ONE GALAXY, ONE UDON
プロローグ:湯気と光輪と、讃岐の魂
午前五時。
満濃町の空は、まだ夜の色をわずかに残しとる。
東の山の端が、うっすらと白んで、風にのった田んぼの水面がきらりと光る。
遠くでヒバリが一声鳴いて、また黙った。
その静寂を、グツグツと割る音――大釜の湯が、今朝も力強く踊っていた。
「……よっしゃ、今日もええ湯や。」
長瀬千代は、釜の前で腕を組み、鼻の奥に広がる湿った熱気を吸いこんだ。
四十年、この音を聞き続けてきた。
コトコトでもなく、グラグラでもない。うどんにとって、命の沸点というのがある。
千代の耳は、それを正確に聞き分ける。
「釜揚げはな、湯と一緒に生きとるんや。」
独り言をつぶやく声が、湯気に溶けていく。
壁には、年季で色あせた「打ち立て・ゆでたて・その場で食う」三ヶ条。
その下で、千代は腰を落とし、たらいを抱え上げた。
木肌は、幾千の朝を吸いこんで飴色に輝いとる。
――このたらいと、人生の半分を一緒に過ごしてきた。
「ほな、出番やで。」
長箸で湯を切り裂くと、白銀の糸のような麺が、底から浮かび上がる。
その一本一本が、朝日に照らされて、宝石みたいに光る。
パシャ……パシャ……
麺がたらいに落ちるたび、水面が波紋を描き、蒸気がふわりと立ちのぼる。
――その瞬間、香りが走った。
小麦と塩と湯だけの、潔い甘み。
昆布もいりこもまだやのに、この段階で鼻をくすぐる旨み。
千代は、深く息を吸った。
「……やっぱ、釜揚げは神やな。」
これを失わせたら、人間は人間やのうなる。
千代の胸に、そんな確信が宿っとる。
カラリ、と暖簾が揺れる。
「おはようさん、千代はん。」
顔を出したのは、常連の大将や。
「今朝も湯気、ええ匂いやなぁ。」
「当たり前やろ。湯と粉と塩が揃えば、世界救えるんやで。」
「……そやけどな、昨日テレビ見たら、岡山のやつらが変なことしよったわ。」
「またかいな。今度は何や。」
「“桃うどん”やて。観光客向けに売り出しとる。」
千代の動きがピタリと止まった。
「……は?」
「冷やしうどんの上に桃、どーんや。」
「なにしょんのアイツらぁぁぁ!」
湯気が揺れた気がした。
「うどんにな、果物ぶっこむとか、麺への冒涜やろが!」
「まあまあ、落ち着けや。」
「落ち着けるか! 釜揚げの湯に桃の汁混ざったら、文明崩壊や!」
千代は、怒りで長箸をギュッと握りしめた。
――その時や。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッッッ!
地鳴りのような低音が、足元からではなく――空から降ってきた。
窓ガラスが震え、棚の丼がカタカタ鳴る。
「な、なんや!? 地震か!?」
「ちゃう……空や!」
大将の叫びと同時に、店の外が昼のように白く輝いた。
千代はのれんをはね上げて、外を見た。
――空が、裂けていた。
青空の中央に、巨大な光輪。
直径百メートル、虹色の縁をまとった円環が、低い唸り声を上げながら回転している。
周囲の空気が波打ち、田んぼの水面がビリビリと振動。
雲が、リングの中心へと吸いこまれていく。
「……ゲートや。」
誰かがつぶやいた。
――そう、千代もニュースで見たことがある。
南洋にある“第一ゲート”と同じ、異世界への裂け目。
けど、なぜ満濃町の空に?
唸り声が、轟音に変わる。
光輪の奥から、銀色の巨体がゆっくりと姿を現した。
――艦だった。
全長二百メートルのゲート艦。艦首には、意味不明な巨大たらいの紋章。
船体側面には、こう刻まれていた。
「銀河維新号」
田んぼ道に風が吹き荒れ、看板がバタバタ揺れる。
千代は呆然とつぶやいた。
「……なに、あれ。」
艦のタラップが降りる。
白いスーツに身を包み、胸には金の箸バッジ、
背中に「ONE GALAXY, ONE UDON」の旗を背負った男が、仁王立ちで現れた。
高松市長・神原玲司。
「――千代! 宇宙行くで!」
「……はああああああああああ!?!?!?!?」
湯気の中で絶叫する千代。
「なにしょんあんた!? ここ満濃町やぞ!? 宇宙て何や!」
「宇宙やない、ゲート圏や!」
市長はマイクを握り、熱狂の演説を始めた。
「聞けぇぇぇぇ!
ガルディーニ帝国――アルデンテ信仰の狂信者どもが、
うどんを消し去ろうとしとるんや!」
議場じゃなく、店の前でこれ。
「異世界維新は終わった! 次は――銀河や!
釜揚げで、星をまとめるんや!」
千代は両手を上げて叫んだ。
「誰がそんなこと頼んだんやボケェ!
わし、ただのうどん屋やぞ!」
「うどん屋やからや!
あんたの釜揚げは、異世界で“奇跡”と呼ばれたんや!」
千代は、息をのんだ。
そう――三年前、異世界ゲートでの特使団に、ほんの冗談で釜揚げをふるまったことがある。
あの時の、異形の瞳が震えた光景を思い出す。
「千代、世界は、あんたの湯気を求めとる。」
市長の声が、雷鳴みたいに響いた。
「――行こう、銀河へ!」
千代はたらいを握りしめ、深く息を吐いた。
「……やれやれ。重力ないとこで麺がどうなるか、
――この目で見たろやないか。」
銀河維新号のハッチが開き、光が千代を包む。
讃岐の湯気は、今――ゲートの向こうへと消えた。
第一章「銀河うどん外交の幕開け」
高松市庁舎は、もはや市庁舎やなかった。
魔導ルーンで刻まれた白い壁、天井に浮かぶ讃岐富士ホログラム、
ロビーには「異世界うどん体験コーナー」――
市役所というより、SFとうどんと観光のカオス融合施設。
その中央、円形議場の椅子に、千代はドスンと座った。
「……わし、なんでここおるんやろ。」
横には巨大モニター、背後には意味もなくでかい釜のオブジェ。
異世界兵士の槍に挟まれながら、千代はため息をついた。
ドォォン――!
扉が開き、白い光と爆音。
現れたのは、胸に金の箸バッジを輝かせた男――
高松市長・神原玲司。
「――諸君!」
マイクがビリつく声が、議場を揺らす。
スクリーンに、巨大な文字が踊った。
「銀河維新作戦 開幕」
「異世界維新は終わった!
次なる戦場は――ゲートの向こう、銀河圏や!」
議場がざわつく。エルフ姫が細い眉をひそめ、ドワーフの長老が鼻を鳴らした。
市長は腕を突き上げる。
「我らの文化は、ガルディーニ帝国――アルデンテ信者どもに脅かされとる!
奴らは麺を“標準化”し、銀河をアルデンテで塗りつぶそうとしとるんや!
我々は立ち上がらねばならん!
――ONE GALAXY, ONE UDON!」
拍手、歓声……と見せかけて、ドワーフが机叩いてビールこぼす音。
「さらに重大情報や!」
市長が叫ぶと、スクリーンに怪しい画像が映った。
戦艦に桃のロゴが貼られたコラ画像。
「見よ! 岡山や!
奴ら、銀河ピオーネ同盟を結成しとる!
デザート文化で星を侵略するつもりや!」
「……市長、それ絶対フェイクやろ。」
千代が冷たく突っ込む。
「いや、本物や! Twitterで回っとった!」
「情報源ゴミやないか!」
「千代、岡山に銀河取られる気分、考えてみぃ!」
「考えんでええわボケ!」
「質問!」
立ち上がったのは、金髪のエルフ姫。
「我々、グルテンに耐性なし。ゆえに――グルテンフリーを要求する!」
「アホか! うどんからグルテン抜いたら、ただの白いヒモや!」
千代、即答。
ドワーフの鍛冶王が机を叩く。
「うどんなど軟弱! 鉄鍋で煮込み、エールで締めるべきだ!」
「やめぇ! だしは昆布といりこやろが!」
「だし? 酒で煮るほうが力が出る!」
「ここで酒文化押しつけんなや!」
さらに龍族の代表が口を開く。
「だしに……龍血を少し垂らすと旨みが増す……」
「怖っ! やめんか!」
議場、完全に戦場。
ざわつく議場に、冷たい声が響いた。
「……柔らか麺は、堕落の象徴だ。」
視線が集まる。座っていた一人の男――スーツ姿だが、胸ポケットにフォークを差している。
「お前……ガルディーニのスパイやな!」
ドワーフが斧を抜く。
「違う! ただ……アルデンテは絶対……」
千代の目がギラリと光った。
「言うたなコラァ!」
「もうええ! 口で言うても分からん!」
千代は立ち上がり、腕まくり。
「今ここで食わせたるわ!」
即席で釜が運び込まれ、湯がグラグラ。
千代はたらいを構え、麺を引き上げた。
湯気が立ちこめ、議場が一瞬で香りに包まれる。
――ズズズッ!
エルフ姫、目を見開く。
「……な、何だこの……もちもち感……」
ドワーフが涙を流す。
「だし……酒よりうまい……」
龍族がうなった。
「……龍血、いらぬ……」
場内がざわめき、歓声が爆発する。
市長がマイクを握り、叫んだ。
「見たか! これが讃岐の力や!
銀河に釜揚げを示すんは――この人しかおらん!」
スポットライトが、千代を撃ち抜く。
「……わし!? やらん言うたやろ!」
「やらな岡山に任すで。」
「――絶対イヤや!
よっしゃ、行ったるわ! 銀河でも、釜揚げの魂、叩きつけたる!」
議場、爆音みたいな拍手。
こうして――
銀河うどん外交、幕を開けた。
第二章:ゲート圏への出発
香川県高松市――かつてフェリーが行き交った港は、今や異世界技術の結晶やった。
空に伸びる巨大リング、足元に広がる光る魔導陣、鉄骨と和瓦が奇妙に融合したゲートポート。
「……どないなっとんや、ここ。」
千代は口を半開きにして立ち尽くした。
讃岐の田舎港が、まるでSF映画と旅館の合体事故みたいになっとる。
そして――その中央に鎮座する艦。
全長二百メートルの白銀の巨体。
艦首には、巨大なたらいの紋章、その下に「ONE GALAXY, ONE UDON」の文字が光っている。
「……なに、この恥ずかしいデザイン。」
千代が呆れた声をもらすと、隣で市長が胸を張った。
「世界に誇るシンボルや! 見よ、この美しい曲線!」
「美しいかボケェ! スーパー銭湯のロゴにしか見えんわ!」
タラップを登ると、香ばしい香りが鼻をくすぐった。
「……だしの匂いやん。」
廊下の奥で、いりこが自動投入されるだし再生プラントが稼働中やった。
「見てみぃ! これが最新テクノロジーや!」
市長が指差した先には――
『重力制御付きうどん打ち室』
壁には「足踏みモード搭載」「AI腰入れ演算中」の文字。
「……なんやこのバカ機械。」
「人類の叡智や!」
さらに、艦内の一角には「お座敷コーナー」があった。
畳、ちゃぶ台、そして巨大モニターに常時流れる『瀬戸内の夕景4K』。
千代は額を押さえる。
「ここ、未来戦艦やなくて場末の旅館やろ。」
「ところで千代、知っとるか?」
市長が艦橋のスクリーンに映像を出す。
そこには――桃とピオーネが描かれた巨大スペースカフェの完成予想図。
「岡山、宇宙に“銀河桃子”作っとるらしいで。」
「ソースどこや。」
「ネット。」
「フェイクやろが!」
「いや、本物や! ワシ、独自ルートで確認した!」
「どんなルートやねん!」
「岡山に銀河カフェ取られるん、悔しないんか!」
「悔しいけど、あんたの悔しがり方異常や!」
艦がゲート圏に入る前に、試験運転が始まった。
「千代! 銀河初の釜揚げや!」
「やめぇ! 無重力でどうやって釜扱うんや!」
人工重力フィールドが不安定なまま、湯を張った瞬間――
ブワァァァッ!
水が玉になって宙を漂い、麺が銀河みたいに回転した。
「ギャァァァァァァ!」
千代が長箸で空中の麺を必死でキャッチ。
「ほら見ぃ! これが宇宙や!」
「笑ろてる場合ちゃうわ! 麺、逃げるやないか!」
――だが、千代はふと手を止めた。
光をまとって漂う麺が、美しく揺れていた。
「……麺は、どこでも生きとるんやな。」
市長が涙ぐむ。
「美しい……これが維新や!」
「ゲート圏、到達まで――30秒!」
艦橋の照明が赤く染まり、視界の奥に巨大なリングが現れる。
南洋の第一ゲートを起点にした人工ワームホール――
その輪郭は、虹色の刃のように、空間をねじ切っていた。
「千代、しっかり掴まれ!」
「掴まれ言うても……ここ畳やん!」
千代はちゃぶ台を抱え、腰を落とす。
ゲートが開く瞬間、視覚の意味は消える。
空間は伸び、溶け、音は光に、光は匂いに――
昆布だしの甘い香りが、一瞬、銀河の星雲と混ざった気がした。
「……麺も、こんな気持ちで茹だっとるんやろか。」
千代の呟きに、市長が答える。
「――生まれ変わる瞬間や。」
――轟音。
視界が反転し、銀河維新号はゲート圏に飛び込んだ。
そこは――宇宙ではなかった。
黒でも白でもない、“情報の海”のような空間。
パスタのような光の糸が絡まり、無限に渦を巻いている。
艦体センサーが狂い、表示が文字化けを起こした。
≪AL...DE...NTE...>><<000111>>≪ALPHA麺構造///固定≫
「……気持ち悪……」
千代が吐き捨てる。
その時――艦橋に“声”が落ちた。
《■■■ …地球言語プロトコル確立中…■■■》
《我ら、ガルディーニ……》
――声ではなかった。
多層の音と、ざらつくデータの束が、脳に直接ぶち込まれる感覚。
「うっ……頭に、パスタ突っ込まれとるみたいや……」
千代が額を押さえた瞬間、意味が流れ込んできた。
《柔らか麺――不安定――秩序を壊す――》
《アルデンテ、至高。標準化こそ、調和》
《讃岐……削除対象》
艦橋の照明がチカチカと明滅し、ホログラムに黄金のリングと交差するフォークの紋章が浮かぶ。
その奥で、無数の光の糸――いや、パスタの螺旋がうごめいた。
千代の背筋に冷たい汗が伝う。
「……あんなん、食べ物の顔やない……」
「――言うたな。」
市長の声が低く響いた。
「銀河をアルデンテで塗りつぶす?
笑わせんなや……」
彼はマイクを握り、狂気の笑みを浮かべた。
「銀河の麺の歴史は、今日で終わる。
次からは――釜揚げの湯気で書き換えたる!」
ONE GALAXY――ONE UDON!
その叫びに、ガルディーニの声が歪む。
《■■■観測開始…戦闘パラメータ更新…麺対決モード起動■■■》
情報の海の奥で、巨大な影が動いた。
――艦隊だ。
パスタで編まれた螺旋状の船体、フォークの腕を広げた巨艦。
無数の黄金リングが、ゲート圏に光を散らす。
千代が低くつぶやく。
「……ホンマにやるんか、これ。」
市長が笑う。
「やるんや。銀河の未来は――コシにかかっとる!」
光輪が爆ぜ、暗闇に黄金の渦が広がる。
ガルディーニ艦隊と、銀河維新号――
その間に、一杯の釜揚げうどんが、銀河の運命を揺らす未来が、始まろうとしていた。
第三章「銀河料理対決! パスタ帝国との舌戦」
銀河維新号は、光の波の中で静止していた。
その前方に広がるのは――黄金の渦とフォークの森。
ガルディーニ艦隊。
パスタで編まれた螺旋状の艦体が、ゆるやかに回転しながら空間を支配している。
空間は黒でも白でもない。だしのように濃密で、無音。
ただ、螺旋の奥から漂う――オリーブオイルの匂いだけが、異様にリアルだった。
「……胸焼けしそうやな。」
千代が鼻をひくつかせる。
その横で市長は、腕を組んでドヤ顔。
「香りの攻撃やな。せやけど、こっちにはだしがある。」
突如、空間がねじれた。
光が収束し、黄金の王座ホールが形成される。
壁はスパゲッティの束、天井はラザニアの層、床はペンネのタイル。
――そこに、総帥はいた。
彼は人間の形をしていた。
だが、背から生えた無数のパスタの束が、空間に触れるたび光を散らす。
眼は、深い黄金。まるでオリーブオイルの表面に浮かぶ太陽。
声が響く――いや、脳に流れ込む。
《…我が名はアルフォルテ。
麺の秩序を司る者。》
音は多層で、情報のノイズと、微かにイタリア語の響き。
《讃岐の柔麺よ。汝らの存在は、宇宙の均衡を崩す。》
千代は一歩前に出る。
「均衡やと? 笑わせんなや。」
アルフォルテの瞳が、油の波紋のように揺れる。
《柔らかさは、腐敗。
アルデンテこそ、秩序。
均質な歯応えは、平和の証。》
千代の顔が、みるみる赤くなる。
「――アルデンテはな、ただの生煮えや!」
議場――いや、王座ホールに、怒声が響いた。
「ええか、アルデンテ信者!」
千代は長箸を構えるように突き出した。
「麺はな、固さで偉なるもんちゃう!
湯と塩と粉――それが一体になる刹那、そこに命が宿るんや!」
アルフォルテの表情は動かない。
《命など不要。我らは標準化を選ぶ。
銀河に、柔軟の余地はない。》
「余地があるから、世界は旨いんやろが!」
千代の声が震える。
「人も麺も、ちょっと揺らいどるくらいが、ちょうどええんや!」
その言葉に、アルフォルテの背後の螺旋がざわめいた。
《議論、無意味。最終審判は――実食。》
王座ホールの中央に、巨大な調理台が出現した。
片側には千代と、市長(実況担当)。
反対側には、アルフォルテと補佐AI「パスティーナ666」。
「始めぇぇぇぇ!」
市長の雄叫びと同時に、台の上に釜と鍋が投影される。
千代は即座に湯を張った。
魔導加熱プレートが唸り、湯が踊る。
「湯は、黙って語るんや……」
千代は、うどん玉を投げ込むと、長箸でリズムを刻んだ。
――その動きは、太極拳のようにしなやか。
温度表示が閾値を超える瞬間――
湯が爆煙を上げ、光子流のように空間を染める。
麺玉を投げ込むと、銀河の弦のようにねじれ、
光をまとう螺旋が宙を舞った。
「湯と塩と粉――これが宇宙の調和や!」
千代の長箸が稲妻のように走り、魂のたらい返しが発動する。
一方、アルフォルテは――
《モードΩ起動。
無限アルデンテ・カルボナーラ・オーバードライブ。》
彼の周囲で、パスタが自動的に成形され、
真空調理とナノ単位加熱で、完全均質の硬度が形成される。
卵とチーズが光の球となり、ベーコンはプラズマの弧を描いて飛ぶ。
千代が顔をしかめた。
「……なにその厨二調理。」
「カルボナーラやなくて、もはや核融合やんけ!」
千代の絶叫、市長の実況が重なる。
「見よこのバトルぅぅ! これが麺の最前線や!!」
「千代、頼むで!」
「うるさい! 湯気見ろ、湯気!」
千代は、麺をすくい、たらいに落とす。
黄金のだしが流れ込み、ホールに香りが広がった瞬間――
王座ホールの壁が震えた。
アルフォルテのカルボナーラは、螺旋状に空間を覆い、
千代の釜揚げは、だしの香りで情報層を侵食する。
《判定開始。》
中立AIの声が響く。
スプーンが、両方の麺をすくい――
世界は、一瞬、静止した。
《評価……不確定。
データ干渉発生――》
ホール全体に、ジャミングのようなノイズが走った。
黄金の渦が崩れ、情報の海に黒い影が滲む。
《観測不能。干渉体、出現――》
千代が箸を握り直した。
「……これ、まだ始まりやな。」
市長が笑う。
「維新は、ここからや!」
第四章「無重力料理決闘! 銀河たらい大乱舞」
黄金の王座ホールが音を立てて崩れた。
床は砕け、壁を形作っていたペンネが無数の破片となり、だしの粒子と混ざって漂う。
重力が消え、空間は「液体化した情報の海」と化した。
オリーブオイルの球が、血の滴のように暗い光を放ち、
昆布だしの黄金が、それを包み込む。
香りと熱と情報ノイズが、すべて同化していた。
千代とアルフォルテ――二つの影が、無重力の深淵に浮かぶ。
手にしたのは、調理器具という名の武器。
千代のたらいは、回転を始め、光のリングに変わる。
アルフォルテの触手は、無数の螺旋を描き、空間全体を「麺の檻」へと変質させていく。
「――無重力……やるしかないな。」
千代の低い声が響く。
彼女はたらいを握りしめ、静かに回転を始めた。
「行けぇぇぇぇ!」
艦内スピーカーから、市長の絶叫。
「無重力では麺のコシが3.7倍ぃぃ! ※※※(※科学的根拠ゼロ)
見よ、銀河のプロレスやぁぁ!」
アルフォルテが声を放つ。
《均質なる秩序で、柔麺を粉砕する。
スパゲティ触手・ハイドロクラスター――起動。》
パスタの束が、網のように広がり、ホール全体を覆い尽くした。
その動きは不気味で有機的。まるで巨大な神経網。
そこに滴るオリーブオイルが、血の涙のように漂う。
「……ほな、見せたるわ。」
千代の両腕に力がこもった。
たらいが回転を加速し、だしと麺が遠心力でリング状に広がる。
その瞬間――空間の曲率が歪んだ。
黄金のだしが、重力波のごとく空間をねじ曲げ、
麺が光弾となって触手を切り裂く。
湯気が霧化し、粒子レベルで敵の情報体を削り取る。
まるで――たらいがブラックホール化したかのように。
「魂のたらいスピン、極・零式や!」
千代の絶叫と同時に、触手の半分が霧散した。
「決まったぁぁぁ! 魂の大回転!
だし圧縮波が敵の麺コードをバラバラにしたぁぁ!」
市長は息も絶え絶えに実況を続ける。
「これはもはや料理やない! 芸術!
いや、銀河の救世主やぁぁぁぁ!」
その時――赤いアラートが艦橋に響く。
《新規艦隊、ゲート圏に突入!》
スクリーンに、異様な艦影が現れた。
果実。
巨大なピオーネを象った戦艦が、無数のマスカット小型艇を従えて進軍してくる。
艦体は有機的で、表皮は果皮のような光沢を放ち、内部にはワイン発酵炉が見えた。
兵装は――
「果汁質量弾」「マスカット光線砲」
スローガンが投影される。
「フルーツは宇宙を制す」
「岡山や!」
市長が絶叫する。
「アイツら、銀河桃子を本気で建てにきよった!」
千代が叫ぶ。
「もう、なんやねんこの銀河ァァァ!」
ピオーネ艦隊が、一斉に果汁弾を射出した。
透明な球体が、星屑のように煌めきながら突進――
ドォォォォン!
銀河維新号のシールドに直撃し、衝撃波と共に甘酸っぱい香りが艦内を満たした。
「うっ……鼻が……ピオーネや!」
オペレーターが悲鳴を上げる。
「これは味覚撹乱兵器や!」
市長が吼える。
「なんやその姑息な武器! 岡山ぁぁぁぁ!」
続いて、マスカット光線砲が放たれた。
緑の閃光が銀河維新号をかすめ、空間がリフレッシュミントみたいな香りになる。
千代は、怒りで頬をひきつらせた。
「何が爽やかや……! 湯気のぬくもりで勝負せぇや!」
「――釜揚げで返したるわ。」
千代は、湯気をまとった麺をたらいから引き上げ、無重力に放った。
麺が光弾化し、果汁弾と衝突。
ジュワァァァァ!
甘味と塩味が、情報層でぶつかり合い、異常な香りの波が広がった。
「これは戦やない……銀河料理フェスや!」
市長の実況が響き渡る。
「香川 vs パスタ帝国 vs 岡山フルーツ連合!
うどんの未来は、この瞬間にかかっとるんやぁぁぁ!」
――湯気の向こうに、過去が見えた。
まだ若かったころ、朝五時に釜を沸かし、
小麦粉と水を合わせ、手のひらで押し、足で踏み、
湯気の中で笑ってたあの日々。
「……わし、なんでここにおるんや。」
だしの香りの中で、千代は思う。
「たかが一杯のうどんが、銀河を救うんか?」
だが、その答えは決まっとる。
うどんは、いつだって誰かを救うもんや。
――麺は揺らぎ。
コシは、抗う力。
だしは、記憶の海。
釜揚げは、小さな宇宙のビッグバンや。
「……終わらせるで。」
千代は、静かに目を閉じた。
「麺はただの炭水化物やない。
――コシは恒星、だしは宇宙の記憶、
釜揚げは、ビッグバンの再演や。」
その言葉と同時に、たらいが最終回転を始める。
だしが光子流となり、麺が銀河の螺旋を描いて広がる。
空間を震わせるラストたらい返し・無限演算式。
その一撃が、触手を断ち、アルフォルテの核心を切り裂いた。
岡山の果汁弾も、この重力渦に飲み込まれ、
――残ったのは、黄金の湯気と、一筋の白い麺だけ。
総帥の声が、かすれる。
《柔らかさ……混沌……それが……旨み……?》
黄金のオイルが、涙のように宙を漂い――砕け散った。
だが――静寂は訪れなかった。
情報層に、黒い波が走ったのだ。
AIの声が震える。
《判定……不可能。
未知の干渉体、侵入――識別コード……ジャム……》
千代は、箸を握り直す。
「――コシは恒星。
だしは、宇宙の記憶。
釜揚げは……命のビッグバンや!」
ラストたらい返し・超重力臨界式!
銀河の情報層が震え、パスタ帝国の螺旋と岡山艦隊の果汁波が、
――光と共に砕け散った。
市長が吼える。
「維新は――ここからや!」
第五章「銀河決戦・コシとアルデンテの最終審判」
空間が、音を失った。
光はねじれ、だしとオリーブオイル、果汁と麺コードが絡み合い、
――宇宙が「煮崩れた鍋」みたいなカオスに変質していた。
「……なにこれ。」
千代の声が震える。
銀河維新号の周囲、現実と情報の境界が崩れ、
空間そのものが麺の螺旋とフルーツの球体で構成されている。
その中心に――ジャムがいた。
ジャムは、かつて“情報体”と呼ばれた存在。
だが今、その姿は――
パスタ帝国の麺構造、岡山艦隊の果汁データ、人類の料理情報を飲み込み、
黒い螺旋の中心で、麺と果実の眼球が回転する異形の神になっていた。
声が、全方位から落ちる。
《味覚秩序……構築中……
揺らぎ……不要……
全麺、同化……》
ノイズと共に、“麺コード”が千代の脳に突き刺さる。
「――っ!」
激痛。だしの香りが、情報の海でノイズに変わる。
「ピオーネ艦隊、第二波準備!」
果汁弾が無数に発射され、ジャムの螺旋に突き刺さる。
だが、甘味情報は即座に吸収され、ジャムの触手が果汁でぬめりながら肥大化する。
ピオーネ艦長が通信で叫ぶ。
「フルーツこそ銀河を救うんじゃああああ!!」
市長が吼える。
「黙れ岡山ぁぁ! 甘さで宇宙を滅ぼす気かぁぁ!」
《アルデンテは……不滅……
秩序……均質……再構築……》
残存艦から、無限スパゲティ弾が放たれ、銀河維新号に殺到。
「千代ぉぉ! 耐えろぉぉぉ!」
市長の声が震える。
「やかましいわ! わしに任せとけ!」
――湯気の匂いを、思い出す。
満濃の朝。
まだ暗い台所で、釜の音を聞きながら、
「おばちゃん、このうどん、世界で一番やな」
笑って食べた、あの子の顔を思い出す。
「……そうや。うどんは、人の笑顔を運ぶもんや。」
千代は目を閉じる。
「麺は、ただの炭水化物やない。
――コシは恒星、
だしは記憶の海、
釜揚げは……命をもう一度、沸かす儀式や。」
目を開いた千代の瞳は、黄金の光を宿していた。
ジャムが螺旋を広げ、麺コードの雨を降らせる。
それは、ただのデータじゃない。
「柔らかさ=エラー」「揺らぎ=削除」
――存在そのものを、上書きする概念攻撃。
千代の視界が、モノクロに崩れ始める。
「うどんが……消える……?」
市長が叫ぶ。
「千代ぁぁ! 絶対に負けるなやぁぁ!」
千代は笑った。
「……負けるわけないやろ。
だしの香りは、どんなノイズにも負けん。」
――そして、たらいが、光を放ち始めた。
ジャムの声が、情報の海に轟く。
《完全秩序構築……開始……
標準化……アルデンテ値……固定》
麺コードが、光の雨となって降り注ぐ。
それは、言葉の刃――
「やわらかさ=エラー」「揺らぎ=無効」
存在の意味を削り取るプログラム弾。
「おばちゃん、その麺、間違っとるで。」
幼い笑い声が、千代の脳をかすめる。
――あの日、店で食べた少年の声。
千代は、笑った。
「せやな。……わしの答えは、ここや。」
たらいを構え、千代は突進した。
――空間に、波紋が走る。
ジャムの干渉層に、千代の「だし記憶」が流れ込む。
「讃岐の朝、釜の湯の匂い……」
――だしの温もりが、冷たいノイズを侵食する。
ジャムの声が揺らぐ。
《不要データ……削除対象……
……しかし……“香り”……解析不能……》
千代の思考が、情報空間に広がる。
「麺は、揺らぎや。
均質にしたら、旨みは死ぬ。
人も同じや。揺らぎがあるから、生きとる。」
ジャムの概念網に亀裂が走る。
現実空間では――
岡山艦隊の果汁弾がジャムの触手を焼き、
だしの重力波が麺コードを押し返し、
アルデンテ残党が狂信的にパスタ弾を撃ち続ける。
「ピオーネ艦隊、果汁波全開や!」
岡山艦長が絶叫する。
「甘味こそ銀河の覇権じゃああああ!」
市長がブチギレる。
「どの口が言うんじゃコラァ! 讃岐の魂なめんなやぁぁぁぁ!」
ジャムの黒い螺旋が爆発し、
“麺+果汁+アルデンテ”の三重螺旋怪物に変貌した。
中心で回転する巨大な「眼」は、
麺の繊維と果実の果肉でできた、不気味な虹彩を輝かせる。
《秩序……揺らぎ……融合……
――最終調理、開始――》
麺触手が千代を拘束する瞬間、
千代は、笑った。
「そないに混ぜたいんやったら――
ほんまもんの混沌、食わせたるわ。」
千代のたらいが、光を放った。
だしが情報層を駆け抜け、
無数の麺が銀河を描き、
――宇宙そのものが、釜の中で沸騰を始める。
「コシは恒星。
だしは宇宙の記憶。
釜揚げは……命のビッグバンや!」
――銀河釜揚げ創世・全麺解放式!
爆発的な光が、ジャムの核を包み込み、
螺旋を解きほぐし、果汁とパスタとノイズを――
「旨み」という一つの調和に溶かした。
空間が静まり返った。
残ったのは――湯気。
黄金のだしの香りが、虚無を満たす。
そこに浮かぶ一杯の釜揚げうどん。
AIの声が、震える。
《勝者――讃岐文化圏。
判定――“旨みは揺らぎに宿る”。》
市長が号泣する。
「勝ったでぇぇぇ! 香川が銀河救ったでぇぇぇ!」
岡山艦長が、ピオーネを握りしめて呟く。
「……フルーツ……また別の銀河で挑むけぇ……」
千代は、湯気を見つめて笑った。
「やっぱり、うどんは……世界を救うんやな。」
――銀河を救ったのは、讃岐うどんだった。
エピローグ:釜揚げの湯気は、時空を超えて
――戦いが終わった。
銀河を揺るがした“麺戦争”は、静寂とともに幕を下ろした。
「千代はん! 凱旋パレードするでぇ!」
市長が涙と鼻水を垂らしながら叫ぶ。
「アホか。わしは、もう釜の湯を沸かさなあかんのや。」
千代はたらいを抱え、ただ一言そう言って、タラップを降りた。
――満濃の朝。
ヒバリが鳴き、田んぼの水面が、東の光を反射する。
昨日と同じような景色。
けれど、その奥には、銀河を越えた記憶が眠っていた。
「……ここが、わしの戦場やったんやな。」
千代は釜の前に立ち、深く息を吸った。
湿った熱気が、胸の奥まで染み込んでいく。
釜の中で湯が、静かに踊り始めた。
音は――何も変わらない。
だが、その一音が、今は宇宙の胎動のように思えた。
長箸を握り、麺を湯に沈める。
――そして、すくい上げる。
たらいに麺が落ちるたび、
水面に、無数の星のきらめきがよみがえる。
湯気が立ち上り、朝日と重なり、
銀河の渦を、もう一度描いてみせる。
「麺は、揺らぎや。」
千代の声は、湯気に溶けた。
「コシは、抗う力。
だしは、記憶の海。
――釜揚げは、命をもう一度、沸かす儀式や。」
湯気の中で、千代は静かに笑った。
あの日と同じ、たった一杯のうどんが、
――宇宙を救ったのだ。
戦いも、平和も、一杯の釜揚げから始まる。
その真理を、千代は胸に刻む。
そして――
湯気が空にのぼり、朝日と重なった瞬間、
銀河のどこかで、
白い光の粒が、静かに瞬いた。
終