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2 静かな家と、選ばれない立場


 王都の朝は、どうにも騒がしい。


 窓の外から聞こえてくる馬車の音、人の呼び声、商人たちの威勢のいい声。

 リラはベッドの上で身を起こし、カーテン越しの光に目を細めた。


「……やっぱり、落ち着かない」


 ぽつりと呟いてから、苦笑する。


 王都に滞在するのは、舞踏会の季節だけだ。それ以外の時期は、領地にある屋敷で過ごす。決して大きくはないが、古い木々に囲まれ、風の音と鳥の声がよく聞こえる、静かな場所。


 ――早く、帰りたいな。


 そんなことを考えながら、リラはゆっくりと身支度を整えた。


 朝食の席には、すでに父と兄がいた。


「おはよう、リラ。昨夜はよく眠れたかい?」


 柔らかな声で父が言う。


「ええ。問題なく」


 そう答えながら席につくと、兄が少し探るような目でこちらを見る。


「舞踏会はどうだった?」


「……いつも通りよ」


 端的に返すと、兄は小さく笑った。


「だろうな」


 それ以上、踏み込んでこない。その距離感が、リラにはありがたかった。


 食事を進めながら、父は何気ない口調で言った。


「今朝、いくつか縁談の話が届いていてね」


 来たか、とリラは内心で思う。


「正式なものではないが、顔合わせくらいはどうか、と」


「……そう」


 フォークを止めずに返す。


 結婚適齢期。

 社交界に出て数年、婚約者のいない令嬢は、少なからず奇異の目で見られる。


 もっとも、リラの場合は“あまり目立たない”という点で、ぎりぎり均衡を保っていた。舞踏会でも、噂話の中心になることはない。誰かに強く求められることも、強く拒まれることもない。


 ――中途半端。


 それが、自分の立ち位置だった。


「無理に決める必要はない」


 父は、少し言葉を選ぶように続ける。


「だが……このまま何も動かないのも、心配でね」


「わかってるわ」


 リラは顔を上げ、穏やかに微笑んだ。


「考えてみる」


 父はそれで納得したように頷いたが、兄はどこか納得していない様子で眉を寄せていた。


 食後、自室に戻り、窓辺に腰を下ろす。


 机の上には、縁談候補として名前を聞いたことのある家のリストが置かれていた。


 伯爵家の次男。

 子爵家の嫡男。

 官僚として無難な評価を受けている人物。


 ――どれも、当たり障りがなさすぎる。


 欠点はない。だが、強く惹かれる理由もない。


 リラは紙束を指先で揃えながら、小さく息を吐いた。


「……馬鹿馬鹿しい」


 自分の人生が、書類の上で整えられていくような感覚。


 結婚すれば、きっと穏やかに暮らせるのだろう。

 領地を守り、子を産み、社交をこなす。


 ――それで、私は満足できるの?


 答えは、出ていた。


 ふと、昨夜の出来事が脳裏をよぎる。


 薄暗い廊下。

 一歩踏み込めば、面倒事に巻き込まれると分かっていた場面。

 それでも、身体は迷わず動いていた。


 ――どうして、私はああしたのだろう。


 相手が誰だったから、という理由ではない。

 あの青年の顔立ちや立場も、正直どうでもよかった。


 ただ、あの部屋に漂っていた、逃げ場のない空気。

 それが、自分自身の置かれている状況と、どこか重なって見えたのだ。


 リラは机に肘をつき、指先を組む。


 このまま、当たり障りのない縁談の中から一つを選び、

 穏やかで、退屈で、波風の立たない人生を受け入れる。


 それが“正解”なのだろう。


 けれど。


 ――本当に、それでいいの?


 心の奥で、小さな問いが繰り返される。


 誰かに選ばれるのを待つだけの立場。

 自分から何かを選ぶことを、最初から諦めている在り方。


 リラは、昨夜の自分を思い出す。


 状況を見て、判断して、動いた。

 誰に指示されるでもなく。


 あの瞬間だけは、確かに、自分で自分の立ち位置を決めていた。


「……何か、ないのかな」


 小さく呟く。


 結婚以外の道。

 社交界に縛られない生き方。


 簡単ではない。

 けれど、不可能とも思えなかった。


 リラは窓の外へ視線を移す。


 王都の向こうには、街があり、国があり、さらにその先には、まだ見ぬ土地が広がっている。


 今すぐではない。

 けれど、何かを変えるための一歩を、踏み出すことはできるはずだ。


 そう考えると、胸の奥に、わずかな熱が灯った。


 それは恋でも、衝動でもない。

 ただ、閉ざされた場所から抜け出したいという、静かな意志だった。


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