第九十四話 それが聞きたかった
「――っと」
ショーコ達が再び現出したのは、共和国の首都から離れたとある森の中の湖だった。
地面に突き立てられていた槍を引き抜くヨーカ。彼女の瞬間移動魔法は先の騒動を経て四人以上での移動も苦無くこなせるようになっていた。
湖にはショーコ達の飛行艇――アドリヴァーレ号が浮かんでいた。
ハイゼルンが立てた脱走計画の下、逃走用の脚として、予め人目につかない湖に移されていたのだ。
艇の手前に人影が二つ。マイとレオナだ。
「無事に来れたようだな。獄中生活はどうだった?」
マイがショーコに問う。なぜかちょっと口角を上げている。
「……なんでニヤけてんのマイさん」
「いや、フェイ達と魔法通信で繋がっていたから、お前の情けない泣き声も聞いていてな」
「ひ、人がムショにブチこまれてたってのにコノヤロッ……!」
「ハッハハハ、性悪だろう、この女は」
レオナがカラカラと笑いながらマイの肩を抱いた。
ショーコが知る限り、マイとレオナはどっちが強いか意地を張り合うような喧々した関係性だった。ましてや本気で剣を向け合い、命のやり取りをした後だというのに、なんでこんなフランクになってんの。
「な、なんか随分ゴキゲンだねレオナさん。マイさんと仲直りできたみたいでよかったとは思うけど」
「ああ、いやなに、長年ずっと私のことを嫌っていると思っていた相手が、実は私のこと大好きだってわかったからね」
レオナがわざとらしくマイに視線をやる。マイはものすっごく不満げに顔をしかめた。
「……そんなこと言ってない」
「あれ? そうだったかな? じゃあなんて言ってくれたんだっけ。また言っておくれよ、あの時と同じ言葉を」
満面の笑みで顔を近づけるレオナに、マイはバツの悪そうな表情を浮かべる他なかった。
「ちょちょちょ、なんか知らんけど急いだ方がいいっぺよレオナパイセン。ショーコっちが脱走したってもうバレてるから、今頃首都はテンテコマイパイセンになってっすよ」
「おっと、それはグズグズしてられないな」
レオナがヨーカの言で我に帰り、マイの肩から腕を解く。
そして、ショーコに向き直り、姿勢を正して低頭した。
「改めて謝罪させてくれ、ショーコくん。不甲斐ないが、今の共和国はキミに罪を押し付けることしかできない。集団というものは、誰かを攻め立てないと安静を得られないものなんだ。これから共和国は、君を追い立てるだろう。本当にすまない……それと、本当に……本当にありがとう。私を止めてくれて」
「い、いや、あたしゃそんな大したことは……」
「キミがいなければ、私は“南方の離れ山”の魔物達を残らず殺していただろう。そして、一生悔い続けたに違いない……これからは、魔物達への贖罪に尽力するよ。まずはあの山を蘇らせることが最優先だ。“新造魔法”は解いたが、“マナ”は枯れたままだからね」
“南方の離れ山”の土壌は未だ荒れ果てている。草木が枯れ、水も干上がった土地では“マナ”の精製量が極端に少ない。そこに暮らす魔族は依然、食糧難の状態なのだ。アークエデンが遠方まで飛翔し、“マナ”を集めて帰還するにも限度がある。
「手っ取り早く他の場所に引っ越した方がいいんじゃないの?」
「それはできない。あの山に隠れ住む魔物達は、必要以上に山から離れない条件で降伏を認められた。それは口約束でなく、魔法契約によるものだ。強力な制約で、簡単に解くことはできない。あのドラゴン――お前がビビと呼ぶドラゴンが山を離れられるのは、おそらくこの十五年間に新たに生を受けた魔物なのだろうな」
レオナに代わってマイが答えた。
魔族の出生率は――その生態は未だ謎だらけだが――人間のそれに比べると極めて少ないので、十五年前当時は新たに生まれる魔物のことなど気にかけていなかったのだろう。単にザル契約とも言えるが。
「あの山の“マナ”を蘇らせる方法は一つ。“大魔導ガンドア”様の御力を借りる他ない」
レオナが口にした御大層な肩書きにショーコは息を呑んだ。名前の頭に大魔導なんてついてりゃビビって当然だ。
「ガンドア様は世界最強の魔法使いだが、〈北ホーコン大陸〉の奧にある深い谷の底で俗世と関わりを断った隠居生活を送っておられる。これがマイに輪をかけた曲者でな。助力を乞うにも骨が折れるだろう」
レオナの言にマイが鼻を鳴らした。
なんにせよ、これでショーコの次のミッションが決まったワケだ。
「そんじゃあ、私達の次の目的地は北の大陸だね」
「ん?」
「えっ?」
「いや、別にそういうワケではない」
「えっ」
レオナの予想外の返答にショーコは面食らった。
てっきりまた「ガンドア様を連れてきて」なんて頼まれるのだと思っていた。その為に脱獄させたのだと。
異世界に来てからというもの、あっちへ向かえこっちに行け、あれをやってくれこれをやってくれの連続だったから。
「じゃ、じゃあ私はどうすれば……脱獄犯としてずっと逃げ続けろと……?」
困惑するショーコに、レオナがハッキリした口調で答える。
「ショーコくん、キミは自分の世界に帰るんだ」
「…………へ……?」
「“最初の転移者”は〈南ボウリド大陸〉に居る。飛行艇で向かうといい。ヤツに会えば……正確には、ヤツと共に居る“緋色の御子”が、キミを異世界に帰すことができるよ」
あまりにも唐突に言われ、ショーコは理解が追いつかなかった。
「彼女は――“緋色の御子”は、十五年前に私とマイと“最初の転移者”の四人で世界を旅した仲だ。アイツは……特殊な血筋でな。異世界間を繋ぐ召喚術を扱えるのは、私が知る限り彼女だけだ。そもそも、“最初の転移者”がこの世界にやってきたのは、魔王に対抗する為に彼女が召喚したからなんだ。キミがこの世界に転移してきたのも彼女の召喚術によるものかは定かではないが……少なくとも、元の世界に帰す術は知っているだろう。さしもの共和国も異世界までは追いかけてはこれないからね」
情報の洪水をワッと浴びせられたショーコの脳は処理落ちしかけていた。サラッと明かされた大事な情報も聞き流しそうなほどに。
ショーコが旅を始めてけっこう経つが、“最初の転移者”に会ったとて元の世界に帰る方法があるのか確信がないままだった。
それが、ここにきてようやく確証が得られたワケではあるが……
「ちょ、ちょっとちょっと! ちょいと待っておくれやす!」
ショーコは困惑した様子で声を裏返らせた。
「そ、それって……元の世界に帰れってこと? い、今!? このタイミングで!? なんで……“マナ”を蘇らせるって話はどうすんのさ!」
「ガンドア様には私が会いに行く。明日にでも船で発つよ。キミは何も気に病むことなく元の世界に――」
「だ、だから! なんなのそれ! 勝手に私のやることを決めないでよ!」
ショーコは声を荒げた。その語気には、冗談の色は感じられない。
「船で行くってすっごい時間かかるんじゃないの? その間もビビ達はお腹減ったままなんでしょ? だったら私達が行くよ! 飛行艇ならビューンヒョイだもん! それに、ただでさえ世間が混乱してるんだから、レオナさんは共和国を離れちゃダメだよ。あの六本腕の魔物と龍みたいな魔物も、いつまた襲ってくるかわかんないじゃん」
「いいのかい? キミは“最初の転移者”に会うのが――元の世界に帰るのが目的だったんじゃなかったのかい?」
「そんなの、今はどうだっていいよ。友達が苦しんでるってのに自分だけハイサヨナラなんて、そんな白状な子じゃないよあたしゃ」
ショーコの言に、レオナは目を伏せ――口角を上げた。
「ふっ……そんなのか。ショーコくん……それが聞きたかったんだ、私は」
そこでようやくショーコが気づいた。
ああ、うまくノせられたのだなと。
「……口が上手いね、レオナさん」
「一応、政治屋でもあるからね。長旅になるだろうが、艇に物資も積んでおいたから安心してくれ」
「用意周到なこって」
「ご安心くださいオードバーン卿。ショーコさんは私がお守りいたします。この命に代えても、必ず守ってみせますとも」
フェイがショーコの隣に並び立ち、胸を張って言った。
「それは困るな。もう誰かの訃報は聞きたくない」
「だいじょーぶ。フェイってばすっげー強いんだから」
ショーコがフェイの肩に手を置き、得意げに顎を上げて鼻の穴をかっ開いた。
フェイも満足げに顎を上げて鼻の穴をかっ開いた。
「ふふ、心強いね」
「っしゃ! ウチも一緒に行く!」
ヨーカが拳を強く握りしめて言った。
「ズッ友兼マブダチがガンバるってんなら協力しないとウソだし! それに大魔導様はマッマもお世話になったセンセイだし、ちゃんと挨拶もしないとだし。ウチそういうとこスジ通す子だし!」
意気込んで鼻息を荒げるヨーカのつむじに、クリスがゴチンと拳を落とした。
「バーカ、お前なんかいなくってもヘーキなんだよ。お前は自分の仕事に精進しろ」
「痛っ……! でもでも、ワンチャン飛行艇が墜落してもウチおったら脱出できるわいな!」
涙目で頭を押さえながら主張するヨーカ。
「そうだよクリス。ヨーカも一緒の方が心強いじゃん」
「仲間は多いに越したことないですよ」
ショーコ&フェイ弁護団も異議アリの声を上げた。
「アタシらの飛行艇は二段ベッドが二つっきゃないだろ。お前らどっちか床で寝るか?」
「じゃあねヨーカ! 共和国の守りは任せたよ!」
「お勤めがんばってください」
さしもの弁護団も二段ベッドの魅力には抗えなかった。
「……でも、ウチだって役に立つし――」
瞳をウルウルさせるヨーカの耳もとに、クリスがゆっくりと口を寄せた。
そして囁くように言う。
「アタシの代わりにマリーナを支えてやってくれ。お前がだ、ヨーカ」
「っ……!」
「頼むわ」
「…………りょ!」
ヨーカは満面の笑みと共に、横向きのピースサインを右目に当てた。
彼女の笑みは、もはや幼さの残るそれではなかった。
その瞳には強い意志と、責任感が宿っていた。
「よーし! そんじゃ心機一転ってことでベッドの所有権リセットしよ! 私だって上の段で寝たいし!」
ショーコが右手を突き上げて言った。
「んじゃ腕相撲で決めよーぜ」
「早押しクイズ大会の順位で決めましょう」
「待て、クリスとフェイは今まで上の段だったろう。今度は私とショーコが使うのがスジというものだ」
「マイさんの言う通りだよ! 公平にいこう公平に!」
「ザケんな。ド突き合い対決に変えてもいーんだぞこっちは」
「わかりました。公平というならジャンケンで決めましょう」
「よし。恨みっこなしだぞ。せーのっ……チッケッタ!」
「待ってマイさん何その掛け声。最初はグーでしょ普通」
「てめーどこ産だよ」
「我がルカリウス公国では最初はグー、またまたグー、イカリヤチョースケアタマはパー、正義は勝つ、ジャンケンポンでした」
「おい、フェイの方がどう考えてもおかしいだろ」
わちゃわちゃと言い合うショーコ、フェイ、クリス、マイの四人。
そんなアホ四人組を見つめるレオナは、自然と頬を緩ませていた。
「…………お前たちが羨ましいよ」
それは、羨望の笑みでもあり、呆れからくる笑みでもあり、かつての自分達を追想しての笑みでもあった。
「よっしゃ、アタシとマイの勝ちだな」
「ちぇー、マイさん代わってよー。私も上の段使いたいー」
「絶対いやだ。絶対に、イヤだ」
「ショーコさん、そろそろ出発しないと」
ベッド争奪戦を延長したいショーコだったが、そうも言っていられない。
逃亡者とその仲間達は飛行艇に乗り込んだ。
フェイが操縦席に着き、機体に施された魔法を起動させる。
エンジンが動き出し、プロペラが回転を始めた。鋼鉄の翼が空に飛び立とうと唸りを上げる。
「そいじゃ行ってきまーす! 帰るまでに私の冤罪晴らしておいてよー!」
ショーコが飛行艇側面のドアから身を乗り出し、レオナとヨーカに向かって手を振った。
「気を付けてね」
「なるはやでよろー!」
二人に別れを告げたショーコは席に着いて安全帯を締めた。
クリスが湖の畔の木に結ばれた飛行艇を繋ぎとめている縄を解き、放り投げる。
機体が前進し、機首が上がる。
水面から浮かび上がり、大空への階段を上ってゆく。
クリスがドアを閉めようと取っ手に手を掛けた時――眼下の湖畔の木陰に立つ人影に気付いた。
クリスの、世界でたった一人の姉――マリーナ。
「……」
マリーナは口を動かすことなく、ただ小さく、手を振った。
「……」
クリスはそっぽを向いたが……――視線を逸らしながら、小さく手を振り返した。




