第七十三話 MONSTER
「あ、あれって……さっきのダイヤモンド野郎だよね……な、なんで……」
ジュエルハーツを含む五体の魔物はヨーカが戦っていたハズだ。なのに、そのジュエルハーツが今ここにいるということは、まさか……
ショーコの頭の中で最悪のパターンが想像される。
「……ショーコさん、心配は無用です」
フェイが徒手空拳の構えを取った。
「ヨーカさんは十三騎士団の一翼。必ずや無事です。そして……ショーコさんのことは私が必ず守ります」
「守るったって……フェイ……」
ショーコは気付いていた。こちらに背を向けるフェイの横顔がひどく苦しんでいることを。
彼女はすでに多大なダメージを負っている。その上、体力の消耗が激しいという“マナ”による身体能力強化を上乗せしたのだ。これ以上身体に鞭を打つのは命に関わる。
それでも彼女は構えを取る。ショーコに魔物を近づけさせないため。ショーコを守るため。
ショーコは自身の無力さをかつてないほど恨めしく思った。
『GGRRRrrrrr……!』
『FFSSHHHHH……!』
前方からガノトフが、後方からジュエルハーツがにじり寄る。
二体の“名有り”を一人で同時に相手するなど無謀なんてもんじゃない
だが、フェイは一歩たりと退かなかった。
「父と母の名にかけて……たとえ首を引っこ抜かれようと、心の臓を握りつぶされようと……ここから一歩も通しません」
――その時だった。
周囲が暗くなり、立っているのもやっとな程の突風が吹いた。
目を細め、ショーコは空を見上げた。
そして、絶句した。
巨大なドラゴンの翼が陽の光を遮っていたのだ。
共和国上空で遭遇した、百メートル級の飛竜。
ショーコ達がこの“南方の離れ山”へ赴いた目的であり、討伐目標。
まさか、今ここで遭遇するとは。
『――~~~ッ……!』
ドラゴンが顎を開く。その奥には漆黒の闇が広がっていた。
咄嗟にショーコに覆い被さるフェイ。
逃げる暇などなかった。叫ぶ間すらない。
ショーコとフェイは、灰黒いドラゴンに喰らわれた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「なんだこりゃ……」
目の前に広がる惨状にクリスは目を疑った。
山の中腹地点にて、ショーコを連れ去った鳥型の魔物――ヨーカが仕留めた怪鳥が、目を背けたくなるような無残な姿で横たわっていた。
翼が切断されているのは理解できる。ヨーカが切断したのであろうことは容易に想像できた。
問題は、怪鳥の全身のいたる箇所が食い荒らされていることだ。
「おそらくヨーカに翼を捥がれてここに墜落したのでしょうが……この無残な状態は彼女の槍によるモノではありません。一体何があったのか……」
まるでカラスかハイエナに死肉を漁られたかのような状態。だが、魔物の肉を食う生き物など存在しない。たとえ死体であっても生き物として強靭すぎてとても喰い千切れないし、丸呑みにしたとしても“マナ”を栄養素とする魔物の肉など他の生き物にとっては何の益も無い。むしろ毒だ。
魔族を食う存在がいるとすれば、魔族と同じくらい強靭で、“マナ”を取り込むことに価値がある生物……
つまり、魔族だ。
「……よー、もしかしてだけど、この鳥公の死体を他の魔物が食い散らかしたってことなのか? 魔物が魔物を食うなんて聞いたことねーぞ」
「……異常だ」
マイが呟いた。
「魔族が共食いをするなんてどう考えてもおかしい。こんなことはあり得ない……」
無残な姿となった怪鳥を神妙な面持ちで見つめるマイ。その様子から事態の重さが察せられた。
そもそも、この怪鳥がショーコ達を襲った魔物――サソリムカデを啄んで飛び去ったのがコトの始まりであった。マイはその場に居合わせなかったが。
「お言葉ですがウエストウッド殿、それほどおかしい話でしょうか? 確かに過去、そういった事例は確認されていませんが、畜生以下の害獣である魔物同士なら“マナ”の奪い合いをしても不思議ではないと思いますが」
カイルの言に、マイは静かに見つめ返して答える、
「……ならお前は、腹が減ったからと言って妹を食うのか?」
「え……?」
「……なにかおかしい……この山で、我々の想定を逸脱した事態が起こっている……」
・ ・ ・ ・ ・
――……
「――…………っ……う~ん……」
意識が戻る。
ショーコは頭を起こした。一体なにがどうなったのか飲み込むのに時間を要する。
「……ここは……」
次第に視界が明瞭になってゆく。どうやら今、彼女が居るのは洞窟のような陽の当らない場所らしい。大小様々な岩がそこかしこに転がっている。
だが真っ暗というわけではない。ショーコのすぐ傍らにオレンジ色の篝火が宙に浮いていた。
おそらく魔法による灯りだろうと推察できる。まるで焚火のような温かみが感じられた。
そして、そのすぐ傍――ショーコから見て、篝火を挟んだ向こう側にフェイが横たわっていた。
まさか、と一瞬思ったが、呼吸に合わせて胸部が上下しているのを確認し、安堵した。
徐々に脳みそが立ち上がってゆく。少しずつ直近の記憶が蘇り始める。
……そうだ。たしかヤベーモンスターに囲まれて大ピンチだと思ったら……ドラゴンに――
『「目覚めたか」』
聞き覚えのない声に驚き、顔を向ける。
そこには、ショーコの語彙では表現できないモノが存在していた。
人型だが、人間ではない。背丈は二メートル半はある。
表面は黒く……いや、“闇”と言ったほうが近しい。見つめれば飲み込まれそうな深淵が形を成しているようだった。
顔には人間で言うところの口に当たる部位は無く、代わりなのか二つの目に加えて額にもう一つ瞳が置かれている。
肩や肘から突起が隆起し、禍々しいシルエットを構成しているが……何より、頭頂部に生えた、後方へと延びる二本の角が目を引いた。
……あえて既存の言葉で例えるなら……“悪魔”と呼べる存在なのかもしれない。
「 」
ショーコはもはや悲鳴すら出せなかった。
泣き言も、驚嘆の声すら出ない。
呼吸さえも止めて、まるで石にでもなったかのように完全に制止していた。
『「恐怖を抱いているな。理解するとも。私は魔族だからな。怖がって当然だ」』
悪魔のような存在はゆっくりと歩を進める。ショーコの方へと。
「……っ……」
動けない。逃げるようなそぶりを見せれば何をされるかわからないからだ。
今、目の前にいる存在は自身を“魔族”だと口にした。ただでさえショーコには敵いっこない相手な上に、とうとうと人語を喋る高度な知性を持っている。これまでのどの魔物よりも得体の知れない敵だ。
一つでも行動の選択肢を間違えば、ショーコの命は白紙にされてしまいかねない。
目の前の魔物の神経を逆撫でするようなことは決して許されないのだ。
『「せっかく助かった命だ。惜しいだろう」』
「…………ぁ……ぃ……ぅ……」
何か答えるべきなのか。相手が喋っているのに無言のままなのは失礼なのではないか。しかし、勝手に口を開くのは許されるのであろうか。相槌を打つにも許可が要るのではないのか。
彼女が混乱して目を回している内に、悪魔のような魔物は歩を休めることなく、どんどん近づいて来る。
そして、ショーコのすぐ目の前まで来ると――
……傍の岩にゆっくりと腰を下ろした。
『「そちらの少女は随分疲弊していたので治癒の法力を施した。命に別状はないから安心していい」』
「………………え……?」
『「と、言っても人間が魔族の言うことを聞き入れはしないだろうが」』
悪魔のような魔物は篝火に手をかざした。淡い灯りが輝きを増す。
気のせいか身体の疲れが軽くなった気がした。人間は焚火を眺めていると心が癒されるという説があるが、そういった気持ち的なものではなく明確に癒しの効果を実感できた。
悪魔のような……と例えたが、翼や尻尾のようなものはなく、代わりにその魔物の背面は黒い炎のようにユラユラと揺れ蠢いていた。あまりにも異質な生態に、本当に生き物なのかと疑問を抱かずにはいられない。
『「まだしばらくは眠らせてやってくれ。君も、落ち着くまで休んでいるといい。私を信じれればだがな」』
そう言って魔物は視線をショーコから外し、篝火に対して身体を正面に向けるように座り直した。
一体どういうことなのか、何が起きているのか、ショーコには理解が及ばなかった。
「っ…………」
今、自分の目の前にいる存在は恐らく魔族で間違いないだろう。
だが、これまで出会ったどの魔物とも違い、彼は――彼女なのか、そもそも性別があるのかもわからないが――襲ってくるような素振りは全く無かった。むしろこちらのことを気遣ってくれているかのようだ。
いや、それどころか魔物が言葉を発するなんて……ガノトフのようにカタコトではなく、ハッキリと意思を持った言葉を紡いでいる。
なぜ魔族が人間である自分に優しくするのか、ショーコには全く意図が読めなかった。
だが、フェイを介抱してくれたことには素直に感謝しなければならないと思った。
「……っ…………あ、あの……ありがとう…………た、助けてくれて……」
ショーコの言葉に、悪魔のような魔物は驚いた様子で振り向いた。
『「……! ……今……私に礼を言ったのか? 人間である君が?」』
「だ、だって……助けてもらったらちゃんとありがとうって言いなさいってお母ちゃんに言われたから……」
見るからに動揺した様子の魔物は、顔だけでなく正面からショーコの方へと向き直った。
『「……こんなことは初めてだ。君は本当に人間なのか? それに、君からは変わった“マナ”を感じる……何者なんだ? 君は」』
「あっ……私は――」
ショーコは自分が何者かを名乗ろうとしたが、口を止めた。“転移者”だと明かすのは得策ではないと思い留まった。
魔族にとって“転移者”は怨敵。もし知られればどうなるか……想像するだけでも恐ろしい。
「……み、未船……ショーコと申しますです」
魔物は小さく頷いた。そして、今度は自分の番だと自己紹介する。
『「私の名は、ビルゲレント・レイ・ベーゼンバーグだ」』
「格式高そうなお名前!」
即、思ったことを口にするショーコ。
今までそんな反応をされたことがなかったであろう魔物はポカンとした表情を見せた。
数秒間を置いてから、ショーコが自身の無礼な物言いに気づく。
「あっ……! ご、ごめんなさい! 私アホだから思ったことすぐ口に出しちゃって……」
ショーコは魔物の機嫌を損ねてしまったのではないかと肝を冷やした。
だが――
『「……フフッ……面白いな君は」』
――意外にも魔物の反応は良好だった。というか、笑ってる。マジか。
ショーコは目の前で起こっている現象がとても信じられなかった。まさか魔物を笑わせる日が来ようとは想像もしなかった。
『「私のことは好きに呼んでくれるといい、未船ショーコ。かしこまる必要もない」』
物腰が柔らかく紳士的な話し方の魔物にショーコは好感触を覚えた。
この魔物は……もしかしたらいいヤツなのかもしれない。信用してもいいのかも……と、そう思えてきた。
「あ、じゃあ……ビルさん、もしよければちょこ~っと質問があるんですが……」
悪魔のような魔物――ビルは背筋を伸ばした。
『「なにかな?」』
「ここどこ!? 私どうなったの!? ドラゴンに食べられたんじゃないの!? ヨーカは無事!?」
畳みかけられ、ビルは小さく笑った。
『「フ……全然ちょこっとじゃないな」』
口が無い代わりに三つの瞳がその表情を物語る。とても魔物とは思えない表情の豊かさだ。
『「では、順を追って説明しよう。ここがどこかと尋ねたな。ここは君達人間から見れば……いわゆる“地下の世界“ということになる」』
「……は?」
ショーコが訊き返すと、ビルはゆっくりと立ち上がった。二メートル半の巨体が踵を返し、歩き出す。
数歩進んで立ち止まり、振り返ってショーコについてくるように促した。慌てて立ち上がったショーコが駆け寄るとビルは再び歩き始めた。
暗い洞窟のような中を歩き続けるビルと、その後ろをついて歩くショーコ。歩幅が違う為、ショーコは若干早足だ。
『「我々が住む、【ガイエ】と呼ばれるこの世界の地の下には異空間が存在するのだ。陽の光も届かず、地上ほど広くはないがな。私達、生き残った魔族はここで細々と暮らしているんだ」』
ビルが足を止める。ショーコもそれに倣う。
振り向き、ビルは右手で前方の景色を示した。その先は崖となっていた。
前のめりになり、下をのぞき込むショーコ――
『「この地、〈ライガンド〉でな」』
――眼下には、村が存在した。
魔族の村が。




