イワトビペンギン
(壊れた音楽が鳴る)
ある女とある女が、マンションを一室購入した。高層マンションの最上階、二人で金を出しあったとはいえかなりの金額である。
「髪、切ったんだねぇ」
「入居記念に切っちゃいました。知ってます? 髪短いとシャンプーで髪を立ててイワトビペンギンごっこができるんですよ」
「なるほどねぇ。昔、短くされたことはあったけど、気がつかなかったなぁ」
「今は心に余裕がありますからね。いろいろ気づくことができます」
「うん。でも、思い切ったね。長い髪、気に入ってたんでしょう?」
まるで空の上で暮らしているかのような気分になるこの部屋に、家具は一つもない。
「きっとあの人は、ううん、きっとじゃなくて絶対、あの人は、髪が短くなっても私って気がつくはずですから」
「ああ、そうだ。メイクを落とさないとね。すっぴんのほうがすぐわかってもらえるだろうし」
「照れくさいですね」
「私と一緒にお風呂に入るのが?」
「そうです、今更ですけど、今更ですから」
広いリビングに置いてある段ボール箱の中から安物のクレンジングオイルを取り出して、床に服を脱ぎ捨てバスルームへと移動する。
「いやほんと、高いだけあって良いお風呂だねぇ」
「二人で力をあわせたからこそ、買えましたね」
「だねぇ。ああ、シャンプーも買っておけばよかった」
「見たかったですか? 私のイワトビペンギン」
「うん。見たかったねぇ」
二人はメイクをしっかり落とすと、さほど身体も洗わず、そして、さほど身体も拭かずリビングへと戻った。
「では、やりますか」
バルコニーにつながる大きな窓を開けるとやや強い風が入り、二人の身体を這い流れる水滴を乾かそうとする。
「うん、やろうかぁ」
段ボール箱の中には頑強そうな縄が二本あった。長さはまるで、同じ。
「カーテンは、開いているみたいですよ」
「あのカメラも高かったねぇ」
「機種もいろいろあって、選ぶの難しかったですね」
床に置いたスマートフォンの画面に映っているのは、このマンションの向かい側にあるビルの一室に仕掛けたカメラから送られてくるリアルタイム映像。
「最上階より安いんだろうねぇ」
「あの二人は、賃貸ですからね。無理して借りてると思いますよ。旦那が、縁もゆかりもない一族経営の会社なんかに幹部待遇で入っちゃいましたからね。まわりにあわせるのに必死です」
望遠レンズが撮り続けているのは、二人が買った部屋から数えるよりも下から数えたほうが早い六〇一号室。盗撮されていることなどまるで気がついていない、夕飯を楽しむ若い夫婦の姿である。
「さすが興信所勤め、詳しいねぇ」
「職権乱用しちゃいましたからね」
二人はしばらくスマートフォンを眺めてから電源を落とすと、バルコニーへ出た。
「さすが高級マンション。あと三人くらいなら耐えられそうだねぇ」
バルコニーを囲む壁の上に取り付けられた手すりに縄を結び付けながら、その強度に感心する。
「すごいですね。よくできてます」
そして。
縄の、手すりに結び付けていないほうの先に輪を作ると互いの首にかけた。
「ちゃんと印通りだねぇ」
「さすが私たちですね」
「そうだねぇ」
二人は縄に着けた四つの赤い印を確認する。これはとても、大切な印。
「じゃあ、また来世で」
「そのまえに、あの世であいましょう」
高層マンションの最上階から、ある女とある女が飛んだ。
ヒュワン。
縄はちょうど、六〇一号室のバルコニーに面した窓からよく見える位置で身体が止まるくらいの長さ。もちろん、勢いと重量で伸びる分も織り込み済みだ。
ガクン。
狙い通り、二人の死体が、学生時代自分たちのことを散々いじめた女が愛する旦那と幸せに暮らす六〇一号室のバルコニーの前にぶら下がる。
ビヨン、ガクン、ビヨン、ブラン、ブラン、ブラン。
衝撃で骨が外れて伸びた首、六〇一号室の住人がぶら下がった物体の正体を認識するまでには少しだけ時間を要するだろう。
(成功しましたね)
(成功したねぇ)
揺れ続ける死体から抜け出した二人の魂が向かいあって、微笑みあう。その笑顔を祝福するように鳴り響いたのは、ついさきほどまで旦那と夕食を楽しんでいた女の絶叫。
(復讐、できましたね)
(うん。上手に、できてよかったねぇ)
嗚呼、君よ忘れるな。誰かを壊すことができるのは、あなただけではない。