第八十九話 栄光の落日
――大書庫
魔法陣に映し出されるマイとレオナのやり取りに、ヨーカは息を呑んだ。
同じ十三騎士団の彼女でさえも全武装状態のレオナを見るのは初めてのことだった。もはやその姿だけで勝利が約束されたかのような空気を醸し出している。
「や、ヤベーってこれ! レオナパイセンブチ切れてんだけど!? こ、こ……殺される! マジでマイパイセン殺されちゃう的な!?」
「……レオナさん」
魔法陣の向こうのレオナを見つめながら、ショーコは胸をぎゅっと抑えた。
「ショーコさん――」
フェイは一旦魔導書を探し出すのを諦め、マイ達の下へ向かうようショーコに提案しようとした。
しかし――
「……フェイ、ヨーカ、みんなを助けに行こう」
――いつも逃げ腰なショーコが自ら口にした。
フェイはこの状況下で口角を上げてしまったことを恥じながらも、力強く頷いた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
マイは腰に携えていた鞘を取り外した。捌かれた魚のように開き、形を変えて左腕を覆うように装着される。普通の鞘と違って大型かつ極めて頑丈なソレは、ショーコの世界で言う鎧武者の甲冑のような装甲と化した。
対し、レオナが握る大剣の側面の刃が分離した。魔法によって十二本それぞれが宙に浮き、まるで意志を持つ生き物のようにマイに襲い掛かる。
マイは迫り来る刃を刀で切り払い、左腕の甲冑装甲で弾く。矢継ぎ早に攻め立ててくる刃の数々を防ぐ。
しかし、十二もの剣撃を全て捌くのはいかにマイであろうと不可能だった。刃の一つが右足を斬り裂いたのを皮切りに、次第に防ぎきれなくなり、瞬く間に全身が惨たらしく切り刻まれてゆく。
「ぐっ……!」
レオナが大剣を握りしめ、斬りかかる。
マイは刀で受け止めたが、その隙に宙を舞う刃が彼女の腹部に突き立てられた。
「がっ! ……ぇえい!」
マイは力任せにレオナを押し返し、甲冑装甲を纏った左手を刀に当てる。雷の魔法が付与され、刃が稲光で唸りを上げた。
「魔刃剣――雷破!」
刀から稲妻が迸り、周囲を飛び交う十二の刃を撃ち落とした。
同時に本体であるレオナにも直撃し、稲妻が胸から背中へと突き抜ける。
「っ! く……!」
兜の下でレオナの顔が歪むも、ダメージの度合いはマイの方が上だった。
出血により視界が揺らぎ、激痛に顔を歪める。それでもマイは膝を曲げなかった。
両手で刀を握り、果敢に斬りかかるマイ。一撃一撃が必殺の剣撃を目にも留まらぬ速さで繰り出す。
だが、レオナとて負けてはいない。マイの連撃を剣と左腕の盾で防ぎつつ反撃する。
両者の刃が何度も何度も交差し、星空の煌めきの如く火花が散る。
速さはマイに分があり、幾撃かは防御をすり抜けてレオナに届いた。しかし、彼女の身を包む鎧によってその威力も軽減されている。
レオナが両腕で剣を振るう。
マイが刀で防いだ瞬間――
「ふん!」
――レオナは剣から左手を離し、盾の縁でマイのこめかみを打ち抜いた。
「ごっ――……!」
視界に靄がかかる。意識が深淵へと引きずり込まれる。
しかし……これを根性と言わずして何と言おうか。マイの意識は崖に指一本引っ掛けた状態でギリギリ堪えてみせた。
血で紅く染まった眼で睨み返し、炎の魔法を纏った左拳をレオナの脇腹に打ち込んだ。
鎧に亀裂が入り、破片が散る。
「あぐっ……! ぐふっ……」
後ずさりながらレオナは焦燥感にかられた。相手が怯んだところを一気に攻め立てるのがマイの常套戦法だ。
視線を正面に戻す。レオナの瞳に映ったのは、紅い眼の鬼。
「だあっっっ!」
渾身の一振り。マイの全力の一撃がレオナの頑強な鎧を破壊した。
縦一文字に斬られた箇所を起点に鎧がバラバラと崩れる。兜の左半分が割れ、その下の素顔が露出した。
だが……露わになったレオナの金色の瞳は揺らぐことなくマイを見つめていた。
「ずあっっっ!」
そして、レオナも全力を込めた一撃を返す。
「――ぐっ! ……が……!」
マイの左腕を守っていた甲冑装甲が穿たれた。幸いにも肩と腕は繋がったままだったが、彼女の左腕は使い物にならないほどの傷を受けた。
「うぐ……くっ……」
ダランと下がった左腕が乱れた呼吸に合わせて揺れる。
対し、レオナが受けた傷も相当のものだった。
「はあ……はあ……気分はどうだい? お前は昔っから、ことあるごとに私につっかかってきた。私が嫌いだったんだろう? 今になってようやく十五年前の憂さも晴れるんじゃないか?」
「……」
「さあ、やってみせろよ。私のやり方に文句があるんだろう。だったら私をやっつけて、代わりにお前が世を治めてみろ。かつて魔王を倒したあの日のように、私の支配からこの世界を救ってみせろ。…………どうした…………やれよ! お前の前に居るのは邪悪で嘘にまみれた殺戮者なんだぞ! その刃で、憎くて憎くて仕方ない私を打ち倒せ! さあっ! やれっ! やってみろっ!」
「…………お前のことは尊敬していた」
マイの言に、レオナの刻が止まった。
「………………なんだって……?」
「お前は強く……賢く……“正しい道”を知っていた。私は、自分に無いものばかりを持っているお前に嫉妬し……尊敬していたんだ」
レオナは耳を疑った。まさか、あのマイがそんな風に思っていたなんて、これっぽっちも知らなかった。
「旅に加わって間もない頃の〈ガルレシア王国〉防衛線で、未熟で独りよがりだった私は持ち場を離れ、単独行動に出た。だが敵勢力を見誤り、前後を囲まれた私は孤立無援となった……その時、誰よりも早く助けに来たのがお前だ、レオナ。あの時が初めてだったんだ……他人に背中を預けたのは」
「……十七年と二カ月、十一日前のこと……」
マイに言われて、レオナはその日のことを思い出す。
「ルアコール戦線において、〈クイヤニックの街〉が地図上から消えずに済んだのは……レオナ、お前が最後まで諦めなかったからだ。お前が身を呈して〈北空王国〉のデュークリスタルを守っていなければ、どれほどの犠牲が出ていたことか……〈ギシュレブ〉と〈ラーフェ〉の二国間に対し、お前が粘り強く交渉を続けたおかげで、犬猿の仲だったドワーフとエルフが友好関係を結べた……そして、魔物に襲われる〈ミナドの村〉の老夫婦を、お前は見捨てなかった……」
レオナは震える唇を噛みしめた。同時に、何故だかとめどなく涙が溢れてきた。
「他人の為に自分を犠牲にし、なにより全ての生命を守ろうとする剣士……それが、私が尊敬し、背中を預けたレオナ・オードバーンだ。そのレオナを否定するヤツは、誰だろうと許さん……! たとえお前自身でもだ!」
「っ……そ、そんなこと……そんなこと今更っ……なんでっ……!」
――その時、突如マイとレオナの足下が氷に覆われた。
同時に、共和国の心臓部が強い光を発し始める。
マイとレオナが同時に見やると、シルヴィアが魔法陣の円柱に忘却魔法“リギオーマ”を組み込もうとしていた。
「く……くひ……これで……この苦しみから解放される……ひ……ひ」
シルヴィアの様子がおかしいのは誰の目にも明らかだった。うわ言のように何かを呟きながら“リギオーマ”を発動させようとしている。
記憶の消去はとても繊細な作業だ。彼女のようにひどく錯乱した状態では対象も不特定多数に及んでしまう。その上、消える記憶も定まらず、酷ければ廃人となってしまう可能性さえある。
「待てシルヴィア局長! 今の貴方がそれを使えば――」
「だって……だって辛いんだもの……愛する我が子を……わ……忘れるなんて……じ……自分自身が赦せない……もう……なにもかもなかったことにするしかない……私の記憶も……あの子達の記憶も……全部……」
レオナの制止も聞かず、シルヴィアは手を止めない。
マイとレオナだけでなく、クリスとマリーナも同様にシルヴィアの魔法によって足下を凍結され、身動きが取れない。
「あんのクソ野郎っ……! やめろバカタレ!」
「お母様!」
娘の必死な呼び声も母には届かない。
魔法陣が放つ光が一際強くなる。撃鉄が引き上げられた。あとは指で一押しすれば、人々の記憶が虚空に消える。
「ああ……そうよ……これでいいの……イヤなことはみんな忘れて……楽に――」
忘却魔法が発動されようとした、その時――
『GGAAAAAAAAAAAAA!』
――床が割れ、巨大なドラゴンの頭が突き出てきた。
「うぴえーーーっ!?」
勢いよく吹き飛ばされるシルヴィア。
「なっ……!?」
誰もが目を丸くした。
巨大なドラゴン――アークエデンが階下から建物をぶち抜いて馳せ参じたのだ。
長く強靭な首が屋根を突き抜け、崩壊する。亀裂が波及し、周囲の壁も音を立てて崩れた。
前代未聞にもほどがある。魔物が共和国政府本庁を内側からブッ壊すなんて、誰が予想できただろうか。
長い首が引き下ろされると、ドラゴンの背から三つの人影が顔を覗かせた。
「び、びっ、ビックリしたぁ~! なんちゅーことすんのさビビ! キミには礼儀っちゅーもんがないのか!」
『「うるせーな! 急げって言ったのはショーコだろ! また作りなおせばいいじゃん。人間って得意なんだろ立ち直るの」』
「さ、さすがのヨーカちゃんも今回ばかりは肝を冷やしたぜ……」
「ご無事ですか、クリスさん、マイさん」
「……」
「……」
見慣れた顔にキョトンと呆けるクリスとマイ。
「……ふはっ」
三秒後、ショーコ達のあまりにも無茶苦茶なやり方にマイが吹き出し、クリスは大笑いした。
「だっはっはっは! ああ、やっぱアイツらと一緒に来て正解だったわ」
「……クリスティーナ、お前あんな連中とつるんでるのか?」
「ああ、そうだよ。バカばっかでうらやましーだろ」
得意げに胸を張るクリスに、マリーナは呆れた様子で鼻を鳴らした。
シルヴィアが吹っ飛ばされたことで――気絶してるが無事らしい――マイ達の足下を覆っていた氷魔法が解けた。
マイがレオナに向き直る。
「どうだレオナ。あれが私の今の仲間だ。見ての通りのアホだが、今のお前よりよっぽど“いいヤツら”だ。……これで、終わりだな」
「……」
レオナは周囲を見渡した。【繁栄と安寧の広間】は滅茶苦茶に破壊されていた。
崩壊した壁の向こうに見える街。穴を穿たれた天井から覗く夜明け前の空。
深夜とはいえ、屋根から突き出たドラゴンの首を目撃した市民も少なくないだろう。今この瞬間も崩壊した壁から竜の鱗や翼を目にしている者もいるやもしれない。
魔物がこの場に姿を現したことで、レオナがこれまで守ってきたもの全てが瓦解した。神聖ヴァハデミア共和国の安全神話は終わりを告げ、かつてない混乱の坩堝となるだろう。
嘘をつき続けたこの十年……いや、十五年の努力が水泡に帰したのだ。
「……」
レオナはマイを見やった。
黙ったまま視線を落とし……また顔を上げた。
「いや……こういうシナリオはどうだろう。『異世界より現れた“新たな転移者”は魔族の生き残りを従え、共和国の転覆を図った。彼女の入れ知恵によって魔物達は巧妙に姿を隠しながら政府本庁に奇襲を仕掛けたが、誉れ高き十三騎士団によって返り討ちにされた。黒幕である“新たな転移者”も含めて』……うん、これでいこう。細かい辻褄合わせは“リギオーマ”でなんとでもできる」
「っ……」
マイの表情がひどく、それはひどく歪んだ。嫌悪感ではなく、哀しみからだ。
確かに【繁栄と安寧の広間】はめちゃくちゃにされたが、奇跡的にも共和国の心臓部は健在だった。
レオナはまだ諦めていないのだ。
「……そんなことは無理だ。万全の状態ならいざしらず、今のお前にアークエデンを――あのドラゴンを倒せるほどの力は残っていない」
「ここをどこだと思ってる。共和国政府本庁だぞ。万が一に備えて強力な防衛魔術を何重にも敷いてあるのさ」
レオナが手をかざすと、魔法陣の円柱が眩く発光した。
そして――突如、アークエデンの巨体が見えない力によって組み伏せられた。
『GGAAAAAAAAAAAAAAA!』
「ビビ!?」
共和国最終防衛線として、十五年間上乗せし続けてきた防衛魔法。三分間だけ対象の動きを完全に封じ、生命力を著しく低下させる。いかに魔法耐性の強いアークドラゴンであろうと例外ではない。
レオナは握りしめた大剣をアークエデンに向けた。
「ああ……ようやく決着をつけられる……さあ、悪い魔物を退治して、世界の平和を守るとしよう」
魔物めがけ、大剣が振り下ろされる。
マイが割って入り、刀で受け止めた。
しかし、右腕一本では防ぎきれない。
――断たれたマイの左腕が、血飛沫と共に宙に舞った。




