第六十六話 何がクリスに起ったか
夕食の後片付けを終えた一同は明日に備え、早々に床に着くことにした。
コテージ内では入浴の順番を決める為、女性陣による第一回空前絶後のあっち向いてホイ大会が開催された。結果、ショーコはドベから二番目に入浴する権利を得た。
「あ~~~サッパリした。キャンプでお風呂に入れるなんて思ってなかったけど、いい湯だった」
風呂上がりにまたビジネススーツを着るのはちょっとアレだなぁと思っていたが、ヨーカがわざわざパジャマを人数分用意してくれていたので助かった。律儀に三角帽子までセットだ。先っぽにポンポンついてるやつ。
火照った身体をクールダウンさせようと、コテージの外へ出たショーコは大きく息を吐いた後、夜空を見上げた。二つの月と、満点の星がその輝きを放っている。
綺麗だ。今まで見たどんな星空よりも綺麗だった。
ふと、ショーコはマイが言っていた言葉を思い出す。この世界の光景も、見慣れてしまえば……時が経てば記憶から薄れてゆくと。
今日一日で、ショーコは自身の世界ではとても見られないような、故郷の人達がとても信じられない光景を目にしてきた。
いや、今日だけではない。これまでの旅路で、いくつもの不思議でオカシなものをたくさん見てきた。
空中で取っ組み合いのケンカをするペガサスとグリフォン。
雪山の傍でこちらに手を振るビッグフット。
朽ち果てた水門の近くで暗闇に瞬くシーサーペントの瞳。
そんな思い出も、大人になると共に消えゆくのだろうか。
雨の中の涙のように……
「……ん?」
遠くから音楽が聞こえてくる。耳をすまし、音源の方へと向かう。
その正体を見て、「ああ、そっか」と納得がいった。カイルが一人、焚き火の傍でバンジョーを弾いていたのだ。
コテージから必要以上に距離を取った場所に居ることが、彼の誠実さを感じられた。
「どうかしましたか? “転移者”殿」
ショーコに気づき、手を止めるカイル。
イケメンとのコミュニケーションに不慣れなショーコはしどろもどろに応える。
「あ、いや、えと、ちょっと音が聞こえて気になっただけです。はい、すんません」
「申し訳ない。耳障りでしたね。周囲の迷惑を考えず個人の趣味に勤しむなんて……私は最低で最悪でゲスでカスでボケナスです」
「いや言い過ぎッスよ」
礼儀正しい上に必要以上に気を遣うカイル。人がいいのは確かだが、ちょっとめんどくさいくらいだ。
そこでショーコは、彼の人のよさにつけ込んで、どーしても気になる疑問を投げかけてみた。
「……あの……昔のクリスってどんなだったんですか?」
「今と変わりませんよ。強くてタフで、カッコよくて、頼れる姉でした。……いや、“元”と付け加えないと怒られるか」
小さく「はは……」と笑うカイルは、ひどく脆く見えた。
「我々家族は一家総出で魔物を討伐する仕事をしてきました。クリス姉さんも我々も、魔物と戦うために幼い頃から毎日修行を重ねて育ったのです。姉さんはそりゃもう、強いのなんの。自分の何十倍も大きい魔物だって殴り飛ばしちゃうんですよ」
ショーコは息を呑んだ。クリスの強さの理由を垣間見た気がした。
「いくつもの修羅場をくぐり抜けてきましたが、姉さんには何度も何度も助けてもらいました。だから……姉さんが我々を捨てて去ってしまった時は……随分こたえたものです」
「……なんでクリスは縁を切っちゃったんスか? 家族と絶縁なんて……よっぽどのことがないと言わないのに……」
「ありふれた話ですよ。我々兄弟は、幼い頃から両親によって厳しく鍛えて育てられてきました。国からの依頼を受け、魔族を討伐し、その報酬で生計を立てるためです。クリス姉さんはああいう性格だから、親の言いなりで働かされることに我慢が出来なかったんでしょう。四年ほど前、母や姉達と“大物”の討伐に向かった際、失敗し、姉達と大喧嘩をしたそうです。その場で、クリス姉さんは家族の縁を切ると宣言して、姿を消したのです」
単純な話だが、納得はできる。たしかに彼女なら、誰かに指図されて生きるなんて嫌うだろう。たとえそれが実の親であろうと。
だから彼女は、親兄弟から蔑まれ、野に下ろうとも、魔物狩りクリス・ウォーシャンの名を捨て、賞金稼ぎクリス・ピッドブラッドとして生きてゆくことにした。
クリスにとって、鎖に繋がれるくらいなら泥にまみれた方がマシなのだ。
「さあ、転移者殿、そろそろ就寝した方がいいですよ。明日は忙しくなるし、それでなくとも自分と会話しているところを見れば、姉さんが怒り狂うでしょうから」
「……それもそうだね。お話、ありがとうございます。あ、このこと当然クリスにはナイショね」
カイルはウインクで応えるという、古い少女漫画のイケメンキャラみたいな所作を見せた。ぶっちゃけ、実際にやられるとちょっと引く
引き攣った笑いを浮かべながら、ショーコはコテージへと踵を返した。
「あ、ショーコっち」
コテージの中では顔面アワアワだらけの怪人がショーコを出迎えた。
「どわっじ! ……び、ビックリした……な、なんなのヨーカそれ」
「あ、コレ? マンドラゴラの美肌パックだよん☆ ショーコっちもやる? お~肌すべすべピチピチー♪ おまえはどこのオトメじゃ? ってな具合になるぜよ」
「い、いや私はそーゆーのはちょっと……なんにもやってないのお肌綺麗ってのがウリだから……」
「遠慮しなさんざ! ほーれヨーカちゃんのお節介攻撃ー! ホッペぐにぐに~」
「あぶえ~!」
マンドラゴラ成分の泡を両手につけ、ショーコの左右の頬をぐにぐにするヨーカ。ショーコの顔面は瞬く間に泡の塊へと変貌を遂げた。
「ウェーイ☆ たんのすぃー! フェイぴっぴもやる?」
「いえ、遠慮しておきます。エルフは何もしなくても美容と健康が維持される種族なので」
「あ〜、百年経ってもだいじょ~ぶってやつぅ~↑?」
「逃げようったってそうはいかないぞフェイ! お前もアワアワウーマンにしてやるーっ!」
「うぶあー。ショーコさんおやめになってー」
「っしゃぇーい☆ ウチらはアワーバブルガールズじゃ~い♪」
泡のつけっこでワイキャイする十六歳の女子高生と十六歳のギャルと百十六歳のエルフを、ベッドに腰かけて眺めるマイとクリス。
お気楽絶好調なヨーカを指して、マイがクリスに言う。
「似てないな。本当に姉妹なのか?」
「……手ぇ出すなよ。ヨーカは純粋なんだ」
「お前、私をなんだと思ってるんだ」
「アイツは子供だ。だからまだ触れてねーんだ。人間の醜さとか、ひでー大人とか、そーゆーのにな。できることなら……いつまでもあのまま、爛漫でいてほしい」
「ふっ、なんだかんだ言っても、やはり姉なんだな」
「あ~、マイパイセンがクリ姉とガールズトークしちょる! ウチらも混ぜて混ぜて~♪ ねーねー、好きな人誰? 誰だれ?」
修学旅行の夜みたいなノリでベッドに乗り込んできたヨーカを、クリスがうっとうしそうに押しのける。
「お前、昔よりウザくなってんぞ」
「だぁってぇ~……クリ姉いなくなってから甘えんぼファイヤーできる人いなくて寂しかったんだモン。たまには誰かに甘えないと涙が出ちゃう。女の子だモン」
「ヨーカってホントにこの世界の人? 私の世界のおっさんが転生したとか?」
「むかぁ~~~しはマリ姉も甘えさせてくれてたけど、クリ姉がいなくなってからそういう雰囲気なくなっちゃってサ~。ウチとしてはストレス発散できんかったワケよ」
「マリ姉って、本庁の廊下ですれ違った、めっちゃデカイ弟さんと一緒にいたクールそうな女の人か。あの二人も十三騎士団なんだってね。兄弟四人もメンバーなんてすごいなあ」
ショーコの言葉に、ヨーカは人差し指と頭を左右に「チッチッチ♪」と振った。
「のんのんのん。四人だけぢゃないZE☆ ウチら九人兄弟やけんね」
「んきっ! 九人ッ!?」
予想外の数字に思わず奇声を発してしまうショーコ。
「クリスさんは大家族だったのですね。私達エルフは少子種族なのでちょっと憧れます」
「長女がマリ姉で、次女がクリ姉。それから長男、次男がアル兄、三女、カイ兄が三男で、ウチが四女、んで四男、五女って家族構成だよ。ちなみに全員年子☆」
「なにがスゲーってお袋さんが一番スゲーよ……」
「そうそう! ウチのマッマはすげーんだよ! なんせあの伝説の大魔導師“灰燼のガンドア”に魔法を習って、今は共和国政府の魔法局の局長で――」
「ヨーカ」
名を呼ばれ、ヨーカがクリスに目を向ける。姉の表情を見て、妹は己の言動を省みた。
「――……っあー……まあ、働き者のキャリアウーマンってヤツだわ。はいっ、この話題おーしまいっ☆ ウチもう寝るけんね! グンナイッ!」
突然話を切り上げ、ヨーカは布団にくるまってスリープモードに入った。
あまりに不自然。だがそれ故に、そこへ踏み込んではいけないのだとショーコにもわかった。
カイルが言っていた。クリスは親の言いなりに生きるのがイヤで家族と大喧嘩をし、絶縁したのだと。
彼女の母親については触れないほうがいい……ショーコは直感でそう理解した。
しかし、フェイの純真は、その境界線に気付くことができなかった。
「聞かせてくださいヨーカさん。クリスさんの……あなた達のお母さんのことを」
ショーコは肝が冷えた。友人が、友人の地雷原に足を踏み入れてしまった。
横目でクリスの様子を伺う。呆れているのか、怒っているのか、その表情からは読み取れない。
「…………フェイ、お前マジか。それ以上踏み込むなって言ったよな」
その声色に、冗談の類は一切なかった。
「私にはどうしても見て見ぬフリはできません。クリスさんとご家族をなんとか和解させたいんです。確執の原因さえわかれば、きっと仲を取り持つこともできるんじゃないかと……」
「……あのな」
「家族の絆は何よりも強く、永遠です。だって……だって血を分けた家族なんですよ。確かな絆で結ばれた、なにものにも代えがたい存在です。過去にどんなことがあったとしても必ずわかり合えるはず――」
「だからっ! それをやめろっつってんだよっ!」
……
――時が止まった。場が一瞬にして凍り付いた。
生まれて初めて怒鳴り声を受けたフェイは、何が起こったのか理解できずに呆然自失となる。
ショーコは自身の鼓動が驚くほど早くなっているのを自覚した。
「…………クソッ」
触れられたくない箇所に触れようとするフェイに腹が立つのもあったが、それよりも自分自身に腹が立つ。
クリスは倒れ込むように布団を被り、一切の干渉を遮断した。
「…………私……」
まるでこの世の終わりのような絶望に包まれるフェイ。
ショーコはなんと声をかければいいのかわからず、アタフタするばかり。
「大丈夫だ、フェイ」
マイが声をかけた。
「大丈夫だ。クリスもそこまでバカじゃない」
「……マイさん」
「私達も寝よう。明日になれば、クリスの方から動くだろうさ」
布団を被ったクリスが、ピクリと反応した気がした。
「…………はい……」
自分のことではないにせよ、ショーコは気が気ではなかった。
フェイとクリスは、どちらも大切な友人だ。二人の仲が悪いと、ショーコも辛い。
このままずっと険悪な空気だったらどうしよう……そんなことを考えている内に、いつの間にか彼女は夢の世界へと旅立っていた。
――……
陽が昇り、朝を迎える。
寝ぼけ眼のショーコはパジャマからスーツに着替え、箱型テントからのっそりと顔を出す。
外は快晴。目も冴える強烈な日差しが彼女の薄く開いた瞳に突き刺さる。
「おはようございます、ショーコさん」
先に起床していたフェイがショーコに低頭する。昨晩の悲壮感漂う表情は幾分和らいでいた。
「おはよフェイ。みんなは?」
「カイルさんは朝食の準備をしていて、マイさんとヨーカさんは朝食のハムを盗んだコカトリスを追いかけて行きました」
「朝っぱらから騒がしいことで……」
「フェイ」
「!」
後ろから声をかけられ、フェイが振り向く。声の主はクリスだった。
いつも自信に満ちあふれ、堂々としていた彼女が、どこか落ち着かない様子でモジモジしている。
「クリスさん……私――」
フェイが謝ろうとすると、クリスが掌を突き出して制止した。
「あー……なんだ、その…………昨日は――」
――その時である。
突如、彼女達の足下の地面が“爆発”した。
いや、爆発という表現は正しくない。
巨大な生き物が、大地を裂いて飛び出してきたのだ。
――魔物だ。




