第八十四話 できっこないをやるっきゃない
エドワードの太刀は一振り一振りが恐ろしい威力を誇った。ヨーカが身を反らして躱す度、周囲の書架を紙切れ同然に切断してゆく。槍で防御し、軌道が逸れてもその威力は衰えることを知らない。
防戦一方だったヨーカが反撃に転じる。鋭い突きを繰り出すも、エドワードは刀で弾いてみせた。
すぐさま槍を構え直し、二撃、三撃と刺突。それらも全て完璧に捌かれる。技術だけでなく、多くの経験を積んできたエドワードの戦闘能力はヨーカよりも上だった。
「ちゃっ!」
正面からでは破れないと踏んだヨーカは速度に振り切る。
得物を投げ、防がれたと同時に槍の下へ瞬間移動して斬撃を繰り出す。それも捌かれると床を蹴って距離を取り、再び槍を投擲。刀で弾かれ、明後日の方向へ槍が飛ばされるもすぐ様瞬間移動し、宙で槍を掴んで三度投げる。
エドワードは防御姿勢を取るも、刃が触れるよりも先にヨーカが瞬間移動し、投げた槍を掴み直して斬撃を繰り出す。あまりにも変則すぎる素早い連撃。ヨーカの最も得意とするところだ。
しかし、エドワードは直撃を許さない。前後左右上下からの連撃でも、彼の並外れた膂力でのガードを崩すことができない。
「クソッタレ……! 力がエド兄なら速さはウチだ! 一生かかってもキメてやんよ!」
速さに全振りするヨーカ。目にも留まらぬ速度で跳びまわり、手数で攻める。しかし、それでもなお兄に一矢報いることができない。
一向に有効打が撃てないヨーカは苦し紛れで槍を力任せに横に薙いだ。
「ッ――」
ヨーカの観察眼は見逃さなかった。兄の表情が歪んだのを。いや、仮面で覆われているので実際には見えないのだが、明らかに異常な反応を示した。
レベッカの話を思い返す。エドワードはほんの何時間か前まで魔物の討伐任務に赴いており、脇腹に重傷を負ったという話だ。
「エド兄……その脇っ腹が弱いってカンジィ!?」
なりふり構っていられない。なにより相手の弱点を攻めることは卑怯なことではない。戦いにおいて至極当然の、真っ当な行いだ。
ここぞとばかりに脇への集中攻撃。
今度はエドワードが防戦一方となる。受ける度に苦悶の表情を浮かべる。いや実際仮面で見えないんだけど。
「い、いいぞヨーカ! ガンバレガンバレ!」
ショーコの応援を背に、ヨーカはさらに勢いを増した。
このまま押せば一太刀は浴びせられる。希望の光がヨーカを手招きした。
「――」
だが、いつまでも受け手でいるほどエドワードもヤワではない。槍撃を受けると同時に、足払いで相手を崩す。
「あっ――」
瞬間、ヨーカは己の未熟さを悔いた。弱点を攻めることばかりに気を取られて足下がお留守になっていた。
エドワードが刀を振り下ろす。ほぼ同時に、刃を上へ返しての斬り上げ。瞬きするよりも速く二連撃を見舞う、弟カイルにも伝授した剣技。
「がっ……!」
幸運にもエドワードの刃はヨーカの肩部と胸部を覆う装甲によって威力を削がれた。だが、それでも現在のヨーカを戦闘不能に追い込むには十分だった。
「……――」
大書庫の床に伏すヨーカ。エドワードが追い打ちに彼女の腹部へ強烈な蹴りを入れた。
華奢な身体がくの字に折れ、棚へ叩きつけられる。魔物との連戦の疲れが残っているヨーカにはもはや立ち上がる力はなかった。
共和国に仇なすのなら家族だろうと容赦しない“仕置き人”。その眼が次の標的へと移る。
のっぺらぼうの仮面に睨まれ、ショーコは背筋が凍った。
「っ……!」
エドワードは一言も発せぬままにじり寄り、無手の少女に対して刀を構えた。
「ショーコさん!」
ギリギリもギリギリだった。振り下ろされた刃をフェイが両の手で挟んで止めた。真剣白刃取りというやつだ。
エドワードの戦い浸けの人生において、己の一刀を素手で受け止められたのは初めてのことだった。
「フェイ! あ、ありが――」
「余所の女気にしてんじゃねェ!」
レベッカの周囲に五つの白い球体が出現し、そこから細い光が放たれた。ベタ塗りのような真っ白い線がフェイの右足を貫く。
「ぐあああああ!」
その魔法は外傷を与えるものではない。対象の内側を焼き尽くす魔法だった。フェイの足の筋肉と神経がズタズタにされる。
それでもなおフェイは白刃取りの手を放さなかったが、エドワードは踏ん張る力を失った彼女を刀ごと持ち上げて振り払い、書架に叩きつけた。
「いいザマだなスケコマシ野郎っ!」
床に伏したフェイにレベッカが追い打ちをかける。
魔法の白球がフェイの周囲を浮遊しながら光の線を放ち、彼女の身体の内側を煉獄へと変える。
「がああああああああああ!」
「身を焦がされる気持ちがわかったかよ! なァにが『信じてください』だ!」
五つの魔法球が一斉にフェイへと光線を伸ばす。彼女の周囲を旋回するように飛び、あらゆる角度からの責め苦を味あわせる。
「ああああああああああああああああ!」
「お前みたいな人の心を惑わす女には天誅を――」
――ごん、とレベッカの頭が弾んだ。
何かをぶつけられた感触。視線を落とすと、足下に分厚い魔導書が転がっていた。
「や、やめろこのプッツンやろー! フェイをイジメるんじゃねー!」
ショーコが声を震わせながら、散乱した書物を放り投げてきたのだ。
眼中に無かった人間からの横やりにレベッカはさらに機嫌を損ねる。
「あぁ!? ンだおい! 誰だてめぇは!」
「“転移者”の未船ショーコだコノヤロー! なんで覚えてねーんだよおバカ!」
書物を拾っては投げ、拾っては投げを繰り返すショーコ。天下の十三騎士団相手にモノを投げつけるという姿は滑稽にすら見えるが、これが彼女にできる精一杯の抵抗だった。
「なんだァテメェ……!」
レベッカはショーコに向き直って手をかざした。輪が回転し、魔法を繰り出そうとする。
しかし、突如何者かに足首を掴まれた。
何事かとレベッカが見やると、床に這ったままのフェイが彼女の足首を掴んでいた。
「やめて……ください。ショーコさんには手出しをしないで……私ならどうなってもいいですから……」
「……あ?」
レベッカはフェイとショーコを交互に見やった。二、三度視線を往復させ、ひとりごちる。
「あ”あ”あ”ぁ”ぁ”~~~……そういうことかよ……見せつけやがって……」
レベッカはあえて魔法を使わず、掴まれていない方の足でフェイの顔を蹴り上げて引っ剥がした。
改めてショーコに向き直り、歪んだ笑みを浮かべる。
「まずはお前からだションベン女。泣いても簡単には殺さねぇ。苦しめて苦しめて苦しめ倒して、自分がこんなメに合うのは誰のせいなのかを存分に噛み締めさせてやる。どんな魔法がいいかなぁ? 全身の骨を溶かす魔法か、胃からナメクジを湧かせる魔法か、それとも――」
そこでレベッカは口を止めた。再び足首を掴まれたからだ。
しかし、掴まれる力は先程とは比較にならないほど強い。骨を折られるかと思うほどに。
思わず足下を見下ろすレベッカ。彼女の瞳に映ったのは、美しい種族であるエルフとは到底思えない形相で睨み付けるフェイ。
「…………彼女にほんの少しでも苦しみの声を上げさせたら……私は貴方を殺します」
背筋が凍った。身じろぎ一つ取ることもできないほど。
レベッカはこれまで数多くの魔物や賞金首と相対してきたが、これほどまでに強い殺意を向けられたのは初めてのことだった。
しかし、
「がっ……――」
エドワードに刀の柄尻で首元を殴打され、フェイの意識はそこで途絶えた。
「……っ…………ハ、ハ……なんだよ、ビビらせてくれちゃって……クソ……!」
レベッカは胸を撫で下ろすも、自身が小さく震えていることを自覚していた。
これまでいくつもの魔物討伐任務をこなしてきたレベッカは名実共にかなりの経験を積んだ猛者である。その彼女を初めて芯から震え上がらせたのが、まさかこんな優エルフだとは……
この女には底知れぬものがある。気絶している内に始末すべきだ。そう判断したレベッカは手をかざし、魔法を唱えようとした。
が、どういうわけかエドワードが彼女の前に立ち、制止する。
「どいてお兄ちゃん! そいつ殺せない!」
「――――」
「っ……レオナさんがそう言ったの? ……わかったよ。とりあえず、先にあっちのションベン女からだね」
例によってエドワードは声を発していない。エドワードが何を言ったのかはレベッカのみぞ知る。
とかく、ヨーカとフェイを下した二人の騎士は、最後に残った一人――ショーコへと向き直る。
「わ! わっ! こ、こっち来るな! 友達の弟だからって距離感近すぎんの無理だから私!」
喚きながら足下の本を拾い上げて投げつけるショーコ。
エドワードはまるで蜘蛛の巣を払うかのように軽く本を払いのけ、ゆっくりとショーコに近づいてくる。
「――」
「っ……わ、私を殺すなら、そののっぺら仮面を取りなよ。……で、でもどうせできないんでしょ? 自分が殺す相手の目を見るのが怖いから、そうやって誤魔化してるんだろうからね」
「!」
「あ、もしかして図星? あちゃ~、こんな小娘に言い当てられてさぞ恥ずかしい――」
刀が振り下ろされた。
「っ! ……あ……――」
ガクンと膝が落ち、ショーコはゆっくりとその場に倒れた。
「……」
十代の少女を……それも非武装の一般人を斬り捨てたエドワードは、物言わなくなってしまった彼女をしばらくの間見つめていた。
「お疲れ様、お兄ちゃん」
レベッカに声をかけられ、エドワードはようやくショーコから目を離した。
「さ、後は任せて。そっちのスケコマシエルフを磔魔法で拷問するね~」
「――」
「え~、いいじゃない〜。レオナさんにはうまく話つけておくから~。あ! ていうか傷口開いてるよ! ほら、回復するからみせて〜」
「――」
「も~、お兄ちゃんってば頭が固いんだあ~。そうやって意地張るから近寄り難いって思われて――」
「っ…………うく……」
レベッカとエドワードが言い合う中、ショーコの指が僅かに動いた。
ゆっくりと手を動かし、斬られた箇所に触れる。痛くない。全然、全くの無傷。
ショーコ自身もすっかり忘れていた。フェイの故郷にて、ドワーフの名工ギルタブにもらった【オリハルコン】のシャツが身を守ってくれたのだ。ありがとうギルタブ。忘れててごめんね。
気付かれないことを祈りながらゆっくり顔を上げる。レベッカとエドワードは互いにしか目がいっていない。
これは最後の好機だ。フェイとヨーカを助けられるのはショーコだけ。お前がやらなきゃ誰がやる。
しかし、この状況でできることなど何も――
「……!」
――その時、ショーコの手に何かが触れた。
散らばった魔導書。
無造作に開かれたページには、“最初の転移者”がもたらした日本語ではなく、この世界本来の文字でとある魔法に関する記述が記されていた。
見知らぬ文字で書かれているハズなのに、何故かショーコは読み解くことができた。どういうわけか直感的に、感覚で理解できたのだ。
その魔法を扱うことができればこの危機を打破できる。フェイとヨーカも救える。
しかし、その魔法の発動には三つの条件が必要と書かれていた。
一つ、対象と心を通わせていること。
一つ、対象の真の名を知っていること。
一つ、対象に術者の血を与えていること。
ショーコは自身の右腕を見やる。あの時噛まれた傷はスデに塞がり、痕となっていた。
果たしてあれで血を与えたことになるのだろうか。他の条件だって満たしている自信は無い。
なにより、三つ全てをクリアしていたとしても、ショーコは魔法など扱えない。それはスデにドワーフの炭鉱でギジリブ強盗団と戦った際に証明されていることだ。
思い上がるなショーコ。
お前には無理だ。
できるはずがない。
……しかし、
だが、
それでも――
――できっこないをやるっきゃない!
「――!」
「!? コイツ、生きて――」
レベッカとエドワードが気づいた時には、ショーコはスデに魔導書を拾い上げていた。
そして、強い意志を持って唱える。
“出来る”と信じて。
「『空前の力誇りし魔竜よ、今こそ猛り我が前に現れ出でよ!』」
ショーコの眼前に巨大な魔法陣が浮かんだ。
紫色の光を発し、紋様が蠢く。
そして、魔法陣の中から巨大な影が姿を現した。
眩い閃光と暴風を伴って現出した“ソレ”は、ここに居るハズのない存在。
具現化した“恐怖”そのもの。
“破壊”と“災禍”の化身――
――ショーコはドラゴンを……アンジェリア・ビビ・アークエデンを召喚した。




