第八十一話 予定は狂うためにあるんだぜ
「ショーコさん、起きてください。もうすぐ着きますよ」
肩を揺さぶられたショーコが瞼をこすりながら身体を起こす。太陽は完全に沈み切り、空には漆黒が広がっていた。
「ふわあ~~~む……もうちょっと寝てたかったんだけどな」
アークエデンの背上で『第一回どうやって魔法書庫に忍び込〜むか? 大会議』を執り行ったショーコらは、潜入の算段がついた後、少しでも体力を回復させる為に仮眠を取っていたのだ。
魔法で風を無効化しているとはいえドラゴンの背中で眠っていたとは、ショーコもすっかり肝っ玉が据わってきたものだ。
寝ぼけ眼を前方へと向けると、神聖ヴァハデミア共和国の首都が確認できた。真夜中だというのにポツポツと灯りが散見される。
共和国政府が施した魔法によって地上からアークエデンの姿を視認できないそうだが、今はその方が却って助かる。
「行きしの魔導二輪車よりずっと早く帰ってこれたな」
「そもそもドラゴンを退治しに行ったのにそのドラゴンに乗せてもらって帰ってくるってめちゃくちゃですよね」
「アタシらがムチャクチャなのは今に始まったことじゃねーからな」
「クリスさんが言うと説得力ありますよね」
「なっ! きゅ、急にホメんじゃねーよ! テレんだろバカ!」
「えっ」
一同の眼下に元魔王城――政府本庁が屹立している。
ショーコ達の目的は二つ。書庫から新造魔法“ヤクラグ”の魔導書を盗み出す。
もう一つは、レオナが何故非道な行いに走ったのかを本人に問いただす。
しかし、こんな時間では彼女もとっくに本庁を後にしているだろう。職場で寝泊まりしているなら話は別だが。
「レオナを問い詰めるのは後回しだ。今はまず、“南方の離れ山”にかけられた新造魔法を解くことが第一だからな」
「ありがとねビビ。ここまで運んでくれてホントに助かったよ」
ショーコがアークエデンの背中を軽くポンポンと叩いて言う。
『「フン、別におまえらのためじゃないから。ビルにたのまれたからだかんな。あと、人間ていどがナマイキに“ビビ”ってよぶな! わたしのことをそうよんでいいのはともだちだけなんだから!」』
「そっか。まあとにかく私達はここで降りるから、気を付けて帰りなよ」
『「……言われなくてもわかってるよ。ホラ! さっさとおりろ! いつまでも人間のせてるとバイキンうつっちゃうだろ! それともまだなんかウダウダ言うつもりか!」』
「……ねえ」
『「あー!?」』
「またね、“ビビ”」
『「っ! ………………さ、様をつけろよな。……しょ……“ショーコ”……」』
ショーコは何も言わず、静かに口角を上げた。
『「……っなんか言えよバカ! 食い殺すぞボケカスが!」』
「やっぱくちわりぃ〜」
「よし、行くぞ皆。ヨーカ、作戦通りに頼む」
マイがヨーカの肩に手を置く。続いて、フェイもクリスもショーコもそれぞれがヨーカの肩に手を置いた。
「うーん、いけるかなあ。さすがに六人同時ははじめてやさかいに」
ヨーカは大きく息を吐き、得物の槍を逆手に持った。
眼下へ目を向け、暗闇の先を凝視する。
そして――地上めがけ、槍を投げた。
風を切って空気を貫き、一直線に飛んだ槍が共和国政府本庁――元魔王城のバルコニーに突き刺さった。
「ぴょっ!」
――次の瞬間、ショーコ達は槍が刺さった地点へと瞬間移動していた。
「ぶはぁっ! あ~……意外とイケるもんやね」
「礼を言う、ヨーカ。では、作戦第二段階だ」
マイを先頭にバルコニーから中へと入る。ちょうどそこは、ショーコらが出発前にスーツに着替えた部屋だった。
「さあ、人生最速の着替えタイムを記録するぞ」
「ビリッケツはデコピンな!」
「一位は頂きます」
「わー、待って待って! シャツの袖ボタンが取れないの!」
なぜこの状況下でわざわざ着替えるのかと言うと、ヨーカ曰く政府から支給されるスーツには着用者が違法行為を犯したり他者に危害を加えようとした際、強制的に行動を封じる術式が組み込まれているらしい。もしものことを考えて脱いでおく方が賢明だ。
ショーコ達が公開収録コント番組の如く早着替えをしている間、ヨーカは見張りの為に一人廊下へと出た。
時刻はド真夜中のド深夜。たとえ世界最大国家の政府本庁であろうと二時三時ともなれば人の気配はほぼほぼない。
ヨーカは小さく息をついた。意識を失ったカイルを――共和国最上位高官でもある十三騎士団の一人を連れてる(背負っている)この状況、誰かに見られればあらぬ疑いをかけられるだろう。いや実際ブッ飛ばしたから“あらぬ疑い”ってわけじゃないけど。
「あー、このまま誰も来ませんように。ずっと夜中でイイのに」
「あれ? ヨーカ?」
「どわっじ!」
突然の声にヨーカの心臓が癇癪玉のように弾けた。
声の主は緑青色のローブを着込み、その上から身体の各部に鎧装甲を装着した金髪ボブカットの女性。腰の左右には【魔道具】である金属製の輪がそれぞれ携えられている。
彼女はヨーカの姉であり、クリスの妹でもあるウォーシャン一家の三女――レベッカ・ウォーシャン。十三騎士団きっての魔法騎士である。
「どしたのこんな時間に。あ~、わかった。また友達と肝試ししてるんでしょ~。ダメだよ~元魔王城だからホントに魔王のオバケ出るかもよ~」
「あ、あえ~っと、ア、アハハ、まあそんなとこっちゃね↑ そ、それよりベキ姉もどしたんな。こんな夜更けに散歩かよ」
しどろもどりながら背中を見せないように身体の向きを変えるヨーカ。
「出張任務から帰ってきたとこなんだ~。ホントは直帰でもよかったんだけど、報告書だけ片付けておきたくって残業しちゃった~。明日から連休でね、友達と一緒に〈ポートの里〉っていうエルフの集落に行く予定でね、そこにある“生命の泉”に浸かるんだ〜。ほら、せっかく旅行行くなら仕事片付けてスッキリした気分で行きたいでしょ~?」
「お、お~ん、なるほやね〜。そいじゃ早帰って準備しないとやね~↑」
「あれ? ヨーカ、何背負ってるの? ……え……人……?」
「あ」
あかん、バレた。そりゃ華奢なヨーカの陰でカイルの体格を隠すのは無理があった。
「……!? え……か、カイル……!? ど、な……なにが――!」
「い、いや、えっと、これには深~いワケが――」
「任務に失敗したんだ」
私服に着替え終えたマイが言う。
彼女の背後には同じく着替えたクリスとフェイと、オデコを赤く腫らしたショーコの姿。
まあフェイは従来のルカリウス公国スーツに着替えているので見た目あんまり差違はないんだけど。
「ま、マイ・ウエストウッドさん!? それにクリスお姉ちゃんも!? なっ……え、何で……どうしてここに……」
「デカくなったなレベッカ。運動しないで飯ばっか食ってんじゃねーだろーな」
世界を救った英雄の一人と、相変わらずデリカシーの無い姉。情報の洪水をワッと浴びせられたレベッカの頭は処理落ちしかけていた。
「我々はレオナから極秘任務を依頼されていたんだが、カイルが重傷を負ってな。命に別状はないが、意識は失ったままなんだ」
「そ、そうだったんですね。あ、なら私が治癒しますよ~。こう見えて私、そこそこ優秀な魔法使いなので――」
レベッカは携えていた輪を手に取った。
まずい。ここでカイルに回復されては困る。
咄嗟にフェイが動き、レベッカの手首を掴んだ。
「貴方の家族を想う気持ちには頭が下がります。ですが、今はやめてください。これには理由があるんです」
「っ! ――……あっ…………え……は……はい……」
銀色の瞳に真っ直ぐ見つめられ、レベッカはゆっくりと腕を下ろした。
「ありがとうございます」
礼を述べられたレベッカは「あれ? なんで私、この人の言うこと素直に聞いてるんだろう……」と疑問を抱いた。同時に、自身の鼓動が大きく速くなっているのを自覚した。
「カイルがやられたのは特殊な毒魔法でな、治すのに魔導書で症状を解析したいんだわ」
クリスが嘘をついた。こうでも言わないと書庫に向かう理由付けにならない。加えて、フェイがレベッカを制止した言い訳にもなる。
「え、ええっ、そ、そうだったんだ。すみません、私ったらなんにもわかってなくて~……あっ、だったらレオナさんに報告しましょうか?」
その一言にマイは眉をひそめた。
「……レオナはまだここに居るのか?」
「は、はい。なんでも明日までに仕上げたい大事な作業があるそうで~、お母さ……魔法局長と一緒に【繁栄と安寧の広間】におられます~」
今度はクリスが眉をひそめた。
「魔法局長ってヨーカとクリスのお母ちゃんのことだよね」
ショーコは小さな声でヨーカに尋ねた。
「おん。こんな時間まで残業してるなんて珍すぃわ」
レオナとシルヴィアが二人して夜通し行う『大事な作業』とやらがどんなものなのか想像もつかないが、マイはなにか……とてもイヤな予感がした。
「……その【繁栄と安寧の広間】というのはどこにある?」
「え、えっと、この建物の真ん中の……あ、マイさんには“玉座の間”って言った方がわかりやすいですかね~」
マイにとって忘れようもない。十五年前、魔王が待ち構えていた場所だ。
「……レオナには私が話しに行く。色々と……訊きたいことがあるからな」
「えっ」
「アタシも行くぜ。フェイ、そっちは任せていいよな」
「えっ」
「わかりました。書庫へはショーコさんとヨーカさんと私で向かいます」
当初の予定から大きく逸れはじめ困惑するショーコだったが、フェイは二つ返事で了承した。
「あっ、わ、私、書庫まで案内します~。実の弟を放ってはおけませんから~」
さらに予定外なことに、レベッカが名乗りを上げた。彼女の同行はリスクが高いが、無下にするのは却って怪しまれるだろう。
フェイがマイに視線をやり、互いに無言で小さく頷いた。
「ありがとうございますレベッカさん。では、よろしくお願いします」
フェイが低頭するとレベッカは慌てて頭を上下させた。
「そ、そそそんな滅相もない! こちらこしょよろしくお願いひます」
若干足早に進むレベッカの後に続き、フェイとヨーカが廊下を奧へと進んでゆく。
ショーコはなかなか歩み出せずにいた。打ち合わせした作戦では、極力誰にも見つからずステルス潜入で忍び込むハズだった。それがよりにもよって十三騎士団に見つかり、その上マイとクリスと別行動になるなんて……漫画や映画でこーゆー展開になると大ピンチが待ち構えているのが相場ってもんだ。
だが、それを口にするとホントにそうなっちゃう気がしたので、言いたい気持ちをグッと胸の奥へと押し込んだ。
「……二人とも、もし捕まっても私のことはチクんないでよ!」
気の利いたことを言おうとしたものの最悪な捨て台詞が出ちゃったショーコは早足にフェイらの後を追って行った。
「ふふっ、まったくアイツは」
「にしても、政府の人間を――それも十三騎士団っちゅーお偉いさんを騙すなんて、マイも悪いオンナになったもんだな」
四人(と気絶している一人)を見送ったクリスがマイに言う。
「嘘はついていない。それに、そのお偉いさんの一人を殴り倒したお前の方が罪は重いだろ」
「ちげーねー」
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――政府本庁……【繁栄と安寧の広間】
かつて魔王が座していた“玉座の間”。天井は高く、大きな柱が複数屹立し、舞踏会場にさえ見える広間だった。いかにも昔ながらのRPGでラスボスが待ち構えている最終ステージっぽいところ。
マイとクリスが足を踏み入れると、眩い光の柱が中央でそびえ立っているのが目に入った。
いや、正確には柱ではない。よく見るとそれは、大きな魔法陣がいくつも重なったものだった。
ショーコの世界のもので例えるなら、魔法陣のミルフィーユと言うべきか。
この魔法陣の円柱こそ、共和国の心臓部。
今や人々の暮らしに欠かせない【公共魔法】や強力な防衛魔法など、共和国を運営していく上でなくてはならない魔法陣の集積体である。
これのおかげで共和国の領土内なら誰でも火を起こし、水を汲め、暗闇に灯りを灯せる。魔法便や魔法送といった通信網も含めて、魔法使いでない者でも簡易魔法を扱うことができる魔術機関だ。
ショーコの世界で例えるなら、ガスや水道、電気、電波等の全てのインフラがこの場で賄われているということになる。
魔法陣の円柱の前に、二つの人影が確認できた。
マイとクリスに気づき、こちらを振り向く。
「やあ、待ってたよ」
レオナ・オードバーンは優しく微笑んだ。




