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KAGURA  作者: 瀬戸玲
44/58

43.思い出





 男は部屋の中央に置かれた大きなデスクに資料を並べ


 それらをひとつひとつ手にとってめくっていた。


 床一面にやわらかな絨毯を敷き詰められたその部屋は


 広い書斎のようだ。


 デスクは木目調のどっしりとした分厚いもので


 パソコンとキーボード


 5、6冊ばかりの分厚い書物を収めた金属製のラック


 そのうえ大量の資料を並べても尚余地がある。




 男は二十路半ば、細身だががっしりとした体つきで


 やや肌の浅黒い東洋系の顔立ちに眼鏡をかけている。


 着ているのは薄手の紺のセーターに飾り気のない黒のスラックス


 そのうえに丈の長い白衣。




 男は手に取った資料に一枚一枚目を通しながら


 時折考え込むように窓のほうを向いた。


 大きな窓にはブラインドがかかっている。


 その隙間から夕日が差し込み


 彼のデスクのうえにオレンジ色の線を落としている。


 彼はぼんやりとその光を眺め


 また資料へ戻る。


 少したつと思い出したように大きく伸びをし


 肩や首をぐるりと回し


 眼鏡の下から指を滑り込ませて下瞼を押さえ


 筋肉のこりをほぐす。




 コンコン。


 


 部屋の扉がノックされ、彼ははっとしたように目を上げた。


 同時にガチャリと扉が開き


 その奥からひとりの女が顔を覗かせる。




 まだ17、8かそこらの若い女だ。


 やわらかそうな淡い栗色の髪をうしろで束ね


 彼と同じく丈の長い白衣を身に着けている。


 北欧を思わせる真っ白な陶器のように滑らかな肌。


 キリリとした灰色の瞳。


 口元には歳に似合わない大人びた微笑を浮かべ、


 するりと部屋の中へ足を踏み入れると


 後ろ手に扉を閉めた。




 「少しお話があるのですが、よろしいでしょうか………

  コンドウ博士?」



 「ああ。もちろん」




 男は回転チェアをぐるりと動かして彼女のほうを向くと


 両手を開いて歓迎の仕草を見せた。




 「マリアベル。お茶を」




 男が部屋の隅に待機していた女型アンドロイドに声をかけると


 アンドロイドは無言で一礼し、部屋の奥へ消えた。




 「少しだけですから、けっこうですよ」



 「まあ、座りたまえ。エヴァ博士。

  私も少し休憩しようと思っていたところなんだ。

  ………ところで、何の話かな?」



 「………ええ」




 女は男にうながされてデスクの脇のソファーに腰をかけ、


 ゆったりと首を傾けて男を見る。




 「コンドウ博士」



 「ん」



 「私、今月末から【パンゲア】の研究室に転属が決まりましたの。

  それも研究室の主任として」




 女の言葉に


 男は一瞬目を丸くして


 それから


 へえと感嘆の声を上げる。




 「君が……そうか。

  それはすごい。おめでとう」



 「はい。ありがとうございます」



 「そうか………。いや、それはめでたいな」



 「そう言ってらっしゃるわりには

  なんだか顔がうれしそうじゃありませんのね」




 彼女の鋭い言葉と微笑に


 彼は口の端を曲げて笑い、眼鏡を指で押し上げた。




 カチャン。




 部屋へ戻ってきたアンドロイドが


 小さな音を立てて紅茶カップをソファー前のテーブルに置き、


 さらにもうひとつを彼のデスクへ置く。




 「ああ、ありがとう。マリアベル」




 彼が礼を言うと、女アンドロイドは無表情のまま一礼して


 また部屋の隅へ行って立ち止まり、そのまま静止する。




 「めでたくないわけは、ないさ」




 男はそう言いながら、カップを取り上げて紅茶を口に含んだ。


 女もそれを聞きながら優雅な仕草でカップを取る。




 「人類保護区【パンゲア】………美しい街だ。

  私も一度訪れたことがある。

  あそこは人類のさまざまな文化の保存を目的とした都市だ。

  <ヒトの営み>を保存する………というのは

  とてもすばらしい仕事だよ。エヴァ博士」



 「ええ」



 「ただ――」



 「ただ?」




 男はゆっくりとカップをソーサーに戻すと


 こめかみの辺りを爪の先で軽くこすりながら


 小さく肩をすくめた。




 「君のような優秀な科学者が

  この【ワダツミ】から去ってしまうことを思うと………

  私としては、非常に残念でならないな」



 「ふふふ。お上手なんですから」




 そう言って笑う彼女の表情には


 まだあどけなさが残っている。


 女はにこにこしながら立ち上がると、男の座るデスクの前に立った。




 「博士。何を読んでらっしゃるの?」



 「………ああ、これかい?

  自分が昔書いた論文を読み返していたんだよ。

  君のような人には、とても恥ずかしくて見せられない代物だが」



 「まあ」




 彼女はいじわるな表情を浮かべて、デスクの上にあった資料をひとつ手に取った。


 その表紙には


 【KAGURA】


 とだけ書かれている。




 「【KAGURA】………?」



 「なあ、エヴァ博士」




 デスクチェアにもたれ


 腹の辺りで両手を組み合わせながら


 彼は、静かな声でたずねる。




 「君はひとりの科学者として

  人類の行く末を

  どう思っている?」



 「人類の………行く末?」




 女は怪訝な表情を浮かべ、手にしていた資料をデスクへ戻した。


 男はうなずいて、また紅茶を一口含み、続ける。




 「この5年間、われわれは人類の種の保存に全力を賭してきた。

  それも<優秀な遺伝子を持った人類>の保存を……

  だが、見てご覧。

  この5年で【ワダツミ】の人口は3分の1に減った。

  今ではアンドロイドの数のほうが多いくらいだ。

  皮肉なことにね」



 「…………」




 部屋の隅に無言で控える、無表情なアンドロイド。


 それを一瞥してから、女は男へ視線を戻す。




 「どう思うも何も、私たちの仕事は人類の種を保存すること。

  そして減少傾向を少しでも食い止める方法を見出すこと。

  そうでしょう?

  私が【パンゲア】に招かれるのだって

  あの保護区が今もっとも危機的な状況に陥っているからです。

  私の使命はとにかく出生率を向上させ

  より優秀な遺伝子の組み合わせを発見し

  より優秀な人類を育てること。

  ………違いますか? コンドウ博士」



 「いいや。

  君の言っていることは間違ってない。

  我々に立ち止まっている時間などないからだ。

  しかしながら現状は――」




 そう言って、男は首を振る。




 「現状は、どう考えても手詰まりだ」



 「だからといって、あきらめることはできません」



 「そうだな」




 大きくうなずき、男は資料を手に取ってぱらぱらとめくる。


 先ほどまで女が手にしていたものだ。


 ――【KAGURA】。




 「しかし何か………そう。

  新人類のあり方とでも言うのだろうか。

  そのようなものを、どうも探さなくてはならない気がするんだ」



 「新人類の、あり方………

  それは博士。あなたの直感ですか?」



 「そうだな。その通り。

  私の、科学者としての勘がそうささやいている」




 くすりと女は笑って、一歩デスクの前から遠ざかりながら


 笑みの形に曲がった唇にそっと指を当てた。




 「それでは、私は私の勘に従って………

  互いにできることを

  やっていくしかありませんわね」



 「まさしく。君は完璧だよ、偉大なるエヴァ博士!」



 「ふふっ。 あんまり笑わせないでください」




 こらえきれずに女が声を立てて笑い出すと


 男もまた目を細めて笑った。




 「ああ、もう………

  転属のご挨拶にうかがっただけだというのに。

  ここにいると話し込んでしまいそう。

  では、そろそろおいとましますわね。

  ここを出る前に片付けてしまいたい仕事がありますから」



 「そうしたまえ。

  君のような優秀な科学者は

  私と違ってとても忙しい」



 「ご冗談ばっかり」




 女はぺろりと舌を出しながら、扉を開ける。


 しかしそこでふと立ち止まり


 彼女は彼を振り返った。




 「コンドウ博士」



 「うん?」



 「私、主任の仕事に就いたら

  自分で組み合わせた遺伝子で子どもつくろうと思っています。

  もし………

  もしそれがうまくいったら………

  いつか………

  いつか。

  その子どもに会っていただけますか?」




 その言葉に


 男はにこりと満足そうな笑みを浮かべ


 ゆっくりとうなずいた。




 「もちろんだ。

  それじゃあ君も

  私の子と会ってくれるかい?」



 「ええ。もちろんです」



 「そうか」




 眼鏡のふちを手で押さえ


 男はそっと顔を伏せる。




 「それはとても………

  とても、楽しみだ」






















 過去。




 そして




 現在。





 エヴァは【パンゲア】の地下施設の床に仰向けに寝そべり


 ぼんやりした瞳で高い天井を見上げていた。


 彼女の周りには数え切れないほどのポッドが整然と並び


 それらの中では


 <彼女の子どもたち>が穏やかに眠り続けている。




 「博士、あなたは………私の息子に………

  アダムに、会ってくださったんですね」




 かすれるような声で


 彼女は呟く。


 頭の奥のほうでジジ…ジ…という音がする。




 「私も……あなたの子どもに会いました。

  あなたの………あなたの大事な、娘に」




 彼女の口元には笑みが浮かんでいる。


 つい先ほどまで<テンペスト>の回路に侵入し


 一進一退の激しい攻防を繰り広げていたとは思えない。


 落ち着いた、穏やかなほほ笑みだ。




 「見てください………

  ここにいるのはみんな

  みんな、私の………かわいい

  かわいい、子どもたち、です………」




 機能が徐々に衰え


 唇はきしむように震え


 それでも彼女は


 笑っている。


 その目尻から


 突然


 つと透明な液体がこぼれる。


 彼女はびっくりしたように


 全身をきしませながら


 それでも震える腕を上げて


 自分の顔に


 そこに流れる液体に触れた。




 「おか、しい………わね」




 口元に笑みを浮かべたまま


 エヴァはぎゅっと眉をひそめる。


 その両目からとろりと


 液体が頬を伝う。




 「へん、ね…………

  まるで、なみ、だ、みた……………い………………」







 ヒュゥン。





 小さな音がして


 エヴァは口元に安らかな笑みを浮かべたまま


 静かに


 その活動を停止した。





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