛を吹く。あれだけちょこまかと素早かった若い二人の額に鍋を当てたのだ。
突進していく二人の接点に避けるに避けれない絶妙のタイミングで現れたわけだが、それだって簡単にできることじゃない。
「宿屋のリンじゃよ。ここだけの話な、昔傭兵をやっとったらしい。身ごもって止めたんじゃ。おかげであんなにぶくぶく……。」
「ガムさん、妙なことをお客さんに吹き込まないでおくれよ。」
鍋を構えたまま物見やぐらを見上げるリン。ガムは苦笑した。
「聞こえとったか。」
「当たり前だよ。まったく。お嬢ちゃん、私は宿屋のリンだよ。今夜は泊っていくかい?」
「あ、お願いしまーす!」
左手を上げて少女は叫んだ。リンもそれに応え、鍋を上げて振る。
「了解。じゃ、私は夕飯の準備しに帰るからね。ルシはマークス爺さんの所にちゃんと挨拶に行くんだよ。」
「分かってるよ。…あ、リンばあさん…あいつ、今何処にいる?」
地面に座ったまま問う。足をとめたリンは振り返って元来た道を指差した。いや、鍋差した。
前方にある大きな家から、何か影が飛び出してものすごい勢いで近づいてくる。
「げ、やば…!」
突然血相を変えたルシルは慌てて立ち上がり、ソレとは真逆の方向に跳ぼうとした…が、地面を蹴って宙に浮いた身体には直後、何かがしがみ付いていた。バランスを崩してルシルは地面に落ちる。
頭を抱えて起き上ったルシルの胴体には……抑えめの桃色の忍び装束に身を包む娘がしがみ付いていた。
「る〜し〜ぃ〜1年と12日ぶりね〜♪」
「くっつくな!つーか気配消してまで隠れるな!!」
「忍者だも〜ん、気配消すの仕事だも〜ん。」
……どうやら娘はルシルにメロメロな様である………
「俺にしがみ付くのは仕事じゃねえだろ!」
「レイカちゃんの仕事だも〜ん。…一年も音信不通で、寂しかったのよ、私。」
明らかな猫なで声が変わる。青年の胴体にしがみ付きながらもその表情は真剣なものだった。
「んなもん俺の知ったこっちゃねえよ!離れろ!!」
しかしルシルは胴体に絡みつく、レイカと名乗る娘の額をぐいぐいと押している。どうやらテレ等でなく本気で離れたいらしい。
「…会いたくないのってこの人か…」
セレは、誰にも聞こえない小さな声で呟いた。勿論、誰も気づかない。
「もう離さないわよ。じゃないとまたどっかに行っちゃうじゃない。」
「しばらくはここにいるっつーの!離せ!」
「ぶぅ〜」
諦めて離して立ち上がり、埃を払う。
その時やっとセレにも顔が確認できた。肩で切りそろえられた茶の髪、茶の瞳。10代後半の可愛らしい少女だった。
続いてルシルも埃を払って立ちあがった。…成程、女のレイカとそれほど身長の差はない。
「1年経っても可愛いままね。」
「…殴るぞ。」
そう言って握りこぶしを作る。だが、少女はコロコロと笑う。
「そう言って今までほんとに殴ったことないじゃない?」
「…キリ、爺さんは?」
話を切り替えて青年に問う。途端、キリルの口元から笑みが消えた。
そして、黙って村の奥へと歩き出す。ルシルはそれに続いた。
「ルシル〜!何処行くのー?」
やぐらでオレンジの少女は叫ぶ。青年は振り向いた。
「爺さんの所だよ。」
「ついてっていい?」
「…俺の役目は終わっただろ?」
奇妙な間の後、彼は言った。桃色の少女もやぐらを見上げて声を張る。
「そうよ。お客さんは宿で休んでなさいよ。」
「…だって宿でボーっとしてても暇なだけなんだもん。」
やぐらから投げ出した足を振り回す。大きくため息をついたルシルは、茶の髪に一瞬瞳を向け、そして視線を戻した。
「こっちに来ても面白くないぞ。」
「じっとしてるのが一番嫌い〜。」
「…レイカ、遊んでやって…はくれないな。」
般若のごとき眼力で睨まれ、その提案を取り消す。
「文句言うなよ。」
「あい!」
少女はやぐらから飛び降り、小走りで彼らを追っていった…。
そして、その一行がたどり着いたのは…十字型に切り取られた石が、地面から突き出している地帯。…その村の墓地であった。
入口に近い真新しい十字の前に、彼はしゃがむ。足元に埋め込まれた墓標には『鍛冶師マークス、483年、春第2月13日よりここに眠る』と、掘られていた。
「ただいま、爺さん。」
「…いつも通りに眠って、朝になっても目を覚まさなかった。」
「心臓弱ってたもんな。」
そう言って墓標を撫でる。ひと月ほど前、この墓に眠るものは、眠るように息を引き取った。
その知らせを受けて、彼は帰ってきたのだ。自らを育てたこの老人を悼むために。
「…俺は先に戻る。」
「あいよ。」
静かにキリルは元来た道を戻って行った。その場に残ったのは黒髪の青年と蜜柑色の少女のみ。
少女は、静かにルシルの隣にしゃがみ、その墓標を大きな瞳で眺めた。
「コレ、ルシルのお爺さんの墓?」
「そうだよ。」
「死んじゃったんだ。」
「まあな。」
少女は立ち上がり、何が楽しいのかふらふらと他の墓を見て回る。青年は一度眼を閉じ、墓石を見上げるような形で目を開いた。
そこには老人が…生前のマークスの姿があった。その穏やかな表情を見て、彼は安堵のため息をつく。
「どうやらもう苦しんではないみたいだな…。」
視界の端で、少女は一つの墓石を眺めていた。
「悪いな、爺さん。すぐに帰ってやれなくて。」
そう言うと、老人はわずかに微笑んだ。そして、わずかに唇を動かす。
青年はそれを読み取ろうと意識をその唇に集中させる。しかし…
「鍛冶場の倉庫?」
何故かセレは通る声でそう言った。そしてルシルが読み取った唇も、そう言っているのだ。
彼は驚いてセレを見るが、少女はその墓石から目を離していない。
いや、そもそもマークスの姿が見えるはずがないのだ。
「なんだって?」
ルシルは問う、セレは振り向いて
「あれ〜、私何か言った?」
花の様な笑顔を振りまく。
「言っただろ、鍛冶場の倉庫だとか。」
しかしそれでも少女は首をかしげる。
「何の事だか分かんないんだけど?」
嘘っぽさは、ない。しかしどこか白々しさがあった。
自らの瞳を使って暴こうにも、少女の事は彼の瞳では見破れない。実際『何のことか分からない』と思ってるのかどうかも、分からないのだ。
「お前…何者なんだよ…。」
「う?ただの可愛こちゃんです!」
元気よく叫ぶ。彼は疲労感を覚える。
たまに自分から会話の噛み合わせをずらすこともあるが、この少女とは噛みあわせようにもまるで摩擦がない。それで結局諦めて自らも明後日の方向の話題を始めるわけだが…。
「はいはい。戻るぞ、ガキ。」
「なあ!?ガキだけはない!ちょっと、ルシ!??」
足を止めて振り返り一瞥する。セレは怒ったようなしぐさを見せているが、やはり見破れない。
「何でお前にルシって呼ばれなくちゃいけないんだよ。」
「ガキを訂正するまで呼ぶよ!」
「…勝手にしろ。」
踵を返して、後ろで叫ぶのも構わず進む。
少女は墓石の合間を縫って、それを追うが…マークスの墓の前で一度足を止めた。
「……出来れば生きてるうちにもう一度会いたかったですね。マークスさん。」
少女は墓を見ない。
「…分かってますよ。お孫さん達の事はお任せください。天国で…娘さんと仲良く過ごしてください。」
そう言って、はるか前を歩く青年を小走りで追いかける。
この鍛冶老人の墓の斜め奥、少女が眺めていた墓標にはこう綴られていた。
『大魔導師テルミア、470年、秋第1月9日より、ここに眠る』
「リンさーん!何かお手伝いないですか〜!?」
宿のベランダにたなびく白いシーツをかきわけて蜜柑色の少女はリンの前に現れた。
最後の一枚のシーツをパンっと弾きながら、小さな目が大きく見開かれる。
「あれあれ、セレちゃんはお客様なんだから手伝いなんてしなくていいんだよ。ちゃんとお金も貰ってるんだから…。」
「だって暇なんだもん!」
そう叫んで笑顔の花を咲かす。
ソレを見てリンは目を細くして微笑んだ。
「本当に変わった子だねぇ…。…そうだね…。」
ベランダに張り巡らされたロープにシーツをかけながら考えるそぶりを見せる。
しわを伸ばし、洗濯バサミを取り出したところで女はポンっと両手を叩いた。
「そうだ、泉に行って香草を取ってきてくれないかい?お客様用なんだけどさ」
「うん。どういうやつ?」
リンはベランダの柵に手をかけ、村の出入り口とは反対の方向を指差した。
「こっち側の森への道の先の、泉のほとりにいっぱい生えてるんだ。小さな白い花がいっぱいついてるやつだよ。」
「白い花がついてるやつだね。」
「ああ、似てる草はないから大丈夫なはずだよ。両手で花束が出来るぐらい持ってきておくれ。」
リンはそう付け足し、空になった籠を持ってシーツのカーテンの中に消えて行った。
少女は一度伸びをして、そこから見える森への道を確認し、次に柵から乗り出して真下に誰もいない事を確認した。
そのまま柵に足を掛ける。
「よいしょー!」
元気よく掛け声をかけて飛び降りた。
オレンジの髪が後についていく
大きく膝を曲げて地面に着地する。そして何事も無かったかの様に立ち上がり、乱れた髪を弾いて背の方へとまわした。
セレネは目の前に広がる風景を眺めた。木造の家がぽつぽつと建てられ、人もあまり多くないが、どことなく活気はあった。争いもなく安定している柵の中の世界。少女は小さく笑みを浮かべた。そして森に続いている一本の道に入る。
「……綺麗な所だな。」
小さくつぶやいた。今は植物が活動を再開する季節。青々とした若葉が木洩れ日を作り、風がそれを揺らしていた。
セレネは目を閉じ、それを感じていた。すると、突然脇の茂みがガサゴソ大きな音をたてた。少女は一瞬身を強張らせ、そしてその音源を向いた。
「誰!?」
「待った!……俺だよ。」
木の陰から大慌てで姿を現した黒髪を視界にとらえ、少女は安堵のため息を漏らし、握った手を緩める。その手から赤い何かが散っていった。
「ルシ……吃驚させないでよ。何でそっちから出てくるの?」
舗装こそされていないものの今現在セレのいる、土がむき出しの地面が道であって、ルシルの立っている草や木の茂った所は、どう見ても獣さえ通らない。彼は一瞬セレネの左手を見、疲れ切ったような表情で少女の瞳を見つめる。そして事情を説明しようと何かを言いかけた瞬間、彼は一定の方角に目を向けた。
「っやべ!?セレ、ちょっとこっちに来い!」
「え…!?」
突然ルシルは、セレネの腕を引っ張り、藪に引き込み、木の陰に隠れて彼女の口を手で覆った。驚いた彼女は当然暴れるが、鍛えられたルシルの力に適う筈もなく……。
「頼むから少し静かにしてくれ。」
「……むう?」
声をひそめて言うルシルに従い動きを止めると、風が木の葉をこする音以外に、足音に近い音がしているのに気付く。
その音がどんどん近付いてきて、最大になったとき若い女の声がした。
「も〜どこに行ったのよ〜ルシル〜!」
足音が止まり、女は彼らが隠れる木を凝視していた。ルシルは静かに息を吐く。すると、女は木から目をそらし、
「ルシル〜!?」
叫んで彼女は、地面を蹴ってセレが元来た道を走っていった。
足音が小さくなって聞こえなくなる。最後にはまた、風と葉のこすれる音のみになった。ルシルは嘆息を漏らす。
「行った、か……。」
「……レイカから逃げてるの?」
もう喋っても問題はないと判断し、口を塞ぐ手をずらしてセレは問う。ルシルは苦笑した。
「ああ、四六時中金魚の糞みたいにくっついてまわられて…。」
「愛されてますねー。」
拘束の解けた身体を回転させてルシルの方へと向き直った。
…苦笑が、疲労感のある表情へと変化する。
「それに応えられないんだよ、俺は…。」
「何で?」
「あいつは幻を見てるだけだ。」
視界に入る漆黒の前髪をねじる。その光景を見ているのもまた、漆黒の瞳なのだ。黒は、不吉な色。人とはズレた物を移すその瞳はかつて魔の宿った瞳と言われていた。
「……ねえ、私まで隠れる理由があった?」
話を切り替え、彼女は問うた。疲労した瞳で青年は答える。
「万が一でも俺の居場所教えられちゃ面倒だろ。」
「ああ、じゃあ隠れて正解だね。」
「言うつもりだったのかよ!?」
突っ込むルシルに対し、そのあたりのことは察しが悪くて〜。とセレネは笑った。ルシルは、巻き込んでよかった。と複雑ながらも改めて自分の行動が間違っていないことを実感する。
「いや〜、それにしても引き込まれて口塞がれた時は襲われるかと……。」
「襲わねーよ!だいたいお前まだ12がいいところだろ!?」
隠れている身も忘れて叫んだ。無論、彼に年端も行かぬ少女を襲うような趣味はない。その年端も行かぬ少女はまっすぐにルシルを見つめた。
「ん〜、だいたい490歳?」
「はあ?」
「……冗談。15ぐらいかな?」
オレンジの髪は笑う。ルシルは、ぐらいかな?のフレーズに若干の違和感は覚えたが、ありえる数字になった以上、それはどうでもよくなった。いや、あえて突っ込むのを止めた。
……それでも、彼女の幼い容姿で15歳というのには驚きを隠せなかった。
「15?ずいぶんと童顔なんだな。」
「ルシルがちっちゃいのとそんなに変わりないでしょ?」
当然のように切り返すセレネ。ルシルは言い返す言葉もない。
「……そうだな。つーかお前、こっちの方は泉しかないぞ。」
「うん。今からハーブつみに行くの。」
「ハーブって白い花がいっぱいついてるやつか?」
「そうそう。お客様用にって」
「そのお客ってレイカだな…」
「あ、そうなの?」
丁度来てるし、間違いないな。藪から道に出て言った。
「今から泉に行くところだったし、生えてるところまで連れて行ってやるよ。」
「やったー。迷子にならずにすむ〜。」
思わず脚を止め、藪をかき分ける少女に向き直った。
「……一本道だぞ?」
「ココだよ。」
青く澄んだ静かな湖。木々の隙間からこぼれる光の柱。
……神々しいとしか言いようがない。そんな空間であった。
「なんか不思議な感じがするね〜。」
「なるほど……。」
ルシルは指を口に当てて、
真面目な……黒光りする眼で泉を見ていた。
セレネが、何がなるほどなの?と問うと、その一瞬で彼はいつもの表情に戻り、なんでもないと取り繕う。
「さっさと集めて持って帰らねえと、夕飯に間に合わなくなるぞ。」
ルシルに促されて、ハーブが群生している一画へ向かう。泉の水が流れ出る小川の脇にそれはあった。
白い小さな花が雪のように咲いているハーブをセイは踏み散らさぬようしゃがみ、大きいものを選んで一本一本抜いていく。
ルシルはそのすぐ脇に突き出た岩に腰掛け、それを眺めていた。
「ルシは、レイカの事好きじゃないんだよね。」
花を摘みながら少女は問う。ルシルはああ、と返事を返した。
「……あまりあの手の人間に中途半端は良くない。」
ルシルは一瞬身を凍らせた。さっきまでボールが弾むように明るく話していた少女の声色から、感情の色が消え失せていた。完全に。
「何だって?」
懸命に声を出した。花を摘む少女の背中がまるで別人のようだ。
「あんまりやきもきさせると、短剣で背中刺されちゃうかもしれないよ。」
振り向いた少女は下の幼い少女の笑顔だった。声のトーンも戻っている。困惑するルシルは声を張り上げた。
「ぶ、物騒な事言うなよ!」
「分かんないよ。愛情と憎しみは背中合わせな物だから。」
軽い冗談を言うような声色だが、目は笑っていない。薄らいだ寒気が戻ってきた。
「……何が言いたいんだ。」
「や、言葉通りの事。別におせっかいとして聞き流しても良いよ。」
ぱっと、笑顔の花が咲いた。再び暖気が戻ってくる。
それでもセレが何を考えているのか、今まで他の人間に対しておぼろげにでも読めていたことが読めない。まったく、読めない。
……少女が笑おうと、拗ねようと、魔力は一切揺らがない。彼女が動揺したのは、魔導師だと疑われた時のみだった。
「一応気をつけておく。あいつ乱暴者だから絶対には否定できないし。」
「はい、『乱暴者』参上。」
春先には似合わぬ冷たい風が吹いた。その瞬間、先程の女、レイカがルシルの後ろにぴったりついて座っていた。
一歩遅れてルシルは飛び退く。
「逃げるのはいつもの事だと思ってたけど……この浮気者!」
怒りを隠すことなく彼を指差す。肩の辺りで切られた茶の髪は軽く乱れ、整った顔立ちは怒りで歪んでいた。
「ちょっと待て!浮気も何もないだろ!?そもそも…」
「……何よ、あんた。」
ルシルの弁解には耳を貸さず、青い炎の如くセレを睨むレイカ。
女の敵は女とはよく言ったもので……彼女の怒りの矛先はセレに向いているようだ。もし本気で戦闘経験豊富のレイカが掴み掛かりでもしたら、おそらく自称素人のセレが危ない。
先の予想が、あまりにもあっさりついたルシルは、背筋を振るわせた。
「昨日やぐらにいただろ。」
「そんなこと聞いてないわよ。何で一緒にいるのかって聞いてるの!」
今度はルシルを介することなく直接セレネに詰め寄る。
しかしそれに動揺することもなくスッと立ち上がったセレは、罪のない笑顔を向けた。
そして白い花束を少女に向ける。
「これ集めるのに案内してもらったの。」
声も異常に可愛らしく変貌していた。少女はそのセレの姿にかその花束にか、驚きの表情を見せる。
「ルシルから聞いたよ。大好物なんだって?」
一転、怒りにゆがんだ表情も炎を宿したような目も消え、愛くるしい容貌になった。
むしろそれを通り越して感動を浮かべたような表情でルシルを見つめる。
「ルシル……私の好物覚えててくれたのね」
「え、あ、まあ……。」
アレだけ『コレ大好きなの』と叫んでいたんだから、覚えて当たり前だろ。と言う突っ込みをルシルは飲み込む。
「嬉しいわ〜!……あ、あなた名前は?私レイカ。」
「セレだよ。よろしくね。」
花束を握ったセイの手をレイは握って上下に振り回した。
一番味を左右する『花』が粉雪のように群生地に還るのを見ていたが、ルシルはあえて突っ込まなかった。触らぬ神に祟りなしである。
「……あ、私コレをリンさんのところに持っていかなくっちゃいけないから戻るけど……。」
「じゃあ、私も戻るわ。ルシルも戻るでしょ?」
有無を言わさない問いにルシルは応じるしかなかった。
「……女ってよくわかんねえな。」
話に花を咲かせる二人を距離を置いて追いかけながらため息混じりにつぶやいた。




