39.抵抗
人類保護区【パンゲア】。
とてつもなく巨大なドーム建築の内側に映し出された空は
頂点の部分が<テンペスト>侵入によって粉々に破壊され
その奥に広がる漆黒の暗闇から
灰のような塵が街へ降りそそいでいる。
そんなことはつゆとも知らぬように
破壊された部分を除いたドームの画面は
明るい青空と流れる雲を映し続けていた。
しかし地上で頻発する爆発と炎上によって
その青空さえ
幾度となく赤く染められる。
頬にこびりついた赤黒い血と汗を
ぼろぼろになったコートの袖口でぬぐって
カグラは少年と走り続けていた。
「ねえ……リドっ!」
「何?」
「今の爆発は?
あいつは今、何を破壊してるの?
あいつの目的は、私とマリア………
人類なんでしょう!?」
カグラの問いに、リドは彼女を振り仰ぐ。
「博士が<テンペスト>のシステムに介入して
生体検知センサーを攪乱してるんだ。
人類とアンドロイドの区別がつかないようにね。
だから<テンペスト>が攻撃してるのは、アンドロイドだよ」
「アンドロイドを……!?」
「心配しなくても大丈夫。
マリアお姉ちゃんは僕たちよりも先に中枢部に向かった。
あんなところにはいない。無事だよ」
「でも……!」
カグラは戸惑いながら、つないだリドの小さな手をぎゅっと握った。
背後でまた爆音が轟く。
「こんな………!
ねえ、私たちだけ逃げるなんてっ……。
さっきのアンドロイドたちは?
みんなも逃げないと!」
「お姉ちゃん、何言ってるの?」
リドは前さえ見ずに走りながら
怪訝な表情を浮かべた。
「大丈夫だよ。
あそこにいるのは<アンドロイド>なんだ。
だから――」
「そんなのはおかしい!」
カグラは叫んで立ち止まろうとしたが
走るリドが
手を離さない。
転びそうになり、慌てて体勢を整える。
「おかしいのはお姉ちゃんだよ」
「だけどっ………リド!
あなたの家族は?
あなたのお父さんやお母さんがあそこにいたら
どうするの!?」
「…………っ!」
今度は反対に
リドの手に力がこもる。
痛いほどに。
そのやわらかそうな皮膚の下に
固い金属の感触を
確かに感じる。
「仕方ないじゃないか!」
カグラから顔をそむけて前を向き、リドは叫んだ。
「仕方ないじゃないか!
お姉ちゃんたちが死んだら!
人類が滅びたら!
僕だって父さんだって母さんだって………
みんなみんな、停止するんだ!
死ぬんだよ‼」
少年の叫び。
切実な――アンドロイドの叫び。
カグラは目を見開き
そして
震える喉の奥にわずかな唾を飲み込んだ。
「…………わかってる。……だけど………」
「わかってる……なら!
これ以上余計なこと言わないで、ちゃんと走ってよ!」
ひときわ大きな爆音が轟き
足元の地面がうねうねと揺れた。
そう遠くない距離だ。
(わかってる…………!)
だけど――
そのあとの言葉を見つけられず、カグラは歯を食いしばった。
あとはもう何も言わず
2人は全速力で走り続けた。
中枢部のエヴァは
デスクチェアの背にもたれたまま
気を失ったようにぐったり目を閉じていた。
その両手だけは自動でキーボードの上を駆け巡り
【パンゲア】の管理システムを動かし続けている。
(好きにはさせない………お前たちの好きになんか………!)
呪詛のように呟きながら
管理システムのみを残して己の機体から分離したエヴァは
擬似空間の中を飛び回っていた。
<テンペスト>。
30年前にコンドウ博士ら多くの人類が暮らしていた保護区を
たった一晩のうちに壊滅させた。
悪魔のような――<機械>。
そのシステムに介入し、攪乱し、
アンドロイドと人間とを見分けるセンサーを阻害する。
そのことに全力を傾ける。
(私の【パンゲア】を──破壊することなど許さない!)
牙をむき出すがごとく
擬似空間のエヴァは<テンペスト>のシステムに向かって
攻撃プログラムを叩きつける。
攻撃を受けたシステムは
対応プログラムにしたがって
反撃をエヴァに仕向けてくる。
エヴァはそれらをかわし
払いのけながら
なおも全力で<テンペスト>の機能を破壊しようと
あらゆる攻撃を仕掛ける。
(娘を………
私のかわいい娘を………
殺させは、しない!)
マリア。
いとしいマリア。
彼女が生まれた日のことを
そのときに覚えた感動を
エヴァは忘れたことがなかった。
マリアは生まれ、彼女の腕に抱かれ
すこやかに育ち、愛くるしく笑い
そして――
『ママ!』
(マリア………私の娘!)
瞬間
<テンペスト>の反撃プログラムのひとつが
エヴァのシステムを
彼女の中枢機能を
打ち抜く。
(まず……い!)
一旦退こうと体勢を変えようとする
エヴァの手が
擬似空間の中でイメージ化されたその手が
指の先からぼろぼろ崩れていく。
足が、髪が、乳房が、顔が――
次々と彼女の機能を侵し
崩壊させていく。
「…………‼」
気がつくと
彼女はデスクチェアの機体に戻っていた。
開いた目でぼんやりと研究室の無機質な天井を見つめる。
両手だけは、相変わらずせわしくキーボードを叩き続けている。
「マリア…………」
ぽつりと呟く。
その視界がちらつき
何本も線が入っている。
頭の奥からは
ジジジ………ジ………
と何かが焦げるような音がする。
(中枢機能をやられた………それに
ひとりですべての管理システムを操作するのは………
機能全体に、負荷をかけすぎたわね…………)
少しずつ
キーボードを叩く指の動きも
遅くなっていく。
その両手でキーボードを押しのけるようにして
エヴァはデスクから立ち上がった。
ギ、ギ、と音を立てながら。
(あとの管理システムは………リリスに………)
脇にあったボタンを押すと
目の前の壁からコードが飛び出してくる。
エヴァはそれをつかみ
着ていた白衣をその場に脱ぎ捨てると
コードを自身の接続部へ差し込んだ。
一本は手首。
一本は腰。
一本は右のこめかみに。
そこへ自分の所有している情報をすべて送り込み
保存させる。
すべては一瞬で完了する。
エヴァはそれを確認すると、体からぶちぶちとコードを引き抜いた。
そうして壁を伝いながら
どこかへと向かって
歩き出す。
ギ、ギ、ギ、と
体が壊れたおもちゃのような音を鳴らした。
一歩
一歩
進むたびギシギシと鳴る体に
エヴァはふと
笑みを浮かべた。
「私…………いつのまに
機械なんかに
なったのかしらね」