第八十六話 ウォーシャンズ・イレブン
……十三年前
『GGAAAAAAAA……!』
獅子型の魔物が唸り声と共に倒れ伏した。
討ち取ったのは九歳の長女マリーナ、八歳の次女クリスティーナ、そして七歳の長男エドワードの三人。
「す、すっげー! ホントに姉ちゃんたちだけでやっつけちまった!」
「つよ〜い! ね、みた? カイル、ヨーカ。すごかったね~」
「さすがはおねえちゃんたちですね」
「まじぱねぇ」
姉達と兄の偉業は六歳のアルフォンス少年の心に鮮烈に刻まれた。
五歳のレベッカはまだしも、四歳のカイル、三歳のヨーカは理解してるのかわかっていないのか微妙なライン。
「はあっ、はあっ、クソッ……! 手間ぁ取らせやがって。エド、こいつのほうしゅういくらだった?」
「十五万ッス!」
「なンッだとぉ!? 安すぎる! なんでこんなワリに合わねー仕事うけたんだよ!」
「よくやったお前ぇーら! 流石は俺様のガキどもだぜ!」
「なに笑ってんだクソオヤジ! テメーまた泣き落とされて安く引き受けやがったな! ふざけんじゃねーぞハゲ!」
「お母さま、見ていましたか? われわれの戦いっぷりを」
母シルヴィアは二歳の末弟フレデリックと手を繋ぎ、一歳の末妹ヴァレンティーナを抱きかかえながら我が子達の魔物との戦いを見守っていた。
「ええ、ちゃんと見ていましたとも。でも正直、心配で気が気じゃなかったけど」
「なに言ってんだジル。俺達のガキだぞ。そのうち“名有り”の魔物だってガンガンやっつけるようになるに決まってるさ! なっ、エド!」
エドワードは鼻の下を指でこすりながら、親指を立てた。
「とーぜんッス!」
「おい! こんな安いしごと、アタシは納得いかねーぞ! 今日のメシ代ははらわねーからな!」
「姉さんケチくせーッス!」
………………
……八年前
「えー、ではヴァレンティーナの初任務と初勝利を記念しまして……かんぱ~い!」
ウォーシャン一家の家業は順調だった。父ジョージはもちろん、母シルヴィアも魔物退治の現場に復帰し、子供達も徐々に仕事をこなすようになっていった。年端もいかない子供達の傭兵ということで話題を集め、魔物と戦う様を見て盛り上がる人々さえいるくらい。
そしてこの日、末っ子の妹――ヴァレンティーナが魔物退治の初陣を見事勝利で飾ったのだ。
「ども」
九人の兄弟姉妹でテーブルを囲む中、主役であるヴァレンティーナは小さく返事してから目の前の料理を口に運んだ。祝いの席だってのに全然盛り上がってない様子だが、彼女はこれが平常運転なのだ。
「やったねヴァル。六歳で初任務なんてすごいよ」
「我が家きっての天才かもッスね!」
「うす」
「な~に言ってんだカイ兄にエド兄! トドメさしたのはおれだろ! おれこそがウォーシャン家で最強のてんさいだ! レベルがちがうんだよレベルが!」
ヴァレンティーナから見て一つ歳上の兄フレデリックがつっかかってきても、末っ子の少女は眉一つ動かさずに料理を貪り続けた。
「てめっ! ムシすんじゃねエよヴァル!」
「そういやフレドはまた剣を折ったんだってな。今年に入って三本目だろ。お前も剣士としてやってくなら商売道具は大切にしろよ」
「う、うるへー! のうきんのアル兄に言われたかないやい!」
「なっ!? 兄貴に向かってなんて口ききやがるお前! 誰が脳筋だ誰が!」
「そーそー、のーきんっつったらクリ姉っしょ~☆」
「なぁにぃ~? アタシの脳みそが筋肉だと~?」
「あっ」
「うっ」
「えっ」
「ナメんじゃねー! アタシは脳みそだけじゃなくて肺も胃も心臓も全部筋肉なんだよ! フルボディシックスパックだ! わかったか!」
「う、うっす! クリ姉は全身筋肉ダルマっす!」
「さ、さっすがクリ姉! レベルがちがうぜレベルが!」
「クリ姉はウォーシャンにてサイキョーやね☆」
「聞こえんぞ! 腹から声だせぃ!」
「く、クリ姉はウォーシャンにて最強!」
「クリ姉はウォーシャンにてさいきょう!」
「魔王もビックリなきょうふ政治☆ クリスティーナだけに」
子供達が騒ぐ様を満足げに眺めていたシルヴィアが、何かを思い出したようにスプーンでグラスを叩き、注目を集めた。
「はいはい、ついでだからこの場を借りて父さんからみんなに話があります」
妻に促され、ジョージは咀嚼していた肉料理を一気に飲み込み、一つ息を吐いてから子供達に言う。
「実はな……ベルマー帝国から仕事の依頼が来た。帝国の領土内で“名有り”のドラゴンが観測されたらしくてな、俺達に討伐隊に加わってほしいそうだ。お前らも名前くらい聞いたことあんだろう。元魔王軍の大物、“ソルヴァダーク”……千二百年は生きてる【ヴァリー・ドラゴン】だ」
子供達の表情が一斉に強張った。これまで戦ってきた相手とは格が違う“名有り”の魔物……その上、ドラゴンとなればかつてないほどの難敵だ。
「ちょちょ、カイ兄、バリードラゴンってなんなん?」
「ドラゴンにはいくつか種類があるんだよ。氷ぞくせいの【ディアーフ・ドラゴン】、地ぞくせいの【ゴーン・ドラゴン】、炎ぞくせいの【アノアロ・ドラゴン】、そして雷ぞくせいの【ヴァリー・ドラゴン】。ほかにもいくつかあるけど、ヨーカにはまだむずかしいかな」
「とうとう私たちも“名有り”とたたかうのか~……ふあんだなぁ~」
小さく俯くレベッカの頭の上にジョージの手がポンと置かれた。
「心配するこたねぇーぞベッキー。依頼されたのは俺とジルだからよ。今回はお前達は留守番だ」
「チッ、なんだよ。アタシ達は役に立たねーってことか」
頭の後ろで手を組んで不貞腐れるクリスティーナの頭を、ジョージは笑いながら撫でた。うざったそうにすぐ払いのけられたが。
「まあガキには“名有り”を相手にすんのはまだ早ぇーってこった。マリー、みんなのことは任せたぞ」
「はい」
「クリス、姉ちゃんを頼むぞ」
「なんだよ。まるで遺言みてーなこと言うじゃねーか」
「がっはっは! 心配すんな! 俺とジルが死ぬワケねぇーだろ!」
「ンな心配してねーよクソオヤジ!」
………………
……七年前
「…………」
ソルヴァダーク討伐作戦における戦死者の弔いの儀が終わった。
ベルマー帝国主体で編成された討伐隊は三桁にも上る戦死者を出し、目標であるソルヴァダークの逃走を許す結果となってしまった。
遺体の回収作業や事後処理が難航し、数カ月経ってようやく葬儀が行われたのだ。
シルヴィアは重傷を負いながらもなんとか生還することができた。自身の足で歩けるほどにまで回復していたが、心は全く癒えていなかった。
一人の男が死んだ。夫であり、父であり、戦士であるジョージ・ウォーシャンが死んだ。
……いや、殺されたのだ。“名有り”の魔物――ソルダヴァークと呼ばれるドラゴンに。
「お母様……」
マリーナが母に寄り添う。だが、何と言葉をかければいいのかわからない。
クリスティーナは弟達、妹達に目をやった。必死に涙を堪える者、泣きじゃくる者、茫然自失で立ちすくむ者と三者三葉だったが、一様に失意と悲しみに暮れている。
「……仇を取るわ…………絶対に……ジョージの仇を取るのよ。私達みんなで……父さんの無念を晴らすの」
マリーナとクリスティーナだけが気づいていた。母の声が、それまでの声とまるで別人のように変わっていたことを。
「あいつは……あのドラゴンは決して許さないっ……! どんな手を使ってでも復讐してやるっ! 絶対にっ! 絶対に私達の手で討ち取るのよっ!」
………………
……六年前
ウォーシャン一家は東奔西走していた。
傭兵業界では名を上げるほど次の仕事に繋がる。顔を広げるほど情報が入ってくる。世界各地で魔物退治の依頼をこなしながら、姿を消した仇のドラゴン――ソルヴァダークの行方を追っていた。
「おい! アル達をルカリウス方面の仕事に行かせたってのはホントか!」
東ハウリド大陸に構えた拠点にて、任務から戻るやいなやクリスティーナは声を荒げた。
「帰って早々に何?」
シルヴィアは机の上に複数の魔法陣を展開させ、遠方の地と情報交換をしながらクリスに応じる。
「あの仕事は私に任せろって言ったろーが! アルとフレドはこないだ大怪我負ったばっかだろ! ヨーカとヴァルも一カ月半かかった長期戦から休み無しだ! どーいうつもりなんだコラ!」
「請けれる仕事は全部請ける。その内ヤツの情報が入ってくるわ。それに、経験を積むほど子供達は強くなる。来る日の本番に向けて、私達はいくらでも強くなる必要があるのよ。そもそも、怪我した子にはちゃんと治癒魔法をかけておいたから平気よ」
「魔法で傷は塞がっても苦痛は消えねーんだよ……! みんな心身ともに疲弊してるのがわかんねーのか!」
怒鳴り声を上げるクリスティーナを制止するように、マリーナが彼女の腕を掴んだ。
「よせ、クリスティーナ。お母様も現場で戦いながら方々に掛け合って情報収集をしている。苦労しているのはみんな同じだ」
「そーゆーことを言ってんじゃねーんだよ!」
シルヴィアは疎ましそうにため息をつき、展開していた魔法陣を消した後、椅子に座ったまま二人の娘へと向き直った。
「貴方の言うこともわかるわクリスティーナ。だけどあのドラゴンを殺すのは……父さんの仇を取るのは、私達家族の宿命なのよ。何に代えてもやり遂げなければならない。人生には……全身全霊を賭して努力しなければならない時があるもの。私達にとって、それが今よ」
シルヴィアの言い分に顔をしかめるクリスティーナ。反論しようとしたが、口を止めた。今の母に何を言っても埒があかない。一つのこと以外何も見えていないのだ。
クリスティーナが姉を見やる。
マリーナは小さく頷いた。彼女は決意を固めていた。最後まで母を支えることを。復讐から解放する為に全力を尽くすことを。
姉の表情からその決意を悟ったクリスティーナは舌を打つ。そして、父の言葉を思い出す。
「…………わかった。テメーのやり方にとやかく言うのはやめる。その代わり、ソルヴァダークをブッ倒したら全部終わりだ。エドもアルもレベッカも、カイルもヨーカもフレドもヴァルも、もう二度と戦いに借り出すな。相手が魔物だろーと賞金首だろーとカンケーねー。アイツらが戦わなくていいようにしろ。そんで、マトモな生活を送らせろ。学園に通わせるとか、旅に出させるとか、友達を作れる環境に置いてやるとか、なんでもいい。とにかく、年相応の真っ当な人生を歩ませてやると約束しろ」
「……」
数秒の沈黙の後、シルヴィアは首を縦に振った。
「わかった、約束するわ」
………………――
……現在
目も覚めるような一撃を受け、クリスの意識が現在に引き戻された。まるで走馬灯のように過去を垣間見ていたのだ。
「っ……うおらあああああ!」
叫びと共に右ストレートを繰り出すクリス。直撃させたと同時にマリーナのハイキックを食らう。
両者同時に大きく仰け反る。正気が持っていかれそうになる。それでも二人は歯を食いしばり、何度でも耐え抜く。
クリスとマリーナの全力の打撃をこれほど受ければ、並の人間なら……いや、歴戦の猛者であろうととっくにブッ倒れている。彼女達が立っていられるのは、ひとえに意地によるものだった。
「……マリーナ」
シルヴィア・ウォーシャンは気が気ではなかった。すぐ真後ろで自分の娘が血反吐を吐きながら殴り合いをしていては、魔法術式の組み込み作業に集中できない。何度も振り返っては心配そうに眺める。
「うおおおおおおおおおお!」
「クソだらあああああああ!」
クリスとマリーナ両者の実力は互角だった。傍から見てもどちらに勝利が転ぶか全く読めない。
実の娘が血まみれになってゆく様にシルヴィアは心を痛めた。……というよりも、忘れていた感覚を思い出した。
かつての彼女は、魔物と戦う子供達を心の底から心配していたものだった。親として当然の感覚。いつからかその感覚を忘れ、まるで事務作業のように何度も何度も子供達を戦場に送り出してきた。
シルヴィアは己を恥じた。親の心を忘れてしまった自分を。
「……マリーナ、今助けてあげるからね」
母として彼女のやるべきことは一つ。愛する我が子を守ること。
仕事の手を止め、娘を脅かす“敵”に向けて手をかざす。
「ブッ散れ!」
魔法陣が浮かび上がり、無数の氷の槍が放たれた。
「!」
クリスが気付くも、回避が間に合わない。
彼女の心臓めがけ、一直線に刃が飛ぶ。
――しかし、魔法の氷槍が狙った標的に突き刺さることはなかった。
マリーナが間に割って入り、その身を盾として受け止めたからだ。




