第八十五話 忘れがちな、忘れちゃいけないこと
「…………わは……はは……や、やっちゃった……成功しちゃったよ私」
自分でも信じられない。ショーコは召喚魔法を発動させちゃったのだ。
形容し難い高揚感が湧いてくる。まさか自分が……なんの取り柄もない平々凡々な女子高生である自分が、巨大なドラゴンを魔法で呼び寄せたなんて。
不可能を覆し、絶望を希望に変えたショーコは無意識の内に表情を大きく緩ませていた。
――が、召喚された側はそうでもない。
『「は!? えっ!? ココドコ!? なに!? さっきまで眺めてたアヒルさんの親子は!?」』
ショーコらを共和国へ送り届けた後、“南方の離れ山”へ帰る道中で突然見知らぬ場所に空間転移させられたアークエデンはひどく困惑していた。まあそりゃそーだわな。
とはいえ召喚場所が大書庫なだけマシだった。空間魔法で拡張された場でなければ、百メートル級のドラゴンの体格で内側から破壊されていただろう。
「お~ぅい! ビビ~! こっこで~す! こっここっこ~!」
どこからか聞こえる声にアークエデンは周囲を見回す。足下で小さな陰がぴょんぴょこしているのに気づくと、それがショーコだと理解するのに時間はかからなかった。
『「はえ!? ショーコ!? なになにどゆこと!? アヒルさんどこいったの!?」』
「いやそれは知らんけどとにかく――」
ショーコが説明する暇もなく、召喚時の衝撃で吹き飛ばされたエドワードとレベッカが立ち上がった。
「はあっ……! はあっ……! くっ……政府本庁の屋内に魔物を呼び出すなんて……なんて非常識な! おいコラションベン女! これは史上類を見ない大犯罪だぞコラァ!」
声を荒げるレベッカと、すぐさま戦闘体勢に移るエドワード。
アークエデンが振り返る。彼女の瞳に映ったのは、口悪く怒鳴る女騎士と無言で刀を構える男騎士。
そして――床に倒れ伏すフェイとヨーカの姿。
『「……ああ、そゆことか」』
アークエデンは鼻から大きく息を吸い込み――口から炎を吐き出した。
大書庫に竜の獄炎が充満する。無数の書架と蔵書が一斉に灰と化した。
「わー! ちょっとタンマタンマ! ビビー!」
ショーコの叫びは業火の音と熱によって掻き消された。
炎禍は数秒間続き、貴重な書物を数えきれないほど焼き払った後、ようやく終息した。
全てが灰塵と帰す中に残っていたのは、エドワードの背中。
妹に覆い被さり、破滅の業火から守り抜いた、兄の背中。
「お兄ちゃん!」
「…………――……」
ズルリ、と無言の騎士は力無く地に伏した。
『「ちっ、一匹しかやれなかったか」』
アークエデンが再び息を吸い込んだところで、ショーコが彼女の眼前に滑り込んで制止した。
「ちょちょちょ! 待て待てビビ待って! こ、殺しちゃダメだかんね!? わかってる!? 他の種族に危害加えるなってビルも言ってたでしょ!」
いや、今更そんなこと言っている場合でないのはショーコも重々承知している。共和国の中枢に呼び込んでおいてどの口がって話だが、それでも最後の一線だけは越えさせるわけにはいかない。
『「だいじょぶ、殺さないていどにブッ殺すだけだから」』
「いやものっそい物騒なこと言ってるよアナタ! てか火力強すぎてフェイやヨーカに飛び火しない!?」
『「ああ、わたしのことホメたあの人間とエルフには魔法障壁かけといたからヘーキだよ」』
ショーコに言われるまでもなくキチンと力を制御しているアークエデンとは対照的に――
「こンのぉ……ウロコヘビがあーーーーーっ!」
――レベッカは殺意と怒りを爆発させた。
両腕に通す輪に“マナ”を凝縮させ、強力な閃光の一撃を放つ。並の魔物なら一瞬で粉微塵に分解する破壊魔法だ。
それが失敗だった。冷静さを欠いて、自身もしくはエドワードを回復させるという選択肢を忘れてしまっていた。
加えて、アークドラゴンという種は“並の魔物”なんかじゃない。魔法使いにとって天敵と言えるほど、極めて強い魔法耐性を持つことを失念していた。強力な破壊魔法もアークエデンには威力が半減される。
「っ……!」
『「今のはちょっといたかったぞ」』
三つ目の失敗。高威力の魔法を乱発しすぎたことによる“マナ”切れ。もはやレベッカは身を守る防御魔法も使えない。
「し、しまっ――」
長くブ厚いドラゴンの尾が、遠心力を伴ってレベッカに叩きつけられた。
「べ」
百メートル級の質量と重量をマトモに受けた魔法騎士は小石のように吹き飛び、延々と続く大書庫の遥か遠方へと消えた。
『「フン、にんげんていどがわたしに勝とうなんざ三千年はやいんだよ」』
「っ……!」
アークエデンの……ドラゴンの持つ末恐ろしい力に、ショーコはゾッとした。
共和国やレオナが警戒するのも当然だ。生き物としての次元が違う。手負いだったとはいえ、十三騎士団の二人を瞬く間に退けたのだ。彼女がその気になれば、世界に途方もない災害をもたらすだろう。
まさに恐怖そのもの。存在すること自体が脅威と言える、破壊の化身。
ショーコの中で、魔物に対する恐怖が再び大きく膨みかけた、その時――
『「どぉーだショーコ。わたしってば強いだろうっ。それにちゃんと殺してないぞ。そっちの男はまだ生きてるし、女も気をうしなってるだけだからな。さあ、ホメろホメろ! ビビ様のことをめいっぱいホメろー!」』
――巨大で凶悪な面構えのドラゴンが得意げに胸を張った。
「…………ははっ」
ショーコは思わず吹き出した。同時に、恐怖が急速に萎んでいった。
ショーコは元々、魔物は邪悪で野蛮で危険な生き物だと思っていた。最後の一匹がいなくなるまで、この世界の人々は安心して暮らせないとも思っていた。
確かに、かつては邪悪な魔物が数多く存在したのだろう。魔王やその配下達は力によって世界を恐怖に陥れていた。それは事実。
だが、“南方の離れ山”でビルやアークエデンと出会い、言葉を交わし、その考えは変わった。
ビルはショーコやフェイの身を案じ、介抱してくれた。
アークエデンは友を守る為にその力を貸してくれた。相手の生命を奪わずに。
力を持つ者が悪いのではない。その力をどう使うかが大事なのだ。
どう見えるかではなく、どう動くかが本質なのだ。
全ての魔物が“悪”というわけではない。己の目と耳でそれを確かめたショーコは、偏見を抱いていた自分を恥じた。
そして、その事実を人々に伝えることこそ、魔物と対話ができる“転移者”の使命なのだと理解した。
――……
ショーコ達が大書庫の禁書区画へ足を踏み入れた頃……
――【繁栄と安寧の広間】
「真剣勝負だ、クリスティーナ」
おもむろに、マリーナは予想外の行動を取った。
十三騎士団の正装とも言える肩、胸部、腕、腰、脚部の装甲を脱ぎ始めたのだ。それはつまり、全身を完全武装する装甲を手放すことを意味する。
完全に無手となるマリーナ。騎士の称号を与えられてはいるが、彼女の武器は鍛え上げられた己の肉体のみらしい。
「根性比べってワケか」
姉の考えを察し、クリスも同様にアダマント製の籠手を外した。
自身の身を守る防具を足下に置いた両者は、再び睨み合う。
「私は不器用な女だ。手を抜くということができない。覚悟はいいか? 私はできてる」
「テメーこそ、退くなら今だぞ。……選べ、道を開けるか、くたばるか」
「口の利き方には気をつけろ。私はお姉ちゃんだぞ」
「もう違ぇーよ」
クリスが拳を振るう。
マリーナが蹴りを繰り出す。
両者の剣が激しくぶつかり、空気が揺れた。
姉妹の顔が同時に歪む。
防具を着けていない分、互いの力が直に伝わった。相手の力だけでなく、自身の力の反動も含めて。
「ぐっ!」
両者互いに相手より先に体勢を立て直し、相手より先に二撃目を繰り出そうとする。
クリスの拳がマリーナの首元に炸裂し、マリーナの蹴りがクリスの脇腹にめり込んだ。
「がっ……!」
骨が軋み、神経が悲鳴を上げる。それでも、目の前の相手に負けたくないという意地が闘志を掻き立てる。
さらに力を込め、より強い一撃を叩き込む。こちらの打撃が入ったと同時に、相手の打撃をモロに食らう。
「――~~~っ……!」
さらに一撃。またさらに一撃。
両者共に全力の打撃を繰り出す度に、相手の全力の打撃をその身に受ける。
意識が飛びかけ、過去の記憶が走馬灯のように蘇る。
それは、今まさに目の前にいる家族との思い出――
………………
……十五年前。
「マリーナ、クリスティーナ、お前達に大事な話がある」
父――ジョージ・ウォーシャンの神妙な面持ちに、マリーナは背筋を伸ばした。齢七歳とは思えないほど大人びた様子で父の目を真っ直ぐ見つめる。
対照的に、クリスティーナはアクビをしながら頭をポリポリと掻きむしるという六歳の子供相応の態度だった。
「お前達ももう小さいガキじゃねぇから分かってると思うが、異世界からの“転移者”によって魔王が倒された。永く続いた戦争も終わって、これから世の中は平和になっていくわけだが……俺の仕事は魔物と戦う傭兵稼業だ。魔族との戦いが終われば仕事も無くなる……つまり稼ぎが無くなって、俺達家族は路頭に迷うことになるんだ……うう……ウウウ――……なーんてウッソぴょ~~~ん!」
泣き真似からの変顔コンボをかますジョージ。
マリーナは顔色一つ変えず真顔のまま、クリスティーナはひどく冷めた目で父親を見つめていた。
「まっ、仕事が減るのは確かだがよ、生き残った魔物はゴロゴロいる。俺みてえに強ぇー戦士にゃまだまだ仕事はあるさ。心配すんな!」
大口開けて豪快に笑う父。対して姉妹の目は共に感情のなさそーなものだった。おそらく慣れたモンなんだろう。
「で、なんだがよ、今後は傭兵業界もどんどん窄まってって、少ねぇー仕事を奪い合う時代になる。少し早ぇーが、お前達も強ぇー戦士になってガンガン稼げるように、今からバンバン訓練していくことに決めたぜ」
「は!? なんでそーなるんだよクソオヤジ! 家族をやしなうのがテメーの仕事だろ!」」
クリスティーナの暴言にジョージは大口を開けて笑った。
「そう言うなって。稼ぎが減るんだから仕方ねぇーだろ。働く苦労を学ぶのも大事な経験だ。家族みんなでがんばろうぜ!」
「ザケんな! テメーのかせぎが少ねーからって子供を使うなバカ! アタシはじゆうに生きてーんだ! テメーの言いなりになんかなってたまるか!」
「お父さま、家族全員でと言いましたが、なぜみんなを集めず、わたしとクリスティーナだけに言うんですか?」
悪態をつくクリスティーナとは対照的に、マリーナは落ち着き払った態度で父に問うた。
「流石はマリー、鋭いじゃねぇーか」
ジョージはぶっきらぼうながらも娘の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「お前達二人はみんなのまとめ役になってもらう。マリー、お前がリーダーになって弟や妹達を引っ張ってくんだ。年長者としてチビどものいいお手本になれ。それから……母ちゃんを手助けしてやってくれ。母親ってぇーのは俺達が思ってる以上に大変なモンなんだ。何があってもお前は母ちゃんの味方でいてやってくれ。たとえ俺が相手でもだ。いいな」
何も言わず、マリーナは頷いた。
「クリス、お前は姉ちゃんを支えてやれ。お前ぇーは俺と似てガサツだがよ、マリーとなら最高のコンビになれるぜ」
「なんっでアタシがンなことやんなきゃなんねーんだよ」
「リーダーってのはな、なんもかんも一人で背負い込むと耐えられなくなってブッ壊れちまうもんなんだよ。だからお前が姉ちゃんを手助けしてやってくれ。頼むぜ」
姉と同じようにわしゃわしゃと撫でられるクリスの表情は、それはそれは不満そうだった。
「チッ、まあしかたねーから考えといてやるよ」
「ところでだが、これから我が家は各自で食費を払う制度を取り入れることにした。早速だが本日分の飯代を徴収する。一人につき千二百ゼンずつだ」
「は!? なんじゃそりゃ!? だれが払うかフザケんな!」
「イヤなら飯抜きだぞクリス。いいのかな~? 今晩はツチノコの極上ステーキだって聞いてるんだがな~」
「なっ……! ……くっ……マリーナ、ちょっとかしてくれ」
「返す時に百ゼン上乗せするならかしてやる」
「やるなマリー。流石は俺のガキだ」
「んぎっ……この金のもうじゃどもめ……見てろよ! ぜってー金もちになってお前らをギャフンと言わせてやるからな!」
「ハッハハハ、そいつぁいいや。楽しみにしてるぜ、クリス」




