第七十九話 カッコわりぃーこと
「どひえええ~~~~~~!」
地下世界から地上へと続く“門”の中でショーコの叫びがこだまする。
灰黒いドラゴン――アークエデンの背に乗っけてもらってはいるものの風避けも無く、当然シートベルトも何もないので振り落とされそうになる。一応おんぶするように後ろでフェイが連なり、落っこちないようにサポートしてはいるが。
「なかなかどうして、けっこう楽しいですねショーコさん」
肝っ玉が据わっているのかアトラクション感覚のフェイ。この世界にはジェットコースターどころか遊園地だってないだろうから彼女にとっては初の絶叫マシンライドなのだ。
「ちゃ、ちゃ、ちゃんと掴んでてよフェイ! もう絶対高いところから落ちるのヤだから!」
「安心してください。立派な最後だったとみなさんに伝えます」
「違う! やめろ! フラグおっ立てるな!」
そこで、ショーコは口を止めた。
突然、天と地が反転したのだ。
先ほどまで穴の下へと落下していたのが、突然上下逆さまになり、穴の中から上へ向かっている状態となった。
あくまで推測だが、地上世界と地下世界は単なる階層で分かれているのではなく、紙面の表と裏のように表裏の位置関係にあるのかもしれない。そして、紙面――地表に向かって引力が存在し、今しがたその境目を通過したのだろう。
一体どういう仕組みなのか、なぜこのような現象が起きるのかは不明だが、いくら考えてもショーコにわかるわけなどなかった。
アークエデンが大きな翼を羽ばたかせ、上昇気流を生み出す。先ほどまでは自由落下だったが、ここからは飛翔に切り替わるわけだ。
向かい風の中ショーコは必死にドラゴンの背にしがみつく。フェイによる人力シートベルトが無ければとっくに振り落とされていたことだろう。いや人じゃなくてエルフだけど。
ショーコが薄く目を開く。視線の先に地上の光が見えた。
二人を乗せたドラゴンが暗闇の世界から光の世界へと飛び出す。“門”の出口は〈ライコウ山〉の火口だった。
『「とうちゃーく!」』
晴天の下へと飛び出したアークエデンは両の翼を大きく開き、上昇を停止した。
ショーコは恐る恐る下をのぞき込んだ。眩暈がする高度。喉の奥がヒュッと鳴った。
「っ……ぁゎ……」
『「んじゃ、これで地上までおくりとどけるっていう仕事はかんりょうだな。はよおりてくんない?」』
「ば、バカいうんじゃにゃーよ! お、降りるったってどう降りろっちゅうんじゃいな!」
『「ム、バカって言ったか? だれがバカだオラ!」』
いきなりアークエデンが急速飛行する。振り落とされそうになりながら必死で彼女の背にしがみつくショーコ。
「わーーー! や、やめて! わかった! もうわかったから!」
『「だーれがバカですかー? えー?」』
飛び回りながら身体を反転させ、きりもみ飛行。
「ほわああああああああああ! ごめん! ごめんて! ほんとにやめてえええ!」
『「ふっ、わかればいーんだよわかれば」』
満足したのかアークエデンは空中で停止した。
ショーコは肩で息をしながら「これだからガキを相手にすんのはイヤなんだよ……」と思ったが、口にしたらまた一揉めするから言わなかった。
「何を言われたのか知りませんが、言葉には気を付けてくださいショーコさん。巻き添え食う身にもなってください」
「……マジごめん」
『「で、どうすんの?」』
ショーコは言葉を口にする前に脳内でフィルターにかけ、アークエデンの機嫌を損ねないか検閲してから言う。
「……えと、私達を拾ってくれたところに戻って。そこがヨーカと別れた場所の近くだから」
『「おねがいします、は?」』
「えっ」
『「ものをたのむ時はおねがいします、だろ。人間はちがうのか?」』
「つ、つけあがりやがってコンニャロ……」
『「で? でっ? どおすればいいんですかあ? こっちは待ってるんですけどお~?」』
むちゃくちゃ煽ってくるガキドラゴン。ショーコは怒りに震えながらも必死に堪えた。
「……お願いします、アークエデンさん」
『「ちっ、しょおぉ~~~がねえぇ~~~なあ~~~」』
アークエデンはその大きな身体を翻し、降下した。
・ ・ ・ ・ ・ ・
ヨーカは十六年の人生で初めて目にした。兄のカイルが敗北する姿を。品行方正な兄がボロ雑巾のように地面に転がっている様を。
人前で欠伸をすることも、胡坐をかくことも、肘を着いたり背中を丸めることすらもしない程礼儀を重んじるカイルが、行儀悪くも大の字にひっくり返っている光景が彼女の目に焼き付いていた。
「ふう……手間ぁ取らせやがって……」
クリスはその場に座り込んだ。勝利したものの彼女もかなり疲弊している様子。
カイルはずっと強くなっていた。クリスの知る、四年前よりもずっと。だがそれは彼女とて同じ。魔物退治から身を引いても、賞金稼ぎとして過ごしたクリスの日々が無駄だったワケがないのだ。
「大丈夫か?」
マイが手を差し伸べる。強がりのクリスはその手を取らずに自分で立とうとした。
……が、途中で考え直し、彼女の手を取って立ち上がった。
「どーってことねーよ。それよかコイツ、百億万が一アタシに勝てたとしてもその後にマイを止めるつもりだったんならどうあがいても勝ち目ねーだろーに。どーしよーもねーバカだな」
「必死のあまり後のことなど考えられなくなっていたんだろうさ」
「……途中から共和国どうこうより個人的な愚痴ばっかになってたもんな。コイツがこんなに嫉妬してるヤツだとは思わなかったぜ。さて……」
振り向き、ヨーカを見やるクリス。
快活だったギャルがビクっと身を強張らせた。
「どーするヨーカ。アタシ達はこれからお前の上司にガン飛ばしに行くワケだが……」
「ぁ……ぇと……」
問われたヨーカはしどろもどろに言葉を漏らす。いつものようにお茶らける余裕などない。
彼女もカイルと同じく、魔物は殲滅すべき敵だと信じて今まで戦ってきた。だが、魔物の難民問題と虐殺行為を知った今、彼女の中で共和国への忠義は大きく揺らいでいた。
真実を隠して平和を維持するべきか、嘘を暴いて非道を正すべきか、それは彼女にとってあまりにも重すぎる選択だった。
「家族の縁を切ったアタシがとやかく言う筋合いはねー。だが、あえて言うなら……アタシは自分が“カッコわりぃー”と思うことはやらねー。外面は善人ぶって、裏で弱い者イジメするような共和国のやり方は“カッコわりぃー”部類に入る。お前もそー思わねーか?」
「!」
姉の言に、ヨーカはようやく思い出した。
彼女は幼い頃からクリスが大好きだった。強くて頼れるからだけじゃない。姉の生き方が好きだったのだ。
イヤなことはハッキリ断る。真っ直ぐな芯があって、他者に合わせて決して曲げない。世間がどーとか常識的にどーとか、んなこたあ関係ねーって生き様に憧れたのだ。
ヨーカが“ギャル語”という他人と違う言葉遣いを話すのも、彼女自身がそれを“面白い”と思ったから。
無茶苦茶で奇天烈な物言いは世間一般に理解し難いものだろう。だが、たとえ周囲に理解されずとも、白い目で見られようとも、彼女は自分の“好き”を貫き通している。姉の生き様に教わったように。
自分が正しいと思うことをやる。間違いだと思うことは断固として断る。
そんな当たり前で大事なことを、ヨーカは今、ようやく思い出したのだ。
「…………クリ姉……ウチも一緒に行くわ。マイパイセンと一緒に、レオナパイセンに直談判するべ☆」
クリスは口角を上げた。
「やっぱわかってんな、ヨーカは」
姉に頭をわしゃわしゃと撫でられ、妹に笑顔が戻る。
二人は久しぶりに……ようやく本当の姉妹に戻れた気がした。
――ちょうどその時であった。
クリス達の頭上に影が落ちた。まだ太陽は真上にあるはずなのに。
不思議に思い、そしてちょっとイヤな予感を抱きつつも一同は頭を上げた。
影を生み出していたのは、巨大なドラゴンの翼だった。
「どわああああああ!? わ、忘れてたー!」
色々ありすぎて元々の目的を忘れてたクリス。とはいえ、このタイミングで遭遇するとは。
「い、今からアレを相手すんのはエグすぎじゃね!? ここはバックレダッシュするしかねーべさ!」
「いや待て、様子がおかしい」
マイの視力がドラゴンの背に立つ人影を捉えた。
クリスとヨーカも眉間に皺を寄せて目をこらす。
陽光を背にした小さな影はドラゴンの背から飛び降り――マイ達の眼前に着地した。
接地した直後一瞬フラついたがピンと背筋を伸ばし、なんか高得点っぽい雰囲気を醸し出す人影の正体は――
「やあみなさん」
――フェイと、彼女にお姫様抱っこされたショーコだった。
「フェイ!? ショーコ!」
「みんな! ヨーカも無事だったんだね! よ、よっ、よかったぁ~! ホントによかったよお~!」
友人の無事を確認でき、安堵の涙を浮かべるショーコ。が、フェイに抱えられたままの恰好なのでちょっとマヌケに見えた。
――その背後に灰黒いドラゴンが降り立つ。
咄嗟にクリスとヨーカが構えるも、フェイが窘めた。
「安心してください。こちらの魔物は敵ではありません。私達を助けてくださったのです」
『GGRRRrrrrrrr……』
灰黒いドラゴン――アークエデンが小さく唸る。その言葉はショーコにしか理解できないが、もし敵意があるとすればとっくにこの場を火の海にしているはずだ。
「……フェイぴっぴがそう言うなら」
「敵ではない」というフェイの言葉を信用し、クリスとヨーカは警戒態勢を解いた。
どういう経緯かはわからずとも、ショーコ達がドラゴンと話をつけたであろうことをマイは察した。
「……私達が与り知らぬところで色々あったようだな」
「はい。……それはお互い様のようですが」
フェイはショーコを下ろし、周囲を見回した。
惨たらしい姿となったガノトフと、真っ二つに両断されたジュエルハーツ、そして、ズタボロで仰向けに倒れているカイルの姿が目に映る。
死闘を繰り広げたガノトフの無残な姿に、フェイは苦々しい表情を浮かべた。
彼女がこの場を離れた際にはまだガノトフは生きていたが、深手を負っていた為にジュエルハーツの餌食となったのだった。
「そ、そうだみんな! とんでもないビッグニュースがあるんだよ!」
地下世界で得た重大な秘密を仲間達に伝えなければとショーコは声を荒げた。
「な、なんと魔族は私達とおんなじで、言葉を使って意思の疎通ができるんだよ! ただのバケモノなんかじゃなかったんだ!」
「知ってる」
「マイパイセンから聞いたもんね」
「えっ」
クリスとヨーカの冷めた反応にショーコは愕然とした。あれ? めちゃくちゃビックリすると思ったのに……なにそのリアクション……
……いや、秘密はそれだけじゃない。今度は絶対驚くぞ。
「……そ、それだけじゃないよ! なななんと! この山の魔物達は悪いやつばっかじゃなくて、“最初の転移者”と友好条約を結んだ平和主義者なんだよ!」
「知ってるな」
「マイパイセンから聞いたよね」
「えっ」
またしても塩反応。え、これけっこうな特ダネのハズなのになにその感じ。
「…………魔物が襲ってくるのは正気を失ってるからであって、本人の意志じゃないってことは……」
「知ってるって」
「マイパイセンが全部教えてくれた」
「……」
ショーコは悔しそうに口を閉じた。誰も知らないだろうと思ったのに、なんか知識マウントとろうとした感じになっちゃってすげー恥ずかしい。
「まあ自分だけが知ってると思ったのに周知だったら凹むわな」
「ショーコっちおっくれってるぅ~↑」
「ショーコ、それを知っているということは……誰かから聞いたんだな」
マイの言にショーコは我に帰った。
「……! そ、そうなんだよ。ビルと約束したんだ。早く共和国に戻らなきゃ。ビビ、みんなを乗せて共和国まで飛んでくれる?」
『「……」』
「……あれ」
アークエデンは長い首をそっぽに向けた。無視である。
『「……」』
物言わぬものの、ショーコは彼女が何を言わんとしているのかを察した。
「っ…………お……お願いします……アークエデンさん……」
『「しょおおぉぉぉほほほがねえええへへへえええなあああああ~~~」』
わざとらしく頭を傾けるアークエデン。ショーコは唇を嚙み締めて必死に堪えていた。
フェイもクリスもマイもヨーカも彼女が何を言っているのかわからないのだが、なんかショーコがバカにされてることだけはわかった。
かくして、ショーコ達は飛び立つ。
恐怖の象徴である灰黒いドラゴンと共に、平和の象徴である共和国へ向かって……




