第六十八話 絶槍のヨーカ
ヨーカの握る槍は、彼女自身の身長よりもやや長く、先端は二又に分かれていた。
刃の付け根には細長い赤い布が、さながら大きなリボンのように結ばれている。このワンポイントが武器という厳つい凶器に若干可愛らしい印象を持たせていた。
槍を逆手に持ち、まさに槍投げ競技のような姿勢で上半身を反らして腕を引く。
左膝を上げ、右足一本立ちのまま、チョンチョンチョンと助走をつけ――
「天まで届け! ウォーシャン昇天MAXヤリ!」
――遥か上空の怪鳥めがけて投げた。
空気を斬り裂く高音と共に槍が空を翔る。赤いリボンが一直線に尾を引く。
「――RRLLLッ……!」
二又の刃が怪鳥の脇腹に突き刺さった。
だが、よろめいたものの、仕留めるまでには至っていない。
鳥型の魔物はすぐに飛行姿勢を取り戻し、そのまま南方へと飛行してゆく。
「このままでは逃げられる。私が――」
マイが腰に下げた刀に手を当てる。が、カイルが嗜めた。
「大丈夫です。ヨーカに任せてください。彼女は自分なんかよりずっと優秀な騎士ですから」
自信に満ちた表情で、カイルはヨーカに視線を向けた。それに倣い、マイも同様に見やる。
無手となったヨーカは、その場にぐぐっと屈み――
「ぴょッ!」
奇妙な掛け声と共に跳躍する。
――瞬間、彼女の姿が忽然と消えた。
「!」
超スピードだとか幻覚だとか、そんなチャチなモンじゃ断じてない。マイの目を持ってしても、その軌道を見切れなかった。
そう、ヨーカという存在が地上から一瞬にして消失したのだ。
「今のは……?」
「ありていに言えば“瞬間移動”と呼べる技です。ヨーカの槍は、彼女自身と魔術的繋がりで結ばれています。どれだけ距離が離れていようと、ヨーカは空間を無視して槍のもとへ“飛ぶ”ことができるのです」
・ ・ ・ ・ ・ ・
遙か上空。フェイは振り落とされそうになりながらも懸命に腕を伸ばし、巨大怪鳥の体表を這っていた。
鉤爪のような足を昇り切り、黒い羽毛を掻き分け、なんとか背中に辿りつく。鳥型の魔物の背は、ちょっとした孤島ほどの大きさだった。
「ショーコさん……! 今行きます……!」
目指すは頭部。嘴に咥えられたサソリムカデの、その腕の鋏に引っかかっているショーコを助け出すこと。
だが、高速で飛行する物体の上を進むのは、想像以上に難しい。気を抜けばあっという間に吹き飛ばされてしまう。
バカデカい鳥の背中を、しがみつきながらゆっくりと、しかし確実に進む。
その時、怪鳥の黒い炎のような翼が複数枚抜け落ちるのを、フェイは横目で見た。
散りゆく炎の翼はゆらゆらとゆらめき、形を変える。
「EEEEEEEE!」
「EEEEEEEE!」
翼の一枚一枚が、人間大の黒い鳥に変化した。フェイという外敵を迎撃するために、巨大怪鳥が自らの分身を生み出したのだ。
放たれた数は二十匹程。鳥の形をした黒い炎が、飛行しながら襲いかかってくる。
フェイは徒手空拳の構えを取った。しかし――
「っ……!」
ここは巨大な怪鳥の背の上。ただでさえ足場が悪い上、風圧も凄まじい。
突撃してくる黒炎鳥を勢いそのまま投げ返そうと試みるも、上手く投げることができない。フェイが得意とする返し技は不利だ。
さらに――
「つぁっ! ……熱ぅっ!」
黒炎鳥は、その見た目通り炎で出来ていた。触れれば“マナ”で錬成された炎に灼かれる。
素手で戦うフェイにとって最悪の相性だ。
「EEEEEEEE!」
「EEEEEEEE!」
黒炎鳥が群れを成して襲いかかってくる。一度でも回避に失敗すれば空へ落っこちてしまうだろう。
迫り来る脅威をしかと見つめるフェイ。接触する寸前、身体を躱して掌底を打ち込む。同時に、彼女の手が灼ける。
「あアッ……! くっ……」
熱傷に顔が歪む。そんなことお構いなしに敵の攻撃は続く。前後左右から絶え間なく黒炎鳥が襲いかかる。必死に躱し続けるも、回避の精度は下がる一方。
さらに、早くショーコを助けなければという焦りが冷静さを失わせ、よりフェイを不利な状況へと追い込んでゆく。
「RRRRRR!」
「っ!」
多勢に無勢だった。数羽がかりで一斉に群がられ、動きを制限されたフェイ。高速飛行による突撃を受けた衝撃で、彼女の細い身体が風に煽られた。
空中に放り出される寸前、なんとか怪鳥の背にしがみつく。落下は免れたが、無論敵が見逃すハズがない。無数の黒炎鳥が一斉に追撃する。
鳥を象った炎の塊が、身動きの取れないフェイに迫る。
「!」
彼女の眼前で、炎の鳥が真っ二つに両断された。
何が起こったのか理解が遅れた。フェイが顔を上げると、陽光を浴びる救世主の背中が目に映る。
それは、リボンが結ばれた槍を構える騎士――ヨーカだった。
「鳥さんはかわいくて好きだけど、ウチのツレイジメるとかマジ許さんぞ☆」
「ヨーカさん……!」
「とりま安心していいよフェイぴっぴ。ウチこー見えてめちゃつおいかんね」
腕を曲げて力こぶを作るジェスチャーをするヨーカ。その言動にはとても説得力が感じられなかった。
「EEEEEEEEEE!」
「おーおー、やかましいこって。ピーピーうるさいヒヨコちゃんにアイサツでもしてやっかな」
激しい風圧を全く意に介さず槍をくるくる回す。この風圧の中でどうしてそんな芸当が出来るのか。
いの一番に襲いかかってきた黒炎鳥を、一突きで仕留める。敵は黒い火の粉となって離散した。
続いて、迫り来る敵も一太刀で斬って捨てる。返す刀でもう一体。黒い炎の鳥は、次々と塵となって消えてゆく。
彼女が槍を振るう様は、赤いリボンの紐がたなびいて、どこか美しさすら感じられた。
「ウェーイ↑ ウェイウェーイ↑ ウェウェウェウェーーーイッ!↑」
が、発せられる言葉は美しいとは言い難い。というか、騎士としてあるまじき口調だ。
「EEEッ……!」
近距離では勝てないと悟ったのか、黒炎鳥の群れは空へ逃げた。遠距離からのヒットアンドアウェイの戦法に切り替える算段らしい。
「マ? ウチからバックれられるとかホンキで思ってんの?」
ヨーカにとって、敵に距離を取られることは問題ではなかった。
槍を逆手に構え、投げる。
不安定な環境でありながら投擲された槍は一直線に黒炎鳥を貫き、さらに後方の一羽に突き刺さった。
「か~ら~の~……っ!」
空間を跳躍し、槍のもとへ飛ぶ。
次の瞬間、ヨーカは標的に突き刺さった槍を握っていた。
「まだまだいきまっせェ~!」
黒炎鳥を足場にして槍を引き抜き、再度投げる。見事二投目も獲物に突き刺さった。
かと思えば、再び槍のもとへ瞬間移動。仕留めた標的から槍を引き抜き、次の標的に投げつける。
不安定すぎる足場で、しかも飛行する敵に直撃させるという人間離れした業。対魔法加工が施されたブーツと脚部装甲のおかげで、黒炎鳥を踏みつけてもダメージは無い。
足の踏ん張りが効かない状況でも威力を込めた攻撃を繰り出すことができるのは、幼い頃からの日々の鍛錬故。恐るべき筋力と体幹。
「ポンポンポンポンいきまっせェ~!」
投げられた槍が正確無比に標的を捉え、すぐさまヨーカが瞬間移動で追いつき、投擲を繰り返す。時には直接斬撃や突きを繰り出し、足場の無い宙に放り出された状態ですら槍を投げてみせた。
二十羽程いた怪鳥の分身は次々と火の粉となって散ってゆく。
フェイは目を疑った。あのヨーカが、ふざけた言動でおどけてばかりいたヨーカが、槍と瞬間移動を駆使して魔族を蹂躙している。
歌いながらカレーを作っていた少女が、泡のつけっこでハシャいでいた少女が、大空という戦場を完全に支配していた。
「……すごい……ヨーカさん、まるで飛んでるみたいに……」
ヨーカ・ウォーシャンの二つ名は、“絶槍”。
数々の修羅場で鍛え上げられた槍撃と、空間跳躍魔法を駆使した奇想天外な動き。十三騎士団の一員に数えられるだけあり、その実力は本物であった。
速度と距離を完全に無視し、一瞬にして懐に入り込む様は、彼女の性格とよく似ている。だがそれは、彼女と敵対する者にとっては絶望としか言いようがない。
立体的な動きで縦横無尽に戦場を駆け、相対する者はその姿を両の目で捉えることすら叶わない。気付けば既に、彼女の凶刃に貫かれて息絶える。
若干十六歳にして恐るべき戦闘能力。何者をも逃さない機動力。目にも留まらぬ空中殺法。
奇妙奇天烈な言葉を並べ、笑いながら魔物を狩る。掴み所のない飄々とした態度で、敵を屠る。
それが、“絶槍のヨーカ”だ。
「ちゃけば、ボスを殺さんと終わんねーわな」
黒炎鳥に突き刺さった槍を引き抜き、ヨーカは大元である巨大怪鳥に狙いを定めた。足場にしていた黒炎鳥が消滅し、空中に放り出されるも全く焦りなどない。
落下しながら槍を投げる。そんな状態での投擲でありながら、槍は怪鳥の胸元に深々と刺さった。
間を置かず瞬間移動。ヨーカは槍のもとへ出現すると、すぐさま得物を引き抜いて身体を翻し、怪鳥の背に再び上陸した。
「痛かったら言ってくださいね~無視すっけど~」
逆手に持った槍を両手で握りしめ、翼の付け根に当たる箇所に勢いよく突き立てた。
「RRRIIIIEEEEEEE!」
「るっせーんだよバカ鳥!」
怪鳥の悲痛な叫びを聞き流し、グっと力を込めてさらに刃を押し込む。
そのまま柄を右へと倒し、槍をねじ込んだ。
「これにてジ・エンド!」
そして、まるでレバーを切り替えるように柄を返し、今度は左へと倒す。
そう、抉り切っているのだ。
一連の動きで、突き立てられた刃が翼を繋ぐ骨を切断した。
「EEEEEEEッ……!」
「からの!」
槍の先端に“マナ”を凝縮させ、光で構成された魔術的刃を錬成する。
「サヨナラバイバイ!」
骨を断たれ、肉だけになった翼の付け根を“マナ”で出来た巨大な刃で両断した。
「ッ! ……――――」
広大な漆黒の翼が胴体から切り離され、炎の塵となって消滅する。
魔族の巨大怪鳥は、片翼とともに意識も失った。
「ふぃ~、おつかれカツカレー。フェイぴっぴだいじょぶ? どっかペインしてない?」
いつもの明るさでフェイに笑いかけるヨーカ。先程までの恐るべき戦闘能力を披露していた騎士と同一人物とは信じられない。
「お、お見事ですヨーカさん。ですが……魔物が翼を失えば、我々も一緒に地上に落下してしまうのですが、何か策はあるのでしょうか?」
「ほへ?」
「え?」
「……」
「……」
「やべ、なんも考えてなかった」
「ちょっ」
片翼を失った怪鳥が、地上への墜落を開始した。
フェイとヨーカを背に乗せたまま、抗いようのない速度で落下してゆく。
もちろん、引っかかったままのショーコも含めて。
「ほわああああああああああああああああああああああああああ!」




