第八十八話 罪
ショーコ達が大書庫の禁書区画へ足を踏み入れ、クリスとマリーナが真剣勝負を始めた頃……
レオナは眼前に魔法陣を呼び出した。陣の中へ左腕を入れ、ゆっくりと引くと、金と銀で装飾された盾が装備されていた。
続いて右腕を魔法陣に入れる。魔法の空間から抜き出したのは、一振りの大剣。
一際大きな刃と、その両側面に刃が六本ずつ枝分かれした、変わった形の剣だった。側面の刃は上向きで、柄に近いほど刀身が長く、剣先へ上がるにつれて短い。ショーコの世界で例えるなら針葉樹のようなシルエットと言える。
「行くぞ」
「来い」
――剣と刀が交差した。
火花と衝撃が生まれる。
周囲のあらゆるモノが全て消し飛ぶかの如き威力。
「こうして剣を交えるのは随分と久しぶりだね、マイ」
「黙れ」
二度、三度と互いの刃が激突する。
通常なら剣をぶつけ合えば刃こぼれし、著しく損傷するものだが、両者の得物は……いや、この世界の名刀名剣と呼ばれる刃は極めて頑丈だった。
「初めて出会った時もそうだった。私達を魔物と勘違いして襲いかかってきたな。今思い返しても、よくあんな危険な小娘を仲間に引き入れたものだよ」
「黙れと言っている」
幾度も刃を衝突させながらレオナが続ける。
「二年間の旅路の中で、お前とは何度となく口論にはなったが、ハッキリと敵対したのは一度だけ……覚えているか? お前が“恵まれし土地の守護魔人”に心を支配された時だ。あの時はさすがに殺されると思ったよ」
「根に持つ女だな。十五年も前だぞ」
「正確には十六年七ヶ月と二十一日だ」
「……よくも覚えているものだな」
「忘れるものか。身体中で“生きていること”を感じていたあの日々を」
力の込もった一振りがマイに襲い掛かる。防御したものの、その威力は彼女の全身を舐め尽くした。
「ぐっ……!」
負けじとマイも強烈な一閃を返す。しかし、左腕の盾で受け止められ、逆に剣撃を返される。
後ずさるマイに、レオナは苦々しく笑みを見せた。
「人の心は忘れても、思い出は忘れないさ」
・ ・ ・ ・ ・ ・
――大書庫
意識が戻ったフェイが顔を上げると、周囲はまるで大嵐が起こったかのような荒れ様だった。
「まさか……そんな……」
フェイはひどく後悔した。この惨状では、ショーコはもう……
自分が弱いばかりに大切な人を失った。耐えがたい苦しみがフェイの心を蝕んでゆく。
が――
「あっ、フェイ。気が付いたんだね」
――その声は、彼女が何よりも聞きたかった声。
良かった。早とちりだったのだ。フェイが声の方へと振り返る。
「ショーコさん、無事だったんでどぅおわあっ!?」
彼女の瞳に映ったのはアークエデンの凶悪な面。
その足下でショーコが満足そうに小さく笑っていた。
「いぇ~い、ドッキリ大成功~」
「なっ、どっ、な!? ど、どうしてビビさんがこんなところに……」
フェイが珍しくも張り上げた驚嘆の声に反応して、同じくヨーカも意識を取り戻す。
「う、う~ん……あれ、もしかしてウチ気絶してどぅおわあっ!? なんでドラゴン丸がここに!?」
ヨーカも開口一番驚愕の声。彼女とて起きて最初に目にする光景が百メートル級の魔物だなんて経験は初めてだった。
「しょ、ショーコさん、これは一体……私達が知らぬ間に何があったんですか」
「いや~それが話すと長くなるんだけど、落ちてた本読んだら呼び出せちった」
説明一言で終わった。
「は? マ? ショーコっち召喚魔法使えたの? いや、っつーか魔物を召喚とかマジヤバくね?」
フェイが件の魔導書を拾い上げ、目を通す。
「……『魔物の召喚は理屈では可能だが、成功した者は未だいない』と記されていますね。召喚条件には『対象と心を通わす』とあるから無理もないのですが……」
「ってーことはショーコっち、ドラゴン丸と以心伝心ってワケか」
「やっぱ? やっぱそうなるよね? ふーん、ビビってば表面上ツンツンしてるクセに内心私にデレデレだったってことか~ふぅ~ん」
『「オイ、なんかわかんないけどわたしのことバカにしてるっぽいのはわかるぞ」』
「ふふふ、その生意気な物言いも今となっちゃかわゆくも思えるものよの」
「ショーコさんがすごいのはわかりましたが……これでは“新造魔法”の魔導書を探すのは無理そうですね」
フェイが散々に荒れ果てた大書庫を見渡して言う。書架は軒並み倒壊し、床には蔵書の山脈が築き上げられていた。
そこで、ヨーカがハッと気づく。
「ちょい待ち……ちょい待ちちょい待ち。エド兄がここで待ち受けてたってことは……クリ姉やマイパイセンも待ち伏せくらってる可能性アリよりのアリじゃね!?」
「……確かに。ヨーカさん、通話魔法を」
ヨーカが慌てて指を回し、政府本庁に侵入する前に打ち合わせしておいた緊急用の通話魔法を唱える。
浮かび上がる魔法陣に映ったのは、激しく剣を交えるマイとレオナの姿だった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「……何故だ」
幾度も幾度も刃を交えた後、マイは刀をゆっくりと下ろした。
「そんな表情をしながら、何故外道を征く。何があればそこまで堕ちるんだ」
「はは……随分な言いようだ。なら……順を追って説明しようか」
レオナも腕を下げ、冷たい表情で語り出す。
「全ての始まりは十年前……“最初の転移者”がこの国を去った」
「…………なに……?」
「共和国の運営が軌道に乗り始めたところで……アイツはこの地を離れたんだ。言うまでもなく、世間には秘匿されている」
マイにとって寝耳に水だった。レオナから「別件で手が離せない」と聞いていたが、まさかスデにこの国に居ないとは。それも、十年も前に。
事実を公表しないのも当然だ。“最初の転移者”は希望と平和の象徴。“そこ”に“居る”と信じるだけで人々にとって大いに意義がある。
「……ちょうど同じ頃、当時の十三騎士団の一人“闘撃のコーディ”と呼ばれた騎士が、禁足地である“南方の離れ山”に立ち入った。魔物の存在に感づいたのか、あるいは立ち入りを禁じた理由を探る為かはわからないけど、魔物を目撃した彼は戻るや否や『あの山に巣くう魔物どもを殲滅しましょう』と私に進言してきた」
「……」
「私とて、最初からあの山の魔物を皆殺しにしようとしていたわけではない。あの頃は純粋に……彼らを守りたかった。終戦後も抵抗を続ける魔王軍残党とは違い、彼らは降伏し、和平を結んだ難民なのだと説明した。しかし……正義感の強いコーディはその事実を世間に公表しようとした。ようやく共和国が安定し始めたばかりだというのに、そんなことをすれば混乱を招く。だから私は、彼を囚人収容施設に収容し、魔物の目撃談そのものを黙殺した。それが私の最初の罪さ」
マイは耳を疑った。彼女の知る限り、レオナは自らの間違いを認めるような人間ではなかった。いや、間違うことなどなかったのだ。
「その後も“南方の離れ山”の真相を探ろうとする者は一人、また一人と続いた。そうして禁足地に立ち入り、真実に近づきすぎた者を……私は一人ずつ囚人収容施設へと送った。その数も、この十年で十一人になる」
「……十年で十一人……まさか」
そのまさかだ、と言わんばかりにレオナは頷いた。
それは、国内の行方不明者数と――共和国政府が『魔物に攫われた』と目していた人々の数と一致する。
つまり、全てレオナによる自作自演。
「だが、君達も知っての通り今や『共和国の近くに魔物が隠れ住んでいる』という噂は市民に広く浸透している。もはや一人一人口止めするのも不可能なほどに。……人は、目に見えないものを恐れる。この国のすぐそばに魔物がいるかもしれないと、誰もが皆怯えていた。だから私は……一年前、“南方の離れ山”へ調査隊を派遣した。そうしないと人々は納得しなかったからだ」
マイがカイルから聞いた話によれば、共和国が“南方の離れ山”へ部隊を派遣したのは三度。その最初の部隊……第一次調査団はほぼ壊滅したとのことだった。
「私は……調査の為だけに部隊を送ったんだ。魔物が居ると判明したとて、その後でどうにでも対応はできたハズだった。だが、調査隊は魔物の存在を確認したその場で一刻も早く殲滅すべきと判断し……戦闘になった。……どちらが“正しい”と思う? 事情を知らずに攻撃を仕掛けた調査隊か、自衛の為に反撃した魔物達か」
レオナの問いにマイは答えられなかった。
「調査隊の遺族の一人一人に、私は嘘をついた。“南方の離れ山”のことは伏せたまま、『彼らは魔王軍の残党との戦いで名誉の戦死を遂げた』と。親を亡くした者、兄弟姉妹を亡くした者、子を亡くした者……皆、涙を流しながらこう言った。『必ず仇を取って、魔族を根絶やしにしてください』と……」
「……」
「どんな魔法だろうと失われた生命を呼び戻すことはできない。人間も、獣人もエルフもドワーフも、そして魔族も……。調査隊が壊滅させられたことで、もはやあの山の魔物達を庇い続けることができなくなった私は……決断しなければならなかった。“リギオーマ”は強力だが一度しか使えない。二度と同じ過ちが起きぬよう“南方の離れ山”の魔物を殲滅し、関係者を含む全ての者からあの山に関する情報や噂の記憶を消し去る。牢に幽閉している者達も、余計な事実さえ忘れてくれれば解放できる。そうしてようやく……全てが終わるんだ」
嘘に嘘を重ね、退くに退けなくなり、その果てに辿り着いた答えがコレだった。
生命を奪っておきながら、大量虐殺をしておきながら、記憶を消し、なかったことにするなど、責任逃れに他ならない。最も軽蔑すべき、恥ずべき行為だ。
「……哀れだな、レオナ。お前ほど情けない人間は見たことがない」
「だろうね」
「お前のせいでどれだけ犠牲が出たと思う。平和の為にとついた嘘で、どれだけの生命が失われたと思っている」
「三千と二百八十七だ。私が至らなかったが故に命を落とした人々の数と、これまでに私が直接手を下し、そして部下に指示したことで死んでいった魔物の数。無論、確認できるだけでだがな。正確にはもっと多い」
「……その全ても、記憶から消すつもりなのか」
「いいや、忘れたりしないとも。罪を背負うのは私一人で十分だ。他の誰にもそんな思いはさせたくない」
「英雄気取りか。無意味だ」
「なら、お前だったらどうするマイ。罪無き人々と魔族の難民、どちらをとる」
「どちらかなどではない。嘘偽りなく全ての真実を白日の下に晒し、共存の道を模索する」
レオナは呆れるように首を振り、小さく笑った。
「……やはりお前は変わっていない。十五年前から何も……子供のままだ。正直でいることが正しいと本気で信じているのかい?」
「誰だって嘘はつく。だがお前のそれは人の道を踏み外している。そんな嘘を重ねていなければ、平和の為と自ら好んで虐殺を行う外道にならずに済んだハズだ」
「好きでやってると思うか! こんなことをして心が痛まないとでも!?」
「……」
「ああ、平和を守っているとも! たった一人で! 評議会で議論したとて、レオナ・オードバーンの判断に間違いは無いと誰もが従う。結局全ての責は私が負っているんだ! それが今の“社会”だから……!」
共和国の政治は五十二人から成る評議会での決議によって動く。しかし、過半数の評議員はレオナを盲信していた。彼女が右と言えば右に、左と言えば左に倣う。レオナ自身が望んだわけではない。それでも、実質的に共和国を動かしているのは彼女なのだ。
個人の決断で国の行く末が決まるという大いなる責任……だからこそ、レオナは自分を殺した。
「平穏を望む魔物達をそっとしておいてやりたい……だが人々は安心の為に敵の排除を望んでいた。それを汲み取れないようでは、国を率いる資格などない。だから私は決断した……己の心を殺してでも国を守らなければならないんだ……! それが“大人”というものなんだよ!」
「私の知るレオナ・オードバーンならばそんな風に諦めず、どちらも救おうとしたハズだ」
「剣と魔法の冒険時代は終わってしまったんだ! 国家とか平和とか、退屈なものを守る為に人生を捧げるしかないんだよ!」
装甲が展開し、レオナの全身が武装されてゆく。兜が頭部を覆い、フェイスガードが顔を隠した。
完全武装した十三騎士団団長は目の前の“敵”に向けて大剣を構えた。
「ここまできて後戻りなどできるものか……私は全てを賭してこの国を……この世界を守る! 私はもう、お前とは違うんだ!」
「ならば、私がお前の錆びついた魂を斬り捨ててやる……!」




