第三十八話 月がとっても綺麗だから
『……大したものだ』
風の精霊の言葉にショーコはハっと我に帰る。
一旦マイから離れ、何故かビシっと姿勢を正した。
『よもや霊獣アンフィスバエナを討つとは……其方らを見くびっていたようだ』
言い終えると風の精霊は眩い光を放ち、自身の姿を一変させる。
精霊の新たな姿はそれまでの人間離れした異質なものとは大きく違い、人間の女性そのものの姿だった。
『我、“風の精霊クロノア・シルフィス”は其方らに敬意を表す』
キリっとした顔つき。髪飾りや手足の装飾品が太古の戦士を思わせるような風貌だ。手には身の丈以上の槍を握っている。
「ちょ、ちょっと待って。精霊さんって女の子だったの?」
「ショーコさん、精霊に性別はありませんよ」
『我らは不定形の存在。姿形は自在だ』
「ってことは美女にもイケメンにもなれるってことか……決めた、私将来精霊になる」
アホのショーコを横目にフェイが風の精霊――クロノアに語りかける。
「精霊様、私達の願いを聞き入れてください。今、里の暮らしは――」
『わかっている。そなたらの望みは精霊の加護……自然の恵みを里の者達に与えてほしいというのだろう』
「……!」
言うまでもなく、風の精霊は事情を知っていた。当然といえば当然だが。
『我が霊獣の試練を与えたのも、その望みに足る価値が其方らにあるかを見極める意味もあった。アンフィスバエナに打ち勝った其方らにはその価値があると認めざるをえん』
「でしたら……」
『いいだろう。かつてのように……エルフ達に精霊の加護を与えると約束しよう』
フェイは胸をなで下ろした。予想外に話がうまく纏まった。これでエルフ達の暮らしは安定するハズ。
……だがショーコはどーにも腑に落ちなかった。
「あ、あの~、すんなり聞き入れてくれるのはありがたいんスけど、大丈夫なんスかね? 森の平穏が乱れるとか、精霊さんがしんどいとか、何か理由があってやめてたんじゃないんスか……?」
『……いや、里への加護をやめていたのは別の理由があったのだ』
「理由って?」
物怖じせずズケズケ質問するショーコ。相手が人間の姿になったからか先程まで精霊に感じていた畏怖の感情はすっかり消えたらしい。
『……知りたいか? 聞くも地獄、語るも地獄だぞ』
ショーコはゴクリと喉を鳴らした。
『……かつては里のエルフ達は精霊信仰の篤い者ばかりであった。この〈月影の森〉にもよく訪れ、子供達は下位精霊と遊んだり、大人達は月を眺め、風を肌で感じ、心を休めていたものだ。里長のレグルスは七日に一度は必ずここを尋ね、エルフの未来や世界のあり方について我とよく語り合ったものだ』
クロノアの表情は穏やかだったが、次第に物憂げなものに変わってゆく。
『だが時代は変わった……十年程前からこの森を訪れる者は少なくなり……いつしか誰もこの森に来なくなってしまった……レグルスもここへ来るのは十日に一度、二十日に一度と、次第に減っていった。エルフ達は……精霊への信仰心を失っていったのだ』
フェイとクリスはお互いに顔を見合わせた。十年程前と言えば〈月影の森〉の出入りを料金制にした頃だ。
『エルフは精霊よりも“オカネ”などという薄汚れた概念を崇めるようになった。そのオカネとやらで外の世界から食物を手に入れることも容易い……精霊の加護などなくとも生きていける……だからエルフは精霊を見限ったのだ』
クロノアは哀しげな表情で俯く。
『……我らは無用な存在だ。エルフは我らを……精霊の加護など必要としていない。だから私は……』
「な~んだ。どんなワケかと思ったけど、構ってもらえなくてスネちゃったってことか」
『なっ、なに!?』
思わずショーコが口走った。
「あっ! す、すんません! つ、つい思ったことを……ごめんなさい私正直だから……じゃなくて脳と口が直結してるからうっかりポロっと……」
慌てて訂正しようとするもどう言い訳すればいいかわからない。ただ手をバタつかせるしかできなかった。
『~~~っ……!』
憤慨した様子のクロノアが手に持った槍の切っ先を地面に突き立てた。
……が、精霊の怒りは意外にもすぐさま鎮火していった。
『……ああ……そうだ。そなたの言う通りだ。我は里の者達に相手にされなくなり、嫉妬し、拗ねているのだ……』
物憂げに俯くクロノア。
自然そのものを左右する強大な存在である精霊がすっかり意気消沈し、子供のように小さくなっている。
『本当はわかっている。エルフは新たな生き方を懸命に模索しているだけなのだと……それを我はひねくれて、意固地になって……』
先程までの尊大な立ち居振る舞いが嘘のように沈み込むクロノアにショーコ達は困惑する。
「え、えーっと……ちょっとみんな、なんかフォローしてよ」
「んなこと言ったってなあ。勝手にスネて勝手に自己嫌悪してるだけだし」
「マイさん、昔からの知り合いなら何か言葉をかけてくださいよ」
「いや……あの風の精霊がこんなにちまっこい奴だとは知らなかった」
「ダウンしてる相手に追い打ちは反則ですよ」
『マイの言う通りだ……我は精霊でありながら矮小な存在だ……』
どんどん塞ぎ込む風の精霊クロノア。
ショーコはなんと声をかければいいのかわからなかった。
『我は……なんと愚かなことか……』
「愚かなのは私だ」
――聞き覚えのある声。
クロノアが顔を上げ、ショーコ達が振り向く。
そこに居るはずの無いエルフ、里長のレグルスの姿があった。
「長老さん!? 尾けてきてたの!?」
「人間をこの森に入れるのはやはり不安でな。話も聞かせてもらったよ」
今の今までレグルスの存在に気付かなかったことを悔やむクロノア。気付いていたなら姿を見せたりはしなかった。
『レグルス……』
永年の友人同士でありながら、しばらく疎遠となっていた両者が久方ぶりに相対する。
「風の精霊クロノアよ、全ては私の愚行が招いたことだ。エルフが〈月陰の森〉を訪れなくなったのは私が入場料制度を設けたため。利益主義になったのも私がけしかけたせいだ。そして……私は里の運営にかまけてばかりでここへ来るのを疎かにし、お前をないがしろにしてしまった」
『……』
「エルフと精霊は太古の昔より共に生きてきた仲間だ。そんな当たり前のことを私は忘れていた……すまない。心から謝罪する」
レグルスは誠意を込めて頭を下げた。
里長が誰かに頭を下げるのを、フェイは初めて見た。
「己の行いを悔い改める。見返りは求めない。精霊の加護など無くてもいい。せめて、せめてまたかつてのように……君達と共に生きていきたい」
『……』
「頼む。風の精霊よ。我らエルフとまた“友”の契りを交わしてくれ」
『……精霊の加護が目当てでなく、友人としての申し出なのだな?』
「ああ」
『……もう二度と我を除け者にしないか?』
「もちろん」
『絶対か?』
「約束する」
『……わかった。約束だぞ』
「約束だ」
クロノアが口角を上げる。
レグルスも同じように口角を上げた。
「……よくわかんないけど仲直りってことかな?」
「どうやらそのようですね」
クロノアはショーコ達に視線を移す。その顔は憑き物が取れたような晴れやかなものだった。
『其方らには借りができたな。おかげで友との仲を修復することができた。礼を言う』
「いや別に私らなんもしてないけど」
ショーコがポショっとつぶやくと、クリスが肘で小突いた。
「いーんだよ。向こうが感謝してんだから。エルフのおっさん、これで依頼は完了ってことだよな」
「ああ、礼を言うよ。今後、〈月陰の森〉の入場料制は廃止にする。また昔のように皆が精霊に会いに来れるようにな。それと、人間の立ち入りも許可しようと思う」
「えっ、いいの? 今までずっと禁止してたんでしょ」
「一人でも多く精霊達と触れ合えるようにな。それに……君達を見ていると人間もそう悪くないと思えてきたからな」
レグルスの言に、マイが小さく口角を上げた。
「約束通り飛行艇の改修も請け負わせてもらう。明日には仕上げておくよ。君達は村に戻って休むといい。そろそろ陽も暮れはじめるからな」
見上げると、空は青白く薄れていた。夕暮れ前の、時間の狭間。
遠くに浮かぶ月が鮮明に見える。この世界に二つ存在する月の片一方――常に同じ位置に在り続ける月だ。
あの動かない月がここからよく見えるからこそ、この森は〈月影の森〉と呼ばれている。
まだ明るい内に見る月は、夜とはまた違った不思議な魅力があった。里の住民達がこの月を眺めにここまで足を運んだのも納得だ。
「里長は戻られないのですか?」
「私は大事な用があるのでな」
『さあサ! 帰りは僕達が案内してあげるヨ! 君達だけじゃ迷子にナッチャウだろうからネ!』
声の方へ視線を向けると、フラハジメがユラユラと身体を揺らしていた。元のかわいらしいお花の姿に戻っている。
その隣で小型のゴーレムが身体の前で両手を重ねてお待ちしていた。
「ゲッ、てめーらマジで不死身なんだな」
『さっきはゴメンネ。行き違いもあったケド過去は水に流して仲直りってことデ!』
「な、なんか不安だな……仕返しにまた迷わせたりしないでよ」
『モチロンモチロン。僕達を信用してヨ』
「不信……」
ショーコは不信感を拭えなかったが下位精霊の提案を受け入れることにした。
「精霊様、我々はここで失礼します」
フェイが低頭し、ショーコもお辞儀をする。クリスは小さく鼻を鳴らすのみ。
マイは口角を上げ、何も言わずにその場を後にした。
ショーコ達が去り、その場に残ったクロノアとレグルス。
「……」
『……』
しばらく沈黙が続いた後、レグルスは霊樹の根元にゆっくりと腰を下ろした。
『……レグルス、大事な用があると言っていたが……何かまだあるのか?』
「そうだな……」
レグルスは空を見上げて言った。
「月がとっても綺麗だからな。もう少し……ゆっくりしていこうかと思ってな」
『……! ……ふふっ……そうか……』
クロノアもレグルスの隣に腰を下ろし、霊樹に背中を預けて空を見上げた。
『たしかに綺麗だ』




