第九話 オイラは“転移者”様
「そんなのハッタリだよ! どんな物語でもエルフってのはたいがい完璧な種族だもん! 昔見たファンタジー映画でも贔屓されてるくらい強設定だったし!」
ショーコが声高に言う。彼女の(そんなに広くも深くもない)知識の中で、エルフという種に属するキャラクターは誰も彼も優秀な設定だった。少なくとも、何かしらの弱点があるなんて聞いたことがない。
「俺がフカしてるって言いてえのか? だったら見せてやるぜ。これが……コイツらの弱点だ!」
ユートマンが大きく息を吸い込み、大岩のような胸板が膨らむ。
そして――
『たまにゃ思い出話をしようぜ♪ しょっちゅう行ってた常連酒場♪』
「 は?」
――歌い始めた。
『窓から見える雑木林♪ 酒樽かざして一日飲んだ♪』
ショーコは唖然とした。ドワーフ達も同様に。
なんでこの状況で歌? それも、顔をしかめたくなるほどのひでー歌声。
突拍子も無い展開にユートマンの子分達でさえ困惑していた。
しかし、フェイだけは違った。
「――っ……! ぐっ……! ああっ……!」
苦悶の表情を浮かべて両の耳を押さえ、その場に膝を着くフェイ。
ユートマンの髭面の口角が再び大きく上がった。
「フェイ!? ど、どうしたの!? お腹痛いの!?」
「ぐうっ……! うう……!」
「どわっはっはっはっは! やっぱりなあ! これがエルフの弱点よ!」
ユートマンが歌を止め、大口を開けて笑った。
「十五年前の“大戦”……世界中のあらゆる国が魔族と戦ったあの戦争で、エルフの連中と共同戦線を張った俺達は何度も祝勝会を開いた。そのドンチャン騒ぎで、酔った俺が自慢の歌を披露すると、エルフ達はこの美しい歌声に感動し、感情が抑えきれずに卒倒したもんだ」
……と、ユートマンは言うが、実際のところは五感に優れる種族であるエルフは人間よりも聴力が良い分、ユートマンのヒドイ歌声を文字通り人一倍――いや、人数倍耳に響くのだ。
つまるところ……フェイは耳が良すぎて、ユートマンのダミ歌で頭痛くなってるのだ。
「っ……く!」
歌が止まった隙を突き、フェイが立ち上がってユートマンに迫る。
しかし――
『必死にもがく闇雲の毎日♪ 明日は変わるかもと夢見て生きてた♪』
――ユートマンが再び歌い出す。
鼓膜を破らんとするしゃがれ声に打ちのめされ、フェイは地面に転がった。
「がっ……! か……っ!」
ユートマンの殺人ヴォイスがエルフの聴覚によって力を増し、脳に突き刺さる。
先ほどまで涼しい顔で戦っていたフェイが、今や立ち上がることすらできずに苦しみ、のたうち回るこしかできずにいた。
「フェイー!」
ショーコの懸命な呼び声も届かない。フェイの耳はユートマンの声によって占領されており、彼女の声の入る隙間などなかった。
「どわっはっは! このまま感動のあまり失神するまで歌ってやるぜ! 恨むんなら俺様の美声と歌の才能じゃなく、手前の耳の良さを恨むんだな!」
「っ……!」
『揺れていた世界の♪ 熱い風を受けて♪』
ユートマンの歌によってフェイの体力がどんどん削られてゆく。白い肌に冷や汗が滝のように流れ、顔色もみるみる生気が失われてゆく。
ショーコは喉を鳴らした。もはや……ただ離れた場所から声援を送るだけではダメだと悟った。
『心で時代を感じた♪ だよな……♪』
そして……意を決した。
「いいかげんにしろこのダミ声オンチやろーーーっ!」
ショーコは十六年の人生で一番の大声を張り上げた。
「…………あ?」
ユートマンがショーコを睨みつける。
ショーコは思わず顎を引いたが、倒れ伏すフェイを見やり、決した意を貫く。
「さ、さっきから得意げに歌ってるけど、とても聞けたモンじゃないよ! フェイは感動してるんじゃなくてヒドすぎて苦しんでるんだよ! そんなこともわかんないのかよオタンコナス! オンチ! えっと……スカタン!」
懸命に罵詈雑言を浴びせようとするも、ショーコの語彙ではイマイチ締まりがない。
が、ユートマンの機嫌を損ねるには事足りた。
「なんだあ……てめぇ……俺様がオンチだって、そう言いてぇのか?」
屈強な大男が十六歳の華奢な少女に向き直る。彼の落とす影が彼女の全身を塗り潰す。
「なあお前ら、俺はオンチか? 俺の歌はとても聞けたモンじゃないヒデーモンか?」
ユートマンは子分達に問うた。当然と言えば当然だが、全員が勢いよく首を左右に振る。
「ドワーフども、どうだ? お前らはどう思うよ?」
ユートマンが鎖に繋がれた鉱夫達にも話を振った。
「いや、別にそうは思わんが」
「正直けっこういいセンいってるんじゃないか」
「もう少しビブラート効かせたら評価上がる」
ドワーフのセンスは人間のソレとは違うらしい。
ユートマンは前かがみになり、ショーコを見下ろすように睨みつけた。
「どうだ!? みんな俺様の歌は最高だって言ってるぞ! これが民意だ! 理解できねえお前の方がセンスがねえってことだろ!」
ショーコは小学校低学年の時に遠足で動物園に行った時、目の前までインドゾウが迫ってきた時のことを思い出した。それくらいユートマンが大きく見える。
「……て、“転移者”の私にそんなこと言っていいの? 私はなんでもできてみんなが尊敬する“転移者”なんだよ。私に逆らうってことは……えっと、たぶん間違ってるよ! ダメだよ“転移者”に逆らっちゃ!」
追い詰められるあまりショーコはすごくカッコ悪いことを口にしてしまった。肩書をチラつかせて威張るなんてダサすぎる。
しかし、この手札を切れば異世界の住民はその威光の前に平伏し――
「俺は“転移者”が大きれぇなんだ」
「えっ」
――あれ。
「“転移者”があちこち旅しながら色んな連中に声掛けして、魔族と戦おうって世界が一丸となったとこまではいい。俺達もたくさん戦って儲かったし、なにより楽しかったからな。だがアイツが魔王をブッ倒したせいで俺達は仕事を失ったんだ。おかげで明日の食い扶持にも困る始末よ……だから“転移者”へのウサは“転移者”で晴らしてやるぜ!」
ユートマンが両掌を組み合わせて振り上げ、戦鎚の如く振り下ろす。
「どわっじ!」
ショーコは間一髪回避できた。体育の授業でソフトボールのフライをキャッチせず寸前で躱したことがあったが、その時の経験がまさか異世界で活きるとは予想だにしなかった。
「チョロチョロ逃げやがって! “転移者”だってんなら根性見せてみやがれ!」
ユートマンの言に、ショーコはフェイの言葉を思い出した。
無敵の強さを誇った“最初の転移者”と同じ“転移者”であるショーコには、きっと特別な力があると。
そうしてショーコは『根拠の無い自信』を装備したのだ。今こそ、その武器を使う時!
(――んなこと言ったってどーすりゃいいんだコレ!)
……そう簡単にいかないのが人生だ。
フェイにおだてられた時は、自分にもスゴイパワーがあるハズだとついお調子に乗っちゃったけど、いざ本番となるとどうしていいのかサッパリわかんなかった。
異世界転移モノの主人公らしくチートスキルでやっつけたいところだが、ショーコは自分にどんな能力があるかなんて知らない。
“最初の転移者”は魔法を扱うことができたと言うが、どーやればいいのかなんてサッパリわかんない。
(魔法ってどうすれば出るの? チートスキルってどんな風に使うの? みんなどうやって異世界無双してるの!? こ、こんなことならもっとしっかり異世界召喚系のアニメ見とけばよかった……)
ショーコは今、まさに十六年の人生に於いて最大の窮地に立たされていた。
高校の入学試験で筆箱と間違えてテレビのリモコンを持って行ってしまった時と同じくらいの危機だ。
もしくは小学五年生の頃に家庭科の授業でボヤ騒ぎを起こし服に引火した時くらい。
「どうした。ビビって声も出ねぇのか。天下のギジリブ強盗団頭目のユートマン様に上等切ったんだ。骨の二、三十本は覚悟してもらうぜ」
ユートマンが両拳の関節を鳴らす。ポキポキという独特の音が白熱を呼び寄せる、「これからあなたを痛い目に遭わせますよ」という意思表示だ。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私ゃか弱い乙女ですよ! 女の子に暴力振るうつもりですか!? それでも男かアンタ! 故郷のお母さんが泣いてるよ! そんなんだからモテないんだよ!」
「じゃかあしい! モテないのは生まれつきだ!」
ユートマンの超合金拳がショーコに向かって一直線に走る。
先程の大振り振り下ろし攻撃と違って今度は真っ直ぐ速い右ストレート。平凡な女子高生に避けれるものではない。
「わあーっ!」
ショーコは両腕で顔を覆い、眼を瞑った。
――その時であった。
「――っ……!」
ユートマンは背中に違和感を感じた。
最初は“冷たい”と思った。だがそれは正しい感覚ではなかった。
なんとなく“うるさい”と思った。何かノイズのようなものが走ったような感覚。しかしそれも正確ではない。
そして“熱い”と感じ……言葉に出来ないような感覚に陥り……視界がボヤけてゆく。
その理由は明確で、とても単純なもの。
――彼の背中にはナイフが深々と突き立てられていた。




