第四十二話 時には昔の話を
飛行艇アドリヴァーレ号は東ハウリド大陸を離れ、大海原上空を飛ぶ。
レグルスの改修によって永久機関を得た上に飛行速度が格段に増していた。ついでに気を利かせてくれたのだろう。魔法とは便利なものだ。
「本日は飛行艇アドリヴァーレ号にご搭乗いただき誠にありがとうございます。当機は現在ルフィム洋上空を飛行中です。艇内で急に動くと危険ですのでご遠慮ください」
フェイが機内アナウンスを告げる。
窓の外、眼下には一面の海が広がっていた。大洋のど真ん中を飛んでいる。
水面から鯨が顔を出した。ショーコは実物を見たことはなかったが、彼女の世界のものよりもはるかに大きい。しかも白い鯨だ。
彼女の世界には『白鯨』と呼ばれる巨大な白い鯨の物語があるが、もしかするとこの世界の鯨がショーコの世界に迷い込み、それを基に創られた物語だったのかもしれない。
他にもショーコの世界では見られない様々な生き物が確認できた。
海面から顔を出す大蛇――シーサーペント。
帆船を軽々と覆うほど巨大な多足軟体生物――クラーケン。
まるで巨人のような……なんだかよくわからない、人間のような人型の生き物。
「UMA研究家が見たら踊り狂う光景だなあ……」
あれらが魔族と別種というのもよくわからない話だ。
クリスはまだ怒りが収まらないのか、空を切るようにシャドーボクシングをしていた。風切り音がハンパない。
「そろそろ落ち着いた?」
「ふしゅ~っ……ああ、大丈夫。脳内であのオッサン二百回はブチのめしたからちょっと気が楽になった」
大きく息を吐きながら椅子に腰かけるクリス。
反対側に座するマイがたしなめる。
「レグルスは村を守るため、経営していくためにやってるんだ。大目にみてやろう」
「なんだかマイさんけっこう長老さんの肩持つよね。昔色々あったって言ってたけどもしかしてラブコメな仲だったとか?」
ちょっと茶化すショーコ。以前より距離が縮まった様子だ。
「そんなんじゃない。十五年前の大戦で同盟を結んで戦った、言うなれば戦友だな」
「十五年前ってことは……魔王を倒した戦い?」
「ああ。私のこの魔刃剣……刀の鞘に魔法術式を組み込んだのもレグルスだ。様々な属性魔法の永久術式をな」
会話に加わろうとフェイが操縦席を離れ、マイの隣に座った。
「そういえばマイさんはどうして“最初の転移者”様と一緒に世界を救うことになったんですか?」
十五年前の戦い……その実情を知る者は少ない。
“魔王が倒され、世界が救われた”という事実は誰もが知るが、一体どんな戦いで、何があったのかを知るのは当事者だけだった。
「天下のマイさんの人生ドラマか。いいな、聞かせてくれよ」
「私も私も! 十五年前のストーリーがどんなんだったのか教えてよマイさん! おせーて! おせーてくれよう!」
「……楽しい話ではないぞ」
はやしたてられ、ため息をつきながらもマイは語り始めた。
「私は物心ついた頃から孤児だった。〈バスルピーク〉という国の路地裏で育ち、一日一日を必死で生き抜いていた。……国が滅んだのは六つの時だ。魔族の襲撃でな」
いきなりの重すぎる立ち上がりにショーコは面食らった。
「わあ……私も子供の頃にお父ちゃんが行方不明になっちゃったから気持ちわかるよ。いや……でもお母ちゃんがいたからマシか。ごめん、マイさんの方が辛かっただろうね。六歳で故郷も無くなるなんて……」
「孤児だったから当時は自分の歳など知る由もなかったがな。生き残った私は西の森へ落ち延びた。森の中なら食う物があるし、魔族から隠れるのにもうってつけだったからな」
「や、野生児だったんだ……」
「魔族を見つければ木陰から奇襲をかけて仕留める。次第に戦い方を覚え、いつしか魔族を一体一体倒すのが日課になっていた……故郷を奪われた復讐のつもりだったのかもしれない。そんな生活が四年ほど続いた頃、“アイツら”と出会った」
かすかにマイが口角を上げた。
「“最初の転移者”と、二人の仲間……アイツらは魔王を倒す旅の途中で、仲間に加わらないかと私に持ちかけてきた」
「まあ森ん中で一人で魔族狩ってるような奴がいたら戦力になるもんな」
「でも十歳の子供を仲間にって、“最初の転移者”もどうかと思うよ」
「魔族への復讐を願っていた私は……魔族の王を倒すために、アイツらと旅に出ることにしたんだ」
マイは椅子にもたれかけ、昔を懐かしむような表情を浮かべた。
「世界中あちこち旅したよ。色んな出会いがあった。ドワーフと争い、獣人と抗争し、エルフに命を狙われ……」
「揉めてばっかじゃん……」
「二年間の旅路の中で、様々な種族との出会いを経て同盟を結んだ。魔王を倒すための共同戦線を組み、魔族との最後の決戦に挑んだ。ものすごい戦いだったよ。私達は魔王城へ進撃し、そして……魔王を倒した」
「端折ったな~」
「でもさ、魔王を倒したからって本当に世の中が平和になるもんなの? 魔族がみんな消えるわけじゃないでしょ?」
ファンタジー系のRPGをプレイする時、ショーコは常に疑問だった。ラスボスを倒した後、モンスター達はどうなるのかと。
歩いているだけででくわすくらいそこら中にモンスターが溢れているのに、最後の大ボスを倒した後にスパっといなくなるわけでもないだろうと。
「私達が旅の道中で頭数を減らしたことと、最後の大戦で魔族の数がかなり減っていた。魔王が討たれた後、共和国の呼びかけで魔族の残党狩りが世界中で行われた。私は手を引いたがな。十五年かけて……地上の魔族はほとんど絶滅したんだ」
マイの表情はどこか物憂げだった。
「ま、よーするにだ。“最初の転移者”とそのお仲間達が魔族の王様をブッ倒した後に共和国おっ建てて、残った魔族もコツコツ片付けて、今じゃもうほとんど残ってないってことだな」
「そりゃラスボス倒してすぐ平和……ってわけじゃないよね。色々後始末が大変なんだなあ」
「ですが、かつてに比べて世の中は間違いなく平和になっていますよ。今、私達が向かっているのはその平和の象徴と呼ばれる国です」
フェイが外の様子に目をやる。艇はいつの間にか海を越え、大陸の上空を飛行していた。
そして……目的地はすぐそこまで近づいていた。
「ちょうど見えてきました。皆さん、左手をご覧ください」
ショーコは窓の外を覗き込む。
眼下に、途方もなく広大な都市が広がっていた。
「〈神聖ヴァハデミア共和国〉の首都、オズです」
その景観はファンタジー異世界らしからぬ異様なものだった。
ビルディングのような背の高い建築物がいくつも並び、ハリネズミじみた様相を呈している。ファンタジー世界でありながら異質な街並だ。
中央で一際目立つ、巨大な城のような建物が天に向かってそびえ立っており、それを中心に都市が四方八方へ発展していた。
「すっげぇ~……異世界なのにニューヨークみたいな大都市だ。行ったことないけど。あの真ん中のお城みたいなのはなに? 世界大統領のホワイトハウス?」
「共和国政府の本庁だ。元々は魔王の住む城だったがな。大戦後に改築したんだ」
「えっ! そんないわく付き物件!?」
「魔王城を再利用することで魔族を打ち倒したなによりの証として復興の象徴になるからな。“最初の転移者”もあそこにいるハズだ」
魔王の城が今や共和国の首都として平和の象徴になっているとは皮肉なものだ。
「ついに来ましたねショーコさん。着水できる場所を探します」
フェイが操縦席に座り、飛行艇を旋回させる。
もうすぐ“最初の転移者”と会える……この旅の終着点は目前だ。
色々苦労もあったけど、なんとかここまで来ることができた。
こーゆー時、普通なら喜びと安堵で胸を撫でおろすものだろう。
「……」
……だが、ショーコはあることについて思い悩んでいた。
「……みんな、ここまで連れてきてくれてありがとう。みんながいなかったらこんな遠くまで来れなかったよ。私は“最初の転移者”に会うために……元の世界に帰るためにここまで旅してきた。でも……今になってどうしようかすっごく悩んでるんだ」
「……? なにをですか?」
「最初は元の世界に帰りたいって思ってた。こんなおっかないトコさっさとオサラバしたいって思ってた。でも……フェイやクリス、マイさんと友達になれて……色んな人と出会って……この世界が楽しくなってきちゃったんだ」
フェイもクリスもマイも、何も言わずにショーコの言葉に耳を傾けていた。
「魔王も倒されて、スデに平和になってるんだったら……元の世界に帰らなくてもいいかなって思うようになっちゃったんだ。ここまで連れてきてもらっておいて今更なんだヨって思うかもしれないね。ワガママでごめん」
「ショーコさん……」
「でも、この世界のこと……スキになってきたんだ。いい人がたくさんいて、友達もたくさんいて、おっかないモンスターもいないんだったら……この世界で生きていくのも悪くな――」
――その時である。
「六時の方角に敵影!」
フェイが叫んだ瞬間、飛行艇が激しく揺さぶられた。
「わあ!?」
突風に襲われたように艇内が大きく傾き、ショーコは壁に叩きつけられた。
フェイが操縦桿を目一杯起こし、機体のバランスを取り戻す。
「なんだ!? 何が起こった!」
マイとクリスは外の様子を見て――絶句した。
ショーコも窓の外に目をやる。
窓の向こうには“壁”があった。
灰黒い壁だ。だが、よく見るとそれは壁ではなかった。無数の鱗に覆われ、光沢すらあった。
次第に“ソレ”が何なのか全貌が見えてきた。
前後に長い首と尻尾……短く分厚い四肢……コウモリのそれに似た巨大な翼……
ショーコにとっては幼い頃より見慣れた存在。
だが実物を見るのは初めてだった。
それでも一目見ただけで“ソレ”が何なのか、すぐに理解できた。
具現化した“恐怖”そのもの。
“破壊”と“災禍”の化身――
――“ドラゴン”だ。




