第八十三話 震える愛
「それにしてもビックリしたなぁ~。あのマイ・ウエストウッドさんと仕事してたなんて、先に言ってよヨーカ~」
「う、うん。メンゴなベキ姉」
書庫へ向かう道中、ヨーカはヘタなことを口走ってしまわないように気を配りながら相づちを打っていた。
いっそ事情を話してレベッカを味方に引き入れるべきかとも考えたが、カイルと同じくそっち側に着くこともありうる。
ちなみにカイルのことは「魔導書を探す間ベッドで安静にさせておこう」と、医務室――深夜故に無人だった――に運んでおいた。
「ね、ねね。それよりさヨーカ……そちらの方とは一体どういう関係なの?」
コッソリ耳打ちするレベッカ。彼女が指しているのは後ろを歩くフェイのことだ。その隣にショーコも居るのだがあまり視界には入っていない様子。
「ああ、エルフのフェイぴっぴと“転移者”のショーコっちだよ☆ 二人とも、こっちは一個姉のレベッカ♪」
「よろしくお願いします」
「あ、ショーコです。どもですハイ」
「こっ、こちらこそよろしくお願いしますフェイさん。ヨーカがお世話になっているようで~」
レベッカの口元は緩んでいたが、目線は若干下に向いていた。
“転移者”と紹介されながら一切触れない……それどころか存在を認識すらされていないように感じたショーコは、友達が一人もいないクラスに入れられてしまった中学一年の春を思い出していた。
「レベッカさんも任務だったそうですね」
「は、はいっ。〈南ボウリド大陸〉で目撃された魔物の討伐に、エドワードお兄ちゃんと一緒に出向していました。あっ、エドワードはうちの長男で、と~っても強い剣士なんですよ~。今日はまっすぐ家に帰っちゃったんで、紹介できないのが残念です~」
ヨーカは安堵の息を吐いた。エドワードは魔物退治もさることながら、極悪な犯罪人を数多く成敗してきた、“仕置き人”とあだ名される剣士。もしここで出会ったのがホワホワしたレベッカではなく厳格なエドワードだったなら……想像しただけでゾッとする。
「無口でおっかない人だって誤解されることもあるんですけど、ホントは優しくて仕事熱心で家族想いのいい兄なんです~。それにすごくストイックで、今回の任務でも脇腹を抉られて重傷のハズなのに自力で治すって言ってきかないんですよ~。もう少し私達を頼ってくれてもいいのに~……」
「お兄さんのことを大切に想ってるんですね。素晴らしい家族愛です」
「へぁっ!? そ、そそそんなことっ……えへ……あ、ありがとうございます。えひ」
金色の毛先を弄るレベッカの頬は朱に染まっていた。この女性がクリスやヨーカと血が繋がっているだなんてとても信じられない。
「あ、あの、レベッカさんって兄弟姉妹の中で何番目に当たるんですか? クリスより妹で、ヨーカよりお姉さんなんスよね」
ショーコが会話に入ろうと話題を振ってみた。レベッカが一瞬「え? この人誰だっけ……? ああ、忘れてた」と言いたげな表情の変化を見せたので内心ちょっとショックだった。
「えと、一番上が姉のマリーナ、二番目が姉のクリスティーナ、三番目が兄のエドワード、四番目が兄のアルフォンス、五番目が私――レベッカ。六番目が弟カイルで、七番目が妹ヨーカ、八番目が弟のフレデリックで、九番目が妹のヴァレンティーナです。ふふ、とても覚えられないですよね」
ショーコとフェイにとって末の二人の名は初耳だったが、長女マリーナと次男アルフォンスの二人とは既に先日顔を合わせていた。
「あー、あの気の強そうな女の人とデッカイ男の人もクリスが姉弟だって言ってたな。仲悪そうだったけど……」
「家族揃って大変なお仕事をこなされてすごいですね。尊敬します」
「い、いえいえそんな……あ、あの、そんなことより……私のことはどうかベッキーと呼んでください。私も……フェイさんと呼んでもいいですか?」
「ええ、もちろんです、ベッキーさん」
「――っ……ふへ、ふひへへ。ふへへひひひひ」
姉の見たことのないトロケ笑みに、ヨーカは若干引いていた。
いくら鈍ちゃんなショーコでもさすがに気づく。当のフェイはまるで気づいていない様子なのが少し残酷でもあった。
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ショーコ達は元魔王城の地下……その最深部へと辿り着いた。大層な装飾が施された両開きの扉が四人を迎える。
レベッカが手をかざすと、扉が音を立ててゆっくりと開いた。
――神聖ヴァハデミア共和国政府本庁・大書庫――
「っ……すご……」
背の高い書架……いや、高すぎる書架が無数に……いやほんとに数えきれないほど並び立っている。ショーコはまるで都会のビル群の中にいるような感覚を覚えた。
天井が高すぎて果てが見えない。書庫の奥行きもまるで霧がかかっているように遠く遠く続いている。
「この書庫は空間魔法で拡張されてて、外よりも中の方が広いんですよ~。あらゆる歴史書や魔導書が保管されてるんですけど、蔵書は日々増え続けているので収納場所はいくらでも必要なんですよ~。すごいですよね~。それでヨーカ、カイルがやられたのはなんていう毒魔法なの?」
「んえーっと……ヤクラグっていうんだけど」
聞いたことのない魔法に小さく首を傾げながらも、レベッカは入口脇にある台座に描かれた魔法陣に触れた。陣が輝き、宙に文字列が並ぶ。いわゆる検索エンジンだ。
『ヤクラグ』の文字を入力するもヒットはしなかった。政府の極秘魔法故、当然と言えば当然か。
「おかしいな。名前が付いてる魔法で出てこないなんてことは……」
「ベッキーさん、禁術の魔導書も検索できますか?」
フェイの言にレベッカは耳を疑った。ショーコとヨーカも同様に。
「ちょ、ちょっとフェイ……それを言っちゃあ……」
「まさか……カイルの毒は禁術に指定されているような魔法なんですか? 一体何が――」
フェイはレベッカの両肩を掴み、彼女の目を真っ直ぐ見据えた。
「事情があって詳しくはお話しできません。ですが、私を信じて協力してください」
「っ……で、でも禁書を読むには閲覧許可証が――」
「事態は一刻を争います。お願いします、ベッキーさん」
真摯な銀色の瞳に射抜かれたレベッカは、頭の中で脳が浮遊する感覚に見舞われた。
「――は……はい。わかりまひた」
今度は『禁術』と入力する。床に光のラインが走り、書庫の奥へと延びてゆく。禁術指定の魔導書が保管された区画への道順を示しているらしい。
「ありがとうございます」
優しく口角を上げるフェイ。
その笑顔があまりにも眩しく、レベッカは思わず目を反らしてしまった。
「い、いえっ、そんなっ……わ、私は……貴方が望むことならなんだって……えひっ……い、いや! そ、それより早く進みましょう!」
道標に従い大書庫を奥へ奥へと進む。永遠に続くかと思い始めた頃、レベッカが足を止めた。そこから先には、床に赤く光る線が引かれている。
レベッカが小さく呪文を呟くと赤い線が消失した。おそらくそのまま進んでいればなんらかの防衛機構が働いていたのだろう。彼女の同行は予定外ではあったが、おかげで苦なく進むことができたので結果オーライだ。
ここから先は立ち入りが禁じられた区域。禁術の魔導書――いらゆる禁書が蔵書されている場所。
「!」
ただならぬ気配にフェイが足を止めた。
ヨーカとレベッカも同様に感づき、立ち止まる。
「わぷっ」
一人ノンキしてたショーコは前を歩くフェイの後頭部に鼻頭をぶつけるハメになった。頭を傾けてフェイらの視線の先を見やる。
奥の棚の陰から何者かがゆっくりと姿を現した。
気配の正体を目にした瞬間、ヨーカは一気に血の気が引いた。
「――」
のっぺらぼうのような面をした人物。後ろで結われた青く長い髪から一見女性かと見紛うが、背の高さと肩幅の広さからおそらく男性だろう。
背負われた大きな刀剣と、なにより肩や胸や腰等の各部に装着された鎧装甲から、彼が何者かが察せられた。
「…………え……エド兄……」
ウォーシャン家の長男。クリスの弟にして、ヨーカやレベッカの兄。
“仕置き人”とあだ名される、十三騎士団の一人――“烈閃のエドワード”。
「あれ? お兄ちゃん、先に帰ったんじゃ……どうしてこんなところに?」
レベッカが問うまでもなく、ヨーカは察していた。
“仕置き人”が禁書区画で自分達を待ち構えている理由など明白……
……バレていたのだ。
「――――」
物言わぬエドワードは手を伸ばし、剥き身のまま背負われていた刀剣を握った。
刀身は水の様に澄み、反りがある。マイが愛用する刀と同系統の――ショーコの世界で言う日本刀のような刀だ。何より異質なのは、物干し竿かと思う程の長い刃。
「わ! わっ! 待ってエド兄――」
ヨーカの制止を聞かず、エドワードは刀を横に薙いだ。
フェイがショーコの姿勢を落とし、寸でのところで凶刃を躱す。代わりに背後の書架に斬痕が刻まれた。
「っ! ……!? んなっ……なっ……!」
ショーコの心臓がバクバクと暴れる。フェイが伏せさせてくれていなかったらその鼓動が止められていたかもしれない。
「お、お兄ちゃん!? なにするの!? この人たちはヨーカのお友達で、私の――」
「……――」
「――え……レオナさんの指示で……? ……反逆者って……そんな」
エドワードは無言のまま声を発していない。どうやらレベッカと魔法による念話で会話をしているようだ。
「……ヨーカ、嘘だよね? 兄さんが……貴方達は嘘つきの裏切り者だって……禁術を使って共和国の転覆を図っているって……そんなの誤解だよね?」
「っ……ベキ姉……」
「嘘だよね……? ただの勘違いなんだよね……!? ……嘘だと言ってよヨーカ!」
返す言葉が出てこないヨーカに代わり、フェイが答える。
「お二人とも聞いてください。これには深いワケが――」
聞く耳を持たぬという意思表示なのか、エドワードが両手で柄を握り、肘を曲げ、剣先で狙いを定めるように構えた。
「ちょ、ちょ待てよエド兄! 話せばわかる! 一旦おちつこ!? ねっ!? ネッ!?」
「――――」
エドワードがフェイめがけて刀を振るった。
ヨーカが咄嗟に間に入り、槍で防御する。彼女の両腕を強い衝撃が襲った。
これまで何体もの魔物や何人もの凶悪賞金首と戦ってきたが、実の兄が振るう一撃はそのどれとも違う感触だった。
「……ちしょー! 話くらい聞けよアホ兄貴!」
ヨーカは槍を構えた。彼女が身内に刃を向けるのは初めてのことだった。
「や、やめてヨーカ! お兄ちゃんも! きっとこれは……何かの間違いで……そうだよね? フェイさん」
兄と妹が対峙するのを目の当たりにし、レベッカは現実を受け入れられずにいた。
すがるような思いでフェイに目を向ける。否定してくれと心の中で願う。
「フェイさん……?」
しかし、彼女の希望とは裏腹に、フェイは申し訳なさそうに目を伏せた。
「……すみません、ベッキーさん。貴方を騙す形になるとわかっていながら、正直に話さなかった私が悪いんです」
「……! それじゃあ……禁書に触れるために……私を利用しようと……」
「本当にすみません……」
「っ…………」
「ですが、信じてください。これは正しい行いなんです。私達はただ、共和国の過ちを止めたいだけなんです」
「……っ~~~…………乙女の純情を……踏みにじりやがってっ…………――ゆ”る”さ”ね”え”っ”!”」
レベッカは腰に携えた輪を取り、勢いよく振るった。
突如、フェイの頭上に巨大な岩が出現し、彼女を押し潰さんと落下する。
フェイは飛び退いて躱したが、岩は二つ三つ四つと続けざまに現れ、次々と床に突き刺さってゆく。
【魔道具】である二つの輪に両腕を通すレベッカ。手首を中心として回転し、“マナ”が練り上げられる。
彼女の周囲に魔法の黒い球体が複数出現し、標的めがけ放たれた。
フェイは咄嗟に棚の陰に隠れる。黒球が棚にぶつかると、着弾点が丸ごと抉れて消失した。
「ベッキーさん、どうか話を――」
「その名で私を呼ぶなアアアァァーッ!」
咆吼と共に次々と放たれる黒球によって書架が蔵書もろとも穴ぼこチーズと化してゆく。
「くっ……!」
魔物との戦いの傷が完全に癒えていないフェイがいつまで避け続けられるか。レベッカの魔法を食らうのも時間の問題だった。
「貴方の眼を見て……私は心を奪われた。貴方の声を聴いてどれだけ心が躍ったか、貴方に名前を呼ばれてどれだけ心が震えたか…………そんな私の想いを……お前は裏切った……! ブッ殺してやる……! ブッ殺してやるからな!」




