第五話 少女は旅立つ晴れた日に
――ルカリウス公国領地最西端。
ショーコは公国から提供された馬車の中で揺られていた。
前方の小窓からは馬の手綱を引くフェイの後ろ姿が見える。
ビジネススーツを着た銀髪の異世界人が馬に跨り馬車を引く様は、そうそうお目にかかれない光景だ。
馬車が停車し、ショーコは外の様子に目をやった。
一面に広がる平原。眼前には流れの穏やかな河に石造りの橋が掛けられている。
「ショーコ殿、フェンゼルシア殿、我々がお送りできるのはここまでです」
護衛についていた騎士団長のデイジーが馬から降りた。
ショーコとフェイも馬車から降りる。
「わざわざ送っていただいてありがとうございます。公務も忙しいのにすみません」
フェイが深々と頭を下げる。
すぐさまデイジーも低頭した。同じく護衛についていたジョンとアイザックも馬から降り、頭を下げる。
「いえ、忙しいことなんてないですよ。……実は我々、栄光のルカリウス公国騎士団は発足から十年が経ちますが、正直に申しますと大した仕事はしておりません。自治活動とは名ばかりで、酔っ払いの喧嘩の仲裁や迷い猫の捜索やらばかりでした。ですが、ショーコ殿をお助けするという誉れを頂き、騎士団一同感謝しております」
「感謝してるのはこっちだよ。みんながいなかったら今頃あのでっかい狼の胃袋通ってフンになってるところだもんね」
「いえ、ショーコ殿が我らを真に栄光ある騎士団と成してくださったのです。本当に感謝しております」
デイジーは唇をかみしめ、堪えようとしたものの涙が溢れた。ジョンとアイザックもつられて涙する。
「助けさせてくれて感謝ってヘンな話だけど……まあ、これからもお仕事がんばってね。また貴族の人達が無駄金使わないようにしっかり見張っててよ。宮殿から甘い匂いがしてきたら要注意だよ」
デイジーは涙を拭い、鼻をすすった。
「はい……! ショーコ殿、フェイ殿、ご武運を!」
フェイが再び馬に跨り、手綱を引く。
ルカリウス公国騎士団の三人は、旅立つ“転移者”に向かって握り拳を突き出し、その拳で左胸をドンドンと二度叩いた。
ショーコには全く意味がわからなかったが、これはこの異世界における“敬礼”を表す動きだった。
――フェイは意気揚々と鼻歌を唄いながら馬を歩かせる。まるで遠足に出かける子供のようだ。
「ずいぶんゴキゲンだねフェイ」
「もちろんです。“転移者”様と一緒に旅だなんて、夢のようです」
“転移者”という存在がどれほど偉大なのかショーコにはイマイチ理解できなかった。
十五年前に“最初の転移者”が世界を救ったといっても、自分には一切関係のない話だ。
赤の他人が世界を救ったというのに、自分まですごい人間のように扱われるのはなんだかむず痒い気がする。
「ご安心ください。必ずやショーコ様を無事に〈ローグリンド王国〉にお連れいたしますよ」
「あのさ、そのショーコ様ってのはやめて。呼び捨てでいいよ」
「そんな恐れ多い。“転移者”様を呼び捨てなんて」
「せめて様付けはやめてくれない? 私達、もう友達なんだしさ」
「友達……私達が……わかりました、ショーコさん」
「うむ。それでよいのじゃ」
「ショーコさんとお友達になれてとても光栄です」
「私もこんなギャルと冒険できるなんて役得だよ」
ショーコはスケベオヤジみたいな思考回路も搭載していた。
「あのさ、ずっと気になってたんだけど、どうしてフェイはビジネスマンみたいなスーツを着てるの? 異世界なのにギャップがすごいんですけど」
フェイの整った輪郭に綺麗な銀髪、金色の瞳を抱える大きな目はいかにも異世界ファンタジックな顔立ちだ。
なのに服装はビジネスマンみたいなメンズスーツ。あまりにも異世界らしからぬ格好だ。
「これはかつて“最初の転移者”様が発案なされた服なんですよ。ご存じなのですか?」
「私達の世界じゃ仕事する大人が着てた服だよ。“最初の転移者”が私達の世界の文化を持ち込んだってことか」
「“最初の転移者”様がこの世界に広めたものは数多くあります。私達が今、話している言語も転移者様が造られた言葉です」
「えっ、あっ、そうなんだ。そういえばなんか言葉通じてるなー、魔法か何かで自動翻訳されてるのかなーって勝手に思ってたけど、みんな普通に日本語喋ってたんだ」
今の今まであまりにも普通に会話していたので気づかなかった。どうやら“最初の転移者”とやらも日本人らしい。
「いや言語ってそんな簡単に塗り替えられるもんなの?」
「“最初の転移者様”はこの十五年で世界を大きく変革されました。我々エルフと人間が共存して生活するなどかつては考えられなかったことです」
その言葉にショーコは首を傾げた。
「我々……? え!? フェイってエルフなの!?」
フェイは、「あれ? 言ってなかったっけ?」という表情を浮かべた。
「そうですよ」
「うっそ! 早く言ってよ! めっちゃすげーじゃん! ホンモノのエルフなんだ! かっこいいー! エルフって森の奥に暮らしてるんじゃないの?」
「仰る通り、十五年前まで我々エルフは隠れ里で静かに暮らしていました。“最初の転移者”様が旅の道中でエルフを含むあらゆる種族と交流し、それをきっかけに人間は他の種族と共存するようになったのです」
「別々に暮らしてた種族が一緒に暮らすようになったってことか」
「“最初の転移者”様はその後、種族雇用機会均等法を提案し、エルフも人間社会の中で仕事できるようになったのです」
「なんか社会の授業で聞いたことあるような法案だな……」
「私のように人間社会で暮らす者は少数派です。今まで通り森の奥で生活しているエルフの方は今も尚大勢いますね」
「エルフってことはフェイも魔法使えるの? 火ぃー出せる? 火ぃー」
「【魔法】は、魔法使いの家系の者にしか扱えません。血を継がない者が魔法使いと成るには十年修行を積む必要があります。ですが、あまりにも厳しく長い修行の為、志す者はごく少数です。エルフは他の種族に比べて魔法を扱いやすい種族ではありますが、それでも修行は必要ですね。ちなみに若手を指導して魔法使いへと昇格させられる立場の者は【魔導師】と呼ばれます」
「なんか伝統工芸の職人さんみたいな感じだな……」
「例外として“最初の転移者”様は魔法を駆使していたそうですよ。世界の理から逸脱した存在だからですかね」
「じゃあ同じ“転移者”の私も魔法使える!?」
「かもしれませんね。もしそうならうらやましい限りです。魔法使いは引く手あまたの人気職ですから。私も里を出て職探しをしていた頃、魔法使いの資格とっとけば良かったな~って思ってました。就活に有利なんで」
「そうは言ってもフェイってばまだ若いのに故郷を離れて外交官に就職したんだもんね。私と歳かわらなさそうなのにすごいなぁ」
「私、今年で百十六歳になります」
「騙されたァァァーーー! ギャルじゃねぇーーー!」
「エルフは不老長寿ですから」
――……
日が暮れ始めた頃、フェイは近くの村――〈ファローブ村〉に馬車を停めた。
〈ルカリウス公国〉と〈ローグリンド王国〉の間に位置する小さな村で、適度に栄えており、気温も暑すぎず寒すぎない過ごしやすい土地だ。
旅人の間でも評判は上々。『また訪れたい旅の休憩地ランキング』で上位に食い込むほどの人気スポットだ。
村に着いて最初にすべき事は宿の確保。二人が訪れたのは、昔のRPGに出てくるようなベタな宿屋だった。ショーコにとってはテーマパークのコンセプトホテルのようで少しテンションが上がる。
「すみません、二名で宿泊したいのですが」
「はい、お二人ですね。素泊まりの『梅』、食事付きの『竹』、贅沢三昧できる『松』の部屋がありますよ」
「なんで異世界なのに旅館みたいなコース割されてんの」
「一番安いのはどんなのですか?」
「納屋で寝る『草』があります」
「どうしますショーコさん。ジャンケンで決めましょか。負けた方が納屋行きで」
「ここで罰ゲーム要素出してくる意味がわかんないから『梅』二人分でお願いします」
寝床が決まれば、次は食事。この世界に来てからというもの、ショーコはいまだ何も口にしていなかった。なんせ宮殿で出された料理がゲテモノ揃いだったので。
フェイの先導のもと、訪れたのは村の大衆食堂。ちょっと古びてるが、ショーコからすれば古いドラマに出てくる食堂のようでなんとなく懐かしい雰囲気がする。
異世界の食事情に明るくないので、注文はフェイのおまかせにした。
一体どんな料理が出てくるのか、ショーコは内心ハラハラしていた。この世界の食べ物が、宮殿で出されたようなモザイク処理を要するモノばかりだったらどうしようと不安だった。
――が、ショーコの待つテーブルに運ばれた料理は、意外にも普通のものだった。
いや、むしろショーコが元居た世界で見慣れたものに似ている。似すぎている。
「……ときにフェイさん、こちらはなんという料理なのですか?」
「豚の生姜焼きです」
「めっちゃ和食じゃん」
異世界みもへったくれもない料理を出されてショーコは素でツッコんでしまった。
「これも“最初の転移者”様考案のもと、浸透した料理ですよ」
「なんか拍子抜けしたけど、かえって安心したよ。てっきりあの貴族の人が出してくれたようなきもちわるい料理が出てくると思ったっスわ」
「フォード公は変食家として有名なんですよ」
「じゃああのヘンな料理の数々は普通の人は食べないモンなんだね」
「ははは、まさか。あんなキモチ悪いゲテモノ食べる変人あの人以外にいませんよ」
「えっ、貴族ってそんな扱いでいいの?」
――この世界はショーコが思い描く“異世界”とは少しズレた世界だ。
エルフがビジネススーツを着てたり、日本語が定着してたり、松竹梅の宿泊コースがあったり、和食があったり、世界がスデに救われた後だったり……
このどこかオカシな異世界から果たして無事に帰ることができるのか……
彼女の旅は……まだ始まったばかりである――