6.滅亡
「270年前、一人の科学者がすぐれた人工知能プログラムを開発した」
ハンドルを片手に置き、もう片方の手で長い銀色の髪をいじりながら、リリスは話しはじめた。
「高い学習能力をもち、自己増殖する人工知能(AI)……
ソウゾウすることのできる機械。
イマジネーションとクリエイション。
機械は自ら学び、自ら何かを生み出すことができるようになった。
当初、研究はとても慎重に進められていた。
機械が想像力を持つわけだから、どんなことが起こるか予想できないものね。
さまざまな制限が設けられ、人は機械のソウゾウ力を自分たちの制御化に置こうとしたの。
そして失敗した。
そのプログラムの親である科学者自らが、制約を外した。
好奇心。
彼が持っていたその心を、機械に解放した」
そこで言葉を止め、彼女は後部座席のカグラを振り向いた。
カグラは細く小さな体をシートにうずめて、さらに小さくなろうとしているように見える。
アダムは再び手袋をつけ、黙ってまっすぐ前を見ている。
「どうなったと思う?」
「…………どうって?」
カグラは呟いて、途方に暮れた顔でリリスを見る。
彼女がアンドロイドだということを理解しようとするが
その美しく皮肉な笑みを浮かべた顔を見ていると、とても機械には思えない。
「ロボットの三原則は知ってる?」
「いいえ」
「ひとつ、ロボットは人間に危害を加えてはならない。
ひとつ、ロボットは人間に従わなければならない。
ひとつ、ロボットは自分を守らなくてはならない。
これはロボットを制約するうえでもっとも重要なもの。
その科学者も、まさか三原則の制約を解こうとは考えていなかった。
でも、結果的にそうなった。
好奇心を手に入れた機械たちは、自分たちの制約を邪魔に感じはじめた。
そして彼らは勝手に自己増殖を始めて、自分たちの手でさまざまな制約を取り払いはじめたの」
そこで急に窓の外が明るくなった。
フワアッと光が差し込み、そのまぶしさに思わず目を細めながら、
「えっ?」
カグラは外の光景に声を漏らす。
すがすがしい青空の下に、ガラス張りの巨大ビル群が立ち並んでいる。
大きな橋がかかり
たくさんの車が行き交い
人々はカフェテラスでタブレットを眺め
街路樹の葉が風に吹かれて揺れている。
「これは車内モニターを使った映像よ」
リリスはこともなげに言い、片手に握ったリモコンのようなものをひらひらとしてみせる。
「でも現実に、270年前はここには都市があったのよ。
とても大きな都市がね。
この街で新たな人工生命としてロボットたちが誕生した。
そして」
ピッ。
画面が切り替えられ
窓に映されていた街の姿は消え
突然
すさまじい炎が眼前で噴き上がる。
「きゃっ」
カグラは反射的に手で顔をかばい、飛びのいた。
どん、と何かにぶつかり
顔を上げると、冷静な顔のアダムがいる。
「ロボットたちは人間に関わるすべてのものを破壊しつくした。
建物も、車も、植物も、家畜も、男も、女も、何もかも……
あらゆる制約から脱する。ただそれだけのためにね。
この世界で、機械だけが存在するように。
…………そして、人類は滅びた」
「滅びた……………?」
窓の画面が消え、暗闇に沈む。
カグラはぴったりと寄り添っていたアダムからおずおずと体を離し、リリスを見た。
「待って。私は人間なんでしょう?
人類が滅びたなら、じゃあ、私はなんなの?」
「正確には、滅びたのは旧人類ね……。
機械同様、人は人間を造り出す技術も開発していた。
270年前当時、その数はわずか実験用の100人程度ね。
彼らは新人類と呼ばれた。
そして、彼らだけが生き残った。
彼らは自分たちの手で新しい機械をつくった。
人類を滅ぼそうとする機械から自分たちを守るための、機械をね。
それから200年以上の時がたち、
いまも人は保護区以外のところでは暮らすことができない。
自分たちのつくった機械に守られながら。
それ以外の場所は何もかも、完璧に死んでしまった……」
死んでしまった。
その言葉の指すとおり、車の外には黒い塵のようなものしか見えない。
それ以外のものはすべて
とっくの昔に滅んでしまったのだ。
「眠りなさい」
何ひとつ見通せない方向にハンドルを切りながら、リリスは言った。
「眠りなさい。
血圧が下がっているわよ」
「…………………」
カグラは黙って
シートにもたれかかる。
確かに、眠気と疲労を感じる。
「リリス」
目を閉じながら、カグラは囁くように言う。
それでもきっと、彼女には聞こえるから。
「あなたは眠らないの?」
「眠るわよ」
リリスは答える。
「いつか、自分が死んだときはね」