第七十八話 やっぱり
カイル・ウォーシャンはクリス・ウォーシャン――もとい、クリス・ピッドブラッドを見下ろした。
カイルにとってクリスは姉であり、共に育ち共に戦ってきた戦友でもある。かつては彼女の強さに助けられ、頼っていた。自分では逆立ちしたって敵いっこないくらい強い戦士だと思っていた。
しかし、そんな姉を今、弟は見下ろしている。来る日も来る日も鍛錬し、研ぎ澄ませてきた技の数々であの強かった姉を翻弄している。
十三騎士団となって以降も常に戦いの場に居たカイルは確実に強くなっていたのだ。
「……やるじゃねーかゴミ野郎が……」
立ち上がり、口元の血を拭うクリス。金色の籠手に紅い色が上塗りされた。
「降伏してください姉さん。ウエストウッド殿の暴挙を止め、共和国に歯向かうようなマネをしないのであればこれ以上戦う必要はないんですから」
「で、降参したって後から惨たらしく殺すんだろ? 共和国がやったみてーに」
「っ……! 貴方という人はっ!」
カイルが電撃波の斬撃を放ち、一気に接近する。
クリスは牽制攻撃を打ち払い、カイルの剣を籠手で受け止めた。
「貴方の方こそ成長していない! そうやって反発して、現実から目を反らしてばかりで! いつまでも無責任な子供のままだ! だから家族を捨てたんでしょう!」
何度も剣を振るうカイル。クリスはその都度、籠手で刃を弾いて防御する。
「父さんが魔物に殺されたあの日……母さんと誓ったハズだ! 家族みんなで力を合わせて……仇を取ると! なのに姉さんは逃げ出した! 血の繋がった家族を裏切ったんだ!」
……クリス達の両親は、かつてから魔族と戦う歴戦の猛者だった。
自らの子供達を幼い頃から厳しく指導し、戦士として育て上げながら、魔王が討たれて以降も魔族の残党と戦い続けてきた。
そして、クリスを含む九人の子供達と共に魔物狩りのウォーシャン一家として魔族の残党と戦い続けてきたが……今から七年前、ある“名有り”の魔物によってクリス達の父親は殺された。
生き残ったクリス達の母親は、夫を殺して姿を消した“名有り”の魔物への復讐を誓った。
これまで以上に子供達を厳しく鍛え、件の“名有り”を探しながら魔物を狩り立てていった。
クリスは自分達兄弟を兵隊のように酷使する母親と対立し、しょっちゅう喧嘩をしていた。それでも、愛する者の仇を討ちたいという母の気持ちも理解できた。だからこそ、渋々ながら家族の一員として母を支え、魔物と戦っていた。
……だが、今から四年前のある日、クリスは家族の下を去った。
我慢の限界が来たのか、何かキッカケがあったのかはわからない。
ワケも言わず、別れの言葉もなく、弟や妹達を置いてクリスは行ってしまったのだった……
「みんながどれほど悲しんだかわかりますか! 父さんだけでなく貴方まで失って……! 母さんの壊れかけた心を守る為に僕達は必死に支えた! マリーナ姉さんは家族をまとめようと懸命に努めて……ヨーカは悲しい素振りも見せず必死に笑って素顔を隠した……そして僕は……姉さんの代わりになろうと死に物狂いで足掻いた!」
兜で伺い知れないが、カイルの表情からどんどん余裕が無くなってゆく。
声を震わせ、胸の奥に封じていた思いの丈が吐き出される。
「姉さんみたいに家族みんなから頼られて! みんなに元気を分け与えて! みんなに好かれる人間になろうとがんばった! どんなに辛く苦しくても必死に我慢して押し殺してっ! 僕がどれだけ苦労したかっ! 僕がどれだけ涙したかっ! 姉さんにわかるかっ!」
栄光の十三騎士団であるカイルの頬を涙が伝う。
「姉さんが母さんを支えなきゃいけなかったのにっ! 家族を守るべきだったのにっ! 姉さんが自分の役目から逃げたせいでっ! 僕達は――」
「ごちゃごちゃ
うるせーぞ」
黄金の拳がカイルの顔面にブチ込まれた。
「――ッ!」
頭部を地面に叩きつけられ、兜に亀裂が入る。
意識こそ断ち切られなかったが、突然見舞われた強烈な一撃にカイルは何が起こったのか一瞬理解が及ばなかった。
「がっ……! ……はっ……! ――……っ!」
吐血し、瞬きを繰り返しながら、脳を回転させて状況整理に努める。
自分は攻撃の手を一切緩めていなかった。息つく暇もない連続の剣撃はむしろ次第に威力とスピードを増していたほどだった。
その連撃の合間を縫って拳を打ち込んできたというのか……この姉は……
困惑しながらもカイルは頭を起こした。彼の視界に映ったのは、こちらを見下ろす姉の姿。
「アタシがどー生きよーが指図される筋合いはねー。生まれて死ぬまで一生自分を犠牲にしろってか? ザケんなよ。アタシはあのクソ親から離れることを選んだ。テメーは残ることを選んだんだろ。自分で決めた人生のクセに、辛かっただのキツかっただのを人のせいにしてんじゃねーよ」
クリスは吐き捨てるように言い放つ。
「そーゆーのをな、こっ恥ずかしいってゆーんだよ」
「っ……よくもそんな――」
立ち上がるカイル――しかし、構えるよりも先にクリスのパンチが炸裂し、再びダウンした。
「――あぐっ……!」
兜甲冑がヒビ割れ、覆われていた素顔の一部が露出する。
十三騎士団のメンバーそれぞれに合わせてオーダーメイドされた武装鎧が砕かれたのは騎士団結束以来初のことであった。
「っぐ……! ――まだッ……!」
奥歯を噛み占めながら、カイルは自らに魔法を行使した。雷の速度を得、目にも止まらぬ速さで移動する。
クリスの周囲を駆け抜け、死角を探し、一直線に剣を突く――
――が、クリスは振り向き様に左腕で剣を払い、右腕によるパンチを叩き込んだ。
「――はがっ……!? ……なっ……なん……」
「見てたら慣れたぜ。スピードアップの魔法かなんだか知らねーが、動いた後にビリビリが残ってるから軌道が覚えやすいんだわ。で、さっき見たとーりに動いてるから狙いも付けやすいってワケ。真面目すぎんだよテメーは」
「っ……! なら……これでどうです!」
カイルが左手をクリスに向けて目一杯開く。掌に魔法陣が浮かび上がる。
「超電磁ウェイィーーーブ!」
まるでシャボン玉に包み込まれるかのように、クリスの周囲に球形のフィールドが展開された。電磁の力で構成されたそれは、中に封じた相手の身動きの一切を封じる魔法。
「!」
「超電磁斬ざぁーーーん!」
身体の自由を奪ってからの、力を込めた渾身の一閃。
白銀の刃がクリスを一刀の下に斬りつけた。
が――
「――がふっ……!? ……っが……」
――同時に、カイルの顔面に黄金の拳がめり込んでいた。
「……へっ、どーだコラ……!」
斬りつける寸前、動きを封じる電磁フィールドが霧散した瞬間、クリスはやり返した。
カイルが攻撃を加える瞬間に自身を覆う電磁フィールドが消えるハズだと読んでいた。でなければカイルの剣もフィールドに阻まれる。
そのほんの一瞬を狙い、クリスはカウンターをキメたのだ。自らが傷つくことも恐れずに。
「ぐっ……!」
カイルは悟った。接近戦では不利だ。相手の射程の外から攻めねば。
クリスがまだ完全に体勢を立て直さない内に距離を取った。
「……稲妻帯電……! 雷撃波動!」
剣を地面に突き立て、強力な雷柱を発生させる。
無数に繰り出された強烈な稲妻がクリスの身体を突き抜けた。
「ぁぐあああああっ!」
「稲妻力波!」
矢継ぎ早に魔法を駆使し、剣に落雷させ、増幅させた稲妻をクリスに叩っ込む。
「があああっ……! ……っが…………」
大技を立て続けに受け、クリスは大きなダメージを負った。
しかし、カイルの消耗も激しかった。
連続して魔法を繰り出したこともあって持ち前の“マナ”を大量に消費している。これ以上長引かせるのはマズイ。
「っ……かふっ…………へへっ……共和国がくれたこのスーツのおかげで大して効いちゃいねーんだよ……ば~か。バカだなオメーは……」
焼け焦げたスーツに手を当てながらクリスが立ち上がる。
彼女が着用しているビジネススーツは魔法耐性が強い装備だ。故にカイルの魔法の威力もある程度軽減している。
だが、それでもクリスはかなりのダメージを負っていた。いくら軽減すると言っても完全に魔法を無効化するわけではない。
カイルは勝機を感じた。なによりあのタフネスなクリスが肩で息をしている。表情も余裕を装っているが、引きつっているのが見て取れた。
あと一息。押せば勝てる。そう確信したカイルは残された“マナ”を全て賭し、勝負をキメにいった。
「……なら……僕の……自分の取っておきの魔法で終わりにします! 超越雷電……!」
雷属性の力を一気に増大させる魔法。刃が輝き、恐ろしい程の電流が迸り、力を増しながらバチバチと音を立てる。
カイルの眼前に一際大きな魔法陣が現れた。地面に対して垂直に立つように浮かび、陣の中心が目標――クリスに向けて据えられる。
それはカイルが用いる中で最大の威力を誇る魔法だった。凝縮させた稲妻を放出するというシンプルなもので、大量の“マナ”と“溜め”の時間を要し、一秒二秒が命取りになる実戦で使用するチャンスは滅多にない。
しかし、その威力は山を削り取り、地図を書き換えるほどの絶大な火力を誇る。
「ぐっ……ンのっ……」
回避しなければ。そう思うも足が言うことを聞かず、膝をつくクリス。
「自分に残されたありったけの“マナ”を込めて……! これで最後です!」
魔法陣が輝きを増し、二重、三重に連なって展開される。
帯電した剣を構え、鍵を差し込むかのように魔法陣の中心に突き立てた。
「超嵐雷覇アアアァァァーーー!」
極太の雷の筒が放たれる。
重なった魔法陣を通過する毎に威力と太さを増し、真っ白い柱となって標的めがけ一直線に向かう。
目も眩む滅びの光がクリスを飲み込もうとした。
その時――
「やっぱりバカだなテメーは」
――光がクリスの眼前で遮られた。
「――ッ!? なっ……!?」
周囲の地形が消し飛ばされる中、クリスの居る位置から後方には威力が及んでいなかった。
まるで岩が水流の流れを反らせているかのように。
ありえない。たとえアダマント製の籠手だろうとなんだろうと、この魔法を無効化することなどできない。
“マナ”を出し切り、稲妻の光が終息してゆく。
そこではじめて、カイルはクリスが何をしたのかを知った。
――彼女が持っていたのは、ただの紙切れ。
銃やキャンプ道具を収納していた“空間魔法”の魔法陣が印された紙切れ。
クリスは膝を着いた状態でその紙切れをかざし、カイルの魔法攻撃を魔法陣の中の空間に逃したのだ。
「っ……! ばっ……馬鹿なっ……! ……そ……そんなことが……」
「昔教えたハズなんだがなぁカイル……奥の手は最後まで取っとくもんだってよ。まあ、上手くいくかどうかは賭けだったがな」
姿勢を伸ばし、首をコキコキと鳴らしながら近づくクリス。
カイルにはもはや“マナ”は残っていない。
「なーんかよ、『技は努力の証』だとか『技名を言うのは当然』とか、ワケわかんねーこと言ってたよな。アタシはそんなガキくせーことはしねー。アタシの拳は一撃一撃が必殺の威力だからよ、技だとかなんだとか区別する必要はねー……だがあえて……あえて、だ……バカタレのテメーにも分かるよーにやってやるぜ」
クリスが拳を握りしめる。
カイルも剣を構えようとするが、相手の方が速い。
「クリスちゃんジャブ」
目にも止まらぬ速射砲。クリスの左拳が二度、カイルの顔面を弾いた。
「っ……!」
「クリスちゃんフック……!」
横殴りのパンチ三連打がカイルの脇を穿つ。鎧で覆われていようとアバラをへし折る威力。
「がっ……!」
「クリスちゃんボデー!」
鳩尾への一撃。悶絶し、カイルの身体がくの字に折れる。
「ごっ……! げぇっ……!」
「クリスちゃんアッパーッ!」
前かがみになったカイルの顔面を、地面から根こそぎ引っこ抜く勢いのアッパーカット。
頭が跳ね上がり、天を仰ぐカイル。
「――っ! ……ッ……」
視界に靄がかかる。
髪の毛一本繋がった意識は風前の灯。
まずい。完全にまずい。
この流れはカイルも知っていた。姉のお得意コンボだ。
一連の攻撃で相手を崩し、無防備にさらけ出された状態へトドメの大砲をブチ込む流れ。
薄れゆく意識の中で本能が警鐘を鳴らす。
体勢を立て直せ。デカい一撃が来るぞ。
カイルは半分閉じた眼で前を見た。
その瞳に映ったのは、右の拳を大きく振りかぶった姉の姿だった。
「――…………やっぱり」
「クリスちゃんストレートォ!」
鎧兜が砕け散り、カイルの意識はそこで途絶えた。




