40.犠牲
その暗闇は唐突に
彼らを包み込んだ。
一瞬にして【パンゲア】の全照明が落ち
吹いていた清涼な風が消え
すべてが
闇に沈み込む。
「え………!?」
何も見えない。
手を引いていたリドが突然走るのをやめたため
カグラは彼に衝突して尻もちをついた。
「いたっ!
リド? ねえ、これは………」
叫ぼうとした途端
今度は嵐のような強い風がカグラを襲い
大量の塵埃にまみれて咳き込む。
この空気は一度経験したことがあった。
降りそそぐ灰色の塵――<外>の風だ。
「リド!」
「僕に聞かれたってわからないよ!」
ようやく、リドが叫び返してくる。
少年の姿は見えない。
ただ、つないだ手の感触だけが彼の存在を感じさせる。
「博士の都市管理機能がなんらかの障害で停止したんだ。
でも、すぐに緊急システムに切り替わるはずだから……。
大丈夫だよ………たぶん」
カグラを安心させようとするリドの声は、震えていた。
だが彼の言うとおり
カグラがふらふらと立ち上がるころには
再び【パンゲア】の光が灯った。
まぶしさに目がくらむ。
空調機能も回復したようで
<外>から吹き込もうとする黒い風を押し返すように
ゴウンゴウンと音をたてはじめる。
カグラはほっとしたように辺りを見回した。
空がまた元のように
青さと光を取り戻している。
「ほらね」
リドは少し得意げな表情でカグラを振り返って
その手をぐいと引っ張った。
「でも、とにかく急ごう!
博士に何かあったんだ。
攪乱作戦に失敗したの……か………も………」
そこまで言ったところで
突然口を閉じる。
カグラはそんな彼を見下ろして首をかしげた。
しかし次の瞬間
振り返る。
通りのはるか先に
音もなく
<それ>がいた。
カグラの右腕の装置が震え出す。
「お姉ちゃん!」
タタタタタタタタッ!
<テンペスト>から発せられた弾丸が
通りの石畳を粉々に砕き
細かな破片を舞い上がらせる。
リドは小さな両手でカグラの腰を軽々抱え上げると
彼女の体ごと
真横の細い路地に向かって地面を蹴る。
「きゃっ!」
バケツやら何やらを押し倒しながら
路地道に倒れこむ。
瞬間、さっきまで2人がいた場所を
<テンペスト>の弾丸が鋭く突き抜けていった。
「リド!」
倒れこんだ2人に向かって、女性の声が響いた。
見上げると、若い女性が駆け寄ってくる。
「母さん!」
リドが叫んで立ち上がった。
カグラもまたあわてて立ち上がる。
現れたのは20代後半と思しき
淡いグリーンのワンピースをまとった女性だった。
その肩にはやはり他のアンドロイド同様、自動小銃を下げている。
女性は険しい表情の中に一瞬やさしげな笑みを浮かべると
こちらへ手を差し伸べた。
「さあ、カグラさんも。こっちへ」
「あ、………はい!」
「<テンペスト>のセンサーが復活したわ。
早く中枢部へ!」
3人で路地を抜けると、数名のアンドロイドたちがそこに集まっている。
彼らは厳しい眼差しで自動小銃を脇に抱え
軽く手を振るような動作をしてカグラたちを促した。
「リド、あなたはカグラさんと中枢部へ」
「えっ……母さんは!?」
「ここは私たちで食い止めるわ。
早く行きなさい!」
ズドンッ!
轟音。
震動。
見上げると
すぐ近くの建物の屋上に
<テンペスト>の姿がある。
その腹部から黒金の筒が飛び出すと同時
アンドロイドたちも上に向かって一斉射撃を開始する。
「さあ、行きなさい‼」
母の声に叱咤され
リドは全身を震わせながら
目を背けるように踵を返して
カグラの手を引っ張った。
「リド――」
「うるさい‼」
声をかけようとしたカグラに
リドは癇癪を起こしたように大声で怒鳴る。
カッ!
辺りを閃光が照らした。
爆発から身を守るために
彼らは再び建物の陰に飛び込んだ。
引っ張られるカグラの体は半ば爆風で浮き上がり
路地の壁に叩きつけられて落下する。
爆発があらゆるものをなぎ払い
アンドロイドたちの怒号が
空に響く。
「はあっ、はあっ、はあっ…………」
カグラは破裂しそうにあえぐ肺をなんとかなだめようと
大きな呼吸をくり返した。
恐怖と興奮のせいか、壁に激突した痛みは感じない。
隣のリドは壁に背を当て
自動小銃の引き金に指をかけて
通りを注意深く覗き込んでいる。
「お姉ちゃん」
「ん………」
「ここからでも見えるでしょ。あれが、中枢部」
リドはそう言って、斜め上の辺りを指差す。
言われるままにその方向へ目をやると
ガラス張りの巨大な建築物の先端が
確かに見えた。
「ごめん」
「リド………?」
自動小銃のセーフティーロックを外しながら
リドは苦しそうな声を吐き出した。
「やっぱり、僕………
母さんを置いては行けないよ」
「でも、あなた………!」
「だから逃げて。ごめん!」
少年は叫ぶと
自動小銃を掲げ
一気に
通りへ飛び出していく。
「リド‼」
瞬間
再び走る閃光が
カグラの目を
強烈なまぶしさで覆い尽くした。
「リドーーーーーーーー‼」
喉が張り裂けるほど絶叫する
が
その声さえ爆音にかき消され
猛烈な風が細い路地になだれ込み
彼女の体を吹っ飛ばす。
ゴォォォォォ………ォォォ………
揺れる炎が
倒れたカグラの体を
赤く照らす。
「………う……っ………」
薄目を開けて様子をうかがうと
同じように吹き飛ばされたらしい
うつぶせに倒れた少年の姿が
煙の中にちらりと見える。
「リドっ!」
カグラはがばりと飛び起きると
彼の体に飛びついた。
そして
少年の前ではっとしたように固まり
その場に
へたり込む。
「リ……………ド………?」
煙を発する少年の体に触れようとするが
あまりの熱に
触れることができない。
カグラは涙を浮かべながら
自分の指を握りしめる。
あるべき場所に――
少年の下半身が
ない。
腰から下を爆発で失った少年は
体の下に真っ赤な血と
機械の部品を撒き散らしながら
そこへ倒れていた。
「お………ネエ………ちゃ………」
うつぶせになったリドの口から
声が漏れる。
カグラは這いつくばるように少年の顔を覗き込んだ。
しかし
皮膚の表面を焼かれたのか
くずれた肉とその奥に覗く金属しか
彼女の目には映らない。
「リド。ねえ、リドっ………!」
「逃……………ゲ………………」
ヒュゥン。
と
少年の体の奥で
音がする。
そしてそれきり
リドはもう
何も言わなかった。
ガシャン
ガシャン
ガシャン
ガシャン──
炎の中を
こちらに向かって進んでくる
<テンペスト>の足音。
カグラはその音を聞きながら
焼け焦げた少年の髪をやさしくなでた。
「………ごめんね」
そう言って
ふらりと立ち上がる。
『お姉ちゃんたちが死んだら!
人類が滅びたら!
僕だって父さんだって母さんだって………
みんなみんな、停止するんだ!
死ぬんだよ‼』
「私…………行かなきゃ」
そっと後ずさり
あとは何かを振り切るように
カグラは
走り出した。
ぐっ、と
喉元まで嗚咽がこみ上げるのを
飲み下す。
走れ。
今は、とにかく
走れ。
自らの足に
崩れそうになる心に
そう命じた。
(絶対に生き残る……!)
生き残ることで、アンドロイドたちを守る。
そのために。