第九十話 夜明け
…………十七年と二カ月、十一日前。
「はあっ……はあっ……」
「……ふう、なんとか乗り切ったな。大事ないか、マイ」
「ああ、大丈夫だ。……その……レオナ……来てくれて助かった。だから……その……えと……あ……ありが――」
「まったく何を考えていたんだマイ! 防衛戦だというのに一人で敵陣に乗り込むなんて。〈ガルレシア王国〉の人々はどうなってもいいっていうのか」
「っ……そんなんじゃない! 私はただ株を上げようと――」
「株というのは上げるものじゃなくて上がるものだろう。お前が持ち場を離れた結果、罪なき人々が危険にさらされたんだぞ。私がなんとかしたから良かったものの」
「なっ……だ、だったら私のことなんか見捨てればよかっただろ! わざわざ小言言うために来たってのか!」
「どちらか一方しか救えない状況になれば、どちらも救う。それが私の……レオナ・オードバーンのやり方だ。私は決して生命を諦めない。それが仲間だろうと赤の他人だろうと関係なくな」
「っ……」
「マイ、少しは仲間を頼ってくれ。今までずっと一人でやってきたんだろうが、今のお前には私達がいる。背中を守ってやれるし、痛みも分かち合える。だから一人で戦おうとするな。私達みんなで、どんな苦難も乗り越えていこうじゃないか」
「…………か、カッコつけるんじゃねーよ説教おばさん!」
「んなっ! わ、私はまだ十六だ! お前と六つしか変わらないだろう!」
「うっせうっせー! 細かいことグチグチ言ってるから小ジワが増えるんだよ年増騎士!」
「し、シワなんかないやい! ちゃんと毎晩お手入れしてるんだから! ほら触ってみろ! 卵ぶつけても割れないモチ肌!」
「うっせー! うっせーーー! うるっっっせーーー!」
…………
ゴトリ、と床に転がるマイの左腕を見て、ショーコは血の気が引いた。
「がっ――……! うぐっ……ぐ……あ……」
膝を着くマイを見下ろしたレオナは我に帰り、状況を遅れて理解した。
だが、自分の行いは正しいと己に言い聞かせる。
スデにボロボロの身体でありながら、フェイとクリスが動く。
レオナが剣をかざし、十二の刃に再度力を与えた。高速で飛行し、フェイとクリスの足を刺し貫いて動きを制する。
ショーコとヨーカの足元にも三本ずつ刃が突き立てられた。その刃が警告を意味していることはショーコでも理解ができた。
「……この結果を招いたのはお前自身だ、マイ。お前がいつまでも子供のままだから……現実を見ずに理想ばかり求めるからこうなったんだ。……誰もがみんな幸せになれるワケがないだろう! 何かを犠牲にしなければ……誰かが割を食わなければ世界は回らないんだ!」
断たれた肩を押さえながら、マイは顔を上げた。
「何もかも理想通りにいかないことはわかっている……だが、その理想を実現しようと、理想に近づこうと努力するからこそ、人は……世界はより良くなってゆくものだろう…………理想を捨てれば、世界は死ぬ」
「…………理想なんて、とっくの昔に捨てたよ」
レオナはアークエデンへと向き直った。動きを封じていられる時間は残り少ない。
大剣を逆手に持ち、ドラゴンの脳天に突き立てようとする。
「待って!」
ショーコが叫んだ。警告の刃を越え、前へ歩み出て。
レオナは手を止め、彼女を見やる。
「やめてレオナさん。ビビは……友達なんだ」
至極単純な言葉だった。
だがその一言は、人が魔物とも絆を結べることを表していた。
人間やエルフやドワーフや獣人と同じように、魔族も意志と感情を持った種族であることを改めて気づかせられる。
貫き続けてきた意志が揺らぐ。迷い続けてきた想いが溢れる。
「……〜〜~っ!」
レオナは自らを奮い立たせた。
迷いを振り払う。大人になる。
剣を強く握りしめ、高く高く振り上げた。
やるべきことはわかっている。やらなければならないと言い聞かせる。
全ては……人々の為に。平和の為に。世界の為に。
「…………っ……」
……振り上げた刃がゆっくりと下ろされた。
力が抜け、剣が取り落とされる。
「…………どうしてなんだ……」
レオナは背を丸め、膝を着き、自身の胸を強く抑え込んだ。
「…………平和を願っているだけなのに……“正しいこと”をしているハズなのに…………どうしてこんなにも胸が苦しい……」
「……それはあなたが誰よりも優しい人だからだよ、レオナさん」
ショーコは確かに見た。レオナの頬を涙が伝うのを。
魔法が解け、アークエデンが身体を起こした。
『「っぷはぁ! こ、このやろ――」』
レオナに襲い掛かろうとするも、ショーコが両手を広げて制止した。
無言のまま立ち塞がるショーコの眼を見て、アークエデンは牙を引いた。友の言わんとしていることがわからないほど彼女も愚かではない。
ヨーカがマイへ駆け寄り、治癒魔法を施す。彼女の扱える魔法では切断された腕を縫合することはできないが、出血を止めることはできた。
マイは立ち上がり、蹲るレオナを物憂げに見つめた。
「……私達に止めてほしかったんだろ、レオナ。止まることのできない自分自身を。だから私達を……“転移者”のショーコを“南方の離れ山”に向かわせた」
此度の騒動において、レオナの采配にはいくつか穴があった。その気になれば誰にも悟られず魔族を殲滅できていたかもしれない。魔物と対話ができる“転移者”を送り出すなどもってのほかだ。
無意識か否か、計画を頓挫させる要因をレオナ自らが撒いていたのだ。それが彼女の中に僅かに残った良心だったのかもしれない。
「……間違っているのはわかっていた。だが他にやりようがなかった……人々は魔族のいない世界を望んでいる。私は……皆の望む通りの世界にしなければならない責任がある。間違った道とわかっていても……私は……私は……」
「お前の間違いは何もかも一人で背負おうとしたことだ。問題も責任も、誰かと共有し、協力していれば別の道があったかもしれない。たらればではあるがな」
「……マイ」
「青かった私に『仲間を頼れ』と言ったのは……レオナ、お前だったろう」
「でも傍にいなかったマイさんに言える権利ないと思う」
「ウッ」
ショーコにツッコまれたマイはバツの悪そうな表情を浮かべた。
「私にはわかるよ。レオナさんは誰にも苦労や責任を負わせたくなかったんだよね。でも、お母ちゃんが言ってたよ。人の上に立つ人間ってのは、人に支えてもらわないと立っていられないんだって」
ショーコの言に、クリスはかつての父の言葉を思い起こしていた。
「それからさ、魔物も悪いヤツばかりじゃないって世間にわかってもらえれば、きっと上手く共存していけるハズだよ。私が仲を取り持つからさ。魔族語の通訳なら任せてよ!」
「……だが、いくら理解を訴えても人々の魔族への恐怖や憎悪は簡単に拭えない。世界は混乱し、平穏は失われる……それに、私は世間に嘘をついた。信頼を裏切ったんだ……信じていたものを根底から覆され、人々が不安と恐怖と怒りに包まれてしまえば、世界は――」
「大丈夫」
言い切るショーコ。
レオナは顔を上げた――
「そう簡単に壊れたりしないよ。私が見てきたこの世界は」
――崩れた壁の向こうに、夜明けの陽が昇っていた。
ちょうど、レオナの眼にはショーコの後ろから光が差し込んで見えた。
レオナの中で記憶が蘇る。
かつて、仲間達と共に歩んだ旅路。
泣き、笑い、怒り、苦しみ、楽しんだ日々。
出会いと別れ。栄光と挫折。タフでハードな思い出の数々。
そう……彼女が愛したこの世界は……そんなにヤワじゃない。
「…………ああ……そうだね……そうだったよ……そんなことにも気づかないなんて……私はなんてバカだったんだ……」
「ふっ、ショーコに諭されるようではよほどのアホということになるな」
「ちょっ、マイさんひどい。レオナさんお仕置きしてやって」
「いや、私もマイと同じことを思っていたところさ」
「えっ」
「ふふっ、冗談だよ」
レオナは笑った。
無理に作った笑いではなく、自然に笑ったのは随分久しぶりのような気がした。
【ああ、マジでアホな会話だな。鼻が笑っちまうぜ】
聞き慣れない声にショーコは振り向いた。
声の主は、焔色の肌をした異形の存在。なにより目を引くのは両の肩から生えた計六本の腕。
人間とも獣人ともエルフともドワーフとも違う異質な生き物にフェイが呟く。
「魔物……!?」
【オイオイオイオイオイ、俺ッ様をンな蛮族と一緒くたにすんじゃねぇよ。人を見た目で判断すんなってお母ちゃんに教わらなかったのか?】
誰もが目を……そして耳を疑った。
姿形は魔物のソレとしか言いようがないが、彼女らが知る魔物とは明らかに違う点があった。
「言葉を……コイツ、喋るぞ!」
魔物らしき存在が発する言葉は“転移者”以外の者にも理解できたのだ。
「貴様、一体何者だ」
【よくぞ訊いてくれた! 耳の穴かっぽじってぃよーく聞きやがれィ!】
マイの問いに、六本腕の存在は仰々しいポースを取った。
【これなるは異世界よりの強者、その名も“烈火の六道”シュラ! 知ってる人は知っている。知らない人は覚えてね。名高い魔法を求めてやまず、西へ東へさすらう漢。噂のアイツがここに見参! お前らの世界をいただくからネ】
……再び、誰もが耳を疑った。
言葉はわかるが理解に苦しむ。魔法を求めるとか、世界をいただくとか……
……あっ!
「ま、魔導書が……!」
ショーコが気づく。六本の腕の一本に魔導書が握られている。
【ああ、コイツはいただいてくぜ。禁書ってーのも含めてな】
六本腕の存在――シュラの手元に空間魔法の魔法陣が浮かび、中へ魔導書が仕舞い込まれた。
彼の言葉を鵜呑みにするなら、大書庫に納められていた書物の数々がスデに奪われていることになる。
非常にマズイ事態だ。人語を理解する魔物に――本人は魔物ではないと否定していたが――魔導書や禁書を奪われてしまえばどんなことになるか……
「ふんっ!」
動いたのは十三騎士団の二人。マリーナが蹴りを、ヨーカが槍撃を繰り出す。
しかし、シュラは六本の腕を駆使して防御と攻撃を同時にこなしてみせた。
「あぐっ……!」
反撃の拳をくらい、二人の騎士が大きく仰け反る。
【やめとけやめとけ。俺ッ様チョー強いからよ】
『「こいつ……!」』
誰もが満身創痍の中、マトモに動けるアークエデンが阻止を試みようとしたが――
『「んぎっ!? か、身体が動かない……!?」』
【無駄也】
――何処かからの声。
すると、突如として空に暗雲が立ち込めた。
空一面を雷光が迸る曇天が覆う。その奧で、何かが蠢いていた。
雲の中から顔を出したそれは、巨大な蛇のような存在。碧く輝く鱗、大きく裂けた口に長い髭、雄大な角。全身は未だ雷雲に包まれ、長大な体躯が弧を描いて覗く。
アークエデンをショーコの世界のもので例えれば西洋の竜と言えるが、こちらはさしずめ東洋の龍と言ったところか。
【我が神通力に抗うことは不可能と知れ】
龍のような存在もシュラ同様に言葉を発していた。
状況から察するに、両者は仲間同士ということらしい。
【征くぞ、シュラ】
【おう。んじゃ、俺ッ様もヒマじゃねーんでお暇させてもらうぜ】
「待て! 私達の世界を奪うとはどういうことだ。お前達は一体……」
レオナが問うと、シュラは得意げに顎を上げた。
【そいつと――未船ショーコと同じだよ。俺ッ様達も……“異世界からの転移者”さ】
「!?」
【まあ、詳しいことはそいつに訊いてみな。んじゃ、バッハハ~い】
シュラが跳躍すると、電磁膜のようなものに包まれ、龍の傍へと浮遊してゆく。
シュラと龍の頭が雷雲の中へ引っ込むと、稲光が鎮まり、雲が離散する。
そこにはまるではじめから何もなかったかのように澄み切った空だけが残っていた。
「……“異世界からの転移者”だと……」
「あの言いようから察するに、似たようなのが他にもいるということなのでしょうか」
「バッハハ~いって、マジ? 引くわ~」
「あのヤロー、ショーコのこと知ってるみてーだったが……」
なぜ魔物が言葉を発するのか、なぜ魔導書を狙ったのか、“異世界からの転移者”とは……
数え切れないほど疑問が湧き出てくる中、一同はその答えのヒントとなる人物へと一斉に視線を注いだ。
「…………えっと……私、またなんかやっちゃいました?」
これが、後に世界を巻き込む騒乱の幕開け……“黄昏の夜明け”と呼ばれる出来事である。
そして、その騒乱の……世界の行末の鍵を握る者こそ、“転移者”の少女――未船ショーコなのであった……




