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第4章:データに仕掛けられた罠

藤堂グループの情報システム部内に、葵の作業スペースが設けられた。厳重なセキュリティエリアの一角にある個室だ。

壁には電磁波シールドが施され、すべての通信が監視されている。

ここにいる間、彼女は自身のPCと、特別に用意された藤堂グループの限定的なデータアクセス端末のみを使うことを許された。


城島は、彼女に可能な限りの情報を提供した。

藤堂グループのシステム概要、最近の不審なログ、そして『龍脈帳簿』…正式名称「藤堂グループ統合基幹記録システム」の物理的な所在地と、多層にわたるセキュリティ構造について説明した。

「『龍脈帳簿』は、創業以来のデータを保管しているため、複数の時代のシステムが積み重なった複雑な構造をしています」城島は説明した。


「最新のクラウド技術も導入し、DXを進めている最中ですが、根幹の部分は未だ、物理的に隔離されたレガシーシステムが担っています。強固な反面、現代の攻撃手法に対し、我々の想定外の脆弱性がある可能性も否定できません」

「DX推進の途上だからこそ、隙が生まれる…影ノ帳簿は、そこを突いているんですね」葵は頷いた。

「そうだ。彼らは単なる力技のハッカーではない。システムの構造、人間の心理、そしてデータそのものの性質を理解し、最も効果的な一点を突いてくる」城島は険しい顔をした。


「君が見抜いた市場データの偽装も、その周到さを示している」

葵は提供されたログデータと、彼女が持ち込んだ『サイファー・グリモワール』をインストールした自身のPCに向き合った。

藤堂グループのデータアクセス端末から、許可された範囲のログデータや、システム構成情報を取得し、自身の環境に取り込む。


(データが…震えている…)

彼女には、ログデータ一つ一つが、微細な震えを伴っているように見えた。これは恐怖や混乱の震えではない。

何かが、そこに「隠されている」ことによる、データの違和感の震えだ。

サイファー・グリモワールの「虚実の選別」術式を、今度はシステムログに適用する。


数百万行にも及ぶ膨大なログデータが、Tableau上で処理されていく。

計算フィールドの中で、複雑な関数が絡み合い、ログのタイムスタンプ、IPアドレス、ユーザーID、コマンド履歴…あらゆる属性が、通常ありえない相関関係を持って結合されていく。

画面に、新たなビジュアライゼーションが浮かび上がる。

それは、通常のアクセスログが作る規則正しい流れの中に、不自然な「飛び地」や、「ワームホール」のようなものが点在している様子を示していた。


ログに残された痕跡は薄いが、これらの飛び地は特定の外部IPアドレスや、本来アクセス権のない内部IDに繋がっているように「見えた」。

「これだ…! 彼らは、ログ自体にも細工してる!」葵は思わず声を上げた。「単にアクセス履歴を消すんじゃなく、無害なログの中に巧妙な偽装データを混ぜ込んでるんだ! この『飛び地』は、偽装されたログから真のアクセス元や痕跡を逆算した結果…」

彼女はダッシュボード上の飛び地の一つをクリックした。

関連するログデータの詳細が表示される。

そこには、一見するとシステムメンテナンスや通常の情報収集に見えるコマンドが並んでいた。


しかし、『サイファー・グリモワール』の「未来の残響」術式で、これらのコマンドがシステムに与える潜在的な影響をシミュレーションすると、思わぬ結果が可視化された。

「…まさか! これらのコマンドは、直接的な攻撃じゃない! これは…『龍脈帳簿』の特定の部分に、ごく微量の、無害なデータに見える『毒』を注入してるんだ! 少しずつ、時間をかけて…!」

葵は震える指先で、その「毒」が注入されている『龍脈帳簿』の箇所を追跡した。

それは、データベースの中でも、創業初期の、最も古く、そして現代システムとの連携が最も複雑な部分だった。

城島が言っていた、「物理的に隔離されたレガシーシステム」の領域だ。


「城島様! 彼らの狙いは、データの窃盗だけじゃないかもしれません! 『龍脈帳簿』に、じわじわとデータ汚染を仕掛けています! このままでは、データベースそのものが内部から崩壊するか、あるいは彼らが仕込んだ『毒』をトリガーにして、好きな時にデータを操作できるようになってしまう!」

報告を聞いた城島は、即座にエンジニアを集め、葵の指摘した箇所を集中的に調査させた。

結果は、葵の分析通りだった。


通常のログ分析では見つけられなかった、極めて巧妙に偽装されたデータ書き込みの痕跡が発見されたのだ。

それは、数ヶ月前から断続的に行われていたらしい。

「まさか、これほどまでに…! 我々の盲点を完全に突いている…」城島は歯噛みした。

「DX推進で、レガシーシステムと新システムを繋いだ際に生まれた、微細なプロトコルの隙間…そこを突いて、外部から『毒』を流し込んでいたのか!」

エンジニアたちが対応に追われる中、葵はさらに分析を進めた。


「毒」が注入されている場所と、市場データの偽装、そして昨夜のアクセス試行…これらをサイファー・グリモワールの「因果律の結節点」術式で繋ぎ合わせる。

ダッシュボードは、複数の点が線で結ばれ、特定のパターンを形成していく様子を描き出した。

それは、影ノ帳簿の次の行動を示唆していた。


「見えました…! 彼らは、市場の混乱とデータ汚染をある段階まで進めた後、本命の攻撃を仕掛けるつもりです。

狙うのは、藤堂グループが最も油断するタイミング…おそらく、大規模なシステムアップデートや、部署横断的なデータ連携が予定されている時…!」

「具体的には、いつだ?」城島が前のめりになった。

葵はダッシュボード上のカレンダー表示に目をやった。

そこには、複数のデータポイントが集中し、赤く光る特定の日付があった。


「…Xデーは、今から3日後です。藤堂グループの全社向けデータ統合プラットフォーム稼働開始予定日…この日に合わせて、彼らは仕掛けます!」

城島は絶句した。3日後。

それは、藤堂グループが長年推進してきたDXの一つの節目となる日だ。

その記念すべき日に、最大の危機が仕掛けられているとは。


「くそ…! 時間がない!」城島は立ち上がった。

「エンジニア! 全員、Xデーに向けたシステム監視と防御を最大レベルに引き上げろ! 特に雨宮さんが指摘したレガシーシステムと新システムの連携部分だ! セキュリティホールは全て潰せ!」

「ですが、城島様。影ノ帳簿は、システム的な脆弱性だけでなく、データの意味そのものを歪めることにも長けています。防御を固めても、彼らは別の角度から…例えば、注入した『毒』をトリガーにして、データベース内のデータを論理的に破壊するかもしれません」葵は言った。


「データの論理的な破壊だと…?」

「はい。例えば、特定の条件下でしか発動しない計算フィールドを仕込んだり、重要なマスターデータにごく微量の異常値を混入させたり…それはシステムログには残りにくい、データそのものへの攻撃です」

城島は顎に手を当てて唸った。


「つまり…システムを守るだけでは不十分で、データそのものの整合性を守る必要があるということか。だが、あの膨大な『龍脈帳簿』のどこに、どのような『毒』が仕掛けられているのか…それを見つけ出し、無力化するには、時間が…」

葵は、自身のPCに表示されている『サイファー・グリモワール』の画面を見た。

そこには、注入された「毒」のデータが、『龍脈帳簿』の深部で静かに脈打っている様子が可視化されていた。

サイファー・アリスが残した解析術式は、この見えないデータ汚染を見抜くためのものだったのかもしれない。


「…城島様。私に、やらせてください」葵は言った。

「『サイファー・グリモワール』を使えば、あの『毒』が『龍脈帳簿』のどこに、どのような形で仕掛けられているか…その構造を可視化できるかもしれません。

データの整合性を守る…それは、まさに私の専門です」

城島は葵の真剣な目を見つめた。

彼女の背後には、サイファー・グリモワールの輝くビジュアライゼーションが、まるで彼女の意志を後押しするように映し出されている。


「…分かった。任せる。だが、時間がない。Xデーまで、君が頼りだ、雨宮さん」

こうして、雨宮葵は、藤堂グループの命運をかけた、データ内部の「毒」探しという、壮絶なミッションに挑むことになった。彼女の指先が、Tableau上で高速に動き始める。データの声を聞き、その奥に潜む悪意を暴き出すために。解析魔女の、真の戦いが幕を開けたのだ。

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