第七十六話 正義
ショーコはビルから聞いた話をそっくりそのままフェイにも伝えた。
魔物が言葉を発し、“転移者”がそれを理解できるなどとフェイには到底信じられなかった。だがビルがショーコに跪く様を目にしたとあっては、少なくとも目の前の魔物が敵ではないことを受け入れるしかない。
「……にわかには信じ難いですが……ショーコさんなら魔族と心を通わすことができても不思議ではありませんね」
「いや不思議だろ」
「しかし、魔物さえも跪かせるなんてさすがショーコさんです。いずれ世界の全てがショーコさんに傅くことになるでしょう」
「聞こえが悪ぃーからやめて」
『「ねえね、このエルフなんて言ってんの?」』
二人のやり取りを見ていたアークエデンがショーコの服の裾を引っ張って尋ねる。上目遣いですがりつく様はまさに人間の少女そのものだ。
しかしフェイが言うことをそのまま訳すのも御幣がありそうだったので、ショーコはお茶を濁すことにした。
「あー、別に大したことじゃないよ。気にしなくていいからねー」
『「むー、おしえろよ人間! ちゃんとつうやくしろ! あっ! もしかしてわたしのわるくち言ってんの!? だったらゆるさないぞ! チョーシのんなオラッ!」』
アークエデンの小さな足先がショーコの脛にぶち込まれた。
「あでっ! け、蹴んないでよ! 暴力反対!」
「なっ……ショーコさんにキックするなんて……! 私だって蹴ったことないのに!」
「フェイそれ張り合うとこじゃないよ!」
『「よしなさいアークエデン。いつも口すっぱく言っているだろう。人間だろうとエルフだろうと、誰にも危害を加えてはいけないと。それが我々と“転移者”の取り決めなのだから」』
『「ぷぬー」』
ビルに釘を刺されたアークエデンは頬を膨らませた。見た目だけでなくリアクションまであざとい……
そこでショーコははたと気づいた。彼女達がこの“南方の離れ山”を訪れて以降、何度も魔物の襲撃を受けた。『生き残った魔物は他の種族に危害を加えないことを条件に降伏を受け入れられた』というビルの話と辻褄が合わない。
「……! ちょ、ちょい待ちビル! 私達、ここに来てから何回も魔物に襲われてるんだけど!? 話が違うじゃん! どういうことなのさ! 説明責任ありますよコレは!」
『「…………そのことだが……」』
ショーコの問いに対し、ビルは申し訳ないような、あるいはふがいないような様子で顔を伏せた。
『「……我々が居住を認められた土地はこの地下空間と、門の在る〈ライコウ山〉なのだが、地下には魔族が生きる為に必要な“マナ”が少なく、時折地上に上がって“マナ”を取り込む必要があった」』
質問の答えには思えないが、ビルが説明を始めた。
彼の言う〈ライコウ山〉とはここの真上――共和国が“南方の離れ山”と呼ぶ土地のことである。
『「我々は地上の〈ライコウ山〉とこの地下空間を行き来し、静かに暮らしていた。だが……数ヶ月前のいつ頃からか……異変が起きた。我々の仲間の一部が……おかしくなってしまったのだ。最初はちょっとした違和感だったが、次第に抗いようのない乾きを訴えるようになり、正気を失い、そして……同胞を喰らうようになった」
「え……」
『「異常なほどの飢えに苦しみ悶え、魔物が体内に持つ“マナ”を求めて共食いを始めたのだ。それも一体や二体の話ではない。同様の症状が見られる者は次々に増えていった。原因はわからんが、どうやら地上に上がった魔物がそうなってしまうらしい。だから我々は……おかしくなってしまった仲間達を地上に放逐し、“門”を閉じることでこの村を守ったのだ」』
ショーコの頭の中に形容し難い不快感が広がった。
空腹に耐えかねて同じ生き物同士が共食いをするなどあってはならない悲劇だ。
ショーコの故郷でも、人類の歴史上何度かそういった事件はあったそうだが、今、自分達が立っているこの地で同じ事が起きていると思うと身の毛がよだつ思いに包まれる。
『「以降、我々は地上に上がることができず、昼も夜もずっとこの地下に籠らざるを得ないこととなってしまった。だからこそあの“天球”がある」』
ビルは地下空間の低い天井に浮かぶ疑似太陽を指して言う。
『「あれはこの地下世界を照らしているだけではない。地上で集めた“マナ”を注入し、蓄えることができる。我々はあの“天球”に貯め込んだ“マナ”によって、この地下世界でなんとか生き長らえているんだ」』
ビルが語る魔物の暮らしはまるで川や井戸から水を汲み、水瓶に蓄えて暮らす人間のそれと同じようにも思えた。
案外、人間も魔物も生き方に大した違いはないのかもしれない。
「食糧を備蓄して引き籠り生活してるってことか……でも“マナ”を集めるったって、地上に上がったらおかしくなっちゃうんでしょ? じゃあどうやって……」
『「それはこのアークエデンのおかげだ」』
ビルに頭を撫でられ、アークエデンは嬉しそうに目を細めた。
『「この子は魔族の中でも【アークドラゴン】という強い種の出でね、生まれつき強い魔法耐性を持っていて、大半の魔物が苦しむ魔法だろうと平気なんだ。この子には定期的に地上へ上がって遠くまで“マナ”を集めに行ってもらい、持ち帰った“マナ”を“天球”に注いでもらっているんだ」』
『「えっへん」』
得意げっとふんぞり返るアークエデン。ビルは彼女の頭を軽く二度、ポンポンと叩いた。
ショーコ達がこの山に来たのは共和国上空を飛行する危険なドラゴン――アークエデンの討伐が目的だったが、彼女はただ“マナ”を集める為に奔走していただけだったのだ。
仲間達が飢えないよう“マナ”の豊富な遠く離れた土地へ、たった一人で飛ぶ幼いドラゴン。山から離れてはならないという条約を破ったからと言って、誰が彼女を責められようか。
「……こんなちっこい子でも立派なんだね」
『「ちっこい言うなオラッ!」』
再び脛を蹴られるショーコ。足先の爪が当たるとマジで痛い。
「あだっ! こ、このクソガキャ……」
「ま、またしても蹴るなんてっ……! どうして蹴らせるんですかショーコさん! 私には蹴らせてくれないのに!」
「蹴りたいのフェイは私を!?」
「私がショーコさんにやってないことを他人がやるのが悔しいんです!」
「どういう類の嫉妬ですかい! こんなお子ちゃま相手に何を――」
『「お子ちゃま言うなガブッ!」』
「はだだだだだだ! かっ、噛んでる! この子噛んでますよみなさーん!」
脛蹴りだけでは飽き足らず、腕に噛みつくアークエデン。人間の子供の姿だからこそシャレで済んでいるが、ドラゴンに噛まれていると考えればおっかないことこの上ない。
『「わたしの名前はアンジェリア・ビビ・アークエデンだ! い大なアークドラゴンのまつえいだぞ! っちゅーかわたしのおかげで命びろいしたのわすれるな! わたしがたすけてやんなかったら今ごろどうなってたかねー!」』
「!」
わちゃわちゃとバカやってたショーコが、その一言に再びハッと気づいた。
「そ、そうだ……ヨーカは……ヨーカはどうなったの!?」
突然ショーコに両肩を掴まれ、血相を変えた様子で問われたアークエデンはさっきまでの威勢を急激に失い、困惑した。
『「わっ、な、なに?」』
「私達の他にギャル見なかった!? カラフルな髪色のメッシュの子で、槍持ってるアゲアゲなパリピ!」
ショーコのあまりの剣幕とよくわかんない単語の連発にたじろぐアークエデン。
『「し、知らないよ。見てない」』
ぶっちゃけナメてた相手が急にキレたみたいでビビってるアークエデンに代わり、ビルが答える。
『「そうだった。ショーコ、君からの質問、最後の一つをまだ答えてなかったな。ヨーカはどうなったと尋ねたが……その者のことは私にもわからない。君の大切な人なのか?」』
「友達なんだ! 魔物の集団に襲われて……あのギンギラギンの宝石みたいなヤツと戦って……ど、どうなったかわかんないんだよ!」
ショーコは知らない。ヨーカが無事であることを。彼女と戦っていたジュエルハーツは既にマイによって討たれたことを。
だが、ショーコとフェイが最後に見たヨーカの姿は「ここは任せて先に行け!」という死亡フラグビンビンのものだったから心配して当然なのだ。
悲痛に叫ぶ彼女を、ビルはなだめるように諭した。
『「落ち着いてくれ。その者の安否を確かめる為にも、君達は戻るべきだ。私が地上と繋がる“門”へと案内しよう」』
・ ・ ・ ・ ・ ・
アンナとの魔法通話を終えたマイ、クリス、カイル、ヨーカの四人に重苦しい空気がのしかかっていた。
共和国の――レオナの非道を知ったカイルは打ちひしがれ、その場に膝を着き、俯いたまま顔を上げるそぶりも見せなかった。
クリスでさえも口を閉ざし、苦々しく顔を歪めている。
今しがた聞いた話の内容を再確認するため、ヨーカがちいさく手を上げた。
「え~っと……ウチ馬鹿だから間違ってるのかもしんないけど……もしかしてこういうこと? 共和国政府が……っちゅーか十三騎士団団長のレオナパイセンがカイ兄に委託した魔法ってのが、この山の魔物を狂わせて共食いさせるヤバい魔法だったと……カイ兄はそんな魔法だって知らずに、言われるがままやったと……」
マイは小さく頷いた。
「ここの魔物達が条約を破り人々を攫っているのが事実なのか、それともそう思い込まされているだけで何者かが裏で糸を引いているのかは定かではないが……どちらにせよ、レオナの取った手段は決して容認できるものではない」
この山で行われた行為は単なる虐殺だ。
レオナは、魔族が『意思と知性を持つ種族』と知っていた。人間や獣人、エルフやドワーフと同じく、一つの種族として数えられるべき者達。その魔族に……ましてや和平を結んだ難民に対して、共食いを強いるような行いは人道的にとても許されるものではない。
「ショーコとフェイと合流したらすぐにでも共和国に戻ろう。レオナが何故こんな惨すぎることをしたのか問いただす。そして……黒幕を見つけ出さねば」
マイの発言に、俯いていたカイルは僅かに反応を見せた。
「……その後は……どうするんですか……」
「真相を公表する。世界に」
「!」
「魔物にも我々と同じように意思があり、言葉を交わし、心があるのだと明かす。十五年前、私達は世界の安寧の為にその事実を隠したこと、その上で共和国が魔族の難民に虐殺行為を行ったこと、洗いざらい全て白日の下に晒す」
「いーのかよ。世界中パニックになるぞ。だからっつって秘密にしたんだろ」
クリスの言うことももっともだが、マイは考えを曲げなかった。
「あれから十五年も経ったんだ。戦後と違い、今なら世間も事実を受け止められるだけの懐はあるハズだ。たしかに混乱は招くだろうが、きっとなんとかなる」
「…………そんなこと……出来るわけがない……」
カイルが小さく呟いた。
マイは一瞬彼を見やった。
「だがやらなければ。平穏を望む難民が無惨に虐殺される様を黙って見過ごすわけにはいかない。レオナを……共和国の非道を止めるんだ」
カイルは静かに、しかし力強く拳を握った。
「……させない…………そんなこと……させるわけにはいきません」
カイルの言は語気が強められていた。
いつも温厚で優しさに溢れた弟のただならぬ様子に気づかぬほどクリスは鈍感ではなかった。
「……カイル」
「事実を公表すれば何もかもメチャクチャになってしまう……そんなことさせるわけにはいきません!」
忠義の騎士は鞘から剣を抜いた。
「レオナさんは……共和国は“正しいこと”をしたんです! 相手は魔物ですよ!? 殺して何が悪いのですか! 人々の安全の為、平和の為に邪魔者を排除したまで! こいつらは所詮害獣! 生きていていいヤツらじゃない! 一匹残らず駆逐しなければならないっ!」
そして、剣の柄を両手で握りしめ、マイに向けて構えた。
「それでも真実を明かすと言うのなら…………あなた達を……共和国の敵と見なします」
カイルの身体を甲冑が包み込んでゆく。
肩、腕、胸部、腰、足に装備されていた装甲が可変し、全身が武装される。
羽飾りが揺れる兜が頭部を覆い、醜い現実に引き裂かれた表情がバイザーによって隠されると、背面の肩部から紅のマントが垂れ下がった。
「神聖ヴァハデミア共和国直属、十三騎士団が一人……“迅雷のカイル”……平和を乱す悪を……排除します」




