第二十二話 格闘王への道
「ぐっ……!」
フェイは膝をついた。
格闘武術ジェン・チーによる勝負は、新世組幹部のリムル嬢に分があるようだ。
「大したものですわ。これほど打ち込んでまだ倒れないなんて。あなたほどの達人がまだこの大陸にいたとは……」
リムル・ド・リール・デモボルト嬢の実力は本物だった。
名家のお嬢様でありながら日々の鍛錬を怠らず、その腕前は達人の域にまで達している。
格闘技による対決において、フェイがここまで苦戦を強いられるのは初めてのことだった。
「お褒めにいただき光栄ですが……私はまだ負けていません」
フェイは口元を拭いながら立ち上がった。
跳躍しながら両足で連撃を繰り出す。
リムル嬢は防御しつつ後退する。
攻め時とみたフェイの連続攻撃。
拳、肘、肩、膝、足……あらゆる角度からの攻撃を打ち込む。
リムル嬢も負けじと応戦する。
相手の攻撃の位置を的確に見極め、ブロックし、躱し、相殺してみせる。
――防御と攻撃の連続。その均衡は唐突に破られた。
リムル嬢の掌底がフェイの顔面に入る。
それを皮切りにリムル嬢が立て続けに打撃を打ち込んできた。
フェイが体勢を崩したところへ両拳による打撃を叩き込む。
痛烈な一撃を受けたフェイは後方へ大きく吹き飛び、うつ伏せに倒れこんだ。
「ぐあっ……! あぐ……っ」
リムル嬢は構えを解いた。
「勝負ありましたわね」
金髪の巻き毛を手で払い、なびかせるリムル嬢。
その姿はあまりに優雅で、あまりに気品に満ち、あまりにエレガントだった。
「我がデモボルト家の者は文武両道を極めるのが使命ですの。先月も『格闘技全国大会』で優勝いたしましたし、先週は『全国名家学力試験』で一位の成績を獲りましたわ」
リムル嬢は腰に左手の甲を当て、右手の甲を頬に当ててお嬢様っぽいポーズを取りながら語る。
「格闘技世界チャンピオンの女、リムル・ド・リール・デモボルトに負けたからといって恥じることはありませんわ。王に敗北したとて、誰が笑いましょうか。むしろ私とここまで戦えたことを誇るべきですわ。あなたはお強い。ですがわたくしはも~っとお強い。それだけのことでしてよ」
「……っ……」
フェイは身体を起こし、尻餅をつく形でその場に座り込む。
そしてゆっくり大きく息を吐いた。
「……あなたの言う通り、そちらの方が上のようですね。ジェン・チーにおいては……ですが」
リムル嬢がピクリと反応する。
「……含みのある言い方ですわね」
フェイは自嘲気味に話し始めた。
「私には悪い癖がありまして……少々真面目すぎるきらいがあるようです。他人からもよく言われます。エルフの里から人間社会に出てきて、真っ当な仕事に就いたからには誠心誠意真面目に生きようと思ってきたものですから」
「なにが言いたいのです?」
フェイはゆっくりと立ち上がると、スーツジャケットを脱ぎ始めた。
「相手の要求に正面から応えてしまうのです。腕相撲で勝負しようと言われれば腕相撲で、駆けっこで勝負しようと言われれば駆けっこで戦う……それが私の癖でもあり、ポリシーでもあるのですが……それももうやめにしましょう」
バサバサとジャケットをはためかせ、土埃を払って綺麗にたたみ、路肩に置く。
続けてネクタイをほどき、四つ折りにしてジャケットの上に置いた。
リムル嬢に向き直ると、フェイはYシャツの袖口のボタンを外し、肘まで捲る。
最後に手袋の手首を引っ張り、緩みを直した。
「ここからは私の持てるあらゆる技術を駆使してあなたと戦わせてもらいます。ジェン・チーだけでなく、様々な格闘技術を用いてあなたを打ち倒しましょう」
リムル嬢は鼻を鳴らした。ただの強がりだと思ったようだ。
「いいでしょう。アナタのその負けず嫌いの心をへし折ってさしあげますわ」
リムル嬢が構える。
フェイも構えた。
「――はっ!」
閃光のような打撃をリムル嬢が放つ。
フェイは寸でのところでガードする。
続けてリムル嬢は左拳を打ち出す。
フェイはそれも受け止めた。
――次の瞬間、フェイはリムル嬢の胸元を掴み、グイィと身体を引き寄せた。
同時に、右足を相手の足に引っかけ、切り裂くように払う。
これはジェン・チーの動きではない。
かつて“最初の転移者”がこの異世界に持ち込んだ技術……“柔術”である。
「っ!? なっ……!?」
柔術――大外刈りによって地面に叩きつけられるリムル嬢。
フェイが矢継ぎ早にリムル嬢の右腕を取り、うつ伏せにさせる形で脇に挟み、手首をガッチリと掴んだ。
関節を逆に押し曲げることで激痛を与える“プロレス技”の一つ、脇固めだ。
リムル嬢の腕がミシミシと音を立てて軋む。
「ぐああああああああ!」
先ほどまでの優雅な姿からは想像できないような苦痛の声を上げるリムル嬢。ジタバタと身体を動かしてもがくも、フェイのクラッチは外れない。
「ああああああ! くあァッ!」
必死の思いで前転し、脇固めから逃れる。
距離を取り、左腕の痛みに苦悶の表情を浮かべるリムル嬢。
「な……なんですの……今の動きは……」
「“ジュージュツ”と“レスリング”という流派の技です。“最初の転移者”様が他の世界から持ち込んだ格闘術と言われています」
異世界の格闘術――柔術とレスリングは、この世界ではさほど知られていない。現状マイナーな技術だ。
フェイはこれら異世界の戦闘術も学び、修めていた。それも実戦で扱えるほどのレベルにまで。
リムル嬢にとっては知り得ない未知の格闘術。いかに彼女がジェン・チーの達人だろうと、異世界で洗練された戦闘技法に初見で対応するなど不可能に近い。
「なんなのですの……なんなのですのその流派は! 私のジェン・チーがそんなわけのわからない武術に後れを取るわけがありませんわ!」
「誤解しないでください。ジェン・チーも優れた武術です。ですがあなたはそれだけしか修練していない。自身の知らない技術に対応できていないだけです。どちらの格闘術が優れているとか劣っているとか、そういうことではないのです」
「お黙んなさい!」
怒りを込めてリムル嬢が蹴りを繰り出す。
身体をエビ反りにして躱すフェイ。
返す刀でリムル嬢が連続の回転蹴りで攻め立てる。
対するフェイはバックステップで距離を取り、かわしてみせた。
「りゃああああ!」
跳躍して渾身の蹴りを見舞うリムル嬢。
フェイは冷静に蹴りの軌道を見極め、ギリギリで躱した。
相手が着地した瞬間を狙い、フェイが姿勢を低くし、槍のような鋭いタックルでリムル嬢の腰を取った。
そのまま押し抜き、倒れ込む。
目にも止まらぬ速さで相手の左腕を両足で挟み込み、手首を掴んだ。
リムル嬢の知らない技――腕ひしぎ十字固めだ。
「がああああああああああああああ!」
言葉に出来ないほどの激痛がリムル嬢の左腕に走る。
筋肉繊維が千切れ、骨が軋む音が聞こえた。
「降参してください。折りますよ」
「誰がっ……! 私はデモボルト家を継ぐ者……この私が戦いを放棄するなどありえませんわ!」
「ならば覚悟がおありとみなします」
――乾いた木がへし折れるような音がした。
「ああああああああああああああああああああああああああ!」
デモボルト家の令嬢の悲痛な叫びが獣人街にこだました。
フェイは技を解き、立ち上がって彼女を見下ろした。
「あああ……! が……! っ……!」
左腕の骨が折れ、あまりの激痛に苦しみ悶えるリムル嬢。
いついかなる時も気品と高貴さを保ってきた彼女が、初めて地面に這いつくばっていた。
「勝負はつきました。あなたの負けです」
「っ……!」
フェイの言葉にリムル嬢が反応した。
「っ……んぐっ……ぐ……!」
痛みを堪えながらゆっくりと立ち上がり、肩で息をしながらも鋭い眼光でフェイを睨み付ける。
「いいえ……私は負けません……負けてはいけないのですっ! デモボルトの家名を背負う者として……学問でも格闘技でも、わたくしはあらゆる分野で王となるべく育てられたのですわ! わたくしは……いついかなる勝負にも負けてはいけませんのっ!」
右腕だけでジェン・チーの構えをとるリムル嬢。腕を折られても尚、戦意を失っていない。
令嬢としてのプライドか、一人の格闘家としての意地か。
「今日、この場であなたに勝利し……わたくしは“王”への階段を一歩上りますわ!」
「……」
対するフェイは身体を斜めに構え、腰を落とし、両足のスタンスを大きく広げる構えを取った。
――互いの視線が交錯する――
見えない火花が散る。達人同士の睨み合いが続く。
「――だぁっ!」
リムル嬢が稲妻の如き速さで突きを放った。
――しかし、その一撃が届くよりも速く、フェイの強烈なハイキックがリムル嬢のこめかみに炸裂した。
「――ッ……!」
鋭い一撃にリムル嬢の意識は刈り取られた。
格闘技世界チャンピオンの女が地に伏す。
名家のお嬢様にあるまじき、天を仰ぐように大の字になって。
フェイはふうっと大きく息をつくと、姿勢を正し、リムルに向けて頭を下げた。
「対戦ありがとうございました」




