第七十五話 真相
「……すごい……これがマイ・ウエストウッド殿の実力……」
カイルは目を疑った。あのジュエルハーツを、誰にも傷つけることができないと知られた“名有り”の魔物を、マイは一刀両断してみせたのだ。
実際にジュエルハーツと戦ったヨーカも同様に、あるいはそれ以上に戦慄していた。
「……あのバカ硬ぇバケモンを……パイセンマジパネェっすわ……」
しかし、マイの顔は浮かないものだった。
真っ二つに斬り捨てられたジュエルハーツと無残な姿となったガノトフを見やり、何か心苦しそうな様子だった。
「……」
野蛮で、獰猛で、生きとし生けるもの全ての敵――魔物。
“魔族”とはその総称であり、世界に混沌をもたらす破壊の化身。
そんな害獣を討ち取りながらマイはなぜそんな表情をするのか。
ここへ至る道中、カイルが魔物の息の根を止めた際にも、食い荒らされた怪鳥を目にした際にも、マイは同様の表情を浮かべていた。
それに気づかないほどクリスは無神経ではない。
「……マイ、何か抱えてんな」
クリスの一言にマイが振り向く。
「子供が攫われたって作り話をカイルに咎めたんだったらよ、あんたも隠してること話すべきなんじゃねーのか? この山の魔物について何か思うことがあるんだろ?」
ヨーカが「作り話ってナニ?」と言いたげな表情で見やるも、カイルは何も言わず顔を伏せた。
マイはクリスをジッと見つめ、カイルとヨーカに視線を移す。
瞳を閉じてしばし考えた後、小さく息を吐いた。
「その通りだな……わかった、話そう」
マイは足元のジュエルハーツの亡骸を細めた目で見つめて言う。
「かつての私も含め、誰もが皆『魔物は意思の疎通のできないバケモノ』だと認識しているが……それは間違いだ。魔物も私達と同じように……明確な“意思”と“言葉”と……“心”を持っている。そして……唯一“転移者”だけが、魔物と対話することができたんだ」
・ ・ ・ ・ ・ ・
フェイの言にショーコは困惑した。
ショーコの耳にはビルの言葉がハッキリ聞き取れるが、フェイには唸り声にしか聞こえないというのだ。
「ま、待って……フェイ……ビルの言ってることがわかんないの?」
「……?」
フェイはビルの言葉どころかショーコが何の話をしているのかすら理解できていない様子だ。
「……び、ビルはフェイの言葉わかるよね……?」
ビルが答えるよりも先にアークエデンが喚くように答えた。
『「わかるわけないじゃん! エルフの声なんて雑音でしかないもん!」』
「……!」
まさか、とショーコは驚愕した。しかし考えてみれば合点はいく。
ビルやアークエデンのように会話ができる魔物も存在するというのに、フェイをはじめこの世界の人々は魔物のことをコミュニケーショ不可の害獣だと……文字通りの化け物だと認識している。
なぜなら魔物の“声”を“言葉”と認識できる者がいなかったから。
生物として根本的に違うからなのか、人間が犬や猫の鳴き声を理解できないように、魔族とそれ以外の種族間では互いの“声”が“言葉”として耳に入らないのだ。
『「やはり……そちらのエルフと我々では対話はできないか……未船ショーコ、君が私の言葉を理解した時、“転移者”でなくとも我々と言葉を交わすことができるようになったのかと驚いたのだが……そうではなかったのだな」』
「!」
『「君も……そうなんだろう?」』
ショーコは血の気が引き、背筋が凍った。
ビルは薄らと気づいていたのだ。ショーコが“転移者”であると。
魔王を倒し、魔族を絶滅寸前にまで追い込んだ元凶である“最初の転移者”と同じ、異世界からの来訪者であると。
「っ…………ぁっ……」
ビルの三つの目がショーコを真っ直ぐ見つめる。
ただならぬ様子を察したフェイが迎撃体勢を取るが、果たして手負いのフェイでどこまで戦えるものか。
ショーコは懸命に言い訳を探した。“最初の転移者”と赤の他人とはいえ、魔族にとって“転移者”がどんな存在かをわかっていながら、自身も“転移者”であることを黙っていた弁明が出てこない。
「っ……ご、ごめんビル! 私……ホントのこと言うの怖くって……」
フェイの背に隠れながら必死に謝罪するショーコ。
「だ、だって……“転移者”だって言うと……怒るかと思って……こっ……殺されるかも……って…………ビルがそんなことする人じゃないって今ならわかるけど……本当にごめんっ! 私……私っ……――」
ビルは何も言わぬまま、ショーコを見つめていたかと思うと――
――その場に跪き、頭を垂れた。
『「生き残った魔物を代表し、改めて礼を述べる。“転移者”よ……ありがとう」』
「…………えっ……」
一体どういうわけか、“転移者”を憎んでいるはずの魔物に、逆に感謝を述べられた。
何が起こっているのか理解できず、ショーコの脳がフリーズする。
ビルは顔を上げた。
『「君はあの“転移者”とは別人だが、それでも筋を通すべきだと思ってな。十五年前……魔族の王を打ち倒した“転移者”は、生き残った魔物に生きる場所を与えてくれたのだ」』
「……生きる場所……?」
『「そうだ。“転移者”が我々の言葉を理解すると知った“王の軍勢”の生き残りが、敗戦を機に“転移者”に直接降伏した。今更降伏などムシのいい話だったが……“転移者”は受け入れ、我々がこの地に住むことを認めてくれたのだ。他の種族に危害を加えず、地上とこの地下世界を繋ぐ門から必要以上に離れないことを条件にな」』
つまり、ショーコ達が訪れた“南方の離れ山”は魔族の生き残りが住むことを許された土地ということになる。
戦争に敗け、居場所を無くした魔物に与えられた……最後の地。
「ってことは……ここは魔族の……難民キャンプ……!?」
『「私は元々、戦に反対し“王の軍勢”に加わらなかったが……我々は“転移者”と平和条約を結び、この地で生きることを認められたのだ。地上に居場所の無い私達がこうして生きていられるのは“転移者”のおかげなのだよ」』
・ ・ ・ ・ ・ ・
「つまり……降伏した魔物と和平を結んだと……そういうことですか……?」
地上ではマイがコトの真相をクリス、カイル、ヨーカに明かしていた。
その内容は地下世界でビルがショーコに語る内容とほとんど同じものであった。
「いやいやいや! “最初の転移者”が魔物と会話できるとか条約を結んだとか、そんな話聞ーたことねーぞ!」
「事実を知るのは“最初の転移者”と共に旅をし、魔王を倒した私達だけだ。『魔族はただの化け物ではなく、意思の疎通が可能な種族』と知れば世間は混乱する。悪の権化である魔王を倒し、世界に平和をもたらした私達は……事実を隠すことにした。魔族を“悪”として祭り上げたまま、その“悪”を排除したということで世の安寧を計ったのだ……」
マイは目を伏せた。彼女とて真実を隠すのは忍びなかったのだろう。だが五千年続く戦乱を終結させ、世界を平和にするにはわかりやすい悪役が必要だったのだ。
事実、魔王と大半の魔物は五千年もの間数限りない生命を奪い続け、世界を傷付けてきた。
それまで人間やエルフ、ドワーフ、獣人といった種族はそれぞれが独立し交わることなく別々に生きていたが、“最初の転移者”が世界を旅する道中で各種族に呼びかけ、『打倒魔族』という共通の目的を掲げることで協力し合い、種族間の垣根を越えて連合を組み、魔王の軍勢に挑んだのだ。
魔族という共通の敵があったからこそ世界が一つとなり、平和になった。そして、その平和が今も尚続いているのも……
「確かに魔族は本能的に凶暴で、邪悪な魔物が存在していたのは事実だ。しかし、全ての魔物が“悪”というわけではない。少なくとも……この山に住む魔物は戦いを辞意し、平和を望んでいたハズなんだ。このジュエルハーツも、ガノトフも、かつて私達と剣を交えたことはあったが……敗北を認め、平穏に暮らす道を選んだんだ」
真相を知った一同が静まりかえる。自分達が戦ってきた相手が実は降伏した難民だったと聞けば、心にしこりが残って当然だ。
しかし、話を聞いても尚、カイルは自分の行いが正しいと思い直した。
「……ですが……たとえ難民であろうと殺すべきことは変わりません。子供が攫われたというのは作り話ですが、過去十年間に行方不明となった市民は魔物の手にかかったと推測されています。共和国上空を飛翔するドラゴンの件もありますし、何より我々に何度となく牙を向いているではないですか……! コイツらは条約を破ったんです! だからレオナさんは討伐を命じたんですよ!」
カイルの言にマイは小さく俯いた。
「私もそう思ったが……実際にここへ来て、この山で起きている異常事態を目にした今は……何か裏があるのかと思い始めている」
そう……意思と心を持ち、互いに言葉を交わすことができる魔族が共食いをしているのはあまりにも異常だった。
単なる獣同士の共食いとはワケが違う。人間に置き換えて考えればよりわかりやすい。唸り声を上げて暴れ狂い、同族の骸を貪るような事態を異常と言わずしてなんと言うのか。
「何より、彼らが平和条約を破るわけがない。そんなことをしても自らの首を絞めるだけで、魔族にとって一切メリットがないんだ」
「じゃーなにか、こいつらが狂ったように暴れてんのは誰かの差し金だってーのか」
「……」
その時、マイは何かに気づいた様子でスーツの懐に手を入れた。着信があったのだ。
取り出したのは魔法陣が印された紙切れ。陣に触れると発光し、像が浮かび上がった。ショーコの世界で言うテレビ電話のような、遠く離れた者と会話ができる魔法だ。
浮かび上がったのは、先日共和国評議員となったばかりのアンナ・ヴァレイ・ペンゼストの姿だった。
『マイさん、聞こえますか?』
「ああ、進捗は?」
『はい。昨日獄中の兄から得た情報を手がかりに調べたところ、ウラが取れました』
「……? なんだマイ。何の話してんだ?」
マイは紙切れの上に小さく映るアンナの像をクリス達にも見えるように持って見せた。
「共和国を発つ前に調査を任せていたんだ。“違法魔術”の出処をな」
違法魔術――“シャブラグ”。
共和国首都に蔓延る危険な魔法。一度使用すれば幻覚に飲まれ、依存し、心も身体も蝕まれる魔法。ショーコの世界で言う危険薬物のようなもの。
悪徳評議員だったルガーシュタインがその製法を手にし、アンナの兄――ブリス達に製造させて市民に売りさばいていたのだが、そもそもそんな魔法がなぜ造られたのかを調べるよう、マイはアンナに依頼していたのだ。
「い、いやウエストウッド殿、今はそれどころではないでしょう。元締めのルガーシュタイン元評議員は逮捕されて解決済みです。依存症患者のケアという課題はありますが――」
「いや、そうでもないかもしれん」
「……!?」
「アンナ、話してくれ」
魔法陣に浮かぶアンナは頷き、神妙な面持ちで語り始めた。
『結論から言いますと……違法魔術の基を造ったのは……共和国政府です』
「な!?」
「マ!?」
カイルとヨーカは耳を疑った。
『元々は魔物用に開発された“ヤクラグ”という魔法だったようです。ある種の毒魔法で、対象の正気を失わせ、じっくり時間をかけて心身を蝕み、抗えない飢えと渇きにより“マナ”を求めて共食いさせる魔法……それを薄めたものが違法魔術――“シャブラグ”なのです』
カイルとヨーカの身の毛がよだつ。
あまりにも恐ろしく、残酷な魔法だ。ショーコの世界で例えるなら生物兵器のようなものだろうか。
たとえ魔物に対してだろうと、生命あるものに使用していいものではない。人道に背き、倫理に反する禁忌の手……
「まさか……共和国がそんなものを造るワケが……」
カイルの頭の中はグチャグチャに乱れていた。彼が正義と信じ、忠誠を誓った共和国がそのようなおぞましい魔法を造るなんて考えられなかった。
そんな彼に追い討ちをかけるようにマイが尋ねる。
「カイル、数か月前にこの山の魔物を弱体化させるため“新造魔法”とやらを託され、使用したと言っていたな」
「は、はい。レオナさんの……指示…………で…………」
……察しがつき、カイルは青ざめた。
非道な毒魔法の効能は、今まさにこの山の魔物達に見られる症状と合致する。
「その“新造魔法”が“ヤクラグ”なのだろう。レオナはこの地の難民に対し……惨すぎる非人道的な手を使った……何も知らないお前を介してな」




