第六章
「これは何?」
俺はとあるものを担いで、道を沿って歩いていくプーちゃんに話しかける。
石かな。大きくて、ずっしりとした感じだ。
「鳥の卵だよ」
プーちゃんは早く家へ戻ろうと、立ち止まることなく歩を進めた。
重いから早く済ませたい気持ちは分かる。
「なんの鳥だ?」
鳥の卵というのは少し微妙な大きさだ。変わった卵だね。見たこともない。
「ジェリー鳥という鳥だよ」
「ジェリー鳥って、えっ? あのジェリー鳥?」
ジェリー鳥はよく外で見かけた鳥の名前だ。群れで田んぼや人んちの屋上で暴れまくることが大好きな馬鹿鳥で、捕まえやすく、焼いて食べるとおいしい。
手のひらくらいの大きさだったはずのジェリー鳥は、卵はこんなに大きいなんだっけ。
「そう。あのジェリー鳥なの」
「へえ~ジェリー鳥って案外、尻がおっきいね。だから十倍身長の卵も産めるんだ」
俺はふざけた口調で言った。
「信じないなら別に話に付き合う必要はないでしょ。ジェリー鳥は産卵の頃、卵は普通の大きさで、時間が経つにつれだんだん大きくなるのよ。一個の卵で十数匹のジェリー鳥が生まれるからね。本当、ケアルはな~んにも分からないよね――」
俺の人を愚弄するような言い方に大変おかんむりのようで、彼女はほっぺを膨らませて解釈気味で意趣返しをする。
プーちゃんの不満顔はとても可愛くて、人差し指で彼女のほっぺを突きたいくらいだ。そうすると、「プ~」という音が出してしまうのではないかと、おかしくて笑っちゃう。
怒られるのでやめておこう。
なるほど、卵一個分でたくさん食べられるというのか。こんなに育つものであれば空気中のマナもたっぷり吸ったんだろう。
地球と違って、異世界の空気中はマナが充満している。多くの植物は、それを活動エネルギーとして吸収する。
それは植物ならそうだが、動物はそれを活動エネルギーとして吸収しない、むしろできないと言っておこう。しかし、あの馬鹿鳥はなぜかは分からないが、それができる。
「それで、家に帰って孵化するのか」
「そうよ。今帰る途中」
「じゃ、俺も手伝おう」
そう言って、卵の搬送を手伝うことにした。
ジェリー鳥も食べたいので、手伝ってあげれば一匹二匹もらえるではないかという算段だ。
「どうせ、食べたいだけでしょ。ケアルの考えはすぐわかるんだもん」
プーちゃんは早くも俺の考えを察していた。
「いやいやいや、ジェリー鳥を食べたいなんてちっとも思っていないよ」
「よだれ垂らしているじゃん」
「えっ――ええええ……!」
俺はすぐによだれを拭いた。
やばい、ちょっとバツが悪すぎる。ここは一旦誤魔化そう。
まじか、俺のやりたいことは本当にすぐ顔に出してくるのか。
プーちゃんはクスクスと小さい声で笑った。どうやら怒っていないみたいだ。
「すべてはお見通しよ」
「えっと、これはですね、ぼく、今日はちょっと風邪を引いたから、先のはよだれではなく鼻水よ」
なんか恥ずかしくなってきた。
「そんなに食べたいなら言えばいいのに」
にこりと微笑んで、プーちゃんは俺の手を取った。
「一緒に帰ろう」プーちゃんは言った。
プーちゃんの声は、まるでりんご飴をかじる音のように明るくて澄んでいた。その言葉が、たとえどんな境遇にいようと、帰れる場所はあって、彼女はずっとそこにいると、そのように聞こえた。
いつも俺に微笑んでくれてたぷーちゃんだが、なぜだろう、この微笑みだけがずっと忘れていなかった。
少女の無意識な一言や、だれもが見とれてしまうほどのその美しい笑顔、金色燦爛と輝く夕方の凄絶な景色、そして少女の小さな手のひらの温もり、そのすべてが俺の心を激しく揺さぶっていた。
そして、その笑顔を守りたいと、彼女とずっと一緒にいたいと、あの頃の俺はそう願っていた。
目覚めると家にいた。
視界中央の強制的警告文はもうすっかりと消え、MPも全回復した。
いつも通りの朝、いつも通りのバラック小屋。
いや、漠然とした違和感があった。
なんだろう。変なのにその違和感がうまく当てられなかった。家の中には変化がない。ただ、かすかな何かが空気の中に混ざっているような感じだ。
俺は外に出て、辺りを見渡す。普通であれば農民の姿はよく見かけるはずだが、今日は人がやけに少なく、妙な静寂さが村を支配した。
何が不条理なものが頭上にあった気がする。
待って、空の様子はおかしい。
空を見上げると俺は驚愕した。
それは歪んだ何かに変貌して、世界を呑み込もうとする巨大な深淵のようなものに見える。
うす緑の何かが上空に漂っていて、青空が少し黄みがかった色になっている。
異世界特有の風景なんてあり得ない。俺を馬鹿にするな。そんな空は記憶にあったはずもない。
家族の二番目の兄は田んぼにいた。
彼は
俺は走って兄のところへ行った。
でも兄さんは顔がよくないように見える。ゴブリン生来の緑色の肌は、少し灰色になった。
「兄さん、どうしたの?」
俺は心配の顔で尋ねる。
兄さんは俺を見て、「ああ、ケアルか」と返事した。
力のこもっていない声だった。
「顔色が優れてないよ」
「そうなの? でもずっとこうだよ、皆も」
ずっとこうって、いつも元気いっぱいだったのに、やけに痩せたんじゃないか。それに、皆もこうだったという話は、まことなのか。
俺は近くの農民を見やる。いそいそと働いている彼らの動きでは、鈍くて、状態がよくないことが分かった。
田んぼではたらいている農民の数も少ない。それに、ぜーぜーと細い気管から漏らす声と咳き込み続ける声が聞こえる。その痛ましい声に心がえぐられたような感じに苛まれた。
目覚めた後、世界が変わった。考えられる可能性はただ一つ。俺の発動したユニークスキルで世界を変える余波が生じたのだ。であればすべてが俺のせいになる。
勇者を倒したことにドジを踏んだのか。なんということだ。
それにこの忌々しい緑色の霧は、どこかで見たことがある。思い出せない。
とにかく、鑑定で各所の人々を鑑定してみよう。俺の鑑定スキルはMPが消耗しないから、節約する必要はない。
『鑑定』
<名前:鑑定不能>
<種族:ゴブリン>
<状態:毒状態、衰弱>
<レベル:鑑定不能>
<HP:36/『鑑定不能』 MP:『鑑定不能』/『鑑定不能』 SP:『鑑定不能』/100 攻撃力:『鑑定不能』 防御力:7>
<スキル:『毒耐性LV4』『斬撃』『鑑定不能』『鑑定不能』『鑑定不能』>
村の皆は全員毒状態だった。それに、『毒耐性』がついている。
毒状態になったのは、おそらくこの霧のせいだ。『毒耐性』すらLV4以上に上がっていることから考えて、おそらく毒に侵される時間は長い、少なくとも半年以上だ。
『毒耐性』があればそんなにたやすく毒に殺されやしない。でも半年前、『毒耐性』のない頃に毒状態にかかっても死んでいない。それは、あの頃の毒がそんなに強烈じゃないからか。
いや、死人は出たはず、だって、明らかに村の人数は減っている。
今の毒は猛毒に進化している。
俺も毒にかかったのか、身体がなんだかだるくなっている。そうだが、そんなに深刻ではない気がする。とりあえず自分のステータスを見て見よう。
<名前:ケアル>
<種族:ゴブリン>
<レベル:3>
<HP:39/39 MP:73/257 SP:87/100 攻撃力:3 防御力:3>
<スキル:『凍結魔法LV3』『鑑定LV2』『過去通路LV2』『未来視LV3』『世界情報LV1』『魔導力LV2』『火炎耐性LV3』『毒耐性LV8』『成長呪い』『成長加速LV1』>
<称号:『勇者殺し』>
『毒耐性LV8』だった。転生前の俺はまだ『成長呪い』の呪いを持っていない。つまり『毒耐性』のスキルの習得は可能だ。
ほかの人よりも俺の成長速度が速いわけで、スキルのレベルは平均値の二倍以上も超えた。
だから俺には毒があまり効いていない、その原因でHPの自然回復速度はHPの毒ダメージ量より上回った。
そうだ、プーちゃんは?
プーちゃんは変わらないだろうか。無事でいてくれれば幸いなのだが、無事になれるはずもない状況だと、村を見てすぐ分かる。
「ぼく、行ってくる」
そう言って、俺は鍛冶屋へまっすぐ向かって行った。
田んぼから道路へ上ると、人が道端に倒れているのが見え、次第に心が痛む思いがして、手がふるえていた。
鍛冶屋へ進むと、両足が重りをつけられたような重い感じがして、一刻も早くこの場から逃げ出したい衝動に駆られてしまった。俺は何度も足を止めた。
でも、もしかしてプーちゃんは突拍子もなく部屋から出て、笑顔いっぱいで俺の手を握りしめ、「一緒に遊ぼう」と俺を中庭へ連れていくかもしれない。心配はいらないと自分に説得をして、俺は鍛冶屋に入った。
そしてプーの父はいた。
彼は視線を何もない天井へと向けたまま、独り言を繰り返していた。
その目には光もなく、瞳孔も病的に拡散していた。前方の焦点は失っていて、なにも観察していないように見える。彼はただぼうっとしているだけだった。
その目は、この世界に対する期待や興味も、ことごとく砕け散っていた、見事な絶望の目だった。
プーは、どこにいる?
その問いに俺は切り出せなかった。もう想像はついた。いやな予感はほとんど確信となって、俺は現実の冷たさに襲われ、吐き気がしそうなほどに苦しかった。
それでも、何か間違いがあるんじゃないかと、俺はプーの父の所へ進んだ。
「うん? ――今日は閉店です。しばらく……おや? ケアルじゃないか」
足音に気づいたか、俺に向けてプーの父は言った。
「はい」
たくさん聞きたいことがある。けど、俺はそれしか言えなかった。
「プーちゃんを探しに来たのかい?」
そう言って「プー、友達が来たよ」と、庭の人に聞こえるように大声を出した。
そ、それは、まさか、プーちゃんはまだ大丈夫なのか。
プーちゃんが無事だったことはなによりも嬉しい。
しかし、返事はなかった。
どういうこと?
待つ時間も与えずに、プーの父は俺を連れて、庭へ行った。
最後まで、俺はプーちゃんがかならず、ひょっこりと庭の出入り口から頭をのぞかせてくるのを信じていた。
でも、プーちゃんは終始現れなかった。
そして、庭へ入った俺は、その瞬間、目に光が失った。
庭に人はいない。正確に言えば、プーちゃんがいる。
それは丸石が隆起した丘を囲んだ形の、プーちゃんの墓だった。
ゴブリンはどうってあろうと、所詮下賤なやつに過ぎない。彼らが死んだって、埋葬や墓作りなどの行いは一切なく、屍はそのまま野原で放置され、他の野獣の食糧になると、人間はそう思っていた。
しかし、ゴブリンは家族のことをとても大切にしていて、簡潔ではあるが、一応身内の死者を安らかに眠らせるため、埋葬の習わしがある。
「私は、娘を自分のそばに置いていたいんだ。こうもしないと、心が壊れてしまう。なあ、ケアルよ、この毒の霧は、いったい誰のせいなんだ?」
プーの父はいきなり俺の方へ向けた。
その視線の威圧に、俺はたじろいだ。
もちろん、プーの父の指す「誰」というは俺のことではないことは知っている。でも、プーの父は知らない、俺が未来を変えたことを、そしておそらくその改変は間接的にプーちゃんを殺したことは知らない。
「もしその毒を作り出した魔物の正体が分かったら、私はあいつを殺す。だが、あいつは毒の最も深いところにいる。あそこはだれでも出入りできない」
毒の正体、それを作り出した魔物は間違いなく勇者を殺めたあの結晶マタンゴだ。あいつは成長加速のスキルを持っている。今はどう成長したのか想像もつかない。
「ぼくは毒の正体が分かる」
俺は腹をくくって言った。
「分かるってどういうこと?」
「お父さん、心配はいらない。プーはかならず救ってやる。これはぼくにしかできないことだ」
もう死んでいたはずのプーちゃんを救う。それは復活させるということであれば、子供の戯言なのだろうと思われてしまうだろう。それでも構わない。俺の言葉には何一つ偽りがないのだ。
プーの父は最初は驚いた表情で俺を見る。でも、彼は次第に表情がやわらかい微笑みに変わった。
「プーの友達になってくれて、本当にありがとう」
その話を聞いて、俺の中に抱え込んでいたうしろめたさは一層深くなっていた。
これは俺のやるべきこと、やらなければいけないことだ。なぜなら、プーちゃんの死は、俺にも責任がある。
「はい」
そう言うと同時に、俺は駆け足で庭を出た。
俺のMPはまだ足りていない。二日も経てば全回復はできるが、MPをゼロまでがんがん使っちゃうと色々危ないし、念のためこれからのMP振り分けも大事にしよう。
明日は『未来視』を使って村の未来を見る。そして明後日は『過去通路』を使って結晶マタンゴ対策をする。
うむ、そうしよう。
スキルを一通り使うとMPがゼロになってしまうので、悪意の含まれているドッキリに付き合わされた気分だ。