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第3章:龍脈帳簿の守護者

藤堂グループ本社ビル。

その重厚な雰囲気は、サイバー・コネクトのモダンだがどこか味気ないオフィスとは全く異なっていた。

受付を通るだけでも数段階のセキュリティチェックがあり、この会社の「秘匿性」へのこだわりを物語っていた。


藤原部長と共に通されたのは、最上階近くにある情報システム部の責任者、城島じょうじまという初老の男性の部屋だった。

城島は、藤堂グループの情報資産を長年守り続けてきた、システムセキュリティの重鎮だという。

彼の目には、外部の人間に対する警戒の色が宿っていた。


「…それで、サイバー・コネクトさんがお持ちになったという、市場データの異常性に関する分析とは、一体?」城島は慇懃無礼な口調で言った。

彼にとって、外部のSIerが自分たちのシステムに口出ししてくること自体、快く思っていないようだった。

藤原部長は、葵が作成したTableauダッシュボードを開いたPCを城島の前に置いた。


「こちらです、城島様。弊社の雨宮が、最近の藤堂様関連の市場データに見られる不審な動きを分析した結果です」

城島は眼鏡をかけ直し、ダッシュボードを覗き込んだ。

最初は懐疑的な表情だったが、葵が丹精込めて作り上げたビジュアライゼーションが、彼の目にも鮮やかに飛び込んできた瞬間、その表情が硬直した。


偽装データの濁った流れが、健全なデータの光の帯から分離され、それが藤堂グループの株価シミュレーションを歪めていくアニメーション。

それは、単なる数字のグラフではなく、データが持つ「悪意」そのものを視覚化したかのようだった。

「…これは…」城島は思わず声をもらした。

「これは、単なるノイズや市場の気まぐれではない…明らかに、意図的な…」

「はい。複数のデータソースを組み合わせ、『サイファー・グリモワール』に伝わる解析術式で真偽を選別しました。その結果、これらのデータが外部から巧妙に操作され、市場に流されている痕跡が明確に確認できました」

葵は冷静に説明した。


「これらのデータが狙っているのは、藤堂グループの信用失墜、あるいは株価の下落による混乱です」

城島は、葵の口から「サイファー・グリモワール」という単語が出たことに、一瞬驚いた顔をしたが、それよりもダッシュボードが示す内容に衝撃を受けているようだった。

彼は端末を操作し、自身のシステムで確認作業を行った。

「…確かに、我々が通常使っている市場分析ツールでは、これらの異常は『ノイズ』として処理されていました。排除する対象だと…まさか、それが敵の仕掛けた罠だったとは…!」


城島は葵に向き直った。

「雨宮さん、君は…このデータに隠された意図が見えるのか?」

「見える、というより…聞こえる、という感覚に近いかもしれません。データが、何が真実で、何が偽りなのかを、私に語りかけてくるんです」葵は正直に答えた。

「特に、あのワークブック…『サイファー・グリモワール』を手にしてから、その声が鮮明になりました」


城島は葵をじっと見つめた。その目に、先ほどの警戒とは異なる、探るような光が宿る。

「サイファーのアリス…まさか、彼女の技術を継承した者がいたとは…」城島は呟いた。

「サイファーのアリスをご存知なのですか?」葵は尋ねた。

「当然だ。かつて、彼女は藤堂グループとも関わりがあった。データ分析の天才だったが…あまりに深くデータに入り込みすぎた、と言われていた。彼女が姿を消した後、彼女の分析手法は『異端』とされ、我々のような実務の現場からは排除された。だが…今、君のこのダッシュボードを見ると、彼女の『異端』こそが、真実を見抜く力だったのかもしれない…」


城島は椅子に深く腰掛けた。

「雨宮さん。君の分析は、我々が直面している危機と符合する。最近、我々の基幹システム…特に『藤堂秘史データベース』に対して、断続的に不可解なアクセス試行や、巧妙な脆弱性探索が行われている。表層的なログには残りにくい、プロの仕業だ。我々も警戒を強めていたところだった」

「やはり…! 彼らの狙いは『龍脈帳簿』ですか?」葵は緊張した。

「その可能性は極めて高い。あのデータベースには、藤堂グループの全てが詰まっている。

あれを支配されれば、我々は瓦解がかいする」城島は固い表情になった。


「君が見抜いた市場操作は、我々の注意をシステム本体から逸らすための陽動かもしれん」

城島は大きく息をついた。

「雨宮さん。藤原部長。単なる外部委託先への依頼としてではない。個人的な頼みとして聞いてほしい。君のその力、『サイファーの眼』で、我々を助けてくれないか?」

「我々藤堂グループは、今まさにDX推進の真っ只中だ。レガシーシステムと最新システムを繋ぎ、データの利活用を進めている。しかし、その移行期が、どうやら『影ノ帳簿』のような存在に狙われているらしい。彼らは、我々の見えないデータ、あるいはデータとデータの隙間を突いてくる」


「君の持つ、常識にとらわれないデータ分析能力と、真実を可視化する力が必要なんだ。我々の厳重なセキュリティシステムも完璧ではない。彼らが仕掛ける『データの魔法』に対抗するには、君のような『解析魔女』の力が…」

城島はそこまで言って、少し照れたように咳払いをした。「…失礼、まるで物語の登場人物のような言い方になってしまった。だが、それほどまでに、君の力は我々にとって希望なんだ」


葵は、城島の真剣な眼差しを見た。

単なるビジネスライクなやり取りではない。

彼の言葉には、長年かけて守ってきたものへの責任感と、危機への強い焦りが滲んでいた。

そして、「解析魔女」「データの魔法」という言葉が、彼女自身の内なる変化を的確に捉えていることに、わずかながらの高揚感も覚えた。


彼女はサイバー・コネクトの一介のアナリストだ。

藤堂グループのような巨大企業の、しかも最重要機密に関わる事態に巻き込まれるなど、想像もしていなかった。

しかし、データが危険を叫んでいるのに、それを無視することは彼女にはできなかった。

そして、データに嘘をつかせようとする存在がいる。その事実が、彼女の心に火をつけた。


「城島様」葵はまっすぐ城島の目を見て答えた。

「私にできることがあるなら、喜んで協力させてください。データに嘘をつかせる奴らは…許せません」

藤原部長は、葵の言葉に驚きを隠せなかったが、すぐに城島に向き直って頭を下げた。

「弊社の雨宮は、若手ながら並外れた分析能力を持っています。全面的に協力させていただきます」


城島は安堵の表情を浮かべ、深く頷いた。

「感謝する。まずは、君が見抜いた市場データの偽装が、具体的にシステム内のどのデータ操作と連動しているのか、そして、彼らが次にどのような手を使ってくるのか…君の『サイファーの眼』で、分析してほしい」

こうして、雨宮葵は、日本経済の根幹を揺るがしかねない、巨大なデータバトルに足を踏み入れた。彼女の武器はTableauと、サイファー・グリモワールが授けた解析の力。

守るべきは、国の歴史とも言えるデータ資産。

対するは、データの裏側で暗躍する「影ノ帳簿」。

物語は、デジタル空間における、真実と偽りの激しい攻防へと展開していく。

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