第二話 反転急襲
レストアは夢を見ていた。
目の前で弾ける真白の閃光。それと同時に放たれる爆熱と衝撃波。吹き飛ばされる自分。一瞬の暗転。右腕を失い、全身に火傷を負った自分。目の前で轟々と燃ゆる炎。
それらの断片的な映像が流れていくたび、胸の奥から黒い何かが溢れ出て、気がつけば周りは闇に包まれていた。
その闇の中から何かが聞こえてくる。何と言っているかはわからない。
だが、わかることもある。それは、それらが呪詛や怨嗟の声であるということ。
四方八方から浴びせられるその声は、闇の触手となってレストアの身体を絡め取る。そして彼を、闇の奥底へと引きずり込もうとする。
レストアはなんとかもがいて逃げようとするが、しかし、拘束は弛まず身体はどんどん沈んでいく。
レストアはやがて、もはやこれまで、と絶望し抵抗する気力を失う。そのまま闇に呑み込まれるかと思われたその時――。
一条の光が差し込み、闇の触手を切り裂いた。
自由の身になったレストアは、慌てて逃げようとする。光が差す方へ、迷わず走り出す。
光はレストアを出迎えるかのように、より大きく、より強く輝きを増す。レストアを逃さんと追い縋る闇照らし出し、浄化した。
レストアは光の中へと駆け込む。その奥には光の門がある。
やがて光の中で、何かに触れられたような感触があった。優しく、しかし力強く。レストアの腕を引き、背中を押す。
そうして、いつの間にかレストアは、光の門をくぐっていた。
それに合わせて、レストアの意識は覚醒していく――。
「ぅ……うぅん……」
レストアが目を覚ますと、そこは見慣れた自分の部屋だった。
昨日の爆破事件の被害に遭ったのは、彼の通う幼稚園だけではない。この国の公共施設がことごとく狙われ、幼稚園や学校、病院などの多くが被害に遭った。
そのため、病院の多くは患者を受け入れる事ができず、レストアも治癒魔法により治療を受けた後、そのまま自分の家へと帰されていた。
「レストア……! 良かった、目が覚めたんだな……」
「父さん……?」
レストアが寝ているベッドの傍らには、彼の父であるラグナ・エスパーダがいたようだ。
彼はなぜか涙ぐみながら、レストアの目覚めを喜ぶ。レストアは、何が何だかわからず困惑していた。
「父さん、どうしたの? なんでないてるの?」
そう聞くと、ラグナは喜びから一転して神妙な面持ちとなって答える――とはいえ、喜びはまだ漏れていたが。
「レストア、昨日幼稚園で何が起こったか、覚えているかい?」
レストアは、昨日何があったかを思い出そうとする。
いつも通り幼稚園に行き、いつも通りの午前中を過ごし、いつも通り昼ごはんを食べ、いつも通りお昼寝を――。
いや、お昼寝はしていない。その前、昼ごはんを食べたあと。その辺りから記憶が曖昧、というより抜け落ちてしまっているような気がした。
より詳細に思い出そうと、その時間帯に絞って集中する。
やがて浮かんできたのは、火の海になった幼稚園のお遊戯場と、右腕を失った自分――。
「――あっ!」
レストアは、慌てて自分の右腕を確認する。
悪い夢か何かだと思い込みたかったが、現実は非情であった。
レストアの右腕は、肩より少し下辺りから完全に無くなっていた。
「う……そ……」
「その様子だと、思い出したようだね……」
ラグナは悲痛な思いに苛まれながらも、昨日何があったのかをレストアに説明する。
レストアは右腕を失ったことに動揺しながらも、それを黙って聞いていた。
やがてレストアから発せられたのは、
「……この右腕、なおるの……?」
という、か細いつぶやき。
だが、ラグナは追撃するかのように、現実を語る。
本当は気休めの嘘の一つでもついてやりたかったが、レストアにはなぜか、一切のウソが通用しない。そのため、真実を話すしか無かった。
「……治らない。もし、治せるとしたら、昨日のうちにレストアの右腕が見つかって、傷を塞ぐ前にくっつけるくらいじゃないと……な」
「……そっか」
レストアの右腕の傷口は、全身の火傷を治療する際に、一緒に治癒魔法で塞がれてしまっている。
治癒魔法というのは、残念ながら何でも治せるような万能なものではない。
治せるのは、打撲や切創、擦過傷、火傷の熱傷レベルの低いものといった、主に軽傷に分類されるもの。また、骨折の中でも皮下骨折に分類されるものまでなど、治癒魔法単体だと意外に制限が多かったりする。
特に、身体の欠損といったものは、治癒魔法単体では治せないものの代表格と言っていいものである。
それを治すには、ラグナが言うように欠損部位同士を繋いだうえで(この際、縫合等は必要ない)、専門的な知識を持つ者が治癒魔法をかけねばならない。
今回のレストアの件では、失った右腕が見つからなかったことから、感染症のリスクなどを鑑みて傷口を塞いでしまっていた。
こうなると、たとえ後で見つかったとしても、欠損部位を修復することは出来ない。
厳しい現実を突きつけてしまい、どんな反応をするのか怖かったラグナへ、レストアは予想外の言葉を口にする。
「父さん……おれ、まだ剣振れるかな……?」
「……!」
いかにレストアが早熟とはいえ、子どもは子ども。ゆえに、見えている世界は極々限られていて、その中心もまた単純、純粋だ。
レストアにとって剣とは、家族とのつながりをより強く感じることのできる、大切なコミュニケーションツールの一つだ。
そのため、腕を失い、もし剣が振れなくなったのなら、自分に価値は無くなってしまうのではないか――いらない子になってしまうのではないか、そう危惧したのだ。
だが、当然そんなことはない。
「安心しろ、レストア。右腕が無くたって、左腕があるじゃないか。それに、もし剣を振れなくなったとしても、お前はお前だ。父さんと母さんの子だ」
ラグナはレストアを抱き寄せ、優しく言う。
それを聞いたレストアは、身体から強い緊張が抜けていき、安堵するようにラグナに身体を預けた。
すると、緊張が解けたからか、レストアのお腹が可愛らしく鳴る。空腹を訴えていた。
「……お腹すいた」
「ははっ、みたいだな。ごはん持ってくるから、ちょっと待っててな」
その後、少ししてラグナが食事を持ってくる。
レストアが目覚めたのは昼過ぎ。普段から生活リズムを整えている彼にとって、遅すぎる朝食となったのだった。
この爆破事件から約二週間。
ベルスティアは、平穏とは懸け離れた状況下にあった。
そして今、レストア達の暮らす街・スペルドの中心部にある大広場は、大勢の兵士や、それを見送りに来た家族や友人によって埋め尽くされていた。
「じゃあ、行ってくる」
「必ず帰ってきてね、ラグナ」
「ああ。『ラグナ』の名にかけて」
「パパ、行ってらっしゃいっ」
「うん、行ってきます」
「…………」
妻のフィーアは、深刻さを感じさせない努めて明るい声で。ルティアは、事の深刻さを理解していないが故に、明るく元気にいつもの見送りを。
そしてレストアはただただ無言で、しかしラグナの勝利を疑わぬ澄んだ瞳で、彼を送り出す。
そうしてラグナは家族との別れを済ませ、踵を返す。そうして、集合した兵士たちの中に混ざっていった。
大広場に集合した兵士の合計は約一万人。
そのため、大広場は兵士がところ狭しと並んでおり、隊列はかろうじて作れるかどうか、といった具合だった。
当然、兵士以外が立ち入るスペースは無いため、見送りに来た者たちは皆、大広場につながる大通りなどで別れを済ませていた。
やがて、全ての兵士が別れらを済ませ隊列に加わると、隊長と思しき人物の演説のようなものが始まる。
「――カルムは今、危機的状況にある!」
あの爆破事件の直後、その混乱に乗じて隣国・『簒奪帝国』イブリスが侵攻を始めた。
爆破事件の混乱は小さいわけがなく、『魔導都市』ベルスティアはイブリスに後れをとってしまう。
その結果、国境を越えたイブリス軍は大した妨害も無いまま、ベルスティアの北西部にある要塞都市・カルムへとたどり着き、攻撃を始めたのだ。
「――これより、我々はカルムの救援に向かう!」
カルムは地理的に、最もイブリスから攻め込まれやすい土地である。それゆえに、防衛のための兵士の数は多く、また精鋭揃いだ。
しかし、如何に精鋭と言えど、混乱に乗じて攻め込まれてしまっては十分な反攻などできるはずもない。
その劣勢を覆すべくベルスティアは、首都・スペルド防衛隊の一部をカルム救援部隊として派遣することを決定した。
「――現地に到着し次第、迅速に作戦行動を開始。反攻の狼煙をあげよ!」
『ハッ!』
我らが祖国を踏み躙ろうとする不届き者に誅を下さんと、兵士たちは士気高くこの場に臨んでいる。
これから、ベルスティアの反撃が始まるのだ。
「我らがベルスティアに勝利を――『魔導都市』の真髄をヤツらに見せつけてやるのだ! 行くぞッ!!」
『オオーーッ!』
兵士たちの集団の前方より鬨の声が上がる。それと同時に、後方の魔法師部隊と思われる集団から、魔法の詠唱が始まった。
そして、圧倒的な力が遠方――ベルスティアの王城より大広場へと降り注ぐ。また、スペルドに点在する他の広場へも力は飛来し、それぞれが天を衝かんとする巨大な真白の光の柱を立ち昇らせる。
やがて魔法師部隊の詠唱が完了し、それぞれが隊長へと詠唱完了の報告をしていく。
そして全ての部隊の準備が整うと、隊長は大広場に刻まれた魔法陣を起動する。
「転移術式、起動! 転移、三秒前!」
光の柱は、術式の起動とともに青白く染まる。この色こそが、転移術式の魔力光だ。
「――二、一。転移、今ッ!」
その声とともに兵士たちは皆、青白き光に包まれる。そして、光の柱が一際強く輝くと、兵士たちは青白き光の粒子と化し、やがて消えた――つまり、カルムへと転移していったのだった。
一人、空中へと転移したラグナは、眼下に広がる光景を睥睨する。
(城壁……問題なし。内部への侵攻……なし。防衛隊、防衛兵器の損害……甚大。壁外の敵性存在……多数。壁外での戦闘、及び作戦行動中の部隊……なし)
ラグナは自由落下しながら、耳元に付けた魔道具――通信結晶のダイヤルを合わせる。そして、収納魔法陣より、二振りの魔剣を引き抜いた。
「作戦A継続。秘奥発動まで……三、二、一――」
抜き放たれた魔剣の銘は誘魔剣キュバレー、そして、不定剣ゴースレフ。
その秘奥が今、解き放たれる――。
「不定誘魔――秘奥融技〈魔導散禍〉」
重ね合わせた二振りの魔剣、放たれる秘奥は融合され、一振りの魔剣では不可能な芸当を可能にする。
誘魔剣の能力は、文字通り魔力や魔法を誘導すること。魔剣の剣身や剣閃に、魔力を誘導させることができる。
不定剣の能力は、己の形や数を変成させる、というもの。剣身を伸ばしたり縮めたり、己の剣身を複製してみたり、まさしく己を一定としない魔剣だ。
秘奥融技により、二つの魔剣の秘奥は混ざり合う。
誘魔剣の秘奥〈爆蓄魔刃〉――誘導した魔力や魔法を剣身へ蓄積、限界を超えると魔剣そのものを起爆する秘奥――が不定剣に付与され、それが不定剣の秘奥〈散撃〉――不定剣の刃を任意の数だけ分割、展開する秘奥――によって一二八本に複製される。そして、一二八本の〈魔導散禍〉が、城壁を攻め落とさんとするイブリス軍へと放たれていく。
ラグナは、イブリス軍の指揮官と思われる部隊や特に危険度が高そうな部隊、計五部隊を選定。それらに対し、部隊の前後左右、そして中央に一本ずつ〈魔導散禍〉を配置。
さらに九七本は、イブリス軍全体を囲むよう、円状に設置した。
「〈魔導散禍〉、配置完了」
ラグナは通信結晶に向かって、配置が完了したことを報告する。
それとほぼ同時に城壁の上に着地、自由落下の旅を無事終えた。着地は、風魔法のクッションで衝撃を中和している。
すると、それを聴いた一人の兵士が、入れ違うように城壁から飛び降り、大槌を振りかぶる。
「援陣槌――捌の陣〈魔轟灰陣〉!」
彼は大槌――援陣槌ウィズクレスの秘奥を解放、振りかぶったそれを、着地と同時に地面を叩きつけた。
援陣槌の一振りは大地を砕き、無数のヒビを走らせる。そのヒビを秘奥の魔力が突き進み、さらなる地割れを引き起こす。
やがて援陣槌の秘奥は、先に放たれた〈魔導散禍〉へと誘導され円状の外周が形成、〈魔轟灰陣〉の範囲が決定される。
本来、援陣槌による陣の形成は、所有者の手によって設定するものだが、〈魔導散禍〉を楔とすることでその手間を省くことができる。
〈魔導散禍〉の性質を応用した、ある種の連携と言えるだろう。
「〈魔轟灰陣〉、外周設定完了!」
外周さえ決定してしまえば、あとは自動的に陣の内部が構築されていく。
とはいえ、〈魔轟灰陣〉の直径は約二キロほど。魔法効果が発揮されるまで、数秒程度は掛かるだろう。
しかし、イブリス軍は既に、こちらの仕掛けに気がついているはず。数秒程度といえど、待っている余裕は無い。
「――――ッ!!」
〈魔轟灰陣〉の外周完成報告を受け、城壁内部より怒号――魔法斉射の指示が響き渡る。
その直後、無数の魔法が城壁内部より放たれる。それらは城壁を飛び越え、イブリス軍がいる方向へ向かっていく。
しかし、どの魔法も「放物線を描く」、「城壁を飛び越える」くらいの指向性しか設定されていない。
そこで、ラグナの〈魔導散禍〉の魔法誘導が役に立ってくる。
「魔法誘導、開始」
ラグナは手元に残して置いた六本を操作。それぞれの〈魔導散禍〉に魔法を誘導、五本を先ほど指定した敵部隊へ直接誘導し、最後の一本は一度上空へ上昇させた。
さらに、〈魔轟灰陣〉構築用の楔に使った九七本も操作、それぞれを上から小・中・大の三重の円を作るよう空中に配置する。
「〈魔轟灰陣〉、起動!」
魔法師部隊による魔法斉射の二秒後、〈魔轟灰陣〉起動の報告が入る。
魔法斉射が〈魔轟灰陣〉の起動を持たなかったのは、斉射から着弾までのタイムラグ中に起動することを読んでいたからだ。
その間に、指定部隊へ放った五本の〈魔導散禍〉は、既にそれぞれの部隊の中心部へ到達寸前。上空に放った一本は、三重の円を構築する〈魔導散禍〉の中心、その直上にあった。
――全ての準備は整った。
「〈魔導散禍〉、誘爆開始」
ラグナがそう言うと、魔法を誘導していた六本が急停止、背後より飛来する魔法に追いつかれ呑み込まれる。
その直後、呑まれた〈魔導散禍〉が魔法の魔力を全て吸収し――ドドドドォォォォォッ!! と巨大な爆発を巻き起こした。
指定部隊へ誘導した五本は、その爆発が事前に配置された〈魔導散禍〉に誘導され、中心の一本が起爆。
さらに、前後左右に配置した四本の〈魔導散禍〉に誘導され起爆、爆破範囲と威力を数倍に拡大しながら部隊全体を呑み込んだ。
上空に放った一本は、その爆発が下の円状に配置された〈魔導散禍〉へ誘導され、爆破範囲が引き伸ばされる。
こちらは、ラグナがさらに九七本の〈魔導散禍〉を操作し、円を拡大させながら地上へ降下させていく。
そして最初の爆発を、爆破範囲の限界ギリギリで上段の小円にて受け止め起爆。以降、中段の中円、下段の大円でも同じ事を繰り返し、その爆破範囲は〈魔轟灰陣〉内全域に及ぶほどに拡大されていった。
本来であれば、ここまで威力も範囲も増大されることはない。
だが、〈魔轟灰陣〉の秘奥効果――陣内部の魔力・魔法攻撃の威力を数倍に増大させる――によって、それを可能としていた。
つまり、作戦Aの全容はこういうことだ。
①ラグナが上空よりイブリス軍の配置等を目視で確認、誘魔剣・不定剣の秘奥融技〈魔導散禍〉を発動、設置。
②大槌の兵士――レグリオ・ウルキュラスが、外周に設置された〈魔導散禍〉を利用し、援陣槌の秘奥〈魔轟灰陣〉を構築。
③魔法師部隊が、転移前に詠唱完了していた魔法を一斉掃射。
④ラグナがその魔法を〈魔導散禍〉にて誘導。同時に、〈魔轟灰陣〉外周構築用の〈魔導散禍〉を操作し、起爆に備える。
⑤〈魔轟灰陣〉起動を確認後、すぐさま誘爆。〈魔轟灰陣〉内のイブリス軍を一掃する。
転移魔法による奇襲能力、ベルスティア軍のハイレベルな魔法行使力を活かした、奇襲殲滅作戦である。
一瞬にして魔法爆発に呑み込まれた城壁外部を冷ややかな目で見据え、ラグナは城壁外部へと飛び降りる。
そして新たな魔剣を抜き放ち、次の展開に備える。
そこに、援陣槌を構えたレグリオがやってきて、さらに城壁の上から幾人もの兵士が降りてくる。
「援陣槌――肆の陣〈不退背陣〉!」
レグリオが城壁に向けて援陣槌を振るい、その秘奥を叩きつける。
城壁を起点として、城壁の外部と内部に別々の陣が構築されていく。
〈不退背陣〉の秘奥効果は、内援陣――〈守護援陣〉内部の者たちの攻撃力を奪う代わりに守りを強化し、外援陣――〈攻勢強陣〉内にいる者たちへ〈守護援陣〉により奪った攻撃力を付与、強化し、代わりに〈守護援陣〉内への入陣を封じるもの。
ラグナたち城壁外部にいる部隊は、戦闘力を強化される代わりに不退転の覚悟を強制された。
しかし、それを悲観するものは誰一人いない。
なぜなら、カルムを防衛し、ベルスティアに平穏をもたらすことが彼らの使命。
それを果たすためなら、自分の命をかける覚悟くらい、疾うの昔にできているからだ。
先の一撃は、あくまでも反撃の狼煙に過ぎない。
本当の戦闘は、これから始まるのだ――。