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5 必要な距離

 やがて、庭園の空気がわずかに変わった。


 ざわめきが一段、柔らぐ。

 人の視線が、自然と一点へ集まっていく。


(……来たのね)


 公爵家嫡男、フレデリック・ディクソン。


 主役が顔を出したことで、ガーデンパーティはようやく「それらしい形」を整え始めた。

 談笑の輪がいくつもでき、先ほどまでの張りつめた空気は嘘のように薄れている。


 彼は数人の令嬢に囲まれ、形式的な挨拶を交わしている。

 柔らかな微笑。丁寧な相槌。

 社交の場において非の打ちどころがない対応だった。


(噂ほど愛想が悪いわけでもないのね)


 ただし、距離は一定以上縮まらない。


 令嬢が身を乗り出せば、彼は一歩引く。

 話題が個人的になりそうになれば、自然に切り上げる。


 親しげに見えて、決して踏み込ませない。


(……上手)


 無自覚ではないだろう。

 あれは、経験から身についた線引きだ。


 令嬢たちが期待する「特別」は、どこにも用意されていない。


(婚約に前向き、とは思えないけれど)


 それでも、誰一人として無下にはしていない。


 義務としての社交。

 それ以上でも、それ以下でもない。


 リラは紅茶を一口含み、先ほどの出来事についてぼんやりと思い返す。


(……少し、目立ちすぎたかしら)


 そう思いつつも、後悔はない。

 放っておけば、あの場はもっと拗れていた。


 淡いセージグリーンのドレスの裾を整えながら、視線を伏せる。


 貴族社会では、目立たないことが何よりの処世術だ。

 それを崩すつもりはない。


(余計なことはしていない。必要なことをしただけ)


 そう言い聞かせるように、思考を整えた、そのときだった。


「先ほどは」


 聞き覚えのある低い声が、近くで止まる。


 顔を上げると、フレデリックが一礼していた。


「場を荒立ててしまった。あなたに余計な手間を取らせたこと、謝罪する」


「お気になさらないでください」

 リラは穏やかに首を振る。

「あの場では、誰かが収める必要がありましたから」


 事実を述べただけだった。


 彼は一瞬、言葉を探すように視線を泳がせたあと、続ける。


「それでも、あなたがいなければ長引いていた」


「……そうかもしれませんね」


 礼も謝罪も、過不足がない。

 やはりこの人は、合理的だ。


 リラは紅茶に視線を落としたまま、何気ない調子で口を開く。


「ところで」


 フレデリックの視線が向けられるのを、肌で感じる。


「今日のような場、お疲れではありませんか」


「慣れている」


 即答だった。


「では……」

 少しだけ間を置く。

「こうした場で、何かを“決める”ご予定があるのかしら」


 直接的すぎない言い回し。

 だが、意味は十分に伝わる。


 フレデリックは、ほんのわずかに口角を下げた。


「期待されていることは理解している」


 それだけ言ってから、続ける。


「だが、個人的な希望とは一致しない」


 やはり。


 予想通りの答えに、リラは内心で静かに頷いた。


「そう……」


 評価もしない。

 同情もしない。


 ただ、同じ立場の人間として受け止める。


「失礼ですが」

 フレデリックが問い返す。

「あなたは?」


「私も、似たようなものです」


 簡潔な答え。


 それで十分だった。


 短い沈黙が流れる。

 不快ではない。


「今日はこれで失礼します」

 彼は一礼した。

「改めて礼を」


「ええ」


 フレデリックが去ったあと、リラは小さく息を吐いた。


(……やっぱり、間違っていない)


 彼は婚約を“必要”とは思っている。

 だが、“欲して”はいない。


 噂から想像していた人物像と、大きくは違わない。


 感情を優先しない。

 立場を理解している。


(なら、話は早い)


 胸の内で、静かに歯車が噛み合っていく。


 浮き立つような高揚ではない。

 けれど、考えが一つの形を成し始めていた。


 次に話すときは――

 もう少し踏み込んでもいい。


 リラはカップを置き、静かに立ち上がった。


 確認は、できた。


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